『慧可断臂図』は岩窟入り口及び内部の背景を残し完成。慧可にはパラパラと雪を降りかかるておいたし、状況説明はそれで良しとして、シンプルに黒バックで、とやり過ぎ気味の私は思ってみた。後で考えることに。『臨済義玄』陰影無しで撮影したが、ポイントは喝!の表情であることは言うまでもない。陰影のない手法はインパクトを求めるには向いていない。ここは思いっきり陰影有りでやってみたくなる。これは初代曽我蛇足の義玄像に対し、息子の二代目がより立体的な表現を加えた気持ちが判る気がした。両者甲乙付け難い。数百年後の私は身内でもなし、人形であり写真である。 陰影を削除すると決めたなら全てそうすべきだという私だったが、川瀬巴水の作品をじっと眺めて自分の都合により使い分け等、といわれた。迷ったらより快感の大きい方を。蝦蟇仙人』の撮影。これは鉄拐仙人との『蝦蟇鉄拐図』にするか、各1カットづつにするかは未定。自分で作っておきなが妙に鬱陶しいツラをしている。早めに済ませておきたい。 何で蝦蟇仙人だからといってカエル顔にしたのか?魔が差したとしかいえないが、こんな顔は魔でも差さないと作れない。