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Kinema DENBEY since January 1. 2007

☆=☆☆☆☆☆
◎=☆☆☆☆
◇=☆☆☆
△=☆☆
▽=☆

父と暮せば

2018年08月09日 12時22分24秒 | 邦画2004年

 ◇父と暮せば(2004年 日本 99分)

 監督/黒木和雄 音楽/松村禎三

 出演/宮沢りえ 原田芳雄 浅野忠信

 

 ◇物語は舞台そのまま

 ほとんど井上ひさしの原作と同じだそうで、浅野忠信が生身で登場するかどうか、図書館が実際の場面になるかどうかってくらいの違いらしい。ちなみに旧市街はCG処理だそうだけれども、でも、それって映画にする必要があったのかどうか。なんだかね、もうひと工夫あってもよさそうな気がするんだけどな。

 それにしても、この国民はとんだ悲劇を背負ってしまったものだとつくづくおもう。

 ぼくは、原爆の投下は誰がどんな理屈をならべて説明してくれたところでそれはアメリカというか白人のいいわけに過ぎず、日本人を黄色い猿か虫けらとしかおもっていなかったからこそ、広島と長崎の大虐殺ができたとおもってるし、それを撤回するようなことはない。もっとも、米軍による大虐殺は広島と長崎のみならず、東京大空襲もそれに匹敵するんだけどね。ま、こんなことはここでは余計な話か。

 宮沢りえも原田芳雄も芸達者だから舞台劇のような演出でも見られるんだけど、でもやっぱり物足りなさはぬぐいきれない。で、これはなんでなんだって考えないといけない。予算だろう。映画会社が原爆の映画に巨大な資金を負担することはほぼない。テレビ局などの媒体もそうだろう。この作品と対になる『母と暮らせば』は、稀有な例だ。ただおもうんだけど、なんでまっこうから原爆の話にしないといけないのかな。別な観点があってもいいよねっておもったりもするんだよね。


世界の中心で、愛をさけぶ

2016年04月28日 22時18分11秒 | 邦画2004年

 ◇世界の中心で、愛をさけぶ(2004年 日本 138分)

 英題 Crying Out Love, in the Centre of the World

 監督 行定勲

 

 ◇女優魂の剃髪

 映画版の長澤まさみもテレビ版も綾瀬はるかも共に剃髪してみせたことには、まじ拍手だ。

 昨今、とかいうとやけに時代がかった物言いだけど、ある時期からアイドルと呼ばれる人たちは丸坊主になることを拒むようになった。それは男女を問わず、役者であるからには当然のことである役にリアリティを持たせることを拒み、あくまでも自分のいつもの髪型を崩さないでほしいというようになった。ぼくはそういうタレントを認めないけど、この作品の場合、映画版もテレビ版も剃髪してみせた。当たり前のことながら、拍手したい気分になる。

 それはそうと、実はぼくはこの作品にはかなり嵌まった口だ。

 とはいうものの、原作はやっぱり読んでいない。

 だから映画とテレビでしか知らないんだけど、さらに実をいうと、ぼくが嵌まったのはテレビ版なんだよね。いやまじ、夢中で観た。毎週毎週楽しみで、ぼくには珍しくそのロケ地まで行きたいとおもった。それは山田孝之と綾瀬はるかがほんとに好い演技をしていたからで、また仲代達矢と三浦友和がしっかりと締めてたからかもしれない。そういうことからいうと、なんとなくこちらの映画版はあっさりしてた。やだわ~テレビに毒されてるわ~ともおもうけど、こればっかりは仕方ない。

 とはいえ、映画もテレビも大きく違うわけではなくて、物語は一緒だし、展開もさほど変わらない。ただ、テレビの方がこの物語は描きやすかったのかもしれないね。ていうより、映画が映画らしくなくて、テレビに近い印象だったような気がしないでもない。もっといえば、ぼくがいちばん苦手な難病物だし、その展開があまりにも通俗的で、ぼくだったらこういう筋立ての物語を作ろうとか考えないだろな~ともおもうんだけど、ほんと、テレビの場合は、ふしぎなことに僕の中でなにかが嵌まった。

