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☆=☆☆☆☆☆
◎=☆☆☆☆
◇=☆☆☆
△=☆☆
▽=☆

世界の中心で、愛をさけぶ

2016年04月28日 22時18分11秒 | 邦画2004年

 ◇世界の中心で、愛をさけぶ(2004年 日本 138分)

 英題 Crying Out Love, in the Centre of the World

 監督 行定勲

 

 ◇女優魂の剃髪

 映画版の長澤まさみもテレビ版も綾瀬はるかも共に剃髪してみせたことには、まじ拍手だ。

 昨今、とかいうとやけに時代がかった物言いだけど、ある時期からアイドルと呼ばれる人たちは丸坊主になることを拒むようになった。それは男女を問わず、役者であるからには当然のことである役にリアリティを持たせることを拒み、あくまでも自分のいつもの髪型を崩さないでほしいというようになった。ぼくはそういうタレントを認めないけど、この作品の場合、映画版もテレビ版も剃髪してみせた。当たり前のことながら、拍手したい気分になる。

 それはそうと、実はぼくはこの作品にはかなり嵌まった口だ。

 とはいうものの、原作はやっぱり読んでいない。

 だから映画とテレビでしか知らないんだけど、さらに実をいうと、ぼくが嵌まったのはテレビ版なんだよね。いやまじ、夢中で観た。毎週毎週楽しみで、ぼくには珍しくそのロケ地まで行きたいとおもった。それは山田孝之と綾瀬はるかがほんとに好い演技をしていたからで、また仲代達矢と三浦友和がしっかりと締めてたからかもしれない。そういうことからいうと、なんとなくこちらの映画版はあっさりしてた。やだわ~テレビに毒されてるわ~ともおもうけど、こればっかりは仕方ない。

 とはいえ、映画もテレビも大きく違うわけではなくて、物語は一緒だし、展開もさほど変わらない。ただ、テレビの方がこの物語は描きやすかったのかもしれないね。ていうより、映画が映画らしくなくて、テレビに近い印象だったような気がしないでもない。もっといえば、ぼくがいちばん苦手な難病物だし、その展開があまりにも通俗的で、ぼくだったらこういう筋立ての物語を作ろうとか考えないだろな~ともおもうんだけど、ほんと、テレビの場合は、ふしぎなことに僕の中でなにかが嵌まった。

 それはたぶんノスタルジーなんだとおもうんだよね。海辺の町で生まれて育ったぼくは、こういう自己陶酔しちゃいそうな高校生活を送ってたし、ことにテレビ版はラストのタイトルバックとかがぼくの体験してきた8ミリ自主製作映画の日々とも微妙に重なったりしてたものだから、おもわず入れ込んじゃうことになった。でも、もしかしたら、こういう観ようによっては陳腐な世界がぼくの世界なのかもしれないんだけどさ。

 ただまあ、世の中、この題名についてはまるで拒否感がなかったんだね。ハーラン・エリスンの『世界の中心で愛を叫んだけもの』から『新世紀エヴァンゲリオン』の最終話「世界の中心でアイを叫んだけもの」に続いてこの『世界の中心で、愛をさけぶ』とかっていう展開、まじありか?とおもうんだけどな~。

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ノルウェイの森

2016年04月27日 02時06分09秒 | 邦画2010年

 ◇ノルウェイの森(2010年 日本 133分)

 監督・脚本 トラン・アン・ユン

 

 ◇1969年、早稲田大学

 信じられないような話だけど、ぼくはこの原作を読んでいない。

 世の中でいちばん売れた恋愛小説ってことくらいは知ってる。でも、読む機会がないままに結局、映画だけ観た。まあ、ぼくみたいな活字に疎い人間が目を通したところで右から左へ文字が流れて消えていくだけのことだろうし、もはやそれだけの体力も根気もない。いや、ほんとのところ、小説を読むのも映画を観るのも気力と体力の勝負でしかない。かろうじて受動態の極地のような映画鑑賞だけはできるものの、長編小説をじっくり読んでいられるような心の余裕はないんだよね。

