明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



本日は達磨大師と第ニ祖慧可を撮影。慧可断臂のエピソードは、インド人の達磨大師が、慧可の弟子入りを許し、その後慧可が中国に禅を拡めることになるという、座禅一つしたことがない人間が手掛けるには、恐れ多い場面であるが、メインテーマは覚悟である。『慧可断臂図』の達磨大師は、国宝の雪舟作では己の腕を差し出す慧可を、その想いがまだ伝わっていないのか、壁を向いたまま無視しているかのようだが、私は慧可の決意の念を感じ、振り返ったところとした。いつもなら座禅する達磨大師の居る洞穴を先に撮影して二人の配置を考えるところだが、今回洞穴も作るので、達磨大師と慧可を白紙の上に配し、それに合わせて洞穴内部の壁を作り後から下地に敷くという初めての試みをする。 雪舟はもっとも国宝の点数が多い人物だった気がするが、日本ではどうしても山水図などの評価が高く、今のところ最後に選ばれたのが『慧可断臂図』である。画面に自分の腕を切り落として悲しげな顔をした人物では仕方ないだろう。 明日は布袋尊辺りの撮影を考えている。



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2016年は臨済義玄没後1115年だったそうで中国、日本各地で大々的に記念法要などが行われたようである。その頃私は臨済宗や茶の種をもたらせた茶祖といわれる栄西は知っていたが、臨済義玄は全く知らなかった。義玄の立体像は中国の石像が出てくるくらいで見当たらない。 曽我蛇足の義玄像の頭の形は前頭部が盛り上がり、有り得ない形をしている。中国で最初に描かれ曽我蛇足が参考にした原画はいくら探しても出てこない。中国も色々あったから失われてしまったのかもしれない。しかしその禿げ具合が変わっており、蛇足の創作ではなく、由来があるとしか思えない。蛇足作を出来るだけそのままにしたいので、蛇足に異論を唱える理由は何もない。特定の経典を持たない禅宗では、その教えは言葉や文字によらず。蛇足の義玄像の喝!の表情、頭の形に魅かれてその気になってしまった私にも何かが伝わったということであろう。そういえば栄西も、これがまたトレードマークのように、何を見てもまるで臼のような頭の形に描かれている。人の形に興味が向いてしまうのも、幼い頃から相変わらずである。



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