椿峰のまち

所沢・椿峰ニュータウンでのまちから見えてくるものをお伝えするブログです。

2021年10月 青森へ その4

2021-11-10 19:00:19 | 青森

10月29日も暖かで助かりました。

ホテルの朝食の会場が混んでいて、実家に到着が約束の時間ぎりぎりに。

1階の半分の天井や壁がむきだしになっています。黴臭さが残っているかと思いましたが

そんなことはなくて、柱も壁もしっかりしていました。

むき出しになった柱のあちこちに杉浦木材の字が。まるでお札でも貼ってあるような気がしました。

今は製材工場はなく、この会社名で不動産の管理と他社木材の販売を弟がしています。

仏壇のある和室は残っています。

茶室です。


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4 コメント

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Unknown (藤村眞樹子)
2022-02-17 10:16:40
私が小学生か中学生の頃
杉浦木材が会場となって、青森県の製材技術の競技会が実施されました。
なんでも最後の競技会で、盛大に行われたように感じられました。

機械での製材の正確さとか
そろえて縄で縛る速さ
印字(字や数字を切り抜いたブリキ板に墨つけする)など。
小さなオリンピックのように感じられました。

杉浦木材から仕上げの部門に女性の工員の方が参加して賞をもらえたような。
緊張しているのでまちがえそうになったりして、ハラハラしながらの応援でした。
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Unknown (藤村眞樹子)
2022-02-17 10:22:47
お弁当が配られて私にももらえたんですが
弘前のお弁当で、今でもその美味しい味を思い出したりします。
こういった競技会の段取りとか手配とか
今になってわかる青森の手際の良さは
江戸時代からでその後は祭りで伝えられてきたんだろうか、などと思ったりします。
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Unknown (藤村眞樹子)
2022-02-17 10:35:58
いっぽうで
青森営林局で庶務課長をしたという母方の祖父が葬式とかあれこれの行事の担当をしていたそうで、入院はしませんでしたが躁うつ病の症状があったとのこと。
学歴がなくて給仕から課長になったために
難しい仕事を多く引き受けた?
また祖父は岩手県の湯田ダムに沈んだ村の出身で兄弟が多くて進学できなかったようです。

ふと、今の日本がその祖父の姿に重なってみえたりして。
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Unknown (藤村眞樹子)
2024-05-05 10:36:11
コロナ禍が収まり、また神戸在住の義姉の納骨を所沢で済ませたので、ようやくこの実家の修理にとりかかろうと思ったりしているところです。
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