 そんないいわけはこの辺でやめて、この映画のことだ。ひとことでいえば、懐かしかった。本学の中庭も文学部の中もなんとなく懐かしく、ふたりで散歩したりしてるところは甘泉園だろうか、もしかしたら別なところで撮影されてるかもしれないんだけどまあそれはそれでいいとして、当時の寮やラブホテルについてはまるでわからないけど、郊外の下宿というのはあんな感じだったかもしれない。

 ただまあ、ぼくはこの時代よりも10年ほど遅れて大学生になったから学生運動が血気盛んに行われていた時代の大学生についてはちょっとよくわからない。わからないけれども、ほとんど似たようなことを考えていたみたいで、心の崩壊していく過程と恋が成就し破綻していくさまとが綯い交ぜになっていく情景は、なんとなくわかる。だから、この映画がおもしろいとかおもしろくないとか当時の風物や生活についてリアルだったとかリアルじゃなかったとかそんな意見を口にするつもりもないし、ただ懐かしい風景と心情とが淡々と続いてたな~っていうくらいしかできない。

 大学時代につきものなのは、怠惰な日々ともの悲しい恋とうぶでぎこちないセックス、そして他者からすれば恥ずかしい以外の何者でもない自己陶酔とかで、それ以外のことをおもいだせといわれてもなにひとつ浮かんでこない。かろうじて季節を問わずに旅に出ていたときの風景や出会った子についての断片的な思い出くらいなものだ。

 そうしたことをおもえば、この映画は単調な印象はあるものの10年遅れていたぼくらの日々にも通じるものがあるようにおもわれるんだけど、トラン・アン・ユンのこれまでの映画にくらべるとやや官能さが物足りない感じはしないでもないけど、浮遊感はあったような気がする。

 総じていえば、ただなんともいえず懐かしかった。

 あ、でもぼくは女の子を交換してセックスするようなことは絶対にしなかったけどね。

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ひかり~刈谷をつなぐ物語~

2016年04月26日 15時47分52秒 | 邦画2016年

 △ひかり~刈谷をつなぐ物語~(2016年 日本 10分)

 企画:N.P.C.ent、下村秀樹 監督:神谷友美 プロデューサー:中村誠、新宅潔、今優子 アニメーションプロデューサー:松尾明子 構成・脚本:木戸雄一郎 キャラクターデザイン:袖山麻美 美術監督:若林里紗 動画検査:大久保麻衣 色彩設計:佐藤直子 撮影監督:山根裕二郎 編集:吉武将人 音響監督:亀山俊樹 音楽:コーニッシュ 音楽制作:フロンティアワークス 音楽プロデューサー:吉川明 エンディングテーマ:「How to say I love you」Ringo coaster ロケハン撮影協力:泉津井陽一 企画協力:刈谷市 取材協力:愛知県立刈谷高等学校、ウェーブスタジアム刈谷、刈谷いもかわ会(きさん)、刈谷万燈保存会 アニメーション制作:ゼクシズ 製作:刈谷市観光協会、刈谷市観光協会 ©刈谷市観光協会

 

 △都内の東小金井で制作されただげな

 まったく情報に疎いっていうのは困ったもんで、まるで知らんかったんだけど、どうやら愛知県刈谷市は中部地区のアニメの中心地になっとるらしい。で、この作品は愛知県刈谷市制65周年記念作品として平成28年3月28日からYouTubeで公開されただけじゃなくて、刈谷市観光協会HPと刈谷市HPにも掲載されただげなが、まあ、ほれ、なんていうだか、率直なことをいわせてもらうと、まあちょいなんとかならんかっただかね?て感じだわ。

 訊きたいことはどらえいあるだけど、なんで駅伝なの?とか、刈谷らしい風景とかってどこのことだね?とか、市政がどうたらとかいうんだったらまあちょい年寄が見てもうんうんって頷けるもんの方がよかっただないかね?とか、まあすこし特徴的な絵作りっていうかキャラクターデザインの方が目立ったんじゃないだかね?とか、どうせだったら本格的な長編にした方がよかっただねえかや?とか、刈谷にはまっとほかにも自慢できるもんがようけあるじゃないだかね?とかおもったりしただけど、どうだいね?

