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明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

一日  


曾我蕭白が、勝手に十代目を名乗った曽我蛇足は、一休宗純の弟子でもあったが、蛇足の一休を参考に一休像を作った流れで臨済義玄も作った。人像を作る上で重要な絵師となった。どうしても中国の寺の注文で描かれた激しい表情で拳を握った義玄像は見ることは出来ていないが、蛇足作が元であろう写された像は初代蛇足に陰影を加えてリアルにしたおそらくニ代目で、その後続々と後に続いた絵師達の画現像を過去の美術誌で見つけた。どれも下手くそで驚いた。私はどうしても、花鳥風月がいくら上手でも、人物描いて下手だと興味はなくなる。明治頃の風景の名人でももあれ?という人がいる。 一休宗純には、正装して極端に長い赤鞘の長刀を横に椅子に座る肖像がいくつも描かれている。中身は竹光で、外見は立派でも役に立たないという意味らしい。しゃれこうべを枕に寝かせた私なら、もうちょっと違った姿にしそうである。



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