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☆=☆☆☆☆☆
◎=☆☆☆☆
◇=☆☆☆
△=☆☆
▽=☆

ゴジラvsスペースゴジラ

2014年09月15日 14時10分32秒 | 邦画1991~2000年

 △ゴジラvsスペースゴジラ(1994年 日本 108分)

 英題 Godzilla vs. SpaceGodzilla

 staff 監督/山下賢章 特技監督/川北紘一 脚本/柏原寛司 撮影/岸本正広 美術/酒井賢 モゲラ・デザイン/吉田穣 衣裳/斉藤育子 衣裳コーディネイト/出川淳子 音楽/服部隆之 主題歌/デイト・オブ・バース『ECHOES OF LOVE』作詞:NORICO/作曲:重藤功 挿入歌/今村恵子、大沢さやか ゴジラのテーマ/伊福部昭

 cast 橋爪淳 小高恵美 中尾彬 上田耕一 佐原健二 小堺一機 松村邦洋 今村恵子 大沢さやか 吉川十和子 柄本明

 

 △特撮とボク、その57

 簡単にいってしまえば、リトルゴジラとフェアリーモスラが不要。

 ゴジラを友達の仇だとして狙い続けている軍人がいようといまいと、もはや、南洋から日本にかけての一帯が怪獣を中心にした観ようによってはなあなあの楽園と化してしまっている以上、そこに緊迫感はかけらもなくなっている。これは、悲しいことだ。せっかく平成のシリーズにおいてはゴジラの役どころは悪とされていたんだから、それを踏襲すればいいはずが、なぜか、スペースゴジラなんてものが登場してしまうと、どうしてもゴジラは正義の側に立たざるをえなくなる。それは長く続いてしまうシリーズのいちばん憂慮するところだけど、そこへもってさらにゴジラを軟化させてしまうリトルゴジラだの、怪獣映画がファンタジー映画になってしまいかねないフェアリーモスラだのが登場してしまっては、もはやどうしようもない。

 こういう辛さというかジレンマを、どれだけ製作者側は持っていたのか聞きたくなっちゃう。

 この1994年という年は、ガメラが復活した年でもあり、観客層からいえばあきらかにゴジラの方が若かった。というより、幼かった。ガメラは旧大映のつくりだした子供の味方であるという立場をかなぐり捨てて、アトランティスの守護神として登場した。ゴジラは、そういう背景を持たされなかった分、つらい。

 くわえて、この平成シリーズのいちばん微妙な点、つまり、良かったのか悪かったのかわからないという意味での微妙なところは、ゴジラを破壊神であるとかいって、なんだかHERO的な定義をしてしまったことだ。アメリカにおいて『GODZILLA』が制作されることになったため、そのスペルが一般的なものになったとき、日本人の中にGODという意識がいっそう余計に生じちゃったのかもしれないんだけど、とにかくゴジラを祀り上げちゃった。これは、ほんと、良かったのかどうか。

 それと、この平成シリーズにいつも出てくるGフォースとかいう自衛隊の特別編成ゴジラ対策部隊と超能力開発センターなんだけど、これがゴジラのあらたな物語を幼稚にさせてしまったいちばんの理由におもえてならない。Gフォースの新兵器が登場するたびに、それを好きな観客にとっては楽しみなのかもしれないけど、ぼくはいささか減滅したりもする。だったら、ほかに目新しいものを考えられるのかといわれそうだけど、地に足のついた怪獣映画を期待していると、どうしても既存の兵器で人間のちからを押し出してほしいとかっておもっちゃったりするんだよね。

 それと、G細胞の話にばかり食い込んでいくのも、なんだかな~っていう気がしないでもない。ビオランテで設定されたG細胞が延々と続けられ、ついには宇宙怪獣としてのゴジラまで生んでしまうと、もはや歯止めが効かなくなってくるような不安さをおぼえる。

 いったどこまで風呂敷が広がっていくんだろうと。

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ゴジラvsメカゴジラ

2014年09月14日 22時18分20秒 | 邦画1991~2000年

 △ゴジラvsメカゴジラ(1993年 日本 107分)

 英題 Godzilla vs. Mechagodzilla II

 staff 監督/大河原孝夫 特技監督/川北紘一 脚本/三村渉 撮影/関口芳則 美術/酒井賢 ガルーダデザイン・製作/小川正晴 衣裳/斉藤育子 衣裳コーディネイト/出川淳子 音楽/伊福部昭

 cast 高嶋政宏 佐野量子 中山忍 小高恵美 ラサール石井 今村恵子 大沢さやか 原田大二郎 宮川一朗太 中尾彬 上田耕一 佐原健二 高島忠夫 川津祐介

 

 △特撮とボク、その56

 前作のゴジラザウルスといい、今回のベビーゴジラといい、どうしてゴジラの外縁にばかり注意を向けているのかがわからない。物語の主役はいったい誰なんだろう?

 ていうか、ゴジラの托卵って、いったいなんなの?なんでゴジラがラドンの巣に卵を托すんだろね。いや、100万歩ゆずって托卵したにせよ、ラドンなのか翼竜なのかよくわからないんだけど、地球上でそんなかなり特別で危険な場所をわざわざ選んで托卵とかするんだろうか。しかも、それで生まれた子供(ベビーゴジラ)がなんだか佐野量子を親とおもってしまうような展開とかって、どうなのっておもっちゃうんだよね。子供だましの映画を見せられてる気分になってくるのはぼくだけなんだろうか?

 ベビーゴジラもそうなんだけど、どうもこの平成ゴジラシリーズは余分な新兵器の多さに閉口する。今回もそうで、ガルーダもそのひとつながらそうした新兵器を投入してくるGフォースとかいう自衛隊の別働隊みたいなものが要らないし、またもや登場してきた超能力開発センターみたいなところも要らないんじゃないかしら。

 枝葉ばかり繁らせても、肝心の幹が痩せ細っていたんじゃ結局どうしもないはずなのにね。

 そもそも、ぼくは最初のゴジラシリーズのとき、メカゴジラとかメカキングコングとかが登場してきたとき、いっぺんにゴジラ熱の冷めた人間だ。ぼくは周りの男の子とちがって、機械についてなんの興味もなかった。自動車や電車や飛行機や船といった生き物でない存在にまるで興味がなかったし、強いて挙げれば鉄腕アトムや鉄人28号みたいなロボットか、009のようなサイボーグか、バビル2世のような超人とかにしか関心がなかった。要するに人格を持っているものが好きだった。といっても、怪獣が人格を持っちゃうのは好きじゃなかった。

