隆平のいなくなった本家の居間で孝太はぼんやり庭を眺めていた。
隆平からの手紙が手元に置かれてあった。
驚いたこと、楽しげなことがいっぱい書かれてあって、少なくとも今までよりはずっといい環境にいることが察せられた。
この二週間ほど仕事の合間を縫っては、数増とともに遺された本家の家財を整理し、財産的価値のあるものに関しては弁護士立会いの下で記録し、隆平にも分かりやすいようにしておいた。
隆平個人が相続するものについてはすでに手続きも済ませたし、面川の一族が引き継ぐものについては長が決まり次第ということになっている。
自分が今死ぬようなことがあっても隆平が困ることのないようにだけは手配したつもりだ。
「隆平…可愛がってもらえてよかったな…。」
孝太はそう呟いて笑みを浮かべた。
『無茶はなさらないでくださいね。』
修のあの言葉。孝太の覚悟を察してのことだったのか…?
鬼面川の一族には生まれつきの力の備わっている者が少ないという話は、彰久から話を聞く前に知っていた。
その少ない中に隆平がいて、隆弘がいて、そして自分がいる。
修はそのことに気付いていたのか…?
孝太ははるか昔のことに思いを馳せた。隆弘から所作を教えられている頃の自分はちょうど今の隆平と同じくらいか少し下だったか…。
崩れた刀塚の土を掘り返して隆弘が何かを埋めていた。それは布に包まれた小さなものだったが異様な匂いを発していた。
『死産した…赤ん坊だ。 これで二人目。 前に槍塚にもひとり埋めた。』
孝太は息が詰まりそうになるくらい驚いたが、隆弘は事も無げだった。
『あいつらの子孫など残させん。 たとえ俺の子であっても闇へ葬る。』
隆弘のその狂気とも思える復讐心に孝太は言いようのない恐怖を覚えた。
隆弘が復讐しようとしている訳を孝太も知っていた。
世間では病死ということになっているが、隆弘を後継者候補として大事に育ててくれた先代が当代である父娘に殺されたこと。
その妻が子どもともども本家から追い出されるようにして無理やり再婚させられたこと。
『よう覚えとけ。 あいつらは鬼だで。』
隆弘はまるで犬の死骸でも葬るように我が子を塚に埋めた。
先代殺しに隆弘の妻である当代の娘も加担したと隆弘は言ったが、先代が亡くなったときその娘はまだ幼児で多分何をさせられているのかさえ解ってなかったことだろう。その娘さえも復讐の対象にしている…。狂っているとしか思えない。
孝太にとってその娘というのは親戚の優しいお姉さんで、孝太とは小さい頃から仲が良かった。隆弘が養子にはいるまでは、孝太の嫁にと数増が他所でも話していたくらいだったのだ。
三度目に妻が子を宿したとき、隆弘は今までのように死産はさせなかった。
産み月がちょうど鬼遣らいの時期で、妻がもし祭祀の途中で死んでも鬼に喰われたという恰好の口実ができたからだった。
妻は医学的には早産のための出血が原因で死亡したことになった。
隆弘にも予測できなかったことだが奇跡的に隆平が生き残った。
誤算には違いなかったが、赤ん坊のひとりくらい突然死にでも事故死にでもできるのに隆弘はなぜか隆平を殺さなかった。
『こいつは当代の血を受け継いでいるが、先代の血も受け継いでいる。』
そう言って隆平を育てたのだった。その育て方は酷いものだったが、衣食などはきちんと与え、教育も世間並みに受けさせていた。
隆弘は隆平に対して表と裏の両面で接していたと言えるのかもしれない。
先代の血…彰久や史朗以外にその血を引くものはいないはずだが、先代には愛人がいて、その愛人の産んだ子が分家に引き取られていた。
孝太の父数増である。末松には子どもがなかったため、誰にも内緒で生まれたばかりの数増を我が子として引き取った。勿論、世間的には末松と妻が実の親になっていた。孝太は自分が先代の孫であることを隆弘に教わった…。
隆弘は孝太にも復讐心を植え付けようとしたのだ。
何度も取り返そうと思った。実際、何度も取り戻しに行った。
世間がどう言おうと構ったもんじゃない。何とでも騒ぐがいい。
だが、隆平の戸籍上の父親は隆弘だ。隆弘は頑なに引き渡しを拒んだ。
力づくで取り返しても法律は味方してくれない。
隆平が酷い目に遭わされていると聞くたびに胸が痛み、怒りがこみ上げ、何もしてやれない無力感に苛まれ…苦しんだ。
「隆平…許せ…。」
隆弘が死んだ時、これで一緒に暮らせる…おまえを取り戻せると思った。
だけどこの村ににいたらおまえも殺される…。
おまえに当代の血が半分でも入っている以上、奴はおまえを諦めない。
どこまでも追っていき目的を遂げるだろう。
俺がおまえにしてやれるのはここでおまえの楯になってやること…。
