薔薇の咲き乱れる庭園に面した麗香の私室の窓を全開にして…智明は久しぶりに部屋の空気を入れ替えた。
この部屋に入ると…また…スミレに戻っていく自分を感じる…。
長い年月を麗香のためにスミレとして生きてきたのだから当然といえば当然…。
あれから何ひとつ変わってはいないけれど…主の居なくなった部屋は何処となく寒々しい。
智明は部屋のあちらこちらに残る麗香の面影を何ということもなく見て回った。
テーブルの上に用意されたお盆の上のワイングラス…ふたつ仲良く並べて置かれてある。
仕事が終わったら…誰と飲むつもりだったの…お姉ちゃま?
そう…問いかけてみる…。
無論…返事なんてあろうはずもない。
ふっ…訊くだけ野暮ねぇ…。
智明…スミレはひとり笑った。
埃を被って輝きを失いかけているワイングラス…。
まるで…売れ残りの骨董品のようだ。
この部屋から…永久に去ってしまった人の想い出だけを相手に…どんな話をするつもりだったのかしら…?
部屋を巡りながら…いろんなものに触れてみる…。
ベッドも…ソファも…冷え冷えとして…温もりも完全に消えてしまっている。
ふうっと大きく溜息をついた。
そろそろ…片付けなきゃいけないかしらね…身内に形見分けもしなきゃ…。
どんなに素敵なドレスも靴も…私が着るわけにはいかないんだから…。
ノエルの身体を離れて西沢が浴室へ行ってしまった後…ノエルはベッドの上に身を起こして大きく溜息をついた。
来人が生まれてから西沢はノエルを女性として愛することが多くなった。
仕方のないことだとは思う…一応…奥さんだし…お母さんだし…。
ふたりも子どもを産んだノエルを男だと思え…と言う方がずっと無理がある…。
でも…なんかやりきれない…。
戸籍上…間違いなく男なんだし…絢人のお父さんでもあるんだし…。
馬鹿みたい…言っても仕方のない愚痴だよね…。
こんなに大事にして貰ってるのに…さ。
贅沢言っちゃだめだぞノエル…可愛がってくれてんのに紫苑さんに悪いや…。
もう一度大きく溜息をつくとベッドから飛び出して西沢の居る浴室へ向かった。
仕事の帰り際に智哉から貰い物の御裾分けだと言って、レジ袋に入った伊予柑をふた袋持たされた。
ひとつは絢人にやってくれ…と智哉はぶっきらぼうに言った。
智哉にしてみれば…西沢には申し訳なくて仕方がないことだけれども…絢人も…可愛い孫のひとりである。
吾蘭や来人だけにお土産をやるというわけにもいかない。
ノエルはその足で先に305号を訪ねた。
丁度…輝が絢人を連れて帰宅したところだった。
「これ…親父から…ケントにって…。 」
レジ袋を受け取った輝は中を覗いてすうっと息を吸い込んだ。
「いい香りだわ…。 有難う…。 智哉さんに宜しく言っといてね…。
ほら…ケント…お父さんよ。 抱っこして貰いなさい…。 」
輝はベビー・カーのケントを抱き上げてノエルに渡した。
「ケント…お母さんとお仕事行って来たのかい…。
お手伝いは…ちゃんとできたかなぁ…? 」
ノエルに頬ずりされてケントは嬉しそうにキャッキャッと笑った。
が…突然…ノエルの背後を見て身を乗り出し…手を伸ばした。
「やあ…ケント…ご機嫌だね…。 よう…ノエル…仕事の帰りかい…。 」
絢人は滝川が戻ってきたのを見つけて…滝川の抱っこを求めたのだった。
明らかに…絢人は滝川の方を父親だと認識していた。
「うん…。 絢人に伊予柑…届けに来たんだ。 」
ノエルは何とか笑顔を作った。
そいじゃ…また…。 ノエルは滝川に絢人を渡すと…バイバイ…と手を振った。
できるだけ足早に305号を立ち去った。