 ところが、ガメラもそうだったけど、ゴジラもどんどんと人格を持つようになり、平成のゴジラにいたっては顔つきまで乱暴なオヤジ的な表情になってきた。凶暴さを前面に出そうとしていたのかもしれないけど、どうしても知能指数がそれなりにありそうで、動物のような本能によって動く雰囲気がなかったし、また威厳もなくなった。ゴジラがどんどん人間臭くなってきて、かつての旧シリーズのようにちょっと程度の低い正義の味方然とはしないまでも意思めいたものを持つようになっているのが気になっちゃうんだよね。

 まあ、そういう危惧の中にありながら、音楽だけはどんどん凄くなる。伊福部昭、凄すぎるって。前作と今作、それと『ゴジラVSデストロイア』の音楽はほんとに凄い。いかにも堂々としていながら切れがいいんだよね。けど、これくらいしか感動するところがおもいださないのは、ほんと、つらいよ。

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ゴジラvsモスラ

2014年09月13日 13時18分50秒 | 邦画1991~2000年

 ▽ゴジラvsモスラ(1992年 日本 107分)

 英題 Godzilla and Mothra : The Battle for Earth

 staff 監督/大河原孝夫 特技監督/川北紘一 脚本/大森一樹 撮影/岸本正広 美術/酒井賢 バトラ・デザイン/吉田穣 コスモス・コスチューム/出川淳子 衣装/多勢美智子 音楽/伊福部昭 主題歌/コスモス(今村恵子・大沢さやか)『モスラの歌』作詞:田中友幸・関沢新一・本多猪四郎、作曲:古関裕而、編曲:高田弘 挿入歌/コスモス『マハラ・モスラ』『聖なる泉』作詞・作曲・編曲:伊福部昭

 cast 別所哲也 小林聡美 村田雄浩 田中好子 小高恵美 米澤史織 小林昭二 今村恵子 大沢さやか 大竹まこと 篠田三郎 宝田明 黒部進 渡辺哲 大和田伸也 上田耕一 本多俊之

 

 ▽特撮とボク、その55

「もう、パクリはやめましょうよ」

 と、当時の製作陣の中で、悲痛な声は上がらなかったんだろうか。前作が『ターミネーター』で、今度が『インディ・ジョーンズ』とかって、ありえないでしょ。前作の『ゴジラVSキングギドラ』ではスピルバーグ少佐とかいう海軍佐官まで登場させて、いったいどれだけハリウッド好きなんだって感じだったけど、学生の自主製作映画じゃないんだからやっぱりパクったらダメだよね。もしもこれがオマージュとかいうのであれば、もうすこし品の好いオマージュにしなくちゃあかんのじゃないかしら。あ、品の好いってどんなのだよとかって開き直られても困るけど。

 ハイビジョン合成の初採用とか特撮は確実に進歩しているし、音楽もますます厚みを帯びてきて、実をいえば前作から伊福部昭は晩年の大成にいよいよ達しつつあるような見事さだと感じるんだけど、筋立てがね、どうにもね、つらいんだよね。

 ちなみに、黒いモスラことバトラの話なんだけど、バトルモスラの略なんだよとかって話はなんちゅう安直さだと笑い飛ばすしかないからいいとして、もうちょっとまじな話だ。モスラとバトラが二律背反する存在で、しかも地球の摂理が生み出したという自然の守護神的なものだと仮定されるのはかまわないし、その復活と対決する引き金があまりにも安易にインファント島の開発っていう設定はなんなんだよってのはさておくとしても、こうした背景をもった怪獣がふたつ登場して睨み合いの構図をとるのであれば、そこへゴジラが乱入するのは物語をややこしくする以外のなにものでもないような気がするんだけど、どうなんだろ?

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ゴジラvsキングギドラ

2014年09月12日 12時22分33秒 | 邦画1991~2000年

 △ゴジラvsキングギドラ(1991年 日本 102分)

 英題 Godzilla vs. King Ghidora

 staff 脚本・監督/大森一樹 特技監督/川北紘一 撮影/関口芳則 美術/酒井賢 ゴジラザウルス・キングギドラ・ドラット・メカ系デザイン/西川伸司 メカニカルデザイン/青井邦夫 ドラットデザイン/吉田穣 未来人衣装デザイン/出川淳子 衣装/稲毛英一 音楽/伊福部昭

 cast 中川安奈 豊原功補 小高恵美 原田貴和子 佐々木勝彦 小林昭二 佐原健二 時任三郎 森末慎二 風見しんご 黒部進 渡辺哲 山村聡 西岡徳馬 土屋嘉男 上田耕一

 

 △特撮とボク、その54

 タイムマシン物になってしまったばかりか、明らかに『ターミネーター』のパクリとしかおもえないような設定にしてしまったとき、ああ、早くも2度目の末期的症状が始まったのか…とおもった。情けないというより、いや、怒りすら通り越して、絶望的な気分にまでなった。

 まあそれは観るまでもなくわかってたことなんだけど、ぼくは豊原功補を贔屓にしているから仕方がない。よくがんばってここまできたって感じだったし、まさか『多古西応援団』のとっぽい丸サングラスが主演をするまでになったもんだって、ある意味、ご祝儀のような気分で観た。

 けど、これはないわ~。

 あらためて観たとき、なんと中川安奈と共演してた。中川安奈も『敦煌』のときはなんだかごついな~とかおもってたんだけど、同時代のぼくにとってはこちらが勝手に身近に感じてるんだけど、まあこのたびは追悼でもあるし、観た。

 でも、何度観たところで物語は変わらない。

 それこそ、1990年あたりまで時間跳躍して内容を変更してもらわないかぎり変わらない。

 まあ、ゴジラザウルスについてはいい。がまんしよう。この水棲爬虫類から陸上獣類へと進化する過程の生物が呉爾羅大明神として代々崇められてきたとも考えられるわけで、まあ、なんとかがまんできる。ラゴス島の守備隊となんらかの関わりがあったのもいい。水爆実験によってゴジラ化したというのもいい。

 ところが、この生物が時間跳躍してきた連中によってベーリング海に移され、それがもとでソ連の原潜の放射能漏れと元ラゴス島守備隊々長土屋嘉男の帝洋グループの原潜「むさし2号」のわけのわからん目的行動によって結局ゴジラ化しちゃうなんてのはありなのか。なんでそこまで運命づけられなくちゃいけないんだ。かわいそうじゃないか、ゴジラザウルスが。ということは、誰もおもわなかったのかしらね。

 くわえて、やがてキングギドラ化することになるドラットとかいうドラゴンをもじったようなみょうちくりんな名前の愛玩動物の安直さもさることながら、未来人と人型ロボットの陳腐さはどうだろう。そもそもキングギドラの設定は宇宙怪獣で、別の天体の生物って話じゃなかったっけ?

