明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



臨済義玄は背景は無地だけが決まっている。放って置いた時間が随分あったが、なんとか完成。三遊亭圓朝の時は、構図だけ鏑木清方作と同じにしてみたが、オマージュもオリジナルが知られていてこそである。今回も曽我蛇足の作と同じ方が面白いと思ったが。 以前は残された有名な写真とは違う角度を狙った物である。絵画と違って立体は作ってしまえばどこからでも撮れるメリットがあるからだが、義玄はせっかく360 度作ってあるので、ついでに真正面を撮ってみた。臨済宗義玄の正面の顔だぜ、といって喜んでいるのは私だけだが。後に高僧の迫真的な肖像を残すことになる臨済宗だが、開祖の頃はそんな習慣もなく、蛇足の義玄像も想像で描かれた物だろうが、全国にいくらでもある臨済宗の寺には、開祖の像はないのだろうと思うと不思議である。座禅一つしたことないクセに何をブツブツいってる、と言う話であるけれど。   まあ蛇足のおかげで一休宗純を作ることが出来たし、禅宗でも大事な一喝する開祖の肖像も作ることが出来た訳である。そう思ったら正面向いた開祖の、面と向かった一喝。蛇足に影響を受けながら蛇足の描いていないカット。これこそ私の撮るべき物だったかもしれない。ついでに、などと余計なことをいうんじゃない。



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