滝川に甘える絢人の姿を見たくなかった。 ひどく胸が痛んだ。
ただいま…と玄関で呟くように言った後…無言のまま寝室へ飛び込んだ。
籐のソファに腰掛けてぼんやり自分の膝を見つめていた。
「ノエル…? 」
西沢がすぐ脇のベッドに腰を降ろした。
「諦めなきゃ…ね。 僕は…アランとクルトのお母さんだから…。
ケントのことは…先生にお願いするしかないよね…。
ケントは…先生のこと…ちゃんとお父さんだって認識してる…。
僕のことはクルトんちのおじちゃんくらいにしか思ってない…。
下手したら…おばちゃん…かもね…。
僕もこのまま…いつまでも男でいるってわけにもいかないよね…。
お母さんになっちゃったんだから…。 僕が望んだことなんだから…。
もう…諦めなきゃね…。 」
大粒の涙が頬を伝った。
「ご免ね…紫苑さん…すぐには無理だけど…少しずつ努力するからね…。
普通のお母さんで居られるように…普通の奥さんになれるように…。 」
切なげに微笑むノエルを見て…西沢は胸が締め付けられるように感じた。
「そんなこと…考えなくていい…。 ノエルはノエルのままでいいんだよ。 」
首を横に振ってノエルは俯いた。
「気付くべきだったんだ…。 結婚するってそういうことだって…。
僕…考えなしだから…ご免ね…我儘ばかりで…。
覚悟決めなきゃ…ね。
だって…ずっと…紫苑さんの傍に居たいもん…。 」
発作に苦しんでたきみを…助けてあげたかっただけなのに…。
幸せにしてあげたかっただけなのに…。
僕はきみを苦しめてる…。
考えなしは…僕の方だ…と西沢は思った。
僕の自己満足だったんだね…。 思い上がりだった…。
「ノエル…今からでも遅くないよ…。 やっぱり…好きな女…見つけな…。
僕の傍に居たら…そうやっていつも自分を抑えていなきゃいけなくなる。
きみと一緒になって…子どももできて…今…僕は最高に幸せだけれど…。
それがきみにとって不幸なら…哀しいだけ…。
いい女見つけて…今度こそ…幸せになりな…。
子どもたちのことは…僕が何とでもする。 恭介にも何も言わせないから…。 」
ノエルはまた首を振った。
「アランやクルトを置いては出て行けないし…紫苑さんから離れたくない…。
男らしく…ないよね…。 離れられない…なんてさ…。
僕…幸せだよ…。 忘れちゃえばいいんだ…僕が男だったことなんて…。 」
ノエルはそう言って立ち上がった。
「さてと…ふたりに…ただいまをして来なきゃ…。 」
まだ何か言いたげにしている西沢に背を向けてノエルは寝室を後にした。
公園で暴れた連中が能力者でないことはノエルが察したとおりだった。
添田の仲間のエージェントが独自に調べたところによると、彼等は繁華街の夜の公園に屯している連中で、時には通りがかりの女性を襲ったり、金品を奪ったり、悪さばかりしているようだった。
エージェントたちは、彼等を囮に使ってノエルの気を逸らし、吾蘭を誘拐する計画だったのではないかと考えていた。
添田が同族の警察官から仕入れた情報では…あの日はどうやらドラッグ・パーティでエクスタシーのようなものを飲んで超ハイテンションになり…近くの児童公園へ雪崩れ込んで集団で暴れたということらしい…本人たちは暴れたとは思っていないようだが…。
繁華街の公園には時々ドラッグの密売人も出ていることがあるから、そこから手に入れたのではないかと警察では考えているようだ。
添田の見解では勿論…入手先はHISTORIAN…連中を扇動して児童公園に向かわせたのも彼等に決まっていた。
なぜ…そこまでして執拗にこんな小さな吾蘭を狙うのか…?