 いいのか、そんなに変えちゃって?

 まあ、物語上、人類を救うべくキングギドラに対抗できるものはゴジラしかありえないとして被曝したゴジラザウルスをより一層狂暴なゴジラとするために原潜を派遣した土屋嘉男とゴジラとの決着は、無言ながら懺悔と陳謝を送る土屋嘉男と、それを受けてみずから決着をつけようとするゴジラの見つめ合いは、それなりの意味をもたせてるんだろうけど、ちょっとね。

 いや、もうゴジラの暴走は止まらないんだろなあ。

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ゴジラvsビオランテ

2014年09月11日 11時57分25秒 | 邦画1981~1990年

 ◇ゴジラvsビオランテ(1989年 日本 105分)

 英題 Godzilla vs. Biollante

 staff 原案/小林晋一郎 脚本・監督/大森一樹 特技監督/川北紘一 撮影/加藤雄大 美術/育野重一 特撮美術/大澤哲三 ビオランテ・デザイン/米谷佳晃、松原裕志、横山宏、西川伸司、大澤哲三 音楽/すぎやまこういち 編曲/デビッド・ハウエル ゴジラ・テーマ曲/伊福部昭

 cast 田中好子 小高恵美 沢口靖子 久我美子 鈴木京香 松川裕美 相楽晴子 斉藤由貴 伊倉一恵 三田村邦彦 高嶋政伸 上田耕一 豊原功補 永島敏行 峰岸徹 金田龍之介 高橋幸治 デーモン小暮

 

 ◇特撮とボク、その53

 1984年に復活を遂げたゴジラがどうして5年間も製作されなかったのかわからないけど、ともかく、この作品は数あるゴジラシリーズの中ではヘドラと並んで異色だ。ヘドラは半分子供騙しなところがあって、やけにサイケデリックだったりした分だけ損をしてるけど、こちらはそうじゃない。恵まれてる。なにがどう恵まれてるのかは長くなるからやめとくけど、ともかくもゴジラ映画はいついかなるときも愛されてる。

 で、ヴェルレーヌの詩『秋の日のヴィオロン』から取られたっていうビオランテなんだけど、まあ、原案者がそういってるんだから「ああ、そうなんだ~」としかいえないけど、封切られたときから「バイオロジカルな怪獣だからやっぱりバイオロジーから取ってバイオランテっていうんだろな~」と固く信じてたもんだから、命名の理由を知ったときには「あらら」とおもってしまった。

 ま、それはおいといて。

 米国のバイオメジャーだのサラジア共和国だのといった連中のG細胞争奪戦がちょっとばかりめんどくさいのと、開発された抗核エネルギーバクテリア (ANEB) がゴジラの体内の核物質を食べるバクテリアでこれを打ち込めば斃すことができるかもしれないってのはいいんだけど、核兵器を無力化する兵器にもなるもんだから世界の軍事バランスを崩しちゃうかもしれないって話になってきて、またもやバイオメジャーが動き出してうんぬんってな展開になるともうまだるこしくてたまらなくなる。そこへもってスーパーX2だの精神開発センターの超能力少女だのって、ああ、もうそういう枝葉を広げるようなことはしないでよってな話になってくる。

 どうしてビオランテとその周辺だけに集中できないんだろ?

 亡くした娘の細胞と薔薇とを融合させたものの、死ぬかもしれないのでさらにG細胞を融合させたら、とんでもない怪物が出来上がっちゃったんだけど、どーしようって話で充分なんだけどな~。

 ただ、この作品はかなりこれ以降のゴジラシリーズを方向づけてしまった観があって、子供たちをひっぱるためと東宝シンデレラを存続させるためっていう、なんだか下世話な理由が見え隠れする超能力をもった少女の登場と、メーサーだけで充分なのに次々に新開発される兵器の登場は、シンプルな怪獣映画を望んでいる者をげんなりさせたんじゃないかっておもうんだけど、それってぼくだけなんだろか?

 あ、とはいえ、上田耕一がゴジラの新シリーズの「顔」になるっていう方向づけは好いけどね。

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ゴジラ(1984)

2014年09月10日 20時22分31秒 | 邦画1981~1990年

 ◎ ゴジラ(1984年 日本 103分)

 英題 The Return of Godzilla

 staff 製作・原案/田中友幸 協力製作/田中文雄 監督/橋本幸治 特技監督/中野昭慶 脚本/永原秀一 撮影/原一民 美術/櫻木晶 ショッキラス&スーパーXデザイン/井上泰幸 コンピュータグラフィックス/土屋裕 映像協力/坂田俊文 特別スタッフ/竹内均、青木日出雄、大崎順彦、クライン・ユーベルシュタイン、田原総一朗 助監督/大河原孝夫 音楽/小六禮次郎 主題歌/ザ・スター・シスターズ、作詞:リンダ・ヘンリック、作曲編曲:小六禮次郎 挿入歌/沢口靖子、作詞:荒木とよひさ、作曲:三木たかし

 cast 小林桂樹 田中健 沢口靖子 宅麻伸 小沢栄太郎 内藤武敏 金子信雄 加藤武 鈴木瑞穂 織本順吉 御木本伸介 小泉博 村井国夫 佐藤慶 かまやつひろし 森本毅郎 石坂浩二 武田鉄矢 夏木陽介

 

 ◎特撮とボク、その52

 放射能を中和するカドミウム溶液弾って、なんだ?

 という疑問は浮かぶものの、それ以外ではまあなんの違和感もなく、ひさしぶりにまともなゴジラに再会できたって感じはしてる。物語の設定としては、1954年から30年ぶりに現れたことになってるけど、オキシジェン・デストロイヤーによって東京湾の藻屑になった初代の次に、二代目がアンギラスと戦ってるわけだから、ゴジラの正当な設定を考えるなら、氷山に埋もれていたゴジラでなければならないはずが、大黒島の爆発によって目覚めたのではないかという推論がなされるのはちょっとおかしいような気がするんだよね。

 で、ゴジラが静岡県の井浜原発を襲うんだけど、原子力をエネルギーにするって、なんだ?

