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ゴジラvsメカゴジラ

2014年09月14日 22時18分20秒 | 邦画1991~2000年

 △ゴジラvsメカゴジラ(1993年 日本 107分)

 英題 Godzilla vs. Mechagodzilla II

 staff 監督/大河原孝夫 特技監督/川北紘一 脚本/三村渉 撮影/関口芳則 美術/酒井賢 ガルーダデザイン・製作/小川正晴 衣裳/斉藤育子 衣裳コーディネイト/出川淳子 音楽/伊福部昭

 cast 高嶋政宏 佐野量子 中山忍 小高恵美 ラサール石井 今村恵子 大沢さやか 原田大二郎 宮川一朗太 中尾彬 上田耕一 佐原健二 高島忠夫 川津祐介

 

 △特撮とボク、その56

 前作のゴジラザウルスといい、今回のベビーゴジラといい、どうしてゴジラの外縁にばかり注意を向けているのかがわからない。物語の主役はいったい誰なんだろう?

 ていうか、ゴジラの托卵って、いったいなんなの?なんでゴジラがラドンの巣に卵を托すんだろね。いや、100万歩ゆずって托卵したにせよ、ラドンなのか翼竜なのかよくわからないんだけど、地球上でそんなかなり特別で危険な場所をわざわざ選んで托卵とかするんだろうか。しかも、それで生まれた子供(ベビーゴジラ)がなんだか佐野量子を親とおもってしまうような展開とかって、どうなのっておもっちゃうんだよね。子供だましの映画を見せられてる気分になってくるのはぼくだけなんだろうか?

 ベビーゴジラもそうなんだけど、どうもこの平成ゴジラシリーズは余分な新兵器の多さに閉口する。今回もそうで、ガルーダもそのひとつながらそうした新兵器を投入してくるGフォースとかいう自衛隊の別働隊みたいなものが要らないし、またもや登場してきた超能力開発センターみたいなところも要らないんじゃないかしら。

 枝葉ばかり繁らせても、肝心の幹が痩せ細っていたんじゃ結局どうしもないはずなのにね。

 そもそも、ぼくは最初のゴジラシリーズのとき、メカゴジラとかメカキングコングとかが登場してきたとき、いっぺんにゴジラ熱の冷めた人間だ。ぼくは周りの男の子とちがって、機械についてなんの興味もなかった。自動車や電車や飛行機や船といった生き物でない存在にまるで興味がなかったし、強いて挙げれば鉄腕アトムや鉄人28号みたいなロボットか、009のようなサイボーグか、バビル2世のような超人とかにしか関心がなかった。要するに人格を持っているものが好きだった。といっても、怪獣が人格を持っちゃうのは好きじゃなかった。

 ところが、ガメラもそうだったけど、ゴジラもどんどんと人格を持つようになり、平成のゴジラにいたっては顔つきまで乱暴なオヤジ的な表情になってきた。凶暴さを前面に出そうとしていたのかもしれないけど、どうしても知能指数がそれなりにありそうで、動物のような本能によって動く雰囲気がなかったし、また威厳もなくなった。ゴジラがどんどん人間臭くなってきて、かつての旧シリーズのようにちょっと程度の低い正義の味方然とはしないまでも意思めいたものを持つようになっているのが気になっちゃうんだよね。

 まあ、そういう危惧の中にありながら、音楽だけはどんどん凄くなる。伊福部昭、凄すぎるって。前作と今作、それと『ゴジラVSデストロイア』の音楽はほんとに凄い。いかにも堂々としていながら切れがいいんだよね。けど、これくらいしか感動するところがおもいださないのは、ほんと、つらいよ。

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