いくらオリジナルの完全体だとは言っても…あまりに度が過ぎやしないか…。
西沢も御使者たちも首を傾げるばかりだった。
「おと~たん…。 おんも…。 」
貰った画用紙にクレヨンで絵を描いていた吾蘭が、仕事部屋の窓の陽射しの明るさを見て強請った。
よし…ノエルとクルト呼んでおいで…いいお天気だからみんなでお散歩しよう…と西沢は言った。
嬉しそうに吾蘭は居間の方へと飛び出して行った。
児童公園はいつものように賑やかだった。
さすがに西沢が一緒だとお母さんたちの振る舞いや眼の色が違う。
慌てて身繕いをしたりする人も居て…観察していると何だか面白い…。
やっぱ…お母さんたちも女性なんだね…そういうとこは僕にはないもんなぁ…。
そういうの…どうやって覚えたらいいのかな…とノエルは思った。
西沢がお母さん方と楽しそうに話している間に、ノエルは来人をブランコに乗せてやった。
吾蘭は他の子どもに混じって楽しそうにあっちの遊具こっちの遊具とはしごして遊んでいた。
あんな頃だよな…。 僕が格闘技…始めたのは…その時のことは全然覚えてないけど…。
三つくらいの時なら…ちょっとだけ覚えてる…。
親父がいろんな技を教えてくれて…できるとすごく褒めて貰えて嬉しかったな…。
跡継ぎが生まれたって…滅茶苦茶喜んで…いっぱい遊んでくれたんだよな…。
ご免な…親父…失望させて…子ども産んじゃうような息子でさ…。
もし…また親父のところへ生まれてこられたら…今度こそ普通の男で生まれてきてやるよ…。
ゆっくりとブランコを揺らしながら…ぼんやりと吾蘭の姿を見ていた。
突然…吾蘭がみんなからちょっと離れたところへ駆けて行って…何やら両手両足を使って体操のような動きを始めた。
あれは…とノエルは驚いたように眼を見開いた。
それは…この前…吾蘭を護って闘ったノエルの動きのようだった。
西沢がお母さんたちの輪から離れてノエルのところへやって来た。
「ご覧…ノエル…きみがお父さんから引き継いだものを…アランがきみから引き継ごうとしている…。
行って見せてあげたらいいよ…高木家の男に伝わる格闘技…。
お父さんがきみに教えた心と技…。
何も…無理に普通のお母さんになろうとしなくても…父親としていつも傍に居てやれなくても…親として伝えられるものはあるんだよ。
きみがお父さんから学んだすべてを…三人の息子たちに伝えておやり…。 」
西沢がノエルに代わってクルトのブランコを揺らしながら…穏やかに言った。
吾蘭が真似事をしている脇で…吾蘭の傍に寄ってきたノエルが基本の形をひとつ演じて見せた。
吾蘭の目が輝いた…。
もう一度…同じ形を見せると…吾蘭は見よう見まねで動き出した。
違う形を見せた…。 吾蘭はまた真似をした…。 そうそう…上手だねぇ…。
そんなふうにして親子はしばらく身体を動かした。
まだ…幼い吾蘭にとっては遊びだし…気紛れもあるだろうから…覚えてくれるかどうかはまだ分からない…。
途中で嫌だと言い出すかもしれない…。 それでも…根気よく続けていけば…それは想い出となって残る…。
吾蘭と来人には母親の…絢人には父親の…親として真剣に子どもに向き合った姿として…。
互いに心が通じ合わなくなることがあっても…ノエルの中から父親の温もりが完全には消えてしまわなかったように…。
形じゃなく…想いを伝えていこう…。
形が消えてしまっても…想いだけはきみたちの中に残る…。
お父さんは…お母さんは…フツ~じゃなくて…とんでもなくハチャメチャな人だったけど…僕等を真剣に愛してくれたって…いつか懐かしく思い出してもらえるように…。
振り向いたノエルの眼に西沢のいつもと変わらない温かい笑顔が映った。
フツ~じゃなくていいよね…紫苑さん…。
それでも僕を愛していてくれるでしょう…? ずっと変わらずに傍にいてくれるでしょう…?
