永青文庫と野間邸の間にある、胸突坂という坂を下るとその左側に関口芭蕉庵があります。
(芭蕉庵扁額)
(胸突坂)
ここは、松尾芭蕉が神田上水の改修工事を請け負った際の延宝五(1677)年から4年間、
「龍隠庵」と名付けた水番屋に住んだとされているのが、始まりとされている庵です。
(芭蕉庵)
芭蕉の没後33回忌に芭蕉堂と呼ばれる、芭蕉とその弟子を祀る建物が建てられ
以降、いつしか龍隠庵は、関口芭蕉庵と呼ばれるようになりました。
従前の建物は戦災で焼失しましたが、戦後復元され、今でも風情のある造りとなっています。
(庭園内の池)
(芭蕉真筆の句碑)
(芭蕉庵扁額)
(胸突坂)
ここは、松尾芭蕉が神田上水の改修工事を請け負った際の延宝五(1677)年から4年間、
「龍隠庵」と名付けた水番屋に住んだとされているのが、始まりとされている庵です。
(芭蕉庵)
芭蕉の没後33回忌に芭蕉堂と呼ばれる、芭蕉とその弟子を祀る建物が建てられ
以降、いつしか龍隠庵は、関口芭蕉庵と呼ばれるようになりました。
従前の建物は戦災で焼失しましたが、戦後復元され、今でも風情のある造りとなっています。
(庭園内の池)
(芭蕉真筆の句碑)