デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

アルバート・アイラーもグリーン・ドルフィン・ストリートを歩いた

2009-04-26 08:14:37 | Weblog
 先日、和歌山県太地町のくじらの博物館で、バンドウイルカの赤ちゃんが誕生した。親に寄り添うように泳ぐ姿は微笑ましく、写真を見ているだけで癒される。昨年1年間に全国の水族館や動物園で生まれたバンドウイルカは13頭で、生存はわずか2頭だという。自然とかけ離れた環境での生育は難しいようで、制限された環境に慣れないと母親が授乳しないケースもあるそうだが、元気に育ってほしいものだ。

 イルカといえばジャズファンなら真っ先に聴こえる曲は、「オン・グリーン・ドルフィン・ストリート」だろうか。地震のシーンが話題をまいた47年の映画「大地は怒る」の主題歌で、作曲は Bronislau Kaper。ファーストネームの正確な発音が不明のようで、この曲を紹介するときは B.ケイパーとしか書かれないが、映画音楽を数多く手がけた作曲家のようだ。パニックシーンが多い映画でこの美しいメロディの効果は興味あるところだが、アドリブの素材として面白い曲で何度も録音したマイルスをはじめ、天衣無縫なロリンズ節、初リーダーアルバムにしてジャズで初めて演奏されたバス・クラリネットのソロが圧巻なエリック・ドルフィー等、アドリブの醍醐味が満喫できる作品が並んでいる。

 そして「My Name Is Albert Ayler」の自己紹介で始まるアルバート・アイラーの2枚目のアルバムは強烈だ。ベースのペデルセンとロニー・ガーディナーのドラムは調和性を保った4ビートで進行するが、そこにアイラーの暴力的なテナーサックスの音と、非調和のフレーズが絡み従来の演奏パターンを破壊している。このアルバムが録音されたのは63年で、コルトレーンのバードランド・ライブや、オーネット・コールマンのタウンホールと同じ時期になるが、フリージャズの先駆者たちに共通して聴かれるのは破壊と再生の緊張的空間であり、アイラーのグリーン・ドルフィンも曲と演奏手法のスタンダードを破壊しつつもそのスタンダードを再生したものといえるだろう。

 イルカは高い周波数をもったパルス音を発して、物体に反射した音からその物体の特徴を知る能力を持つという。アイラーが発したパルス音は、コルトレーンがアイラーのように吹きたい、と語ったようにフリージャズ奏者は勿論のこと、「破壊せよ、とアイラーは言った」というエッセイを書いた作家の中上健次や60年代に活躍した多くの芸術家にまで影響を与えた。その短い生涯は常に最大値のパルス波を発していたに違いない。
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ウェスト・コーストの風になったバド・シャンク

2009-04-19 07:55:15 | Weblog
 彼は50年代初頭に広くポピュラーな存在になっていたが、それはレコード会社の手で「ニュー・バード」という売り出し方をされていたからである。アルト・サックスを手に取った若手なら誰でもそうだった。それはあまりにも過ぎたやり方で、彼にとってもまだ早すぎるものだった。彼は確かに完璧なプレイヤーだったが、当時の彼はイノベーターでもなければ、際立ったオリジナリティを持つソロイストでもなかった。

 ロバート・ゴードンの著書「ジャズ・ウェスト・コースト」の一節である。彼とは4月2日に亡くなったバド・シャンクで、チャーリー・バネット楽団でデビューしてから今日まで大きな注目を浴びることはなかったが、常に第一線で活躍した人だ。ローリンド・アルメイダと組みアメリカでボサノバが流行する以前からブラジル音楽を取り入れたり、インド音楽とジャズの融合をはかったこともあり音楽に向かう姿勢は意欲的だった。アルトは勿論のこと、フルート、クラリネット、テナーにバリトンまで完璧に吹けるプレイヤーで、その器用さがゴードンの指摘するオリジナリティの稀薄さなのかもしれない。

 多くのセッションに参加し、自己のアルバムも数多いシャンクだが、56年の「ザ・バド・シャンク・カルテット」はクロード・ウィリアムソンの好バッキングもあり、余すことなく西海岸の陽光を浴びた爽やかなアルトと美しいフルートを楽しめる。アート・ペッパー、ハーブ・ゲラーと並んでウェスト・コースト白人アルト奏者御三家と言われていたころの作品で、「ニュー・バード」という閃きはないが、「ニュー・アルト」と呼べる新鮮なフレーズはカラッとした明るさがあり、収録曲「ウォーキン」の足取りも軽い。「ネイチャー・ボーイ」は澄んだ音色のフルートで奏でられ、同じパシフィック盤「Bud Shank Quartet」のジャケット写真のような屈託のない笑顔は自然にふるまう少年の如しである。