まるで聞こえてでもいるかのように西沢は穏やかな笑顔のまま深々と頷いた…。
次回へ
この部屋に入ると…また…スミレに戻っていく自分を感じる…。
長い年月を麗香のためにスミレとして生きてきたのだから当然といえば当然…。
あれから何ひとつ変わってはいないけれど…主の居なくなった部屋は何処となく寒々しい。
智明は部屋のあちらこちらに残る麗香の面影を何ということもなく見て回った。
テーブルの上に用意されたお盆の上のワイングラス…ふたつ仲良く並べて置かれてある。
仕事が終わったら…誰と飲むつもりだったの…お姉ちゃま?
そう…問いかけてみる…。
無論…返事なんてあろうはずもない。
ふっ…訊くだけ野暮ねぇ…。
智明…スミレはひとり笑った。
埃を被って輝きを失いかけているワイングラス…。
まるで…売れ残りの骨董品のようだ。
この部屋から…永久に去ってしまった人の想い出だけを相手に…どんな話をするつもりだったのかしら…?
部屋を巡りながら…いろんなものに触れてみる…。
ベッドも…ソファも…冷え冷えとして…温もりも完全に消えてしまっている。
ふうっと大きく溜息をついた。
そろそろ…片付けなきゃいけないかしらね…身内に形見分けもしなきゃ…。
どんなに素敵なドレスも靴も…私が着るわけにはいかないんだから…。
ノエルの身体を離れて西沢が浴室へ行ってしまった後…ノエルはベッドの上に身を起こして大きく溜息をついた。
来人が生まれてから西沢はノエルを女性として愛することが多くなった。
仕方のないことだとは思う…一応…奥さんだし…お母さんだし…。
ふたりも子どもを産んだノエルを男だと思え…と言う方がずっと無理がある…。
でも…なんかやりきれない…。
戸籍上…間違いなく男なんだし…絢人のお父さんでもあるんだし…。
馬鹿みたい…言っても仕方のない愚痴だよね…。
こんなに大事にして貰ってるのに…さ。
贅沢言っちゃだめだぞノエル…可愛がってくれてんのに紫苑さんに悪いや…。
もう一度大きく溜息をつくとベッドから飛び出して西沢の居る浴室へ向かった。
仕事の帰り際に智哉から貰い物の御裾分けだと言って、レジ袋に入った伊予柑をふた袋持たされた。
ひとつは絢人にやってくれ…と智哉はぶっきらぼうに言った。
智哉にしてみれば…西沢には申し訳なくて仕方がないことだけれども…絢人も…可愛い孫のひとりである。
吾蘭や来人だけにお土産をやるというわけにもいかない。
ノエルはその足で先に305号を訪ねた。
丁度…輝が絢人を連れて帰宅したところだった。
「これ…親父から…ケントにって…。 」
レジ袋を受け取った輝は中を覗いてすうっと息を吸い込んだ。
「いい香りだわ…。 有難う…。 智哉さんに宜しく言っといてね…。
ほら…ケント…お父さんよ。 抱っこして貰いなさい…。 」
輝はベビー・カーのケントを抱き上げてノエルに渡した。
「ケント…お母さんとお仕事行って来たのかい…。
お手伝いは…ちゃんとできたかなぁ…? 」
ノエルに頬ずりされてケントは嬉しそうにキャッキャッと笑った。
が…突然…ノエルの背後を見て身を乗り出し…手を伸ばした。
「やあ…ケント…ご機嫌だね…。 よう…ノエル…仕事の帰りかい…。 」
絢人は滝川が戻ってきたのを見つけて…滝川の抱っこを求めたのだった。
明らかに…絢人は滝川の方を父親だと認識していた。
「うん…。 絢人に伊予柑…届けに来たんだ。 」
ノエルは何とか笑顔を作った。
そいじゃ…また…。 ノエルは滝川に絢人を渡すと…バイバイ…と手を振った。
できるだけ足早に305号を立ち去った。
