椿峰のまち

所沢・椿峰ニュータウンでのまちから見えてくるものをお伝えするブログです。

6月9日のまち 東京・国分寺で その10

2020-06-26 23:23:16 | 美術館・博物館

長屋門の奥に武蔵国分寺跡資料館がありました。

銅造観世音菩薩立像です。可愛らしい感じです。

武蔵国分寺の軒先瓦が創建期と再建期では違うんだとか。

瓦の郡の刻印が俺たちが一番、と主張しているような。

武蔵国分寺は郡に競い合わせて造ったのかもしれません。

模様や刻印を見ていると元気が出るのはなぜなんでしょうか。


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6 コメント

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Unknown (藤村眞樹子)
2020-06-27 12:05:42
例えばこの記事にある写真から
タチアオイの深紅や刻印に、国分寺の建造物を造るときに、厳しくつらい奴隷労働があったのかもしれない、と思ったりもします。
子孫である私たちは、奴隷でもあり奴隷を動かす側でもあった、と考えることはいかがでしょうか。
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Unknown (藤村眞樹子)
2020-06-27 16:40:08
日本を掌握したいという願いを背負った聖武天皇は多くの寺院や大仏を建立し、しかしその大工事、大掘削のために
水や大気が汚染され疫病が流行し、水害や噴火を誘発し上層も下層も多くが亡くなっってしまった・・・・・
もしかしたら、天体の周期といったことも関係して、そういった繰り返しがある
ということもあるのかもしれません。
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Unknown (藤村眞樹子)
2020-07-01 10:14:19
この記事にある菩薩像の手があまり見ない扱い方に感じられます。(印というのでしょうか?)
親しみやすい感じというか。

大丈夫、大丈夫と励ますような気持があるとか?
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Unknown (藤村眞樹子)
2020-07-01 10:18:28
難民の移動を率いるリーダーが大事に持っていたもの、というふうに空想してしまいます。
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Unknown (藤村眞樹子)
2020-07-01 10:40:17
古代の方が東アジアでの交流や移動が想像以上にあったように感じられます。
公文書的なものとは違う歴史があったことでしょう。
東アジアの融和を考える必要がないでしょうか。
芥川龍之介「蜘蛛の糸」があの時代に書かれた理由がわかるような気がします。
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Unknown (藤村眞樹子)
2020-07-01 10:43:26
現在の中国は
自ら固形化していくような状態になっている?あるいは追い込まれている?
香港だけではなく北朝鮮、韓国も巻き込まれてしまう?
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