デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

エディ・コスタの低音域が響く

2010-10-31 08:12:34 | Weblog
 70年代のジャズ喫茶でリクエストを受け、マスターが勝ち誇ったかのようにニヤリとするか、顔を背け曇らすか、どちらかの反応を示すレコードが何枚かあった。ピアノ物ではセシル・テイラーのトランジション盤やウォルター・ビショップのジャズタイム盤、デューク・ピアソンのジャズライン盤、そして個性的な音を求めてオーディオに力を入れるジャズ喫茶でひときわ人気が高く、女房を質に入れてでも入手したい幻の名盤・・・

 エディ・コスタのドット盤「ハウス・オブ・ブルー・ライツ」である。トランジションやジャズタイムの超マイナーなレーベルは入手が困難なことは容易に想像付くが、ビリー・ヴォーンやパット・ブーンで知られる比較的メジャーなドットが何故幻化されたのか。ドットはRCAにいたランディ・ウッドが、パット・ブーンを連れて立ち上げたレーベルだったことからポピュラー中心にカタログを増やした。メジャーの仲間入りをするにはジャズも欠かせないとみえて、「Jazz Horisons」というシリーズの他にもレッド・ノーボやバディ・デフランコの佳作もあるが、何れもプレス枚数が少ない。売れるものを優先するのは今も昔も同じである。

 コスタは57年にダウンビート誌でピアノとヴァイヴの2部門で最優秀新人に選出されたプレイヤーだ。よくあるスタジオの仕事のために器用に楽器を持ち替えるのではなく、両楽器とも完璧なテクニックを誇る。勿論他のプレイヤー同様、ヴィブラフォン奏者としてスタジオの仕事をこなし、サイドメンとして活躍もしたが、ピアニストとしてのオリジナリティは強力だった。このアルバムは59年に録音されたもので、まるで打楽器を奏でるように左手で低音域を乱打する。それでいて高音域は繊細なタッチだ。この低音域と音の広がりがオーディオ見地からみても面白く、コスタが目の前でハンマーを振り下ろすような生に近い再生というオーディオ心をくすぐったのだろう。

 今の時代、ほとんどの音源がCD化され、件のジャズ喫茶のマスターの横顔を見ることもなく、幻の名盤という言葉自体死後に近い。名盤は広く聴かれてこそ名盤の意味を持ち、名盤としての価値が決定付けられる、というのが持論であり、それがジャズファンを増やすことにつながるが、1枚くらい陽の目を見ない音源があってもいい。青春が凝縮されたあの場所でたった一回聴いただけのレコードを幻と受け止めてそっと心の奥にしまっておきたいこともある。

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ヤクが効いたチュニジアの夜

2010-10-24 08:00:00 | Weblog
 ジェイ・マクシャン、アンディ・カーク、そしてエリントンと、スイング期の有名楽団に在籍しながらも知名度も評価も低いミュージシャンがいる。日本でその名がにわかに知られたのは、「ナイト・トレイン」の大ヒットだったが、これが悪かった。ルー・ドナルドソンのブーガルー同様、ポップヒットはジャズとして認めないばかりか、プレイヤーをも同じ目線で見てしまう。ソウルフルな演奏を好まない日本人のジャズ気質によるものだ。

 ジミー・フォレストがエリントン楽団を退団後、故郷セントルイスのクラブで演奏していた52年の春にふらりとトランペットを抱えたマイルスが現れた。52年というとマイルスが麻薬地獄に落ちていたころで、その悪癖を絶つため帰郷していたのだが・・・そう簡単に断ち切れるものではなく、麻薬代欲しさにフォレストのバンドに客演する。そしてフォレストもまた禁断症状と闘いながら演奏をしていた。その二人のセッションとなると聴く前から気が失せ、聴くとやはり落胆するが、それは演奏内容ではなく音の悪さである。当時、それ以上の技術しかなければ仕方がないが、ライブといえど鑑賞に値する録音の術はあっただけに残念だ。

 さて、肝心の演奏だが、音質の悪さを気にしなければとても二人がジャンキーとは思えないほど溌溂している。レイ・ブラウンの「レイズ・アイデア」で先発のソロをとるフォレストは、テキサス・テナーの泥臭さもあるが、バップ・フレーズも交えながら豪快なブローを展開しマイルスにつなぐ。続いてガレスピーの「チュニジアの夜」はマイルスが先発で、アドリブで滅多に他の曲を引用しないマイルスが、ヤクを買えるギャラが約束できたのか、或いはヤクが効いているのか、「朝日の如くさわやかに」を絡ませご機嫌だ。そのクラブにはどん底であってもジャズマンとしての誇りを忘れない二人がいたのだろう。