 まあちょっとでええでがんばりん。

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きみがぼくを見つけた日

2016年04月25日 19時58分35秒 | 洋画2009年

 ☆きみがぼくを見つけた日(2009年 アメリカ 110分)

 原題 The Time Traveler's Wife

 監督 ロベルト・シュヴェンケ

 

 ☆ブラピはなぜ主演しなかったのか?

 ブラット・ピット製作総指揮の筆頭に名を掲げているのに、なんで主役をはらなかったんだろ?

 その方がヒットしたんじゃないかって気もするんだけど、ちょっと年齢的に難しかったんだろか?

 それはいいけど、この時間跳躍については、最初、母親の車に乗ってて事故に遭ったときに起こるんだけど、たぶん危機を本能的に回避するため引き起こされたとおもわれ、で、ほんの数秒前に戻る。その後は徐々にその跳躍の幅が広がって、やがては自分の死後にも跳躍できるようになっていくっていう設定なんだろね、たぶん。ただ、それが精一杯の時間跳躍なものだから、アメリカが独立したときとか、第三次世界大戦が勃発するときとかいった、とんでもなく長い時間は跳躍できないってことになるんだろね。そもそも恋物語にそんなものは必要ないけど。

 まあ、こういう話はどうしてもご都合主義になりかねないもので、うまくすればハッピーエンドにも持っていけるんだけど、自分の未来っていうか運命はすでに起きたことと考えるから時間跳躍した正にそのとき猟銃の弾丸が飛んできたっていう事実から逃れることはできないっていう展開にしているのは、やっぱりあれだろね、現実には死別してだけどこれから先もレイチェル・マクアダムスとエリック・バナは再会し続けるんだろな~っていう余韻たっぷりな締めくくりにしたかったんだろなと。

 ただ、脚本はきわめて繊細に作られてて、やがて生まれるふたりの娘が登場したのはかなり効果的で、意外な展開って気もした。こういう飛躍が、この物語には必要なんだね。頭の中がこんがらかりそうになるのを上手にリードしてくれて、矛盾のないように過去と現在をモザイク状に切り張りしてる。うまいね。

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コン・エアー

2016年04月24日 20時24分05秒 | 洋画2015年

 ◇コン・エアー(1997年 アメリカ 116分)

 原題 Con Air

 監督 サイモン・ウェスト

 

 ◇CGにないぶっ壊し

 コン・エアー(C-123 プロバイダー)が突っ込んでいくラスベガスのホテルは本物だそうな。

 そんなことをおもいながら観ていると、いやもう、これでもかってくらいにど派手なぶっ壊しが続く。これだけ公共物を破壊しても脱走犯を逮捕すればすべてよしっていう凄い人命軽視ドラマなんだけど、まあこれはこれでいいかってな気にさせてくれるのがB級の帝王ニコラス・ケイジの凄いところだとおもうしかない。

 いや実際、サイモン・ウェストっていう監督はこれがデビューとはおもえないほど堂の入った活劇を見せてくれるね。これ以後の作品を観ててもそうだけど、ど派手な活劇がかなりあるもんね。

 それと観ていておもったのは、よくもまあこれだけアクのつよいB級の猛者たちを集めたものだってくらいに並んでる。いろいろと出演してそれなりの経歴のはずなのにいまひとつ代表作に恵まれないジョン・キューザックをはじめ、個性派の筆頭みたいなジョン・マルコヴィッチ、ヴィング・レイムス、ダニー・トレホ、デイヴ・シャペル、そしてなんといってもいっぺん観たら忘れられないスティーヴ・ブシェミとか、なんだかみんなホンマモンの連中をそろえた観がありありとわかる。

