紫苑の優しさに甘えているのは怜雄や英武だけじゃない…僕も同じだ…。
背中を向けて眠っているように見える西沢を見つめながら滝川はそう思った。
紫苑に触れる時…馬鹿げたジョークを並べる時…あの喉にキスする時…機嫌の悪くなる紫苑をさらに苛々させて楽しむようなところが自分にはある…。
紫苑の感情をいたぶっているのは…彼等よりむしろ自分の方かもしれない…。
「紫苑…。」
なに…と眠そうにこちらに向きを変える。
「襲っちゃおうかなぁ~。 」
例の甘ったるい声で話しかける。途端に紫苑の機嫌が悪くなる。
奇妙な声を出すな…くだらねぇ…。
やりたきゃやりゃぁいいじゃないか…僕は寝てるから勝手にしてくれ…。
そう言ってまた向こうを向いてしまった。
「なあ…本気だったらどうするんだよ? ♂×♂だぜぇ…? 」
滝川はちょっとばかり不服そうに訊いた。
紫苑は少しだけ振り返った。
「いいんだよ…ホモでもヘテロでもバイでも何でも来い…だ。
お相手するのは僕の身体で…心じゃないんだから…。
どうせ…誰も西沢紫苑の内面なんか愛そうとはしないし…欲しがりもしない…。」
まさか…そんなことないさ…紫苑。 思い過ごしだ…。
おまえが好きだからみんながここに集まってくるんだぜ…。
まったく…何言ってんだか…。
「みんな僕を何かの代わりにしているだけだ…。
西沢家にとっては覇権の道具…義理の兄弟たちにとっては動く玩具…養母にとってはお人形…輝にとっては遊びの相手…亮にとっては親代わり…。
それに…おまえにとっては…和ちゃんの代わり…だろ?
みんな僕の外側だけを適当に自分たちの都合のいい形に変えて愛してるだけ…。
愛されているのは僕自身じゃないし…僕の心を満たす愛でもない…。
だけど…少しはみんなの役に立ってるんだろうさ…。
だから…好きにしてくれればいい…。
それでみんなが幸せなら…僕も満足だよ…。 」
和の…代わり…和の…。胸を突き刺すような痛みが滝川を襲った。
怜雄の言った通りだ…僕が誰よりも酷く紫苑の心を痛めつけている…。
生まれてすぐに手放され…あげく母親に殺されかけた紫苑には人に対する根強い不信感がある…それは拭おうとしても拭いきれないもの…。
狭い世界の中でしか生きることを許されない紫苑にとって僕は…子供の頃からの悪友というだけではなく…外へ繋がる唯一の扉…。
長い年月をかけて…他の誰よりも紫苑の信頼を得てきたはずだった。
和が死んだ時…治療師でありながら最愛の女性を救えなかったことで悩み苦しむ僕を静かに支えてくれた紫苑…。
それをいいことに僕はただ甘えるだけで飽き足らず…紫苑を和の身代わりと言って憚らないようになってしまった。
それまでストレートに心をぶつけてきた僕が…いきなり和という見えない着ぐるみを紫苑に着せて心を閉ざしてしまったから…紫苑はひどく戸惑ったに違いない。
ああ…でも紫苑…それは…僕の照れ隠しだよ…。
僕の気付かないうちに…おまえはすっかりおとなになってた。
だから…本心見せるのが恥かしかったんだよ…。
僕がおまえを想う気持ちは初めてラブレターを書いた頃から変わってない…。
おまえは可愛い女の子から格好いい男の子へと変身してしまったけれど…。
「紫苑…僕はもう…誤魔化さない…から。
どうか…僕の心を読み取って…。 もう一度信じてくれ…。 」
滝川は紫苑の肩に手を触れた。
「何を…? おまえを疑ってなんかいないし…嫌ってもいない…。
好きなようにしろと言っているだけだ…西沢紫苑はとっても優しいからね…。 」
紫苑…じゃあ…好きにしちゃおう…。
滝川は紫苑を振り向かせ圧し掛かった。
その段階ですでに紫苑の全身が拒否反応を起こしているのを感じたが、まったく手加減しなかった。
長々とキスを繰り返した後まるで女性を愛する時のように紫苑を征服し始めた。
紫苑が唇を真一文字に結び、少し眼を逸らしながら堪えているのを無視して執拗に愛撫を続ける。
