永野宏三のデザイン館&童画館  アート日和のできごと

イスラエル国立美術館、ミュンヘン国立応用美術館、国立国会図書館、武蔵野美術大学美術館図書館他に永野宏三の主な作品が収蔵。

間。

2009-06-07 17:52:51 | 日記・エッセイ・コラム
グラフィックデザイナーの早川良雄さんが3月に亡くなられていた。愕然とする。ぼくがとつている新聞の訃報欄にはその時は逝去の報はなく、昨日知った。
戦後グラフィックデザイン界の黎明期のそうそうたるデザイナーが、今年に入って、つきつぎに他界されていく。
早川良雄さんのデザインやイラストレーションは色彩とかたちの間に力を抜いた感覚がとても好きだつた。ぼくは一時、どうにかしてその間みたいなものをつかんでみようとエピゴーネンをやったが、とてもその間をつかむことはできなかった。その感覚は日本的というか西洋的というか、そういう区分けは出来ない独特の世界があった。
39年前のことだ。ぼくが19歳のころ、熊日広告賞というコンペテイションに応募して2席をとったことがあって、その時僕は審査会場に見学に行っていて、賞をとった時にぼくは生意気にも早川先生に評をあおいだことがある。その時早川先生が「あなた歳はお幾つ」と聞かれ、「19歳です」と答えたら、先生は少々驚かれている様子だったが、「学生さん?」。「デザイン修行中です」と言ったら、「君のデザインセンスはいいから、努力してやっていきなさい」と励ましていただいたことがある。こどもの僕にしては凄い勇気になった。
その後、19年前に東京六本木のデザインギャラリーで、あるパーティがあった時に、もう憶えていらっしゃらないと思ったが、声をおかけして、39年前のことを話したら、先生は僕の顔をじっとみつめられてしばらくした後に、たぶんサービス精神でそうおっしゃってくださったのかもしれないが、「ああ、憶えていますよ」と笑顔で応えていただいた。その会場でいろいろデザインやイラストレーションのことなどを話してくださった。
コンピュータでデザインの設計をしていく時代になってしまつたが、原点にもどって、デザインを手と頭で考えて設計し、生の絵具で色彩をつくっていた時のことを検証してみようと思う。