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明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



独学我流者は通常、出来るかどうか判らないまま挑むというのが当たり前であり、どんな場面だってやれば出来るだろう、なんていうのはどうも座りが悪い。策がない場合、金魚を眺め、考えずに感じるまで待つ、という奇手を用い、お陰で何ランクかステージアップした気がするが、したらしたで落ち着かない。技術的にクリアしたなら、あとはそれを頭から取り出すだけだが、取り出せるようになると、無難に取り出せるような物しか浮かばないということか、と思い始める。40年もやっていると、こんな日も来るのだろう。 昨日地元の先輩と話していて、寒山拾得まで来るとあっちへ行ってしまったと思ったという。行きがかり上、禅について考えたりもしたが、実際は小学生の学芸会で大国主命が我慢比べをし、大便を漏らしてしまう紙芝居を作ったノリと限りなく近く、さらに寒山拾得は、昔ある所に〜の昔話として単純に不思議な味わいのある面白い話と思ったに過ぎない。チャーリー・パーカーの音が、他のミュージシャンと違っていくら聴いても飽きることがないのは、この世の音ではないからだと思うのだが、同様の味わいがある。



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