 という次なる疑問が浮かぶ。ゴジラって、原水爆の実験によって目覚めたものの、それで巨大な爆発で目が覚めて、放射能を浴びたせいで突然変異をひきおこして巨大化したんじゃなかったっけ。となれば、ゴジラが放射能を必要とするようになったのは、生きるための栄養源として体内に放射能を蓄積させておかなくちゃいけなくなっちゃったからなんだろうか。で、ときどき熱線として噴出させることもあるわけなんだろうか。そのあたりの疑問がどうしてもぼくには解けない。今回もまた解けなかったんだけど、ただ、ゴジラの場合、移動していくときに微量な放射能は残していくんだけど、それはどうやら人体にはさほど影響がない被曝量ってことかしらね。それはたぶんそうで、フナ虫は数百倍に巨大化してショッキラスっていう怪物にはなっちゃってるけど、人間はそうでもないらしい。

 でもって、ゴジラの帰巣本能って、なんだ?

 ゴジラはそもそも水爆実験によって目覚めたんだけど、そのとき帰巣本能によって呉爾羅大明神として祀られていた小笠原諸島の大戸島へやってきた。それは水爆の恐ろしさから逃げるためでもあったかもしれないし、島民を頼ったつもりが怪獣の襲来とされてしまい、ついには骨にされてしまったのかもしれないんだけど、ともかくも、ゴジラが帰巣するとすれば大戸島かビキニ環礁しかありえない。にもかかわらず、なんで帰巣本能を刺激されて三原山に誘い出されるのか、ぼくにはよくわからない。

 まあ、そんな疑問は浮かぶものの、あくまでも非核三原則を前面に打ち出した日本政府の姿勢は好しとしたいし、すぐにアメリカのせいにしたがるソ連の横暴さもあんなものだろうし、核ミサイルの脅威を感じる部分もちゃんと描かれてるし、いちばんの疑問のカドミウム溶液弾なるもので動かなくなっていたゴジラが核ミサイルが粉砕された際の放射能の放射によって蘇生するっていうのもわかるんだけど、それじゃあ日本の国土はかなり放射能に見舞われてるんじゃないかっていうさらなる疑問も残ったりする。どうにもこうにも、ゴジラのシリーズにおける放射能の扱いはちょいときつい。

 さらにいえば、三原山の火口に消えていくゴジラってどうよっていう気にもなる。ラドンがそれで斃されてるんだからゴジラはもうちょい別な最期を考えてほしいっておもうのはダメなのかしらね。ただ、ゴジラの造形はかなりの部分、初期に戻されてるんで、それはそれでよかったけど、やっぱり眼がかわいいんだよな~。

 いずれにせよ、ここでゴジラはある程度、完結してるわけだから、この後、昭和時代とおなじようなシリーズ化がされたのは少しばかり残念ではあるんだけどね。どうせならミレニアムまで飛ばしてほしかったかも。

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血を吸う薔薇

2014年09月09日 03時06分12秒 | 邦画1971~1980年

 ◎血を吸う薔薇(1974年 日本 83分)

 staff 監督/山本迪夫 製作/田中文雄 脚本/小川英、武末勝 撮影/原一民 美術/薩谷和夫 助監督/小栗康平 音楽/眞鍋理一郎

 cast 黒沢年男 望月真理子 太田美緒 荒牧啓子 桂木美加 田中邦衛 竹井みどり 麻理ともえ(阿川泰子)

 

 ◎特撮とボク、その51

 中学3年生のとき、田舎の東宝系封切館はもはや閑古鳥が鳴いてて、かろうじて『日本沈没』は行列ができていたものの、ほかの作品はいつ出かけていっても楽勝で入れた。そんな時代、洋画は『エクソシスト』が世の中を席捲してて、ご多聞にもれず、ぼくも都会のどでかい銀幕に観に行った。けど、わざわざ邦画のために県庁まで出かける気にはなれず、観てもいいかなとおもうものがあれば、地元の封切館に出かけてた。この作品もそのひとつだ。

 当時はちょいとばかり生意気になってたものだから、岸田森がヴァッと牙を剥いても「ぷっ」とか反応してたけど、実はそれなりに怖かった。というより、けっこうおもしろかった。で、あらためて観直せば、要するに娯楽映画としてちゃんとできてるんだよね。いや、八ヶ岳をのぞむ長野県字魔ヶ里村の駅へ黒沢年男が降り立つ冒頭からして、いかにも映画然としてる。きわめてオーソドックスな撮り方で、山本迪夫という監督は前作でもそうだったけど、カット割りが実に落ち着いてる。後に2時間ドラマをたくさん撮ったらしいけど、わかりやすい撮り方が好まれたんだろね。

 物語の展開は、前作『血を吸う眼』よりも巧妙で、前作のように湖のほとりと能登半島っていう距離がない分、恐怖が集中されてて好ましい。ただ、200年前に流れ着いた宣教師とかっていうんなら海辺の町にしないとあかんのじゃないの?とかおもうんだけど、それはまあ置いておこう。この200年前の棺を前にして田中邦衛が伝説を語り始めるあたりから話はだんだんおもしろくなる。なんだか洋画みたいな導入で、ぼくとしては好みだ。

 それにしてもみんな若いこと。

 邦さんもなんとなくぎらぎらしてていい感じだし、岸田森はやっぱり吸血鬼をやらせたら右に出る役者はいないし、学長夫人の桂木美加も綺麗だったし、竹井みどりも吸血鬼の最初の奥さんにさせられちゃう農家の娘ながら存在感はそれなりにあった。でも、なんといってもヌードにさせられることを怒った麻里ともえ、じゃなくて望月真理子(眞理子)だ。当時、ぼくは望月真理子が好きだった。ていうか「どことなく薄幸そうなんだけど可憐で健気なお嬢さまタイプ」が好みで、それは今も昔も変わらないんだけど、まあ、この時代の憧れのお姉さんだった。それがテニスとかしてて、女子寮に入ってて、しかもちょいと渋めの年上男を好きになっちゃったりするんだから、あ~あとかいう溜め息をついて銀幕を眺めてた。

 ところで、プロデューサーの田中文雄さんなんだけど、この後『惑星大戦争』でとんでもない企画に参加するものの、どうにも恐怖映画が好きだったみたいだね。小説も『魔術師の棺』だったか、いろいろと書いてるし、ある意味、当時の邦画界では特異な存在だったんじゃないかしら。

 ただ、恐怖映画はどんどんと映像がエスカレートして、恐怖というよりもゲテモノ志向っていうか、白塗りや血糊ばかり目立つようになってきてる気がしてならないんだけど、そんなことないのかしらね。まあ、この作品は、たしかに古色蒼然とした怪奇映画ではあるんだけどさ。

 岸田森を継げる役者って、誰なんだろね?