たとえ俺に勝ち目がなくても後は修さんや彰久さんが護ってくれる。
だから俺はもう迷うこともない。
「隆平…。」
孝太はもう一度我が子の名を呼んだ。
新生活を始めた隆平にとって毎日が驚きの連続だった。紫峰家のどでかい屋敷もさることながら、ひとつの町のような大きな学校、エリートだらけの同級生、大学で教鞭を執れそうないかめしい教授陣、雲のような奇妙な犬、ゲーム好きなお祖父さま、時代劇に出てきそうな使用人、所作の異なる紫峰の祭祀…数え上げたらきりがない。
それでも若い隆平はすぐに慣れ、まだ時々は悪夢にうなされるものの、少しづつ
紫峰家での生活を楽しめるようになってきていた。
「おお! 雅人また理数系科目トップ。 但し、文系科目で急降下!」
「悟はすげえよな。三年間ずっとトップだもん。」
「当然です。 僕は将来この藤宮学園の理事長ですからね。負けられません。」
「透。文系科目で上昇! 理数系はなんとか平行線をたどる。 晃は…全科目平行線。」
「悟兄さん。僕。すっごいハンディ負わされてると思わない?
僕の学年にはこいつらがずっといるんだからね。」
「隆平。 おお! 初めてのテストにしちゃ上出来。 晃。すぐ傍まで迫られてるぞ!」
「きゃ~。やめて。こないで~ってか?」
中間試験の結果が出て、紫峰、藤宮の面々が他愛のない成績談義に花を咲かせているのを楽しげに笑って見ていた。
笙子の兄、務が、宗主の友人ならということで、彰久と玲子の結婚を認めたので隆平も自動的に藤宮の親族となった。当然悟や晃とも親戚である。
学校では面川ではなく旧名鬼面川を名乗っている。紫峰や藤宮の間に挟まれるとその方がなんとなく臆さずにいられそうだった。
図体のでかい雅人や透の傍にいると普通サイズの隆平でもなんとなく年下のように見え、雅人も透も冬樹が帰ってきたような妙な気持ちになることがあった。
修でさえ、時折、冬樹と言いそうになるのを堪えているようだった。
孝太から返事が届いたのは鬼遣らいの少し前だった。皆が寝静まった頃を見計らって、隆平は孝太の手紙を読んだ。
元気そうで何よりだとか、いい人たちに巡り会えてよかったとか、家財の整理をしておいたとか、そんな話ばかりが続いた。
もう最後くらいのところで隆平…隆平…隆平…と何度も名前を書き連ねてあるのが、逢いたい…寂しいと言っているようで隆平は思わず涙ぐんだ。
修からは発作が起きなくなっても突然怖くなったりしたら部屋へ来るようにと言われていた。怖くなったわけじゃないけどひとりで居たくなかった。
修はまだベッドで本を読んでいた。
幽霊のように現れた隆平を見ると微笑んでおいでというように掛け布団の片側を開けてくれた。
隆平は修の隣で胎児のように丸くなった。
「修さん…僕…孝太兄ちゃんの子どもなんだ…。」
隆平はポツリと呟いた。
「誰かにそう言われたのかい?」
修は本を置いて隆平を見た。
「…何度か僕を取り返しに来た。 僕はずっと前から知ってたけど…気付かない振りしていた。」
「そう…。」
それは予想していたこととはいえ、隆平の口から聞かされるとは思ってはいなかった。その事実を隆平はどう受け止めたのだろう。
「孝太さんが村を出るように勧めたのは…きっと君のためを思ってのことだよ。
親としてそうしなければならない何かがあったんだ。」
修が言うと、隆平は首を振った。
「一緒に暮らせないのを恨んでるわけじゃないんだ…。
ただ孝太兄ちゃんにばかり苦しい思いをさせているようで申し訳なくて…。
いま僕とても幸せだから…。」
『本当に?』と訊きそうになって修は堪えた。訊くだけ野暮だ。
物質的な満足など一時しのぎに過ぎない。
「もうじき鬼遣らいだ…孝太さんとも会えるよ。もう誰も邪魔はしないだろう。
好きなだけ甘えてくるといいよ。」
修はそう言って穏やかに笑った。
次回へ
隆平からの手紙が手元に置かれてあった。
驚いたこと、楽しげなことがいっぱい書かれてあって、少なくとも今までよりはずっといい環境にいることが察せられた。
この二週間ほど仕事の合間を縫っては、数増とともに遺された本家の家財を整理し、財産的価値のあるものに関しては弁護士立会いの下で記録し、隆平にも分かりやすいようにしておいた。
隆平個人が相続するものについてはすでに手続きも済ませたし、面川の一族が引き継ぐものについては長が決まり次第ということになっている。
自分が今死ぬようなことがあっても隆平が困ることのないようにだけは手配したつもりだ。
「隆平…可愛がってもらえてよかったな…。」
孝太はそう呟いて笑みを浮かべた。
『無茶はなさらないでくださいね。』
修のあの言葉。孝太の覚悟を察してのことだったのか…?