 これはこれで細かい突っ込みはせずに「お~すげえな~」と単純に楽しめばいいのではないかと。

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サウルの息子

2016年04月23日 15時17分49秒 | 洋画2015年

 ◇サウルの息子(2015年 ハンガリー 107分)

 原題 SAUL FIA

 英題 SON OF SAUL

 監督・脚本 ネメシュ・ラースロー

 

 ◇1944年10月、アウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所

 きついな、これは。

 まあ人はそれぞれだから絶賛する人もいるだろうし、いろいろと受賞するかもしれないけど、ぼくみたいな素人にとっては鑑賞し続けるのもきつかった。なんつっても、カメラがきつい。スタンダード・サイズで、しかも被写界深度が恐ろしく浅く、くわえて手持ちっていう徹底ぶりで、ちょっと酔った。ていうか、めまいがしそうな感じだった。そりゃまあリアリズムってのはなにかっておもったとき、主人公の視点に拘りたいって気持ちはわからないでもないんだけど、僕だったらもうちょい人間の視界に合わせて撮るけどなあって観ながらずっとおもってた。

 たしかにルーリグ・ゲーザっていう主役の男性は味わい深い表情で、ラストの納屋の外に唐突に登場した少年を見てほっとしたような、これでなんとか天国に行けるかもしれないっていうような微笑みを浮かべるところなんざ、いやほんと、とってもいい表情だったんだけど、でもやっぱりきついな。あ、このルーリグ・ゲーザって人、ブタペストの詩人なんだってね。なるほど、味わい深いわけだ。

 ただまあ、蜂起の後、一緒にゾンダー・コマンダーをしてるちょいと渋めの男に「死者を埋葬するために生者を犠牲にするのか」ともいわれちゃうことになる少年の死体を抱えて森の中を逃げていって川を泳いで渡る段になったときの撮影なんだけど、これは凄かったわ。

 いや、この作品はほとんど長回しで、それもルーリグ・ゲーザのミディアムショットとクローズアップばかりが多様されるもんだから観にくいったらありゃしないんだけど、ともかく延々と続く長回しで、爆破やエキストラを扱わないといけないスタッフは大変だっただろうなってのは擱いといて、そうした中でこの川の場面は凄い。

 死体を抱えて川に入る前から、死体が流れてしまって「待ってくれ」と手をもがかせ、少年と別れてしまった悲しみのせいでもう溺れちゃうんだってことになったとき、一緒に逃げてた解剖医がいきなりフレームインして救けてくれ、なんとか岸に近づいていくまでがワンショットなんだけど、まじに溺れそうな気配で、なんとも長い。まあ、この別れがなかったら、ラストのいきなり生き返ったように登場する少年(2カットしかないのよ)が活きないんだけどね。

 でもまあなんにしても、これはきついわ。

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Mr.ホームズ 名探偵最後の事件

2016年04月22日 02時37分50秒 | 洋画2015年

 ☆Mr.ホームズ 名探偵最後の事件(2015年 イギリス、アメリカ 104分)

 原題 Mr. Holmes

 監督 ビル・コンドン

 

 ☆1947年、ホームズ、93歳

 しかも、すでにワトソンは鬼籍に入り、明晰を誇った頭脳であった自分でさえも痴呆が徐々に進んでるっていうなんとも寂しい孤独な老後だ。くわえるに、どうやらホームズは探偵を引退することになった事件をいまだに引き摺ってたりする。その事件がここではかなり重要で、なぜかっていえば結局、一緒に生きていってはもらえないかと懇願されながらもそれを拒んでしまったことで自殺に追い込んでしまった人妻ハティ・モラハンとの思い出があったりするからだ。

