デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

関内「KAMOME」の熱い夜

2011-11-27 08:09:42 | Weblog
 横浜関内を訪れるのは1年半ぶりになる。昨年はこの地で、25-25 さんにスペイン料理をご馳走になり、「ジャズ・イズ」というジャズクラブでキム・ハクエイを聴いた。去る23日に同じ関内の「KAMOME」で、そのハクエイと生沼邦夫のベース、小山太郎のドラム、そして日本のジャズ・ヴァイブ界を牽引する赤松敏弘のライブを愉しんだ。この夢の初共演をプロデュースしたのは25-25 さんで、プレイヤーとの厚い信頼関係から実現したといっていい。

 MJQを思わせる編成だが、四者一体となったステージから飛び出す音はMJQのそれとは違い、躍動感がありヴァイブ・プラス・ピアノトリオという編成からイメージする音とは大きく異なっていた。それぞれの音楽性を主張し互いを鼓舞する演奏は、とても初共演とは思えないほど息が合っており、ユニットとしての質も高い。ライブの楽しみは完成された音と対峙するレコードと違い、プレイヤーと聴き手が共同で音を創りだすことにある。観客の熱気や客席から沸き立つ拍手は、そのままプレイヤーにダイレクトに伝わり、それが演奏に反映される。MJQが「静」なら、こちらは「動」であり、その「動」はライブに相応しい。

 今年はマイルス没後20年にあたることから、1964年のリンカーン・センターのライブに焦点を当てた特集が組まれ、ステラ・バイ・スターライトやウォーキンのアドリブリレーが会場を更に熱くした。この時期の重要レパートリーに赤松が「AXIS」で取り上げた「I Thought About You」がある。マイルスの初演は「サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム」で、その後度々ライブで取り上げた曲だ。タイトルを訳すと「君のことばかり」で、君とは当時の夫人のフランシス・テイラーだろう。よほど愛していたとみえて演奏だけでは飽き足らず、サムデイやブラック・ホークのジャケットにも登場するほどだ。「E.S.P」のジャケットも飾っていたが、このときは破局していたというからこの曲で短い蜜月を表現しきったのかもしれない。

 当日は、SHIN さんとの再会、拙コメント欄でお馴染のヴォーカルにお詳しい TAKASHI さんをはじめ、リンクしていただいているサイトでお名前だけは存じているゴロピカリさんにもお会いすることができた。ジャズの好み、捉え方は違っていても、ともにジャズを愛することは同じである。このライブをプロデュースした射撃も趣味だという 25-25 さんに感謝したい。射撃は25点が満点だという。満点のライブに満足して帰路についた。

敬称略
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あのエサ箱にはどんな宝が眠っているのだろう

2011-11-20 07:35:14 | Weblog
 あまり旅行は好きなほうではないので滅多に出かけないが、時間に余裕が出来たこともあり家族サービスとばかりに本州に足を延ばす機会がある。偶の旅ならその地の名所や名物をガイドブック片手に計画を立てるのだろうが、小生はまず中古レコード店を探す。ジャズを聴きだしてからこの習慣だけは変わらない。観光先でレコードの看板を見つけようもなら居ても立ってもいられず、絶景や国宝級の文化財も目に映らない有様だ。

 あのエサ箱にはどんなレコードが眠っているのだろう。エサ箱を漁るのは探しているレコードを見つけるのが目的だが、見知らぬ1枚に巡り会う愉しみもある。ジャズレコードは20万種とも30万種ともいわれ、相当数レコードを蒐集されている方でも初対面のレコードは数知れずだ。長年ジャズを聴いていると初めて見るレコードでもリーダーとサイドメン、収められている曲目、録音年、そしてレーベルからその音はある程度推測付くが、なかには推理不可能なものある。それは多分に知識不足であったり、不勉強によるものだろうが、全く売れないレコードを1枚出しただけで消えたプレイヤーの果てまでは知識が及ばない。

 あるエサ箱で「Valdo Williams」の「New Advanced Jazz」なる1枚を見つけた。初めて名を見るピアニストで、アート・ブレイキーのバターコーン・レディにクレジットされていたのを微かに記憶している「Reggie Johnson」のベース、「Stewart Martin」のドラムによるトリオである。 そして全4曲からなるトラックは全てオリジナル、この段階でフリージャズを思わせるが、更にレーベルがフリー系には縁のないサヴォイとなると、かなり怪しい。それもレコードナンバーは12000番台の初期なので録音順に発売されるとは限らないが60年代中ごろと思われる。一度は箱に戻したが、一度見逃すと二度と手に出来ない、という中古レコードの法則を思い出し箱から抜いた。

 未知のレコードに針を落とす瞬間はいつもドキドキする。ニュージャズともモードともバップともつかないスタイルだ。この1枚で消えたのが分かるような気がする、とでもいえば内容を理解してもらえるだろうか。あとで知ったのだがパーカーとも共演歴があるピアニストだけに貴重ではある。今週は京都に旅行するが、金閣寺や銀閣寺よりも中古レコード店の方が気になる。そこには金銀よりも眩い宝が、バルド・ウィリアムスのような遠い目をして待っているかもしれない。
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オールド・ファッションから温故知新を聴く