 レコード店で見かけると思わず手に取り、飾りたくなるイラストのジャケット、レコードを取り出すだけで広がってくるウェスト・コーストの柔らかい風、針を降ろすと同時に聴こえてくるしなやかな音、夢が広がるアルバムを残してくれたことに感謝したい。享年82歳。合掌。
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クロード・ウィリアムソンの四月の思い出

2009-04-12 08:10:23 | Weblog
 新年度や新学期の時期を迎える4月は、新調したスーツや制服に身を包んだ若者をみかける。新しいことを始めたり挑戦するときは不安や心配もつきものだが、それ以上に期待感があふれるのだろう、皆一様に表情は春の空気のように清々しい。新たなスタートを切る4月をタイトルにした曲は中森明菜の「April Stars」、石野真子の「四月になれば」、サイモン&ガーファンクルの「4月になれば彼女は」等、希望に燃える歌が多い。

 ジャズナンバーではロマンチックな歌詞と格別に美しいメロディを持つ「四月の思い出」が多くのプレイヤーに取り上げられている。ジャズ・ピアニスト山崎英幸さんの解説によると1コーラス48小節という長い形式で、1コーラスが長く、前半で同一コードが続くなどの理由で通常早いテンポで演奏されることが多いそうだ。確かにのちのミュージシャンの手本となるルースト盤のバド・パウエルは息も付かぬ超高速演奏で、バラードソロで演奏したソニー・クラーク以外はほとんどアップテンポである。エロール・ガーナー、アンドレ・プレビン、デューク・ジョーダン等々、名ピアニストの指は目で追えぬ速さだ。

 なかでもラテン調の早いテンポで弾いているのがジューン・クリスティの歌伴を努めたこともあるクロード・ウィリアムソンで、スピードではパウエルには負けない。かつて白人ながらパウエル直系だったため、「白いバド・パウエル」とか「漂白されたバップピアニスト」と呼ばれたこともある人だ。両者を聴き比べるとテクニックにしても歌心にして決してウィリアムソンが劣っているわけではなく、直向にバップに取り組んでいる姿は両者とも同じである。黒人の大統領が誕生した今、このような侮蔑的な形容をする人はいないと思われるが、当時は日本でもバップは黒人のジャズという根強い意識があったのかもしれない。

 颯爽と社会に巣立つ若者がいる一方、今春卒業した学生のうち採用内定を取り消された人は2000人近くにのぼるという。今年の苦い四月の思い出も、何年か先の四月はきっと楽しい思い出に変り、それが数十年先懐かしく思い出せる四月になることを祈るばかりである。
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向田邦子と水羊羹とミリー・ヴァーノン

2009-04-05 12:56:38 | Weblog
 脚本家の向田邦子さんが「水羊羹」というエッセイで、自分は水羊羹評論家がふさわしいと書いている。切口と角に始まり、宵越しをさせてはいけない、固いのは下品であり黒すぎては困る、一度にふたつ食べるものではない等々、水羊羹の薀蓄の一端が並び、すだれ越しの自然光、クーラーよりも窓を開けた自然の風の中で、とライティングや空気にも気を配るほどの拘りようだ。そしてムード・ミュージックは・・・

 ミリー・ヴァーノンの「スプリング・イズ・ヒア」が一番合うと。このエッセイが77年の「クロワッサン」に載ったときに、ヴァーノンの「イントロデューシング」が話題をよんだ。この時点ではアルバムはこの1枚しかなく幻のシンガーと言われ、ストーリーヴィルというレーベルの希少性も重なりオリジナル盤の価格が暴騰したという。このエッセイがきっかけで80年に国内で再発され、82年にオーディオファイル・レーベルから「オールド・シューズ」、86年には日本のソニーが「オーバー・ザ・レインボウ」をレコーディングしている。ストーリーヴィル・オリジナル盤が手の届かない値になったと嘆くマニアもおられるだろうが、向田さんのエッセイで幻のヴェールが剥がされたのはファンとして喜ぶべきであろう。

 ジミー・レイニーのギターだけの伴奏で「スプリング・イズ・ヒア」をヴァースから歌いだし、デイブ・マッケンナがリチャード・ロジャースの曲に彩をつける。ロレンツ・ハートの歌詞に思いを込めて歌うヴァーノンは向田さんが表現したように、「冷たいような甘いような、けだるいような、なまぬくいような」歌声である。クリス・コナーに似た感じで、突き放すようなクールさがあるものの決して見放しはしない優しさもあり、その感触は程よい冷え具合で涼を呼び、喉を通るときに軽い刺激を与えるとがった角と、胃に納まったときに初めて感じるひとつだけ食べた満足感がある水羊羹に似ている。

 「水羊羹」は「眠る盃」というエッセイ集にまとめられているが、「荒城の月」の歌詞「めぐる盃」を「眠る盃」と間違えって覚えたことに触れ、酒を愛した父に想いを巡らす。水羊羹の季節はまだ先だが、盃にぼんやりと映る月は「春高楼の花の宴」のようにまぶしく、春の訪れを告げているようだ。
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