やがて紫苑の身体は抵抗することを止めた。全身から力を抜いてしまった…。
受け入れたのではない…諦めたのだ。
「馬鹿だね…本当は嫌なくせに…諦めちゃだめだろ…。
なあ…紫苑…お願いだから…僕の心を読んで…。 」
滝川は紫苑の耳元でそう囁いた。囁きながらも触れることをやめない。
紫苑が滝川の内面を探るように宙を見つめた。
ある瞬間驚いたように眼を見開いた後…少しずつ表情が和らいでいく。
固く閉じていた唇から吐息が漏れる。
だらっと投げ出されていた両の腕が動き始め滝川の背中を抱きしめた。
「恭介…ごめん…。 こんなの…嫌だ…。 」
紫苑の唇が言葉を発した時…滝川はもう一度そっとキスをした。
そして…紫苑を解放した。
「それでいいんだよ…紫苑。 もう…我慢はするな…。
どんなことだって…誰にだって…おまえが嫌なら嫌とはっきり言えばいいんだ…。受け入れることが相手のためになるってものでもないぞ…。
だけど…ちょっとショックだ…な。
僕じゃだめかぁ…。 輝に負けた…悔しいなぁ…。 」
滝川が唇を尖らせてそう嘆いた。
「それ…何処まで本気? 」
紫苑は眉を顰めた。
「何処までって全部さ…。 決まってるだろ…。
輝のやつは僕の本音に気付いているから機嫌悪いんだぜ…。
僕がいると…あいつは簡単におまえを独占できないんで怒ってんの…。 」
滝川は可笑しそうに言った。
女と張り合うな…女と…。まったく何考えてんだか…。
紫苑は溜息をついた。
「ごめんな…紫苑…何年も酷いことしてきた…。
怜雄や英武のこと言えないよな…。 」
滝川は自嘲するように言った。
瞬時泣いているのかと見まごうほど紫苑は悲しげな笑みを浮かべた。
が…すぐに穏やかな笑顔に戻った。
なんでもないことさ…と言わんばかりに…。
出来上がったばかりのブローチを眺めながら輝は満足げに頷き、丁寧に保管箱の中に収めた。
そろそろお昼だわ…。
アトリエの入り口を施錠してキッチンの方へと戻った輝は、テーブルの上に買った覚えのないふたり分の弁当が置いてあるのをみて少しドキッとした…。
紫苑かしら…?
けれどもその期待はすぐに裏切られた。裏口から姿を現したのは兄克彦…。
どうやら近くまで用事で来たついでに立ち寄ったらしい。
お茶を入れながら溜息をついた。
来るわけないか…。 恭介が居る間は…退屈しないでしょうから…。
10以上も齢の離れた兄克彦はほとんど話すこともなく食事を済ませた。
輝は兄と自分のためにコーヒーを淹れて、それが義務であるかのようにただ胃に流し込んだ。
「おまえ…紫苑さんとは随分長いが…そういう話はないのか? 」
突然…克彦が訊ねた。
「結婚のことなら…ないわよ…。
紫苑は時々それを言いたがってるけど…言わせないようにしているの。
私はあの部屋が嫌い…あの部屋は私に言わせれば牢獄よ。
だから…結婚はしない…。 」
そうか…と克彦は言った。
「まあ…おまえたちも大人だからこちらがあれこれ口出すことじゃないが…。
俺も…結婚はなくていいと思う。
紫苑さん自身は申し分ない御方だが…周りにいろいろ面倒なことが有り過ぎる。
結婚すれば嫌でもおまえの肩にもかかってくることだからな…。 」
日頃寡黙な克彦が珍しくよく話した。何かあった…と輝は感じ取った。
克彦は紫苑には好意を持っている。早く結婚しろと言うのが普通なのに…。
「大丈夫…。 私たちはずっとこんなものよ。
子供でもできれば考えるでしょうけれど…まず…ないから…。 」
輝がそう言うと克彦はやけに安心したような顔をした。
そのわけを知りたいけれど訊いても無駄だろう。 口の堅い男だから…。
かと言って、紫苑が話すとは思えないし…。
爪弾きにされているようで何だか居心地が悪かった。
このままじゃ欲求不満になっちゃうわよ…紫苑…。
頭の中に浮かんだ紫苑の顔に向かって輝はそう呟いた…。
次回へ