 そうしたホームズのひしひしとせまる晩年と、しかしそうでありながらもやがて心の蘇生と安息を得られるようになる疑似家族つまり家政婦とその幼い息子とのふれあいがこの作品の主題になってたりする。そう、いうなればたしかにホームズの晩年とは謳われていながらもその実は老いた探偵それもさして活躍できなかった探偵の物語といってもいいくらいな話だ。

 ただまあそういう惨めなホームズがなんでこれほどまでに世の人々の知っているホームズと異なっているのかといえば、実はホームズはすべて虚像であり、なにもかもワトソンが創造したものでしかないといいきってしまうあたり、この作品の独立性がしっかりと見て取れる。

 なんといっても気持ちがいいのは、家政婦ローラ・リニーと恋に陥ることはなく、あくまでも人間と人間の心のふれあいを重視していることと、その息子との関係が孫とのそれであるように疑似家族を作っていくさまだ。それは、そう、主演俳優と監督の生き方をおもえば、必然的な展開だったんじゃないかって気にもなる。

 そう。主演のイアン・マッケランがみずからもゲイであることを認め、かつその権利を擁護するべく運動しているし、監督のビル・コンドンもまたゲイであることをカミング・アウトしていることをおもえば、かれらは実に意気の合った間柄であるといえるし、そうであるからこそ、ホームズとワトソンの微妙な信頼関係の後の話を描くことができたのではないかと想像するのはちょっとうがちすぎなんだろうか?

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人生万歳!

2016年04月21日 18時57分25秒 | 洋画2009年

 ☆人生万歳!(2009年 アメリカ 91分)

 原題 Whatever Works

 監督・脚本 ウディ・アレン

 

 ☆ある意味、理想的な晩年

 うだつのあがらなそうな老人どもの会話からいきなり観客に語り始めるラリー・デヴィッドから始まるんだけど、なんとなく『カイロの紫のバラ』をおもいだす展開だとおもいきや、まるでちがってた。ま、男という生きものはたとえノーベル賞の候補になるほど天才的な頭脳を持っていたところで所詮どうしようもない生きものだ。なんでかっていえば、ほんとにバカな女で、どうしようもない田舎娘だとおもっていても、それが天然無垢な心を持ってたりすると、ついつい可愛くなり、やがては孫といってもいいくらい年が離れていたって好きになっちゃうし、しかもそれが向こうの方から結婚してとかいわれちゃったりした日にはもうあかんことになっちゃう。

 ま、特にエヴァン・レイチェル・ウッドの場合、綺麗だからね、それも仕方がない。

 ただ、観てるうちに主人公はやっぱりニューヨークっていう世界の中でもほんとに珍しい「生きもの」だってことがわかってる。この町は、どんどん人間を変化させちゃうんだ。それはここで映画を撮ってきたウディ・アレンがいちばん影響を受けて変わり続けてきてるんだろうけど、たとえば、エヴァン・レイチェル・ウッドの母親パトリシア・クラークソンがそうだ。夫のジエド・ベグリー・ュニアが若い女と不倫して家を出ていっちゃったのをきっかけに娘のところへやってきてラリー・デヴィッドみたいな爺と結婚したという衝撃で卒倒しちゃうような田舎のおばちゃんがやがて芸術写真家になっていっちゃったり、不倫相手にふられた夫ジエド・ベグリー・ュニアまでもがニューヨークのおかげで本当の自分に目覚めたりする。

 つまり、このニューヨークってところは「人生が最終的に万歳っておもえるんなら、眼の前のめんどくさい価値観やしがらみなんか捨てちゃえばいいし、どんどんと変わっていけばいいんだよ」って教えてくれてるっていう話なんじゃないかと。天才的な物理学者だろうろ、ミスコン荒らしの無教養娘だろうと、そんなことは些細なことなんだって笑い飛ばしちゃうんだ。それでいいのだ。

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X-ミッション

2016年04月20日 02時34分35秒 | 洋画2015年

 ◇X-ミッション(2015年 アメリカ 114分)

 原題 Point Break

 監督 エリクソン・コア

 