 「Our Delight」と題されたこのアルバムが発売されたのはマイルスが帝王と呼ばれる80年代に入ってのことだ。発売が見送られたのは麻薬渦のマイルスに将来を期待しないプレスティッジと、音質の劣悪さによる。その後技術の進歩で音が改善され発売できるまでに向上したが、もし、このレコードが最良の音質で録音とともに発売されていたならジミー・フォレストの知名度も評価も上がっていたに違いない。

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黒岩静枝さんが歌い続けた45年

2010-10-17 07:40:32 | Weblog
 スージーの愛称で呼ばれる黒岩静枝さんの歌手生活45周年を記念したリサイタルが今月9日に開かれた。当日は地元のファンはもとより、小生の隣に座られた大阪の女性、遠くは九州から駆けつけた方や岩浪洋三さんの姿も見える。北海道を拠点に地道に活動されているジャズ・シンガーだが、日本中を駆け巡って歌い続け、各地でファンを増やしてきたひとだ。いまや全国区といっていい。

 歌手に限らず、どんな職種であっても45年に亘って同じ道を歩み続けるのは並大抵ではない。ましてシンガー、それもジャズとなると極めて困難なことは今の日本のヴォーカル界をみても容易に察しがつく。「人と人の心をつなぐのは歌だ」という黒岩さんの信念に基づき、養護施設でチャリティ・コンサートを開くのを惜しまない。100歳近いおばあちゃんに、「あんたの歌を聴くと元気がでるよ」と言われたそうだ。人を元気付け、勇気を与えることは、そのまま黒岩さんのエネルギーになるのだろう。体調を崩して入院したり、歌うことが嫌になったりと、その45年は大きな岩にぶつかりながらも砕いてきた道だ。

 「Oneness」は45周年を記念したアルバムで、タイトルは「一人じゃない、みんなつながって一つなんだ」という思いが込められている。スタンダード中心の選曲で、この歳になってようやくこの曲を歌えると紹介した「ラバーズ・コンチェルト」や、97年にジョン・ヒックスと共演したアルバム「Mind Meet Mind」でも取り上げた「エンジェル・アイズ」、「ヒーズ・ファニー・ザット・ウェイ」を、ビッグ・フォーで知られる市川秀男さんのピアノ、吉野弘志さんのベース、北海道で一番歌うドラマー、佐々木慶一さんのトリオをバックに豊かな声量で歌う。スタンダードは歌い込むほどに表現力を増し、自分だけの表現力をも持ちえるのだろう。

 札幌薄野にある黒岩さんがオーナーの店「Day By Day」の入り口には、「人生60歳までリハーサル、60歳からが本番」と書かれている。動もすれば挫けそうになる人生もリハーサルと思えば気が楽になるが、毎日毎日の努力を怠ると人生はリハーサルのままで終わる。毎日毎日歌い続けるシンガー、黒岩静枝は本番の人生を歩んできたひとだ。歌手生活半世紀にあたる50周年のリサイタルでさらに大きな歌を聴きたいと願うのは小生だけではあるまい。
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騒ぐ女ヘイゼル・スコット

2010-10-10 08:27:37 | Weblog
 ジャズ・メッセンジャーズのライブに欠かせない「モーニン」は何度も録音されているが、なかでも58年のクラブ・サンジェルマンの演奏は「モーニン・ウイズ・ヘイゼル」として知られている。最前列にいた歌手でありピアニストのヘイゼル・スコットが、ボビー・ティモンズのソロに興奮して騒ぎ出し、ついには感極まって「Oh Lord have mercy!」と叫んだのが記録されているからだ。文献によっては失神したとも記述されているが、その後も騒いでる女性がいるので真偽は定かではない。

