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徒然なるままに…なんてね。

思いつくまま、気の向くままの備忘録。
ほとんど…小説…だったりも…します。

最後の夢(第四十三話 昭二の死)

2005-11-29 22:52:03 | 夢の中のお話 『失われた日々』
 鈴の部屋で着替えや洗面具などを手早く鞄に詰めていたはるは心配していたことが現実になって少しばかり気落ちしていた。

 何だか御腹が張るような気がすると鈴が言い出したのは夕べのことだった。
たいしたことはなさそうだったので部屋を冷やさないように気を使い、できる限り安静にさせておいたがその甲斐もなく、今朝、鈴はまた入院してしまった。
 しばらく良好だった体調がやはりあの戦いで無理をしたのが今になって響いてきたらしく突然出血してもとの病院に運ばれた。

 鈴のことが心配で付き添ったのは雅人ではなくて西野だった。
雅人も史朗もちょうど留守をしている時で、他に付き添える者がいなかったこともあるが…それよりも西野は鈴の体調が崩れてしまった原因は自分にあると責任を痛感していた。
 西野を助けるために戦ったことが御腹に影響したかも知れないというので申し訳なさでいっぱいだった。

 その日病室には急を聞いて後から駆けつけた雅人・史朗・修が次々と現れ、産科の病室とは思えないほど男ばかりが雁首揃えていた。
 つまり産科においては付き添いの役にも立たない連中が集まっていたわけで、検温に来た看護婦はいったい何事かと驚いていた。

 点滴で一応症状の安定したところで男たちは引き上げ、鈴にとってはまた流産との長い戦いの幕開けとなった。



 「鈴さん大変だなぁ…。 雅人…あんた傍にいてあげなくていいの? 」

真貴は久々に顔を合わせた雅人を睨んだ。
このところあまりにいろいろあったのでほとんど真貴とは会っていなかった。

 「時々会いには行ってるけど…ああいうところにはとても長時間いられないって…何か女ばっかりで人目が気になってさ…。
おまえが一緒ならいいけどな…。 」

 はぁ…?と真貴は顔を顰めた。

 「あほ! あたしが行ってどうするのよ。 
よく考えてものを言いな雅人! 鈴さんの具合がもっと悪くなるじゃないよ。」

あ…そうか…と雅人は頭を掻いた。笙子さん的な感覚じゃだめなんだ…と思った。

 「ごめん…笙子さんなら平気だもんで…つい…ね。 」

真貴は肩を竦めてやれやれというように首を横に振った。

 「笙子さんは人類皆恋人…あのグレートマザーの感覚には誰もついてけないっての。
物好きは修ちゃんくらいなもんよ…と…もうひとりいたか…史朗ってのがさ。」

 おっしゃるとおりです…と雅人は頷いた。
あんたも同類だけどね…と真貴は胸の内で秘かに思った。
 


 頼子の身体につけた護りの印は幸いなことに今のところどれも反応しなかった。
これまでのところ彼女は無事に毎日を過ごしているようだ。
それは取りも直さず頼子が誰にもその不安を話していない証拠だと考えていい。

 頼子が気付いたこの事件の妙な部分…誰もが久遠の幸せを願いながら久遠のために動いているのに、動けば動くほど結果的に久遠を不幸に陥れてしまう。
しかもそれと分かっていながらやめようともしない。

 久遠に会いたい…と修は思った。会って確かめたいことがあった。
昭二や敏が何者かに操られているとすれば、その何者かの正体は久遠と瀾の消された記憶の中にあるのではないか…と考えていた。

 久遠はあれほどの力を持ちながら無抵抗で記憶を消されている。
相手がいかに信じて止まない伯父だとは言っても、修ならその封印を解く鍵を事前に仕込んでおく。
 それができなければ消された振りをして過ごす。
瀾が記憶を消されたのはほんの幼い頃だが、久遠はすでに透くらいの齢にはなっていたからそのくらいの知恵も能力も十分あったはずなのだ。

修…と笙子に声をかけられてはっと我に返った。

 「城崎さんよ。 」

 そうだった…。今日は城崎が来るというので早めに仕事を切り上げてきたのだ。
祭祀舞に興味を持った瀾が史朗の許で勉強したいと父親に話したらしく、城崎はその祭祀舞がどんなものかを確認したいと言い出した。
史朗と彰久だけでは城崎と接点が無いため修が立ち会うことになったのだった。

 城崎はいつものように低姿勢で修に挨拶をした。
城崎の後から若奥さま風の和服に身を包んだ頼子がついてきていた。
城崎が頼子を紹介すると笙子があら…と親しげな声を上げた。

 「笙子姉さん! 」

 頼子が驚いたように笙子を見つめた。
修が訝しげな表情を笙子に向けた。

 「いつもね…美容院で一緒になるの。 私たち相性いいのよ…ねえ…頼ちゃん。
あなたの旦那さまって城崎さんのことだったのね。 」

 笙子はそう言って艶然と微笑んだ。
頼子もにっこり笑った。
 参ったわ…笙子姉さんのご主人じゃどうしたって諦めるしかないじゃない…と胸の内で思いながら…。

 「これは奇遇ですな。 」

事情を知らない城崎は上機嫌で言った。

 笙子の今カノ…何てことだ…修は天を仰いだ。
頼子から記憶を消していないということは笙子がかなり頼子のことを信用して可愛がっているからで、つまりはまだ…切れていないということなのだ。