 それはたぶんノスタルジーなんだとおもうんだよね。海辺の町で生まれて育ったぼくは、こういう自己陶酔しちゃいそうな高校生活を送ってたし、ことにテレビ版はラストのタイトルバックとかがぼくの体験してきた8ミリ自主製作映画の日々とも微妙に重なったりしてたものだから、おもわず入れ込んじゃうことになった。でも、もしかしたら、こういう観ようによっては陳腐な世界がぼくの世界なのかもしれないんだけどさ。

 ただまあ、世の中、この題名についてはまるで拒否感がなかったんだね。ハーラン・エリスンの『世界の中心で愛を叫んだけもの』から『新世紀エヴァンゲリオン』の最終話「世界の中心でアイを叫んだけもの」に続いてこの『世界の中心で、愛をさけぶ』とかっていう展開、まじありか?とおもうんだけどな~。


雲のむこう、約束の場所

2016年04月12日 22時57分14秒 | 邦画2004年

 ◎雲のむこう、約束の場所 (2004年 日本 91分)

 製作総指揮・監督・脚本 新海誠

 

 ◎1999年、ヴェラシーラ、津軽海峡を越える

 きわめて好きな世界観と物語なので、もはやくだくだと書いても仕方がない。

 青春映画の骨頂はモノローグにある。吉岡秀隆のそれはこの物語に充分抒情性を持たせてくれた。さて、塔がパラレルワールドのこの世界においてさらに別なパラレルワールドの存在であろうと、その塔そのものが眠り姫となっているヒロイン南里侑香の夢のもたらすものであろうと、またそういうパラレルワールドを構築した者が南里侑香の祖父であろうと、そんなことはあんまり関係ない。ぼくはここに展開されている津軽の風物の中で、塔に辿り着きたいという少女の夢を叶えるためにふたりの少年が飛行機ヴェラシーラを作り、しかしその完成も待たず少女は行方知れずとなり、さらには少女が眠り続けていることも最初はわからず、ひとりの少年は少女の夢である塔を見つめることを拒否して上京し、もうひとりはその塔を遙かに望みながらもしかしヴェラシーラと共にあるとかいう設定だけで、もう充分なのだ。

 青春の思い出というものはひとつひとつの忘れられない場面が重なり合って出来ているのだろうけれど、それはこの作品では津軽の鉄道の沿線のさまざまな風物と共にあるのだけれども、こういう風景と一体になれる青春の思い出を持っていられるだけこの主役の3人は幸せというほかなく、それを抱えたまま当時の希望すなわち塔への飛行を具現化させるというだけで、かれらの半生は幸福に満ちているとおもえるんだよね。


北の零年

2014年07月13日 02時11分31秒 | 邦画2004年

 △北の零年(2004年 日本 145分)

 staff 監督/行定勲 脚本/那須真知子 撮影/北信康

     美術/部谷京子 音楽/大島ミチル

     衣装デザイン/宮本まさ江、長岡志寿、真霜和生、佐藤百合香

 cast 吉永小百合 渡辺謙 豊川悦司 石原さとみ 石田ゆり子 鶴田真由 奥貫薫

 

 △明治4年、蝦夷地

 庚午事変(稲田騒動)に絡んだ映画っていうか、

 それによって蝦夷地(北海道)静内へ追いやられた藩士たちの話だ。

 結論からいってしまうと、

 稲田騒動をそのまま描いた方がぼくとしては好みだ。

 なんだか、夫婦の話になっちゃってるていで、

 スペクタクルが感じられない。

 これはこの映画にとっては致命的だ。

 おもいだしたのは手塚治虫の『シュマリ』で、

 もちろん、全然ちがうんだけど、アイヌとなるとどうしてもね。

 たださ~、

 台詞の中で「ゼロから始めよう」みたいなのってなかった?

 明治4年に「ゼロ」はあかんて~。

 そういうのは、プロデューサーや企画が脚本をチェックしないと。

 まあ、そんな細かいことはさておき、

 妙な違和感を感じるのはなんでなんだろう?

