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ゴジラvsスペースゴジラ

2014年09月15日 14時10分32秒 | 邦画1991~2000年

 △ゴジラvsスペースゴジラ(1994年 日本 108分)

 英題 Godzilla vs. SpaceGodzilla

 staff 監督/山下賢章 特技監督/川北紘一 脚本/柏原寛司 撮影/岸本正広 美術/酒井賢 モゲラ・デザイン/吉田穣 衣裳/斉藤育子 衣裳コーディネイト/出川淳子 音楽/服部隆之 主題歌/デイト・オブ・バース『ECHOES OF LOVE』作詞:NORICO/作曲:重藤功 挿入歌/今村恵子、大沢さやか ゴジラのテーマ/伊福部昭

 cast 橋爪淳 小高恵美 中尾彬 上田耕一 佐原健二 小堺一機 松村邦洋 今村恵子 大沢さやか 吉川十和子 柄本明

 

 △特撮とボク、その57

 簡単にいってしまえば、リトルゴジラとフェアリーモスラが不要。

 ゴジラを友達の仇だとして狙い続けている軍人がいようといまいと、もはや、南洋から日本にかけての一帯が怪獣を中心にした観ようによってはなあなあの楽園と化してしまっている以上、そこに緊迫感はかけらもなくなっている。これは、悲しいことだ。せっかく平成のシリーズにおいてはゴジラの役どころは悪とされていたんだから、それを踏襲すればいいはずが、なぜか、スペースゴジラなんてものが登場してしまうと、どうしてもゴジラは正義の側に立たざるをえなくなる。それは長く続いてしまうシリーズのいちばん憂慮するところだけど、そこへもってさらにゴジラを軟化させてしまうリトルゴジラだの、怪獣映画がファンタジー映画になってしまいかねないフェアリーモスラだのが登場してしまっては、もはやどうしようもない。

 こういう辛さというかジレンマを、どれだけ製作者側は持っていたのか聞きたくなっちゃう。

 この1994年という年は、ガメラが復活した年でもあり、観客層からいえばあきらかにゴジラの方が若かった。というより、幼かった。ガメラは旧大映のつくりだした子供の味方であるという立場をかなぐり捨てて、アトランティスの守護神として登場した。ゴジラは、そういう背景を持たされなかった分、つらい。

 くわえて、この平成シリーズのいちばん微妙な点、つまり、良かったのか悪かったのかわからないという意味での微妙なところは、ゴジラを破壊神であるとかいって、なんだかHERO的な定義をしてしまったことだ。アメリカにおいて『GODZILLA』が制作されることになったため、そのスペルが一般的なものになったとき、日本人の中にGODという意識がいっそう余計に生じちゃったのかもしれないんだけど、とにかくゴジラを祀り上げちゃった。これは、ほんと、良かったのかどうか。

 それと、この平成シリーズにいつも出てくるGフォースとかいう自衛隊の特別編成ゴジラ対策部隊と超能力開発センターなんだけど、これがゴジラのあらたな物語を幼稚にさせてしまったいちばんの理由におもえてならない。Gフォースの新兵器が登場するたびに、それを好きな観客にとっては楽しみなのかもしれないけど、ぼくはいささか減滅したりもする。だったら、ほかに目新しいものを考えられるのかといわれそうだけど、地に足のついた怪獣映画を期待していると、どうしても既存の兵器で人間のちからを押し出してほしいとかっておもっちゃったりするんだよね。

 それと、G細胞の話にばかり食い込んでいくのも、なんだかな~っていう気がしないでもない。ビオランテで設定されたG細胞が延々と続けられ、ついには宇宙怪獣としてのゴジラまで生んでしまうと、もはや歯止めが効かなくなってくるような不安さをおぼえる。

 いったどこまで風呂敷が広がっていくんだろうと。

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