 さて、もっぱらこのエピソードだけがひとり歩きするお騒がせのヘイゼル・スコットとは何者か?5歳で舞台に立ち、1936年の16歳のときに自己のラジオ番組を持っていたほどの才媛である。数本の映画にも出演したというマルチタレントで、レコードも相当数の録音があるようだが、ほとんどがクラシック曲をジャズ風にアレンジした作品のため日本では紹介されずに終わっている。唯一ジャズファンに注目されたのは、「リラックスド・ピアノ・ムーズ」だろうか。チャーリー・ミンガスが興したデビュー・レコードに54年に吹き込まれたアルバムで、サイドにミンガスとマックス・ローチという豪華版だ。

 A面の最初は音を探すようゆっくりとしたテンポで、「ライク・サムワン・イン・ラブ」のメロディを無伴奏ソロで紡いでゆく。2コーラスほど弾いたあたりで歌いだしても何ら違和感のない歌心溢れたフレーズ展開に持っていき、そのタイミングで、これがミンガスとローチかい?と疑うほど控え目なベースとドラムが入る。続く2曲もお淑やかなお嬢さんと、陰で目立たぬようにサポートするボディガードのピアノ・トリオを聴くようだ。但しこれはA面だけで、B面は一転していつもの怒れるミンガスと歌うローチになり、ヘイゼルのピアノも女性とは思えないハードなタッチに変貌し、唸るわ、イエーッと声を出すわで、騒ぐのが好きという本性がこのレコードを面白くしている。

 ヘイゼルは50年代後半にフランスに渡っているが、おそらくケニー・クラークやバド・パウエルと同じ理由なのだろう。待遇の良いヨーロッパでは物理的に満ち足りても、精神的には満たされないという。サンジェルマンで聴いたメッセンジャーズは、ミンガスやローチと演奏したアメリカに重ね、ティモンズのソロは、その精神的空洞を埋め、高揚させる本物のジャズだった。「Oh Lord have mercy!」は精神が満たされた叫びなのかもしれない。
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ヘレン嬢は美人のこころだぁ

2010-10-03 08:23:24 | Weblog
 もうじき1万回目を迎える小沢昭一さんのラジオ番組「小沢昭一的こころ」は、自ら「口演」と称するだけあり語り口は絶妙だ。いつだったか、ヘレンという名の女性は美人が多い、という話をされていた。ヴォーカル・ファンなら何人かのヘレン嬢を思い出されるだろう、皆美人である。ニューヨークのため息メリル、若くして亡くなったカー、ベニー・グッドマン楽団のウォード、アーティ・ショウ楽団のフォレスト、ヘレンカーチス・ナチュレーヌ、これは違ったか。

 そしてジミー・ドーシー楽団のヘレン・オコネル。スイング・ジャズ黄金時代のバンド・シンガーにヘレン嬢が多いのは偶然かもしれないが、看板歌手だけあり美女揃いだ。緑色のパーティー・ドレス、テーブルに置かれているグラスのカクテルは、その色から推測してジンベースのエメラルド・シティ・マティーニだろうか。ドーシー楽団時代にヒットした「グリーン・アイズ」をタイトルにして緑で統一されたジャケットはオコネルの美しさを際立たせているし、スタンダードとラテンをほどよく配した選曲は、アルバム全体の調和がとれていてやすらぎさえ覚える。色彩心理学にみると緑は、やすらぎや安心感を与える色だという。

 アルバムはドーシー楽団時代の43年に大ヒットした「スター・アイズ」で始まる。オリジナル編曲を使用しているようだが、57年録音とはいえ古さはなく、今の時代にも通用する編曲は見事なものだ。当時のアレンジャーは不明だが、踊る音楽から聴く音楽へとジャズが芸術としての高みを予見した質の高いものといえる。ゆったりとしたビギンのリズムに乗って歌うオコネルの声は透明で、それでいてビッグバンドを背にしても負けない通る声が何とも心地良い。出だしの「♪Star Eyes」は曲中4回出てくるが、それぞれに違う表情をみせる。星が輝いたり、曇ったり、泣いたり、笑ったり、情感溢れる歌唱は希望の星だったことだろう。

 小沢さんが美人と言ったヘレン嬢が気になるところだが、女優や歌手ではない。小沢さんの口演を聞かれた方なら凡そ察しはつくだろうが、「踊り子さんには手を触れないでください」とアナウンスが流れる妖しいステージに登場するヘレン嬢である。顔が美しいだけが美人ではない、裸も重要なのだと美人観を説いておられた。「エロ事師たちより 人類学入門」に主演された小沢さんらしい。
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