 ◇1991年『ハート・ブルー』のリメイク

 まったくど派手な印象ばかりが先行していたものだからどうにも底が浅そうで食指が動かなかったんだけど、案の定、どっちつかずの印象を持ったまま観終わってしまった。

 いや、だってそうじゃんね、オザキなにがしとかいう自然活動家なのか宗教家なのかよくわからん元スポーツ選手みたいな人間がいて、かれが死ぬ前に「オザキ8」とかいう地球上にあるとんでもない自然に挑むことを遺したとかって話で、それに挑戦していく連中は、実はテロリストまがいの思想を持ってて、でも自然を尊敬してて、でも強盗めいたこともやってのけるっていうなんとも中途半端な連中なんだけど、かれらがともかく誇りにしているのは捕鯨船に真っ向から立ち向かったことみたいで、それを話す場面になったとき『ザ・イースト』をおもいだした。

 おんなじじゃん。

 あちらの方が実は真正面から思想をあつかってたから、僕としてはその思想を認める認めないは別としてだが、却って理解しやすいっていうか物語に入り込みやすかったんだけど、こっちはな~なんとなく安っぽいんだよな~。だって、おまえら、巨大な波のサーフィンとかエンジェル・フォールの崖上りとかが凄いってことはわかるけど、天台宗の千日回峰行とかできるんか?オザキは日本人らしいけど、なんでそういう修行は挑戦しなかったんだ?みたいな感じになっちゃうんだもん。

 まあそりゃたしかに映像は凄いっておもったけどね。

 それよりなにより、これも邦題があかんわ。

『オザキ8』の方が良かったかもっておもえるくらい中身のないタイトルでしたな。

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エイプリル・ソルジャーズ ナチス・北欧大侵略

2016年04月19日 19時12分21秒 | 洋画2015年

 ◇エイプリル・ソルジャーズ ナチス・北欧大侵略(2015年 デンマーク 93分)

 原題 9. april

 監督 ロニ・エズラ

 

 ◇1940年4月9日、デンマーク

 ヴェーザー演習作戦と名づけられたナチス・ドイツの北欧侵攻なんだけど、その前哨戦になったのがデンマーク侵攻だ。で、ドイツ時間5時15分に始められたこの戦闘はたった6時間で片がついた。政治的独立の保持を条件に、クリスチャン10世とデンマーク政府が降伏を認めたからだ。なんともあっけない戦争だけど、そりゃまあ国力の差が歴然としているんだから仕方ない。

 でも、この映画の主役たち、第4中隊第2自転車小隊にしてみればたまったもんじゃない。ドイツの機甲師団に対して、たった40発の弾丸をひとりひとりに与えられただけの自転車小隊にいったいなにができるってんだっていう話だ。ただまあ戦闘の全体を見渡してみると、兵器や兵士の損傷や犠牲はデンマーク軍よりもドイツ軍の方が上回っていたって話だから、まあそれなりに健闘したってことになるんだよね、たぶん。

 それにしても、観てておもったのは、デンマーク軍の仮想敵国ってどこだったんだろうってことだ。ドイツだったんだろうか。だとしたら、あまりにもおそまつな話だ。はなから相手にならないドイツ軍に対して軍備を整えるようなお金があるんだったら、もうちょっと別なお金の使い道があったんじゃないんだろか。でもまあ、独立した一国なんだし、そうもいってられないか。なんだか辛い話だな。

 てなことを考えさせられる映画だったけど、そんなことはさておき、邦題のひどさはどうよ。

 今回、なんとかならないんだろうかっていちばんおもったのは、このタイトルだな。

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黄金を抱いて翔べ

2016年04月13日 23時31分46秒 | 邦画2012年

 ◇黄金を抱いて翔べ (2012年 日本 129分)

 監督 井筒和幸

 

 ◇240億の金塊強奪

 という話なんだけど、なんだか絵空事を無理してハードボイルドしちゃってる感じがしちゃってね、なんだろ、ちょっといまひとつ物語に入りにくかったような気がしないでもない。

