明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



次の撮影に備え仕上げ。蝦蟇仙人が出来たところで、鉄拐、琴高仙人あたりを行きたい。残念ながら琴高仙人の乗る鯉は、旬をとっくに過ぎてしまったが、食うのが主目的ではないので致し方ない。冬の間に撮れなくもなかったが、ラインナップが揃っていないのに、鯉を締めたり血抜きしたりという気になれなかった。それにしても鱗もそのまま調理すべき程、急いだ方が良いという。もちろん鯉のポーズも決めておいて、数カット撮ったらすぐに調理したい。 円谷英二で、大蛸に勝鬨橋を襲わせたが、昨日まで瀬戸内海で生きていたタコも、だんだんうんざりしてきて、参った。あれだけは避けたい。最も脚ハ本に演技をつけることもないのですぐに済むだろう。琴高仙人は、ローンレンジャーの如く、鯉に乗ってハイヨーシルバー!のイメージである。



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臨済義玄像は、鎌倉室町時代盛んに描かれ、大徳寺の一休門下の画家達は得意としたらしい。曽我蛇足の義玄像は、初代蛇足作との確定はないようだが、一休和尚像同様図上の賛は一休本人でもあるし蛇足の可能性は高い。それにしても盛んに描かれたにしては目にする事はない。誰だったか所有の図録にあったが、同じ絵を手本にしながら雰囲気は違っていた。息子の二代目蛇足は凶悪な人相に描いているが、こういう違えたところに個性が出る。   私の場合、一度作ればどこからでも撮れるメリットがある。そこでどうせ一喝の図ならば面と向かっての方が効果的?ではなかろうか、と正面からも撮った。三脚立て絞って撮るだけだから念のため3カットも撮れば終わってしまう。一カット増えてしまったが、私としては蛇足と同じ構図で撮った最初のカットよりこちらの方が良い。手本を立体化し、撮影するという私ならではの個性が出ているからである。 宮沢賢治を作った時、律儀なボクサーのように顎を引いた写真しか無い賢治を、あえて高い所に立たせ下から撮った。

二代目蛇足作



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