 吉永小百合と豊川悦司の純愛にもっていくために、

 渡辺謙の存在がやけに中途半端な描かれ方になってるっていうか、

 そんな感じがした。

 あと、なんていうのかな、群像劇になりすぎてて、

 主人公の内面に迫らないといけないはずが、

 全員に花をもたせるために拡散してるような印象を受けたのは、

 どういうわけなんだろって、素朴な疑問もあったけどね。


タイマグラばあちゃん

2014年07月05日 18時45分58秒 | 邦画2004年

 ◎タイマグラばあちゃん(2004年 日本 110分)

 staff 監督/澄川嘉彦 プロデューサー/菅原淳一、伊勢真一

     撮影/澄川嘉彦、太田信明 音楽/三上憲夫 音響構成/米山靖

     語り/小室等  テーマ曲・編曲/ 吉田俊光『大地の祈り』

 cast 向田久米蔵 向田マサヨ 奥畑充幸 山代陽子

 

 ◎岩手県、早池峰山

 東京オリンピックが催されたのは、昭和39年だった。

 そのとき、この早池峰山に10軒の農家が入植した。

 けれど、その後20年経ったときには、

 たった1軒しか残っていなかった。

 それが、向田家のじいちゃんとばあちゃんだ。

 この作品は、このばあちゃんちを15年間追い続けた記録だ。

 まあ、当初はNHKのドキュメンタリーから始まったとはいえ、

 15年間もひとつの家族を追い続けるのは大変なことだ。

 海外各地でさまざまな賞を受賞したのは、よくわかる。

 この村は日本でいちばん最後に電気が通った村らしいんだけど、

 そんなことは、

 この早池峰の自然と一緒に生きてるばあちゃんには、

 あんまり関係ないのかもしれない。

 タイマグラにはその後、昭和60年になって、

 大阪から若夫婦が入植して、やがて子供も生まれた。

 みんながまるで家族のように静かにつきあって暮らしてる。

 映画が完成したときにはじいちゃんはいなくなっちゃってるし、

 ばあちゃんもそれからまもなくいなくなったそうだ。

 でも、じいちゃんやばあちゃんの暮らしぶりを観てると、

 ばあちゃんの口癖の「極楽だあ」っていうのが、しみじみわかる。

 ぼくが早池峰山のふもとにいったのは、かれこれ、30年ちかく前だ。

 早池峰山を眺めたとき、この向田さんちは、すでに入植してた。

 そのときはなんにも知らずにいたんだけど、

 あらためてこの映画を観ると、

 今でも「お農神さま」などの神々が、

 そこかしこにいそうな気のする山におもえた。

 岩手県下閉伊郡川井村江繋タイマグラはそんなところである。


リアリズムの宿

2014年06月14日 13時58分07秒 | 邦画2004年

 ◇リアリズムの宿(2004年 日本)

