肖像画しか残っていない人物を作ったのは、松尾芭蕉、葛飾北斎、一休宗純だろう。その中でも芭蕉、一休は弟子、門弟の類が描いているから間違いないが、特に一休は描いたのが本職の曾我蛇足で、本人の髭や髪が植えられたという木造ともほぼ矛盾がないから、あんな顔をしていたのは間違いない。小四の時、何故大人向けの「一休禅師」をねだって買ってもらったのか、まったく覚えがない。そこには蛇足が描いた一休像が載っていたが、横目でこちらを見ているなんて類がないだろう。 はらわたの奥まで好色で詰まっていると本人が言っているのは『狂雲集』に明らかである。三島由紀夫が死んでいる所を作ったのは三島本人に一番ウケると考えたからだが、一休の場合は、私がやると比喩的表現とはいかず、差し障りの予感ばかりである。