背中を向けて眠っているように見える西沢を見つめながら滝川はそう思った。
紫苑に触れる時…馬鹿げたジョークを並べる時…あの喉にキスする時…機嫌の悪くなる紫苑をさらに苛々させて楽しむようなところが自分にはある…。
紫苑の感情をいたぶっているのは…彼等よりむしろ自分の方かもしれない…。
「紫苑…。」
なに…と眠そうにこちらに向きを変える。
「襲っちゃおうかなぁ~。 」
例の甘ったるい声で話しかける。途端に紫苑の機嫌が悪くなる。
奇妙な声を出すな…くだらねぇ…。
やりたきゃやりゃぁいいじゃないか…僕は寝てるから勝手にしてくれ…。
そう言ってまた向こうを向いてしまった。
「なあ…本気だったらどうするんだよ? ♂×♂だぜぇ…? 」
滝川はちょっとばかり不服そうに訊いた。
紫苑は少しだけ振り返った。
「いいんだよ…ホモでもヘテロでもバイでも何でも来い…だ。
お相手するのは僕の身体で…心じゃないんだから…。
どうせ…誰も西沢紫苑の内面なんか愛そうとはしないし…欲しがりもしない…。」
まさか…そんなことないさ…紫苑。 思い過ごしだ…。
おまえが好きだからみんながここに集まってくるんだぜ…。
まったく…何言ってんだか…。
「みんな僕を何かの代わりにしているだけだ…。
西沢家にとっては覇権の道具…義理の兄弟たちにとっては動く玩具…養母にとってはお人形…輝にとっては遊びの相手…亮にとっては親代わり…。
それに…おまえにとっては…和ちゃんの代わり…だろ?
みんな僕の外側だけを適当に自分たちの都合のいい形に変えて愛してるだけ…。
愛されているのは僕自身じゃないし…僕の心を満たす愛でもない…。
だけど…少しはみんなの役に立ってるんだろうさ…。
だから…好きにしてくれればいい…。
それでみんなが幸せなら…僕も満足だよ…。 」
和の…代わり…和の…。胸を突き刺すような痛みが滝川を襲った。
怜雄の言った通りだ…僕が誰よりも酷く紫苑の心を痛めつけている…。
生まれてすぐに手放され…あげく母親に殺されかけた紫苑には人に対する根強い不信感がある…それは拭おうとしても拭いきれないもの…。
狭い世界の中でしか生きることを許されない紫苑にとって僕は…子供の頃からの悪友というだけではなく…外へ繋がる唯一の扉…。
長い年月をかけて…他の誰よりも紫苑の信頼を得てきたはずだった。
和が死んだ時…治療師でありながら最愛の女性を救えなかったことで悩み苦しむ僕を静かに支えてくれた紫苑…。
それをいいことに僕はただ甘えるだけで飽き足らず…紫苑を和の身代わりと言って憚らないようになってしまった。
それまでストレートに心をぶつけてきた僕が…いきなり和という見えない着ぐるみを紫苑に着せて心を閉ざしてしまったから…紫苑はひどく戸惑ったに違いない。
ああ…でも紫苑…それは…僕の照れ隠しだよ…。
僕の気付かないうちに…おまえはすっかりおとなになってた。
だから…本心見せるのが恥かしかったんだよ…。
僕がおまえを想う気持ちは初めてラブレターを書いた頃から変わってない…。
おまえは可愛い女の子から格好いい男の子へと変身してしまったけれど…。
「紫苑…僕はもう…誤魔化さない…から。
どうか…僕の心を読み取って…。 もう一度信じてくれ…。 」
滝川は紫苑の肩に手を触れた。
「何を…? おまえを疑ってなんかいないし…嫌ってもいない…。
好きなようにしろと言っているだけだ…西沢紫苑はとっても優しいからね…。 」
紫苑…じゃあ…好きにしちゃおう…。
滝川は紫苑を振り向かせ圧し掛かった。
その段階ですでに紫苑の全身が拒否反応を起こしているのを感じたが、まったく手加減しなかった。
長々とキスを繰り返した後まるで女性を愛する時のように紫苑を征服し始めた。
紫苑が唇を真一文字に結び、少し眼を逸らしながら堪えているのを無視して執拗に愛撫を続ける。
やがて紫苑の身体は抵抗することを止めた。全身から力を抜いてしまった…。