鬼面川の一族には生まれつきの力の備わっている者が少ないという話は、彰久から話を聞く前に知っていた。
その少ない中に隆平がいて、隆弘がいて、そして自分がいる。
修はそのことに気付いていたのか…?
孝太ははるか昔のことに思いを馳せた。隆弘から所作を教えられている頃の自分はちょうど今の隆平と同じくらいか少し下だったか…。
崩れた刀塚の土を掘り返して隆弘が何かを埋めていた。それは布に包まれた小さなものだったが異様な匂いを発していた。
『死産した…赤ん坊だ。 これで二人目。 前に槍塚にもひとり埋めた。』
孝太は息が詰まりそうになるくらい驚いたが、隆弘は事も無げだった。
『あいつらの子孫など残させん。 たとえ俺の子であっても闇へ葬る。』
隆弘のその狂気とも思える復讐心に孝太は言いようのない恐怖を覚えた。
隆弘が復讐しようとしている訳を孝太も知っていた。
世間では病死ということになっているが、隆弘を後継者候補として大事に育ててくれた先代が当代である父娘に殺されたこと。
その妻が子どもともども本家から追い出されるようにして無理やり再婚させられたこと。
『よう覚えとけ。 あいつらは鬼だで。』
隆弘はまるで犬の死骸でも葬るように我が子を塚に埋めた。
先代殺しに隆弘の妻である当代の娘も加担したと隆弘は言ったが、先代が亡くなったときその娘はまだ幼児で多分何をさせられているのかさえ解ってなかったことだろう。その娘さえも復讐の対象にしている…。狂っているとしか思えない。
孝太にとってその娘というのは親戚の優しいお姉さんで、孝太とは小さい頃から仲が良かった。隆弘が養子にはいるまでは、孝太の嫁にと数増が他所でも話していたくらいだったのだ。
三度目に妻が子を宿したとき、隆弘は今までのように死産はさせなかった。
産み月がちょうど鬼遣らいの時期で、妻がもし祭祀の途中で死んでも鬼に喰われたという恰好の口実ができたからだった。
妻は医学的には早産のための出血が原因で死亡したことになった。
隆弘にも予測できなかったことだが奇跡的に隆平が生き残った。
誤算には違いなかったが、赤ん坊のひとりくらい突然死にでも事故死にでもできるのに隆弘はなぜか隆平を殺さなかった。
『こいつは当代の血を受け継いでいるが、先代の血も受け継いでいる。』
そう言って隆平を育てたのだった。その育て方は酷いものだったが、衣食などはきちんと与え、教育も世間並みに受けさせていた。
隆弘は隆平に対して表と裏の両面で接していたと言えるのかもしれない。
先代の血…彰久や史朗以外にその血を引くものはいないはずだが、先代には愛人がいて、その愛人の産んだ子が分家に引き取られていた。
孝太の父数増である。末松には子どもがなかったため、誰にも内緒で生まれたばかりの数増を我が子として引き取った。勿論、世間的には末松と妻が実の親になっていた。孝太は自分が先代の孫であることを隆弘に教わった…。
隆弘は孝太にも復讐心を植え付けようとしたのだ。
何度も取り返そうと思った。実際、何度も取り戻しに行った。
世間がどう言おうと構ったもんじゃない。何とでも騒ぐがいい。
だが、隆平の戸籍上の父親は隆弘だ。隆弘は頑なに引き渡しを拒んだ。
力づくで取り返しても法律は味方してくれない。
隆平が酷い目に遭わされていると聞くたびに胸が痛み、怒りがこみ上げ、何もしてやれない無力感に苛まれ…苦しんだ。
「隆平…許せ…。」
隆弘が死んだ時、これで一緒に暮らせる…おまえを取り戻せると思った。
だけどこの村ににいたらおまえも殺される…。
おまえに当代の血が半分でも入っている以上、奴はおまえを諦めない。
どこまでも追っていき目的を遂げるだろう。
俺がおまえにしてやれるのはここでおまえの楯になってやること…。
たとえ俺に勝ち目がなくても後は修さんや彰久さんが護ってくれる。
だから俺はもう迷うこともない。