 なるほど、リアリズムかもしれない。

 なまなましい映像と台詞回しは、なにやら迫真性すら感じる。

 ただまあ、いつの時代なのかちょっとぼんやりした感じがするのは、

 つげ義春の「旅」物が発表されたのが、昭和40年代だからだろう。

 もちろん、冒頭、携帯電話が一般に普及してるわけだから、

 昭和なわけはないんだけどね。

 もっとも、

 まだ大学生臭の抜け切らない脚本家と映画監督の青臭い会話は、

 昭和50~60年代の大学生の自主製作映画的な世界観があって、

 ぼくとしてはえもいわれぬ好感を抱いた。

 ただ、

 性格付けも、ふたりの間をただよう微妙な距離感は、

 要するに間の取り方が見えてこない居心地の悪さというやつで、

 なるほど、リアルだな~とは感じたものの、

 山間の宿で金を巻き上げられるくだりや、

 あまりにも薄汚くかつ切な過ぎる生活臭たっぷりの民宿のくだりになってくると、

 どうにも生理的なリアルさはあるものの、設定にリアルを感じなくなり、

 つげ義春という作家の思考が色濃く感じられてくる。

 それはそれでいいんだけども、

 つげ義春の持っているリアルでありながら決してリアルでない世界は、

 こうして実際の人間の演じるドキュメンタリー調の映像作品になってみると、

 妙にすんなり受け入れられちゃうような気もするからふしぎだ。

 それが、山下敦弘の演出力や、向井康介の脚本力かもしれないし、

 長塚圭史と山本浩司の妙にリアルな演技によるものなのかもしれない。

 すげーなこれはと感じたのは、

 尾野真千子の登場するカットで、

 おもいきり引いた逆光気味の砂丘の波打ち際で、

 パンティ一枚の彼女が手前からフレームインしてくるんだけど、

 半裸という衝撃的な出会いが打ち消されてしまうくらい、

 砂と波と光の凄まじさが伝わってきてた。

 尾野真千子が謎の女であればあるほど、

 彼女を中心にしてふたりの自主製作映画人の過去や現実が見えてきて、

 それはたとえば、

 童貞であったり同棲してたのが別れたとかいう事実だったりするんだけど、

 問題の謎の女については謎のまま突然現れ、やがて突然蒸発する。

 次の登場が、

 これまた現地の女子高生という突飛な結末に飛ばされるわけだけど、

 こういう衝撃的な出会いと別れと再会とがリアリズムであるといえば、いえる。

 いや、事実は奇なりであるとおもえば、そういえるかもしれない。

 もちろん、タイトルにあるのは「宿」であって「旅」ではないので、

 もうなんだか眼をそむけて鼻をつまみ、爪先だけで物に触りたくなるような、

 生理的嫌悪感がたまらずに迫ってくる森田屋だけがリアルであればいいわけで、

 映画全体に現実臭があるのかないのかということについては、

 ぼくらはそれぞれが味わえばいいだけの話なんだけどね。


きみに読む物語

2012年07月25日 11時51分07秒 | 邦画2004年

 ◎きみに読む物語(The Notebook)

 

 認知症を主題にせず、それでいて重要な要素の一つに設定したのは簡単に見えて高度な脚本術ではないかと。

 自己と半生を認知できない妻に、出会いからの物語を何度も語って聞かせる夫の献身的な愛を嫌味にさせない上手な演出だとおもっちゃうわ。


崖の上のポニョ

2010年03月05日 01時34分22秒 | 邦画2004年

 ◇崖の上のポニョ

 

 虫プロ的な印象を受けたんだけど、なんでなんだろう?

 もちろん、手塚作品でない分、理屈も先行しないし、スケール過大にもならない。鞆の浦がモデルとかって聞いたけど、それはともかく、地方の漁村に終始しているのもたしかで、こういうリアリズムは虫プロには見られないだけど、なんとなく、そんな気がした。

 設定がなんか説明不足な気がして、その分、手描きに拘り過ぎている気もしないではない。


天国の本屋~恋火

2010年01月28日 13時52分19秒 | 邦画2004年

 ◇天国の本屋~恋火(2004年 日本 111分)

 監督/藤原哲雄 音楽/松任谷正隆

 出演/竹内結子 玉山鉄二 香里奈 新井浩文 香川照之 原田芳雄

 

 ◇この世とあの世の間には

 本屋の主が花火大会に現れたり、死んでもない人を天国?に連れてきたりと、特殊な能力を発揮するのに違和感がある。でもそれをいいだしたらおしまいなわけで。

 和火は見事だったけど、香川照之の巧さが目立ちすぎてるきらいがないでもない。

 あ、それと組曲の完成が判りにくいのと音楽が印象薄かな。


ギミー・ヘブン

2009年06月01日 12時09分38秒 | 邦画2004年

 ◇ギミー・ヘブン(2004年 日本 121分)

 監督/松浦徹 音楽/nido 安部潤

 出演/宮崎あおい 石田ゆり子 小島聖 北川えり 江口洋介 安藤政信 松田龍平

 

