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明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



陰影を出さない手法を始めて、随分やってきたつもりでいたが、まだ5年程のようである。写真で私が浮世絵、日本画のように自由にやるには、それを阻害しているのは光と影だと思ってやってみると、それはまったくその通りであった。当初躊躇したのは被写体を自分で作っており、立体を作るということは陰影を作り出すことに他ならないからである。陰影を無くせば無くすほど、当然被写体は平面的になるが、寒山拾得展では、微妙な濃淡による立体感を意識してみた。これは極初期の高僧の肖像画にヒントを得た。また昔、とっかえ引っ換え古典レンズを使っていた頃、フラットな光なのに立体感を感じさせるレンズが在る、という記憶もあった。これにより平面的だが立体感はある、という矛と盾の微妙な両立を意識した。寒山拾得や仙人に乗じて私の隠し裏メニューはこれだった。一作目の三遊亭圓朝と一休宗純の違いにそれは表れている。当初の〝自分で作り出した陰影を自ら台無し”にする問題は解決した。 しかしここへ来て、妙なことで戸惑っている。独学我流で40年やって来て、何だって出来る、と思えた経験がない。来年新春早々で私の最上級の技〝果報は水槽の金魚を眺めて待て”を用いることになるか。

 

 



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