滝川に甘える絢人の姿を見たくなかった。 ひどく胸が痛んだ。
ただいま…と玄関で呟くように言った後…無言のまま寝室へ飛び込んだ。
籐のソファに腰掛けてぼんやり自分の膝を見つめていた。
「ノエル…? 」
西沢がすぐ脇のベッドに腰を降ろした。
「諦めなきゃ…ね。 僕は…アランとクルトのお母さんだから…。
ケントのことは…先生にお願いするしかないよね…。
ケントは…先生のこと…ちゃんとお父さんだって認識してる…。
僕のことはクルトんちのおじちゃんくらいにしか思ってない…。
下手したら…おばちゃん…かもね…。
僕もこのまま…いつまでも男でいるってわけにもいかないよね…。
お母さんになっちゃったんだから…。 僕が望んだことなんだから…。
もう…諦めなきゃね…。 」
大粒の涙が頬を伝った。
「ご免ね…紫苑さん…すぐには無理だけど…少しずつ努力するからね…。
普通のお母さんで居られるように…普通の奥さんになれるように…。 」
切なげに微笑むノエルを見て…西沢は胸が締め付けられるように感じた。
「そんなこと…考えなくていい…。 ノエルはノエルのままでいいんだよ。 」
首を横に振ってノエルは俯いた。
「気付くべきだったんだ…。 結婚するってそういうことだって…。
僕…考えなしだから…ご免ね…我儘ばかりで…。
覚悟決めなきゃ…ね。
だって…ずっと…紫苑さんの傍に居たいもん…。 」
発作に苦しんでたきみを…助けてあげたかっただけなのに…。
幸せにしてあげたかっただけなのに…。
僕はきみを苦しめてる…。
考えなしは…僕の方だ…と西沢は思った。
僕の自己満足だったんだね…。 思い上がりだった…。
「ノエル…今からでも遅くないよ…。 やっぱり…好きな女…見つけな…。
僕の傍に居たら…そうやっていつも自分を抑えていなきゃいけなくなる。
きみと一緒になって…子どももできて…今…僕は最高に幸せだけれど…。
それがきみにとって不幸なら…哀しいだけ…。
いい女見つけて…今度こそ…幸せになりな…。
子どもたちのことは…僕が何とでもする。 恭介にも何も言わせないから…。 」
ノエルはまた首を振った。
「アランやクルトを置いては出て行けないし…紫苑さんから離れたくない…。
男らしく…ないよね…。 離れられない…なんてさ…。
僕…幸せだよ…。 忘れちゃえばいいんだ…僕が男だったことなんて…。 」
ノエルはそう言って立ち上がった。
「さてと…ふたりに…ただいまをして来なきゃ…。 」
まだ何か言いたげにしている西沢に背を向けてノエルは寝室を後にした。
公園で暴れた連中が能力者でないことはノエルが察したとおりだった。
添田の仲間のエージェントが独自に調べたところによると、彼等は繁華街の夜の公園に屯している連中で、時には通りがかりの女性を襲ったり、金品を奪ったり、悪さばかりしているようだった。
エージェントたちは、彼等を囮に使ってノエルの気を逸らし、吾蘭を誘拐する計画だったのではないかと考えていた。
添田が同族の警察官から仕入れた情報では…あの日はどうやらドラッグ・パーティでエクスタシーのようなものを飲んで超ハイテンションになり…近くの児童公園へ雪崩れ込んで集団で暴れたということらしい…本人たちは暴れたとは思っていないようだが…。
繁華街の公園には時々ドラッグの密売人も出ていることがあるから、そこから手に入れたのではないかと警察では考えているようだ。
添田の見解では勿論…入手先はHISTORIAN…連中を扇動して児童公園に向かわせたのも彼等に決まっていた。
なぜ…そこまでして執拗にこんな小さな吾蘭を狙うのか…?