2011-11-13 08:25:41 | Weblog
 ♪I'm old fashioned, I love the moonlight I love the old fashioned things・・・わたしは古風なの、古いものが好き、アイム・オールド・ファッションドの歌いだしである。1942年に公開されたミュージカル映画「晴れて今宵は」の挿入歌で、当時は主演のフレッド・アステアが歌ってヒットした歌物なのだが、名唱は?と訊かれても多くのシンガーが取り上げているのにもかかわらずよほどのヴォーカル・ファンでない限り咄嗟に出てこない。

 それはおそらくこの曲を知った方は「ブルー・トレイン」であり、更にグレイト・ジャズ・トリオをバックにした渡辺貞夫氏の名演から、ヴォーカルよりもインスト・ナンバーとしてのイメージが強いからだろう。コルトレーンの名盤は57年、この曲をアルバムタイトルしたナベサダは76年、そしてこちらはヴォーカルだが同じくアルバムタイトルでソロデビューしたマルガリータ・ベンクトソンは2006年、勿論その間にも多くのプレイヤーやシンガーが取り上げているのだが、ある程度の期間を置いて演奏され歌われる曲である。急速に時代が進む中、ふと周りを見ると新しいものばかりで古いものを忘れがちな世相に警鐘を鳴らす曲かもしれない。

 マルガリータはスウェーデンのアカペラ・ユニット「ザ・リアル・グループ」のメンバーで、その美しいソプラノ・ヴォイスに注目された方もいよう。デビューアルバムとはいえ、20年以上のキャリアを持つからこそ、この古いものが好きという歌詞を自然に歌えるというものだ。トップを飾るタイトル曲に続きクルト・ワイルの「ディス・イズ・ニュー」という選曲が心憎い。古いものこそ新しいということだろうか。スタンダード中心の幅広い選曲からはワーデル・グレイの「トゥイステッド」という難曲にも挑戦しており、高音域ではやや不安定さもあるが、それを充分補える縦横無尽のスキャットと表現力は見事なものだ。

 アイム・オールド・ファッションドはジョニー・マーサーが詞を書き、ジェローム・カーンに作曲を依頼した曲だが、Wikipediaによるとカーンが受け取った歌詞を奥さんに読み聞かせると、カーンと琴線に響き感激のあまりマーサーにキスしたという。歌詞からは古風な生き方は時代遅れではなく、寧ろその生き方こそ新しいものであり普遍的なものだと気付かせてくれる。時代遅れという単語を、昔から変わらぬものを愛するという価値観に転換した詞をじっくり味わってみたい。

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エヴァ・ダイアナ嬢に会ったかい?

2011-11-06 07:02:52 | Weblog
 「Eva Diana」、ジャズファンなら一度は目にしている名前だ。エヴァからはヒトラーの愛人のブラウンや、こちらは「Ava」だが女優のガードナーといった悪女をイメージさせ、またダイアナからは高貴な雰囲気が漂う。モード盤をお持ちの方は早速取り出してみよう。いまにも語りかけ、音が聴こえてくるようなジャケットの肖像画にそのサインがある。モードはわずか30枚の作品をリリースしただけで消滅したハリウッドのレーベルで、一部ウイリアム・ボックスが描いたものもあるがほとんどはエヴァの手による。

 モードが設立された57年はハードバップ全盛期で、アレンジを偏重するウェストコースト・ジャズが衰退の一途を辿るころだった。積極的に新人を起用したレコード制作の志は高くても、時代の波に乗れなかった悲劇のレーベルである。リリース数が少ないこともあり、リーダーとしてひとりの重複がなく、またこのレーベル以外にリーダー作が見当たらないプレイヤーもいるのが特徴だ。ジョアン・グラウアーもそのひとりで、バディ・クラークとメル・ルイスをバックに軽快なピアノを響かせる。女流ピアニストは珍しくないが、実力を伴った美人となるとせいぜいユタ・ヒップくらいでそう見当たらない。

 ハンプトン・ホーズに似たタッチで、いきなり聴くとまだ10代の女性とは思えないほどフレーズにふくらみがあり、可憐さが残る美貌を想像つかないほどタッチもインパクトがある。デビュー盤らしく「ザ・ソング・イズ・ユー」や「四月の想い出」というスタンダード中心で素直な解釈は汚れを知らないお嬢さんといった趣きだ。なかでもリチャード・ロジャースとロレンツ・ハートの名コンビによる「ジョーンズ嬢に会ったかい?」が素晴らしい。この後も活動を続けていたならウェストコーストの紅一点のピアニストとして注目を浴びたかもしれないが、それがグラウアーにとって幸せな選択とは限らない。美人ゆえの曲がり角であったろう。

 肖像画といえばマリー・アントワネットを描いたことで有名な画家ヴィジェ・ルブランがいる。アントワネットが他の画家よりも贔屓にしたのはより美しく自分を描くことができたからだと推測できるが、ルブラン自身かなりの美形である。美しい女性だからこそ美しい女性をより美しく描けるとしたらエヴァ・ダイアナはグラウアー以上に美しい女性だったかもしれない。壁に飾るだけで美女と同じ空間にいるようで得した気分になる。
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