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呪いの館 血を吸う眼

2014年09月08日 10時50分27秒 | 邦画1971~1980年

 ◇呪いの館 血を吸う眼(1971年 日本 81分)

 英題 Lake of Dracula

 staff 監督/山本迪夫 製作/田中文雄 脚本/小川英、武末勝 撮影/西垣六郎 美術/育野重一 衣裳/後藤信義 メイクアップ/高橋勝三 音楽/眞鍋理一郎

 cast 藤田みどり 高橋長英 江美早苗 岸田森 大滝秀治 桂木美加 立花房子 高品格

 

 ◇特撮とボク、その50

 当時、というのは1970年の前後のことだけど、恐怖映画が流行ってたような気がする。もっとも、その頃、ぼくは小学校の高学年から中学生くらいだったから、たしかなことはいえないんだけど、たぶん、流行ってた。怪獣映画ばかり見てたぼくが、友達と連れ立って恐怖映画を観に行ったのがこの時代だから、おそらく、そうだ。どれも怖かったっていう印象だけがある。東宝作品ではぼくの記憶はたったひとりの役者に凝固されてる。そう、岸田森だ。

 岸田森ほど、B級吸血鬼の似合う役者はいない。と、ぼくは今でもおもってる。『怪奇大作戦』でも妙に傾斜した科学捜査員を演じてたし、誰にも真似のできない異常な雰囲気を漂わせてた。その異常さを逆手にとったのが『傷だらけの天使』だったけど、それはさておき、東宝特撮映画に出てくる岸田森はともかく怖かった。牙をはやし、青白い肌をし、ヴァッと吐息まじりに叫ぶところなんざ、まじに怖かった。

 で、その岸田森が吸血鬼役をやってるのがこの作品とこの次の作品『血を吸う薔薇』だ。どちらがどうということはないけれど、好みからいえば、ぼくは実は後者だ。まあ、どちらもゴシック・ホラーていうジャンルに分類されるらしい。

 さて。この『血を吸う眼』は幼い頃のトラウマが大きな要素になってる。少女だった藤田みどりの網膜に、吸血鬼に血を吸われた蒼白な女性と口から鮮血を滴らせた岸田森が焼きついてて、その記憶が蘇ることにより、事件の鍵が幼い頃に過ごした能登半島にあるっていう展開になってる。

 ただ、問題は現時点における場所がどこかってことだ。これが特定されてないものだから、話がちょいとこんがらかってくる。湖があるみたいだから河口湖か山中湖あたりが想定されてて、高橋長英は三多摩あたりの病院に勤務してるってことになってるんだろうけど、これがはっきりしないものだから、能登半島って聞かされてもなんだか唐突な感じがするんだよね。

 ところで、江美早苗はとっても綺麗だ。桂木美加も立花房子も綺麗なんだけど、やっぱり江美早苗の人形のような美しさにはちょっと届かない。特徴がないといえばそうかもしれないし、アクの強さが足りないといわれればそうともいえるかもしれないんだけど、ぼくは好みだな~。

 ひとつおもったのは、この題名のつけ方の悪さかしらね。

『呪いの館』っていわれても館がどこの館なのかはっきりとしていなくて、たぶん、能登半島の館のことなんだろうけど、ほとんど舞台になってないし、その館に呪いがあるのかどうかってこともよくわからない。たしかに大滝秀治が岸田森の父親で、なんで自分の息子が吸血鬼になっちゃったのかって説明も足りないし、最後に足をひっぱって階段から突き落とすのはいいとしても日記を書いてた手が腐るくらい時間が経ってるはずなのになんで生きてたのという疑問は残るし、折れた手すりが杭になって胸を突き刺すっていう偶然で大団円になるのは都合よすぎるだろともおもう。そのあたりの肝心なところの展開がなんとも陳腐で、題名とそぐわない。

 それと『血を吸う眼』っていう語呂が悪くない?

 眼って「まなこ」って読むのかしら。だったら好いんだけど、もしも「め」って読ませるんならあまりにも日本語の題名としては弱いんだよね。まあ、ぼくとしては「ちをすう、まなこ」と読むことにしてる。怒られちゃうかしら?

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惑星大戦争

2014年09月07日 12時52分53秒 | 邦画1971~1980年

 △惑星大戦争(1977年 日本 91分)

 英題 The War in Space

 staff 監督/福田純 特技監督/中野昭慶 原案/神宮寺八郎(田中友幸)

     脚本/中西隆三、永原秀一 撮影/逢沢譲 美術/薩谷和夫 音楽/津島利章

    『宇宙防衛艦轟天』デザイン・造形/井上泰幸

    『金星大魔艦』原案/井上泰幸、デザイン/鯨井実

 cast 森田健作 沖雅也 池部良 平田昭彦 大滝秀治 中山昭二 宮内洋 山本亘 新克利

 

 △特撮とボク、その49

 なんでこの映画を封切りで観たのかどうにもふしぎなんだけど、

 とにかく観ちゃった。

 しかも、百恵ちゃんの『霧の旗』が併映だったもんだから観ちゃった。

 ところが、当時どんな感想を持ったのかまるでおぼえてない。

 そりゃそうだろう、すぐ後に『スター・ウォーズ』が封切られたんだから、

 そこらの便乗作品の記憶はなにもかも消し飛んじゃうよね。

 まあそれに、

 当時の『海底軍艦』の宇宙版っていう触れ込みはまるで知らなかったし、

 日米の特撮技術はもはや月と鼈に成りつつあって、

 日本の特撮映画への期待はなくなり、興味もうすれはじめてた。

 ぼくにとって、70年代~80年代はそんな時代だった。

 まあ実際のところ、

 この作品で観るべきものは、

 マンモス・鈴木の宇宙獣人に首輪鎖でひったてられた浅野ゆう子のボンデージ姿しかない。

 宇宙青春ドラマになっちゃいそうな森田健作と沖雅也のやりとりとか相当つらいし、

 なんで宇宙人の建造した宇宙船が古代ローマのガレー船なんだよって話すらしたくないし、

「君は浅野ゆう子の太腿を見たか!」

 という宣伝コピーでなかったのがふしぎなくらいだ。

 だってさ、物語では描かれなかったけど、

 わざわざ戦闘服を引っ剥がされてボンデージファッションを着せられるくらいだから、

 もはや宇宙獣人にどんな目にあわされてるかは想像がつくじゃんね。

 ま、

 そんなことよりなにより、なんでこの時代になってもなお、

 宇宙戦艦ヤマトも宇宙防衛艦轟天も最後は特攻になっちゃうのかしら?

