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明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



浮世絵に着目したきっかけは、そもそも九代目團十郎を作るために、九代目の芝居絵を見るようになったことだった、と昨日思い出した。それにしても可笑しな話である。浮世絵を眺めて、写真や西洋画の画面上の自由を阻害しているのは陰影だ、と始めたはずが、今度は陰影のない浮世絵に、陰影を加えようというのだから。本当に始めるかは未定だが、行き当たりばったり、東洋の魔女の如く棚から降って来たぼた餅は全て拾いたい。 現在の歌舞伎の舞台は煌々とした人工照明により、かつての蝋燭の灯りのような陰影は与えられていない。ところで初めて舞台撮影が成功したのは、巨大なガラス乾板による、鹿嶋 清兵衛撮影の九代目團十郎の『暫』である。その照明技術が認められ、泉鏡花の『高野聖』の舞台照明を担当し、暴発事故により指を失い舞台の能の笛方に転身する。笛吹が指を失い、写真家に転身するなら判るが、その辺りは良く判らない。莫大な財産を使い果たし、晩年はしみじみとした暮らしぶりだったという。鏡花作の拙著『貝の穴に河童の居る事』に出てくる長面の笛吹芸人は元々資産家で趣味が嵩じて笛吹になった男である。鹿嶋 清兵衛がモデルなのは間違いない。その芸人役をやってもらった人とは、先週サイゼリヤで明るいうちから飲んだばかりである。



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