受け入れたのではない…諦めたのだ。
「馬鹿だね…本当は嫌なくせに…諦めちゃだめだろ…。
なあ…紫苑…お願いだから…僕の心を読んで…。 」
滝川は紫苑の耳元でそう囁いた。囁きながらも触れることをやめない。
紫苑が滝川の内面を探るように宙を見つめた。
ある瞬間驚いたように眼を見開いた後…少しずつ表情が和らいでいく。
固く閉じていた唇から吐息が漏れる。
だらっと投げ出されていた両の腕が動き始め滝川の背中を抱きしめた。
「恭介…ごめん…。 こんなの…嫌だ…。 」
紫苑の唇が言葉を発した時…滝川はもう一度そっとキスをした。
そして…紫苑を解放した。
「それでいいんだよ…紫苑。 もう…我慢はするな…。
どんなことだって…誰にだって…おまえが嫌なら嫌とはっきり言えばいいんだ…。受け入れることが相手のためになるってものでもないぞ…。
だけど…ちょっとショックだ…な。
僕じゃだめかぁ…。 輝に負けた…悔しいなぁ…。 」
滝川が唇を尖らせてそう嘆いた。
「それ…何処まで本気? 」
紫苑は眉を顰めた。
「何処までって全部さ…。 決まってるだろ…。
輝のやつは僕の本音に気付いているから機嫌悪いんだぜ…。
僕がいると…あいつは簡単におまえを独占できないんで怒ってんの…。 」
滝川は可笑しそうに言った。
女と張り合うな…女と…。まったく何考えてんだか…。
紫苑は溜息をついた。
「ごめんな…紫苑…何年も酷いことしてきた…。
怜雄や英武のこと言えないよな…。 」
滝川は自嘲するように言った。
瞬時泣いているのかと見まごうほど紫苑は悲しげな笑みを浮かべた。
が…すぐに穏やかな笑顔に戻った。
なんでもないことさ…と言わんばかりに…。
出来上がったばかりのブローチを眺めながら輝は満足げに頷き、丁寧に保管箱の中に収めた。
そろそろお昼だわ…。
アトリエの入り口を施錠してキッチンの方へと戻った輝は、テーブルの上に買った覚えのないふたり分の弁当が置いてあるのをみて少しドキッとした…。
紫苑かしら…?
けれどもその期待はすぐに裏切られた。裏口から姿を現したのは兄克彦…。
どうやら近くまで用事で来たついでに立ち寄ったらしい。
お茶を入れながら溜息をついた。
来るわけないか…。 恭介が居る間は…退屈しないでしょうから…。
10以上も齢の離れた兄克彦はほとんど話すこともなく食事を済ませた。
輝は兄と自分のためにコーヒーを淹れて、それが義務であるかのようにただ胃に流し込んだ。
「おまえ…紫苑さんとは随分長いが…そういう話はないのか? 」
突然…克彦が訊ねた。
「結婚のことなら…ないわよ…。
紫苑は時々それを言いたがってるけど…言わせないようにしているの。
私はあの部屋が嫌い…あの部屋は私に言わせれば牢獄よ。
だから…結婚はしない…。 」
そうか…と克彦は言った。
「まあ…おまえたちも大人だからこちらがあれこれ口出すことじゃないが…。
俺も…結婚はなくていいと思う。
紫苑さん自身は申し分ない御方だが…周りにいろいろ面倒なことが有り過ぎる。
結婚すれば嫌でもおまえの肩にもかかってくることだからな…。 」
日頃寡黙な克彦が珍しくよく話した。何かあった…と輝は感じ取った。
克彦は紫苑には好意を持っている。早く結婚しろと言うのが普通なのに…。
「大丈夫…。 私たちはずっとこんなものよ。
子供でもできれば考えるでしょうけれど…まず…ないから…。 」
輝がそう言うと克彦はやけに安心したような顔をした。
そのわけを知りたいけれど訊いても無駄だろう。 口の堅い男だから…。
かと言って、紫苑が話すとは思えないし…。
爪弾きにされているようで何だか居心地が悪かった。
このままじゃ欲求不満になっちゃうわよ…紫苑…。
頭の中に浮かんだ紫苑の顔に向かって輝はそう呟いた…。
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