 溜め息でちゃうわ。

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メカゴジラの逆襲

2014年09月06日 11時28分39秒 | 邦画1971~1980年

 ◇メカゴジラの逆襲(1975年 日本 83分)

 英題 Terror of Mechagodzilla

 staff 監督/本多猪四郎 特技監督/中野昭慶 脚本/高山由紀子

     撮影/富岡素敬 美術/本多好文 音楽/伊福部昭

     メカゴジラ&チタノザウルス・デザイン/井口昭彦

 cast 藍とも子 平田昭彦 佐原健二 中丸忠雄 睦五郎 大門正明 麻里とも恵(阿川泰子)

 

 ◇特撮とボク、その48

 本多猪四郎の最後の監督作品である。

 というのも、

 これ以降、いのさんは黒澤明の監督補佐となって、

 黒澤明の晩年の作品をささえていくことになるからだ。

 だからそれなりに気合を入れて観たんだけど、ね。

 まあ、つきつめた感想はできるだけ書かずにおこう。

 けど、ちょっとだけ。

 いちばんおもうのは、編集し過ぎなんじゃないかしらってことだ。

 83分という怪獣映画の宿命のような短さは、

 どうしても刈り込まないといけないんだけど、

 それにしても、

 モンタージュにすらならないような独立しちゃったカットが多発して、

 なんとも残念なことに目まぐるしい。

 藍とも子だけが妙に独立した感じにおもえるのはそのためかもしれないんだけど、

 ただ、彼女はふしぎな魅力があるから、それでカットが目立つってこともあるだろう。

 当時、藍とも子は『ウルトラマンレオ』のMAC隊員で、映画はこれがデビューだ。

 子供たちにとっては、なかなかどきゅんどきゅんくるお姉さんで、

 サイボーグ手術を施されるとき、作り物とはいえおっぱいが見える。

 ゴジラのシリーズでは唯一無二の乳房カットで、

 これは、いかんです、子供にとって。

 ま、それは余談だからいいんだけど、

 この作品、あまりにもゴジラの登場場面が少ない。

 チタノザウルスと狂った化学者父子の葛藤が中心になってて、

 事件をおいかける側に悪役顔がそろってるもんだからなおさら平田昭彦が主役に見える。

 そういえば、佐原健二のあつかいがちょっと気になる。

 クレジットもなんだか大部屋並みの扱いで、

「これは、ないだろ」

 とおもっちゃうくらいだ。

 ゴジラの話に戻るんだけど、筋立てからするとゴジラは完全な脇役で、

 どんなふうに登場し、暴れ、撃たれ、去っていくのかっていう、

 肝心なところがなんともおざなりなあつかいをされてるんだよね。

 もしかしたら全編の中で10分程度の出演なんじゃないかって感じまでする。

 あ、それと、なんで見得を切るのかね?

 怪獣が見得を切るようになっちゃおしめえよって誰もいわなかったんだろか?

 いちばん悲しかったのは、子供が2人、いきなり登場してくることだ。

 なんの関係もないのになんだか出てきて、

 タツノオトシゴの親戚みたいなチタノザウルスに踏みつぶされそうになって、

「ゴジラ、助けて」

 とかいうと、ゴジラが突進してきて庇ってくれたりするんだけど、

 この脈絡のないカットの挿入は、当時の子供に迎合しているのがありありで、

 もう観ていて溜め息がおもわず出ちゃうくらいに悲しい。

 そういう一連のことにくらべて、音楽はさすがにたいしたものだ。

 ひさびさの伊福部昭で、ぼくらの魂をゆさぶってはくれるんだけど、

 ただ、画面といまいち噛み合わない。

 予告編はそれなりに音と絵が合致して、かなり興奮する仕上がりなんだけどね。

 なんにせよ、

 これがいのさんの最後の監督作品ってのは、ちとさみしい。

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ゴジラ対メカゴジラ

2014年09月05日 13時18分53秒 | 邦画1971~1980年

 △ゴジラ対メカゴジラ(1974年 日本 84分)

 英題 Godzilla vs. Mechagodzilla

 staff 原作/関沢新一、福島正実 監督/福田純 特技監督/中野昭慶

     脚本/山浦弘靖、福田純 撮影/逢沢譲 美術/薩谷和夫

     キングシーサー・デザイン/井口昭彦 音楽/佐藤勝

     主題歌/ベルベラ・リーン『ミヤラビの祈り』『メカゴジラをやっつけろ』

 cast 大門正明 田島令子 平田昭彦 小泉博 佐原健二 岸田森 睦五郎 草野大悟

 

 △特撮とボク、その47

 ようやくゴジラシリーズの迷走も終わりを告げるかと、やや期待した。

 というのも、メカゴジラはある意味画期的なものだったからだ。

 くわえて、こまっしゃくれたがきんちょが登場しないということや、

 往年のシリーズをささえてきた役者たちの内3人が復帰することもあり、

 もしかしたら原点へ回帰しようという覚悟のあらわれなのかとも感じられた。

 ところが、どうだろう。

 出てきちゃったよ、キングシーサー。

 いくらなんでも米軍が上陸して悲惨な戦闘をくりひろげた沖縄だよ、

 そこの聖獣にして古代琉球はアズミ王族の守護神という設定なのに、

 なんでキングとかって英語がついてんだろね?

 くわえて、

 唐突に登場するインターポールといい、ブラックホール第三惑星人といい、

 当時流行りの単語を使いたがる東宝特撮映画の悪いところが大手をふって登場し、

 怪獣とはなんにも関係なさそうな活劇が盛り込まれてくるのは、

 ちょっと勘弁してほしかったりするんだよね、実は。

 ところで、この頃は沖縄が返還されてまでそんなに月日も経ってなくて、

 海洋博とかが開催されたりして沖縄の注目度は抜群に上がってた。

 でも、結局は、うちなんちゅの作った物語でないことは、

 キングシーサーのありようからしてありありとうかがい知れるわけで、

 こういうところ、

 やまとんちゅの考えはちょいとばかり浅かったんじゃないかしら。

 くわえて、

 いつまでも正義の味方でいるゴジラやアンギラスの、

 なんとも情けない設定がここでも続けられていることに、

 いいしれない悲しみをおぼえてしまうのだよ、ぼくは。

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ゴジラ対メガロ

2014年09月04日 16時34分24秒 | 邦画1971~1980年

 △ゴジラ対メガロ(1973年 日本 82分)