「隆平…。」
孝太はもう一度我が子の名を呼んだ。
新生活を始めた隆平にとって毎日が驚きの連続だった。紫峰家のどでかい屋敷もさることながら、ひとつの町のような大きな学校、エリートだらけの同級生、大学で教鞭を執れそうないかめしい教授陣、雲のような奇妙な犬、ゲーム好きなお祖父さま、時代劇に出てきそうな使用人、所作の異なる紫峰の祭祀…数え上げたらきりがない。
それでも若い隆平はすぐに慣れ、まだ時々は悪夢にうなされるものの、少しづつ
紫峰家での生活を楽しめるようになってきていた。
「おお! 雅人また理数系科目トップ。 但し、文系科目で急降下!」
「悟はすげえよな。三年間ずっとトップだもん。」
「当然です。 僕は将来この藤宮学園の理事長ですからね。負けられません。」
「透。文系科目で上昇! 理数系はなんとか平行線をたどる。 晃は…全科目平行線。」
「悟兄さん。僕。すっごいハンディ負わされてると思わない?
僕の学年にはこいつらがずっといるんだからね。」
「隆平。 おお! 初めてのテストにしちゃ上出来。 晃。すぐ傍まで迫られてるぞ!」
「きゃ~。やめて。こないで~ってか?」
中間試験の結果が出て、紫峰、藤宮の面々が他愛のない成績談義に花を咲かせているのを楽しげに笑って見ていた。
笙子の兄、務が、宗主の友人ならということで、彰久と玲子の結婚を認めたので隆平も自動的に藤宮の親族となった。当然悟や晃とも親戚である。
学校では面川ではなく旧名鬼面川を名乗っている。紫峰や藤宮の間に挟まれるとその方がなんとなく臆さずにいられそうだった。
図体のでかい雅人や透の傍にいると普通サイズの隆平でもなんとなく年下のように見え、雅人も透も冬樹が帰ってきたような妙な気持ちになることがあった。
修でさえ、時折、冬樹と言いそうになるのを堪えているようだった。
孝太から返事が届いたのは鬼遣らいの少し前だった。皆が寝静まった頃を見計らって、隆平は孝太の手紙を読んだ。
元気そうで何よりだとか、いい人たちに巡り会えてよかったとか、家財の整理をしておいたとか、そんな話ばかりが続いた。
もう最後くらいのところで隆平…隆平…隆平…と何度も名前を書き連ねてあるのが、逢いたい…寂しいと言っているようで隆平は思わず涙ぐんだ。
修からは発作が起きなくなっても突然怖くなったりしたら部屋へ来るようにと言われていた。怖くなったわけじゃないけどひとりで居たくなかった。
修はまだベッドで本を読んでいた。
幽霊のように現れた隆平を見ると微笑んでおいでというように掛け布団の片側を開けてくれた。
隆平は修の隣で胎児のように丸くなった。
「修さん…僕…孝太兄ちゃんの子どもなんだ…。」
隆平はポツリと呟いた。
「誰かにそう言われたのかい?」
修は本を置いて隆平を見た。
「…何度か僕を取り返しに来た。 僕はずっと前から知ってたけど…気付かない振りしていた。」
「そう…。」
それは予想していたこととはいえ、隆平の口から聞かされるとは思ってはいなかった。その事実を隆平はどう受け止めたのだろう。
「孝太さんが村を出るように勧めたのは…きっと君のためを思ってのことだよ。
親としてそうしなければならない何かがあったんだ。」
修が言うと、隆平は首を振った。
「一緒に暮らせないのを恨んでるわけじゃないんだ…。
ただ孝太兄ちゃんにばかり苦しい思いをさせているようで申し訳なくて…。
いま僕とても幸せだから…。」
『本当に?』と訊きそうになって修は堪えた。訊くだけ野暮だ。
物質的な満足など一時しのぎに過ぎない。
「もうじき鬼遣らいだ…孝太さんとも会えるよ。もう誰も邪魔はしないだろう。
好きなだけ甘えてくるといいよ。」
修はそう言って穏やかに笑った。
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