いくらオリジナルの完全体だとは言っても…あまりに度が過ぎやしないか…。
西沢も御使者たちも首を傾げるばかりだった。
「おと~たん…。 おんも…。 」
貰った画用紙にクレヨンで絵を描いていた吾蘭が、仕事部屋の窓の陽射しの明るさを見て強請った。
よし…ノエルとクルト呼んでおいで…いいお天気だからみんなでお散歩しよう…と西沢は言った。
嬉しそうに吾蘭は居間の方へと飛び出して行った。
児童公園はいつものように賑やかだった。
さすがに西沢が一緒だとお母さんたちの振る舞いや眼の色が違う。
慌てて身繕いをしたりする人も居て…観察していると何だか面白い…。
やっぱ…お母さんたちも女性なんだね…そういうとこは僕にはないもんなぁ…。
そういうの…どうやって覚えたらいいのかな…とノエルは思った。
西沢がお母さん方と楽しそうに話している間に、ノエルは来人をブランコに乗せてやった。
吾蘭は他の子どもに混じって楽しそうにあっちの遊具こっちの遊具とはしごして遊んでいた。
あんな頃だよな…。 僕が格闘技…始めたのは…その時のことは全然覚えてないけど…。
三つくらいの時なら…ちょっとだけ覚えてる…。
親父がいろんな技を教えてくれて…できるとすごく褒めて貰えて嬉しかったな…。
跡継ぎが生まれたって…滅茶苦茶喜んで…いっぱい遊んでくれたんだよな…。
ご免な…親父…失望させて…子ども産んじゃうような息子でさ…。
もし…また親父のところへ生まれてこられたら…今度こそ普通の男で生まれてきてやるよ…。
ゆっくりとブランコを揺らしながら…ぼんやりと吾蘭の姿を見ていた。
突然…吾蘭がみんなからちょっと離れたところへ駆けて行って…何やら両手両足を使って体操のような動きを始めた。
あれは…とノエルは驚いたように眼を見開いた。
それは…この前…吾蘭を護って闘ったノエルの動きのようだった。
西沢がお母さんたちの輪から離れてノエルのところへやって来た。
「ご覧…ノエル…きみがお父さんから引き継いだものを…アランがきみから引き継ごうとしている…。
行って見せてあげたらいいよ…高木家の男に伝わる格闘技…。
お父さんがきみに教えた心と技…。
何も…無理に普通のお母さんになろうとしなくても…父親としていつも傍に居てやれなくても…親として伝えられるものはあるんだよ。
きみがお父さんから学んだすべてを…三人の息子たちに伝えておやり…。 」
西沢がノエルに代わってクルトのブランコを揺らしながら…穏やかに言った。
吾蘭が真似事をしている脇で…吾蘭の傍に寄ってきたノエルが基本の形をひとつ演じて見せた。
吾蘭の目が輝いた…。
もう一度…同じ形を見せると…吾蘭は見よう見まねで動き出した。
違う形を見せた…。 吾蘭はまた真似をした…。 そうそう…上手だねぇ…。
そんなふうにして親子はしばらく身体を動かした。
まだ…幼い吾蘭にとっては遊びだし…気紛れもあるだろうから…覚えてくれるかどうかはまだ分からない…。
途中で嫌だと言い出すかもしれない…。 それでも…根気よく続けていけば…それは想い出となって残る…。
吾蘭と来人には母親の…絢人には父親の…親として真剣に子どもに向き合った姿として…。
互いに心が通じ合わなくなることがあっても…ノエルの中から父親の温もりが完全には消えてしまわなかったように…。
形じゃなく…想いを伝えていこう…。
形が消えてしまっても…想いだけはきみたちの中に残る…。
お父さんは…お母さんは…フツ~じゃなくて…とんでもなくハチャメチャな人だったけど…僕等を真剣に愛してくれたって…いつか懐かしく思い出してもらえるように…。
振り向いたノエルの眼に西沢のいつもと変わらない温かい笑顔が映った。
フツ~じゃなくていいよね…紫苑さん…。
それでも僕を愛していてくれるでしょう…? ずっと変わらずに傍にいてくれるでしょう…?
まるで聞こえてでもいるかのように西沢は穏やかな笑顔のまま深々と頷いた…。
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