 英題 Godzilla vs. Megalon

 staff 原作/関沢新一 監督・脚本/福田純 撮影/逢沢譲

    美術/本多好文 特殊技術/中野昭慶 音楽/眞鍋理一郎

    主題歌/子門真人

        『ゴジラとジェットジャガーでパンチ・パンチ・パンチ』『メガロをやっつけろ』

 cast 佐々木勝彦 林ゆたか 森幹太 富田浩太郎 大月ウルフ 川瀬裕之 中島元

 

 △特撮とボク、その46

 いくらなんでも伊吹吾郎っていう役名はないだろうに。

 伊吹吾郎は、

 1966年に第7期生東宝ニューフェイスとなって、東宝俳優養成所に入ってる。

 1968年にはフリーになって、テレビドラマ『さむらい』でデビューした。

 さらには、1969年、ぼくも読んでたさいとうたかをの劇画『無用ノ介』のテレビ化で、

 堂々の主役に抜擢されてる。

 つまり、1973年の時点ではテレビや映画に活躍してるわけで、

 それとおんなじ役名が東宝の35ミリ映画の主役に使われるなんて、ちょいと考えられない。

 それだけ、砧の地は、世間と隔絶してたってことなんだろか?

 そうかもしれない。

 特撮映画というだけでなく、この時代は邦画の全体が時代遅れになってた。

 映画会社や撮影所そのものが弛緩した状態に追い込まれてた。

 斜陽化のせいだとみんなが口をそろえるけど、はたしてそうなんだろうか?

 まあ、そのあたりの分析はおいといて、

 団塊の世代に幼稚園児を観客に想定したような映画作りは、

 そもそも無理があったんじゃないかしら?

 というより、

 観客層を下げざるを得なかったことが、もはや末期的な症状だったんじゃないかと。

 カブト虫の化け物メガロがどうして海底王国の怪獣なのかも理解ができないし、

 正義の怪獣ゴジラを迎えに行くのが役目のようなジェットジャガーって、

 いったいなんなのかわかないどころか、

 ウルトラマンの造形を忘れちゃったの?と聞きたくなるようなデザインだし、

 レムリア大陸だの、シートピア海底人だのといった名称については、

 言及するのも疲れちゃいそうになる。

 かつて、

 たとえば、因習深い東北の地において婆羅陀魏山神を創り上げ、

 なんといっても、小笠原諸島大戸島の呉爾羅大明神を創り上げた東宝が、

 どうして、20年後にメガロを作ってしまうのかが、ぼくにはまるでわからない。

 やっぱり、円谷英二の死と渡辺明の引退が、大きく影を落としてるんだろうか?

 ともかく、ヒロインすら出てこない映画ってあるのかしらと、

 ぼくにとっては、苦行のような鑑賞だったわ。

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地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン

2014年09月03日 23時31分34秒 | 邦画1971~1980年

 △地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン(1972年 日本 89分)

 英題 Godzilla vs.Gigan

 staff 監督/福田純 脚本/関沢新一

     撮影/長谷川清 美術/本多好文 特殊技術/中野昭慶

     ガイガン・デザイン/水氣隆義 音楽/伊福部昭

     主題歌/石川進『ゴジラマーチ』『ゆけ! ゆけ! ゴジラ』

 cast 石川博 梅田智子 菱見百合子 西沢利明 村井国夫 清水元 葦原邦子 中村是好

 

 △特撮とボク、その45

 なんだ、ひし美さんが出てるんだったら、名画座で観とけばよかった。

 ていうか、ひし美ゆり子が出演しているという以外に、

 この作品について語るべきものはなにもないような気がするんだけど、

 こういうことをいったら怒られるんだろうね。

 ちなみに、

 ひし美さんが菱見百合子からひし美ゆり子に改名したのは、

 この作品が封切られた半年後で、

 東宝を退社してフリーになると同時だったらしい。

 おでこをだしたアップにして、鬢をくるくるとカールさせるのは、

 ちょうどこの頃に流行った髪型だ。

 昔の写真を見ると、うちの母親も当時はほとんどこのセットをしてる。

 ま、そんなことはともかく、

 不良怪獣ガイガンの名前の由来は、

 石原裕次郎たちの日活青春路線、つまりナイスガイだって話だけど、

 ほんまかいな?

 当時から「なんだよ、サングラスした怪獣って」とはおもったものの、

 不良やチンピラの必須アイテムを怪獣にしちゃうところで、

 すでに東宝っぽくないんだよな~。

 ただ、このガイガンは正確にいえばアンドロイド怪獣のようで、

 ゴキブリ星人もといM宇宙ハンター星雲人が人工的に造ったものなのね。

 知らんかったわ。

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怪獣大奮戦 ダイゴロウ対ゴリアス

2014年09月02日 01時29分31秒 | 邦画1971~1980年

 △怪獣大奮戦 ダイゴロウ対ゴリアス(1972年 日本 85分)

 staff 監督/飯島敏宏 脚本/千束北男(飯島敏宏)

    撮影/稲垣涌三 美術/池谷仙克 視覚効果/飯塚定雄

    特殊技術/大木淳、中野稔 音楽/冬木透

    主題歌/子門真人、荒川少年少女合唱隊『ダイゴロウ対ゴリアス』

    挿入歌/桜井妙子、スタジオ・シンガーズ『ララバイ オブ ダイゴロウ』

        子門真人『ぼくのおじさん』『そしてエピロオグ』

 cast 犬塚弘 三波伸介 小坂一也 小林昭二 浜村純 小松政夫 天地総子 田坂都 人見きよし

 

 △特撮とボク、その44

 実は、ぼくはこの映画をまったく知らなかった。

 そういえば、ハラペコ怪獣とかいうのがいたな~という記憶はあるんだけど、

 それがどんな怪獣だったのか、まったく見当もつかなかった。

 まあ、むりもないよね。

 この作品が封切られたのは、ぼくが中学1年生の冬休みだったんだから。

 当時、ぼくはかなりなませがきで、

「子供向けの怪獣映画はもういいわ」

 というようなことをうそぶく青二才だった。

 背伸びしようとおもってたわけじゃないけど、

 ちょっとずつ大人になっていこうとしている真っ最中で、

 小説もちょいと背伸びして江戸川乱歩全集や横溝正史全集を買うのが楽しみだったりした。

 文庫本は創元推理文庫を手にとったり、ハヤカワポケットミステリを買ったりして、

 いっぱしの小説読みのような気になり、

 映画も洋画を観に行き出したりして、特撮映画からは足を洗ったような感じだった。

 こういう突っ張った時代は数年しか続かず、

 結局、大学に入ってからは特撮映画をむさぼるように観に行ったりしたんだけど、

 そうした数年間の穴ぼこの時代に、この作品が封切られた。

 だからまるで知らなかったんだけど、

 とはいえ、当時、この作品を観ていたとしても、好印象はあまり持てなかっただろう。

 子供向けってことは、犬塚弘の発明おじさんの設定でよくわかるんだけど、

 ダイゴロウに身を入れて食糧を買い与えてやろうと奮発する三波伸介のちょっと理解できない。

 長屋住まいの気の好い鳶職ってのはわかるものの、

 それじゃあ人情物の時代劇だよ~ってくらい、なんだが時代がアンバランスだ。

 子供たちが映画を観たとき、三波伸介とその周辺の人々はどんなふうに感じられたんだろう?