 とにかく今日は瀾の話だ…修は気を取り直して城崎を修練場に案内した。
修練場では瀾と隆平がすでに彰久と史朗から指導を受けていた。
厳しい指導の声が絶えず修練場に響いていた。

 父親と内妻が姿を現したのを見て、瀾が一瞬そちらの方に気を向けた。
途端に史朗がピシッと瀾の腿の上を叩いた。
それほど痛みは無いものの瀾の気を集中させるには十分だった。
  
 紫峰家で暮らすようになってから瀾は急激に大人びてきた。
ここには同年代の友人も何人かいてお互いに刺激し合いながら切磋琢磨している様子が窺えた。
 城崎の家にいては持て余すだけの飾り物だった力も使い方だけでなく禁忌をも学び、長としてあるべき姿を叩き込まれているようだった。

 宗主に預けたのは間違いではなかったと城崎は思った。
本来ならば自分が伝えねばならぬことだが、どうしても躊躇いが生じてこれまでに至ったことを恥じ、城崎は心の中で宗主に手を合わせた。

 やがて切りのいいところで彰久と史朗は城崎の父親と対面し挨拶を交わした。 
このふたりの師匠の飾り気の無い誠実さと舞に対する真摯な姿勢に城崎は少なからず感動を覚えた。
 城崎は礼を尽くしてこのふたりの若い師匠に息子のことをくれぐれもと託した。
彰久も史朗もほっと胸を撫で下ろした。

が…それも束の間城崎はとんでもない事を言い出した。
 
 「こちらの…お嬢さんに舞を…? 」

 そう…頼子にも舞を習わせたいと言い出したのだ。
彰久と史朗は戸惑って顔を見合わせた。
 瀾のように日本舞踊の素養があるわけでもなく、他の舞を経験したこともなく、だいたい頼子本人が舞に興味を持っているとは思えない。

 考えあぐねて修の方を見ると何かわけありの様子で渋い顔だ。
笙子だけがにこにことしている。
考えていても仕方がないので彰久が提案した。

 「分かりました。 瀾くんたちと一緒というわけにはいきませんが…そうですね…一般の方たちの稽古日に試しにご参加下さい。
 初心の方は今のところひとりもおられないので少し大変かも知れませんが、一応試してご覧になられて…ついていかれそうであればお引き受けいたしましょう。」

 史朗もその案に賛成した。城崎も嬉しそうにそれで十分だと納得した。
頼子はどうしていいか分からずに手をついて深々と頭を下げた。

今後のことでひとしきり挨拶が終わると城崎は頼子を伴って紫峰家を後にした。

 「修さん…。 どうなさったんです? 浮かないお顔で…。 」

稽古の後のお茶の席で彰久がそっと修に訊ねた。
 
 「どうにもこうにも…彰久さん…あの女性は笙子のお手つきでしてね。
僕としては距離を置きたい存在です…。 」

 彰久も史朗も思わずくすっと笑い声をもらした。
本当に困ってるんですからね…と修は嘆いた。

 「また寝込みを襲われる虞があるわけですね? 」

 彰久は史朗の方をチラッと見ながら言った。
あれは…笙子さんの悪戯で…と史朗が赤くなりながら弁解するのを修は自嘲的笑顔で以って答えた。

 「まさにその悪戯が心配なわけでして…。 
史朗の場合は史朗自身を良く知っていましたから僕も驚いただけでしたが…。
 あの女性のことは良く知りませんし…。 
ま…考えても仕方ありませんね。 
笙子が僕に悪戯を仕掛けてこないことを祈るだけです。」

 どこか切なげな溜息をついて修は苦笑した。 
いつも悩みの絶えない修の心情を思うと彰久は妻の玲子が普通の女性であることに感謝した。
何しろ玲子は笙子の実の妹なのだから…。



 見張られているとは言っても久遠は屋敷の中にばかりじっとしていられるような有閑層の人間ではなく仕事にも出かけなければならないわけで、鬱陶しい見張りをお供のように引き連れて経営している幾つかの店を回り売上状況などを確認した。 
 どの店も従業員が頑張ってくれているお蔭かこの不景気にしてはまあまあな状況で、重苦しい空気の中で少しだけほっとした気分になった。

 ショッピングモールの中にある最後の店を回り終えて駐車場の方へと歩いてきた時、後方の買い物客の間から悲鳴が上がった。

 驚いて振り返ると久遠に向かって昭二がよたよたと歩いてくるのが見えた。
昭二の身体からはぼとぼとと血が滴り落ちていた。

 久遠の顔を見ると昭二は何か言いたげに手を伸ばし口をパクパクさせたが声にはならなかった。

久遠は昭二の方へ駆け寄った。

 「昭二! 昭二! どうしたんだ? 何があったんだ? 昭二! 」

昭二は久遠が差し出した腕の中へと倒れこんだ。

 「昭二! しっかりしろ! 」

 久遠は何とか回復させようと力を使おうとした。
昭二は久遠の腕を掴み首を横に振った。だめだと言っているようだった。
 昭二の苦痛と涙に歪んだ顔がやがて久遠に微笑みかけた。
そのまま昭二は目を閉じ…二度と開くことはなかった…。

 真昼のショッピングモールに久遠の昭二を呼ぶ声が響き渡った。
何度も…何度も…。 
 
 



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