 ◇ガーベラの雨は秀逸

 共感覚という感覚を主題にした目の付け所は、良。

 絵と言葉と文字と音楽が混然となる世界は興味深いけど、すこしばかりPCに流れる映画内撮影のカメラ位置は不自然だし、なにより殺害の理由が独りよがりで曖昧すぎる気がするんだよなあ。


着信アリ2

2009年03月28日 12時43分24秒 | 邦画2004年

 ▽着信アリ2(2004年 日本 106分)

 監督/塚本連平 音楽/遠藤浩二

 出演/ミムラ 吉沢悠 瀬戸朝香 ピーター・ホー 小林トシ江 鰐淵晴子

 

 ▽子供への姿勢の問題

 すべての謎が台湾の炭鉱にあって、怨念に共鳴した美々子が前の事件を起こし、ふたたび共鳴が起こって恋人殺しの連鎖が生じてゆくという設定はそそられるんだけど、子供の口を縫って生き埋めにされた怨念という筋にはまったく共感しがたい。

 そういう映画だ。


イノセンス

2008年01月29日 15時41分31秒 | 邦画2004年

 ◎イノセンス(2004年 日本 100分)

 監督・脚本/押井守 音楽/川井憲次

 出演/大塚明夫 山寺宏一 田中敦子 大木民夫 仲野裕 竹中直人

 

 ◎GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊の続編

 ブレードランナー讃歌みたいとでもいったら怒られるんだろうけど、ともかく、描かれている近未来の市街地は凄い。

 どうしてこういう世紀末的な退廃が空間を覆っているのかわからないが、昭和時代に生きて、また20世紀の終わりを見届けたぼくらは、おのれが希望するしないに関わらず、ものごとの終末を垣間見ざるを得ない立場に立たされている。そんなことをおもいながら、観た。

 球体関節人形も含め映像は凄い。

 迷宮の中で禅問答しながら出口を探してゆくような物語で、続編かどうかなどという些細なことを問題にする必要はない。

 中華情緒の樺太も禍々しくて良い。

 自己陶酔的展開が少し辛い面もいささか感じられるものの、その画面のディティールに対する拘りと、圧倒的な迫力で展開される古謡的音楽の凄さは、脱帽する。


バタフライ・エフェクト

2007年08月07日 01時00分59秒 | 邦画2004年

 ◎バラフライ・エフェクト(butterfly effect)

 

 手塚治虫の『クレーター』をおもいだした。

 人生のリプレイなんだけど、日記を滅却しない限り何度も挑戦できるため物語が込み入ってて、くりかえされる別な人生が断片的になりすぎてしまうのが、難といえば難かな。父親に絞殺されかけた真実が謎解きされるのはいい感じで、撮影ビデオが味噌なのも見事だね。


隠し剣 鬼の爪

2007年04月23日 01時28分42秒 | 邦画2004年

 ◇隠し剣 鬼の爪(2004年 日本 131分)

 監督・脚本/山田洋次 音楽/冨田勲

 出演/永瀬正敏 松たか子 高島礼子 緒形拳 光本幸子 倍賞千恵子 田中邦衛

 

 ◇梅庵が仕掛けられた!?

 藤沢文学の映像化に対してなんという感想をいうのかと叱られそうな気もするけど、ぼくにとって緒方拳はどうしても藤枝梅庵で、針で仕掛けることもあったけど、後のシリーズでは、懐に剃刀という名の隠し剣を仕舞い、まるで鬼の爪のように悪人を仕留めたりもしてた。

 だから、なんだか妙な感覚になっちゃうんだけど、いや、時の経過というのは、こういうもんなんだろね。

『たそがれ清兵衛』に続いて制作されたこの映画は、ちょっとばかりエンターテイメントが匂う分、しんしんと降る雪のような静かさは失せているものの、どうしようもなくせつない藤沢世界はちゃんとそこにあった。

 ことに、松たか子がきわめて好かった。

「ご命令だば仕方ありましね」

 という台詞に代表されるように、標準語しかよくわからない観客にもわかりやすい海坂藩の訛りだった。

 この頃、方言は見直されているらしいけど、実をいうと、東京の人達はけっこう東北弁を使ってたりする。

 んだべ?