 たしかに三波伸介は芸達者で、ここでもいい味を出してるんだけど、

 それだけに、なんだか浮いちゃっててかわいそうな気にもなる。

 これは役者たちみんながそうで、なんだか無理してないか?と。

 ともかく、

 このカバとムーミンを足して怪獣の背中をくっつけたようなダイゴロウは、

 ぼくにとっては辛い怪獣のひとつになった気がするんだよね。

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ゴジラ対ヘドラ

2014年09月01日 12時42分15秒 | 邦画1971~1980年

 ◇ゴジラ対ヘドラ(1971年 日本 85分)

 英題 Godzilla vs Hedorah

 staff 原案・監督/坂野義光 特殊技術/中野昭慶 脚本/馬淵薫、坂野義光

    撮影/真野田陽一 美術・ヘドラデザイン/井上泰幸 音楽/真鍋理一郎

    主題歌/麻里圭子withハニー・ナイツ&ムーンドロップス『かえせ!太陽を』

        作詞:坂野義光、作曲:眞鍋理一郎、編曲:高田弘

 cast 山内明 木村俊恵 柴本俊夫 吉田義夫 岡豊 渡辺謙太郎 岡部達 勝部義夫

 

 ◇特撮とボク、その43

 少年の時代、この作品が、最後に観た怪獣特撮映画になった。

 その後は『日本沈没』だの『ノストラダムスの大予言』だのと、

 おなじ特撮物でもじゃっかん観客層の異なるものは観たんだけどね。

 でも、上記2本の作品とこの『ゴジラ対ヘドラ』は相通ずるものがあって、

 ぼくとしては、ちょっとだけ贔屓にしてる。

 ゴジラ(呉爾羅)という怪獣をおもうとき、

 ジュラ紀から白亜紀にかけて稀に生息していた海棲爬虫類と陸上獣類の中間生態を持つ生物で、

 原水爆の実験さえなければ、小笠原諸島大戸島の荒魂はこんな化け物にはならなかったはずだ。

 またヘドラという怪獣をおもうとき、

 日本中に垂れ流されていたヘドロに宇宙から飛来してきた鉱物が混ざり、

 きわめて稀な化学反応をひきおこして生物化し、本能に近い意識まで産んでしまったわけだけど、

 それもこれも日本が公害なんてものを生じさせなければ、

 ヘドラなんていう怪獣は生まれることはなかったはずだ。

 つまり、ゴジラもヘドラも共に人間の我儘と強欲の生み出した怪獣にほかならず、

 この両者に文明や文化が破壊されるのは、いわば、人類に対する自然の復讐でもあったろう。

 とはいえ、

 当時、小学生だったぼくは、そんなことなんかちっとも考えてなくて、

 行ったこともないゴーゴー喫茶なるところは、こんな気持ちの悪いところなのかとおもった。

 今にしてみれば、当時流行のサイケデリックは、

 結局、日本人には合わなかったのかもっておもえる。

 というのも、物語に出てくるゴーゴー喫茶もサイケに近いものであってサイケではなく、

 麻里圭子の歌は凄いようにおもえるけど、

 実はとってもまじめで気恥ずかしいくらいに主張してて、

 いかにもメッセージソングよろしく歌い方も手振りもとっても爽やかだったりするからだ。

 1 ※1水銀 コバルト カドミウム 鉛 硫酸 オキシダン

     シアン マンガン バナジウム クロム カリウム ストロンチュウム

   汚れちまった海 汚れちまった空

   生きもの皆 いなくなって 野も 山も 黙っちまった

   地球の上に 誰も 誰もいなけりゃ 泣くこともできない

   ※2かえせ かえせ かえせ かえせ みどりを 青空を かえせ

     かえせ かえせ かえせ 青い海を かえせ かえせ かえせ

     かえせ かえせ かえせ 命を 太陽を かえせ かえせ

 2 ※1(繰り返し)

   赤くそまった海 暗くかげった空

   生きもの皆 いなくなって 牧場も 街も 黙っちまった

   宇宙の中に 誰も 誰もいなけりゃ 泣くこともできない

   ※2(繰り返し)

 でも、当時のぼくはまだまだがきんちょで、

 怖そうなお姉さんがやけに過激な感じで歌ってた歌がものすごく耳に残った。

 そんなこともあって、いまだにこの歌は歌えるんだから、トラウマなんだろね、きっと。

 ただまあ、

 こういう主張性の強い作品っていうか、アクの強い作品はゴジラ物ではめずらしく、

 ぼくはたしかに贔屓だけれども、当時の東宝の上層部は眉をひそめたんじゃないかって気もする。

 そういう雰囲気に包まれながら制作されたものは、どうしてもどっちつかずになっちゃう。

 そもそも、ゴジラに公害という主題をもってくることが強引だったのかもしれないけど、

 それでもやるんだということになったんなら、

 ゴジラに空を飛ばすとかいった子供の喜びそうな新しい技を繰り出すんじゃなくて、

 子供がゴジラに対して助けを呼ぶような正義の味方物を設定するんじゃなくて、

 もっと悲劇的な世界を追い求めてもよかったんじゃないかともおもったりする。

 たしかにゴジラの腕をへし折られても戦い続ける凄まじさはこの作品にしかないけど、

 それ以前にゴジラはすでに温厚な怪獣さんになっちゃってしまったものだから、

 どうしたところで、ヘドラをやっつけてくれる人類の味方というくくりでしかない。

 そういう点、このサイケなゴジラ映画は、なんとも中途半端なものになっちゃってる。

 ともあれ、ぼくの小学校時代は、この作品と共にほぼ終わった。

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