左党には洋菓子や飴は縁がないが、子どもの頃はシュークリームはご馳走であり、飴は手軽なおやつの一つだった。飴といえばカンロ飴で、「ミルキー」でキャンディという名を知ったと思う。不二家の事件でもなければミルキーの名も忘れかけていたが、キャラクターのペコちゃんのパッケージが子ども心に夢を与えていた。そのミルキーもペコちゃんも店頭から姿を消しつつある。
70年代初頭からリアルタイムでジャズ体験のある方が、最初にウェザー・リポートの音を聴いたのは71年のデビューアルバム1曲目「ミルキー・ウェイ」であったに違いない。ジョー・ザヴィヌルとウェイン・ショーターが組み、当時驚異のテクニックといわれたミロスラフ・ヴィトウスも参加したスーパーバンドだけに発売前から大きな話題を呼んでいたのを思い出す。最初のアルバム、そして最初の曲「ミルキー・ウェイ」はメンバーが練りに練り上げ、聴く側も相当の期待を寄せたであろう。70年代のジャズシーンを予見した宇宙的広がりを持った作品で、35年経った今聴いても新鮮な輝きを持っている。
69年のマイルス・デイヴィス「ビッチェズ・ブリュー」以降、急速に電化が進み、あのビル・エヴァンスまでもが70年にエレキピアノのアルバムを作っている。耳ざわりがよく聴いて心地よいポップ志向のフュージョンが主流になるのは72年以降のことだ。ウェザー・リポートがデビューした71年は片や電化したクロスオーバー、片や主流から外れかけた伝統スタイル、そしてフリージャズをも混在する過渡期といえる。そんな混沌とした時期にマイルス門下生のウェザー・リポートが目指したものは、即興演奏と編曲性の融合であった。ザヴィヌルとショーターの音楽的コンセプションの相違が良い意味で調和していたのであろう。これが続くのは数年であり、その後ザヴィヌル独裁期になるとファンク一色になり、ウェザー・リポートという冠は同じでも全く違う作品群が並ぶ。冠は取って見なければ中身は分からない。
企業モラルが問われる今、老舗の冠だけでは生き残れない。日本ハムしかり、パロマ工業しかり、そして今回の不二家しかり、同族企業の不祥事が相次ぐ。「売り家と唐様で書く三代目」と言う江戸川柳が示すように体質が甘い同族企業は衰退に向かうことが多い。どうやら甘い飴ではなく鞭も必要なようだ。
70年代初頭からリアルタイムでジャズ体験のある方が、最初にウェザー・リポートの音を聴いたのは71年のデビューアルバム1曲目「ミルキー・ウェイ」であったに違いない。ジョー・ザヴィヌルとウェイン・ショーターが組み、当時驚異のテクニックといわれたミロスラフ・ヴィトウスも参加したスーパーバンドだけに発売前から大きな話題を呼んでいたのを思い出す。最初のアルバム、そして最初の曲「ミルキー・ウェイ」はメンバーが練りに練り上げ、聴く側も相当の期待を寄せたであろう。70年代のジャズシーンを予見した宇宙的広がりを持った作品で、35年経った今聴いても新鮮な輝きを持っている。
69年のマイルス・デイヴィス「ビッチェズ・ブリュー」以降、急速に電化が進み、あのビル・エヴァンスまでもが70年にエレキピアノのアルバムを作っている。耳ざわりがよく聴いて心地よいポップ志向のフュージョンが主流になるのは72年以降のことだ。ウェザー・リポートがデビューした71年は片や電化したクロスオーバー、片や主流から外れかけた伝統スタイル、そしてフリージャズをも混在する過渡期といえる。そんな混沌とした時期にマイルス門下生のウェザー・リポートが目指したものは、即興演奏と編曲性の融合であった。ザヴィヌルとショーターの音楽的コンセプションの相違が良い意味で調和していたのであろう。これが続くのは数年であり、その後ザヴィヌル独裁期になるとファンク一色になり、ウェザー・リポートという冠は同じでも全く違う作品群が並ぶ。冠は取って見なければ中身は分からない。
企業モラルが問われる今、老舗の冠だけでは生き残れない。日本ハムしかり、パロマ工業しかり、そして今回の不二家しかり、同族企業の不祥事が相次ぐ。「売り家と唐様で書く三代目」と言う江戸川柳が示すように体質が甘い同族企業は衰退に向かうことが多い。どうやら甘い飴ではなく鞭も必要なようだ。