 まあ、妻夫木聡は上手に演じてるし、この頃、なんだか自分の殻っていうかキャラクターを打ち破りたくてしようがなかったのかしらね。テレビの『天国と地獄』で犯人役を演ったのもこの頃じゃなかったっけ?妻夫木くんはどうしても好い子の印象がぬぐいきれなくて、自分でもそれをよくわかってるんだろうか、だから『悪人』とか演ったんだろうか。なにもそんなふうに自分を変えようとしなくてもいいのにっておもったりするんだけど、まあ本人にしてみれば違うんだろな~。

 いや実際のところ、これがこの設定そのままでパリだかニューヨークだかそんなところで展開してたらまた違った印象だったかもしれないけど、なんだか全体的にまったりしてる観があって、そういうあたり、キレが良くない。それと、ところどころ、なんていうのかな、そう学生運動のあった時代の特有の匂いっていうんだろか、そんな印象を受けたんだけど、勘違いかしらね。まあ、登場人物たちが悪ぶってるだけでいかにも好い人そうでどこから見ても悪人に見えないからそういう錯覚を受けるのかもしれないんだけど、そんなことないのかな。

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雲のむこう、約束の場所

2016年04月12日 22時57分14秒 | 邦画2004年

 ◎雲のむこう、約束の場所 (2004年 日本 91分)

 製作総指揮・監督・脚本 新海誠

 

 ◎1999年、ヴェラシーラ、津軽海峡を越える

 きわめて好きな世界観と物語なので、もはやくだくだと書いても仕方がない。

 青春映画の骨頂はモノローグにある。吉岡秀隆のそれはこの物語に充分抒情性を持たせてくれた。さて、塔がパラレルワールドのこの世界においてさらに別なパラレルワールドの存在であろうと、その塔そのものが眠り姫となっているヒロイン南里侑香の夢のもたらすものであろうと、またそういうパラレルワールドを構築した者が南里侑香の祖父であろうと、そんなことはあんまり関係ない。ぼくはここに展開されている津軽の風物の中で、塔に辿り着きたいという少女の夢を叶えるためにふたりの少年が飛行機ヴェラシーラを作り、しかしその完成も待たず少女は行方知れずとなり、さらには少女が眠り続けていることも最初はわからず、ひとりの少年は少女の夢である塔を見つめることを拒否して上京し、もうひとりはその塔を遙かに望みながらもしかしヴェラシーラと共にあるとかいう設定だけで、もう充分なのだ。

 青春の思い出というものはひとつひとつの忘れられない場面が重なり合って出来ているのだろうけれど、それはこの作品では津軽の鉄道の沿線のさまざまな風物と共にあるのだけれども、こういう風景と一体になれる青春の思い出を持っていられるだけこの主役の3人は幸せというほかなく、それを抱えたまま当時の希望すなわち塔への飛行を具現化させるというだけで、かれらの半生は幸福に満ちているとおもえるんだよね。

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グッバイ、レーニン!

2016年04月11日 20時22分11秒 | 洋画2002年

 ◎グッバイ、レーニン!(2002年 ドイツ 121分)

 原題 Good Bye Lenin!

 監督 ヴォルフガング・ベッカー

 

 ◎1989年、ベルリンの壁崩壊

 その前後の東ベルリンに住んでる家族の話だ。

 今からでは想像もつかない人がいるかもしれないけど、当時の西ベルリンと東ベルリンとはまったく異質の国だった。そこで西ベルリンへ亡命していった夫を待つ妻が次第に感化されて東ドイツにおける徹底した愛国主義者となっちゃってるってのは、あながちおかしな設定じゃない。いやそれどころか、こういう家庭はいっぱいあっただろうなっておもったりもする。ベルリンの壁が崩壊する直前に息子の革命的なデモ参加に驚いて心臓麻痺をひきおこし昏睡に陥り、壁が崩壊して八か月後に目覚めるなんてそんなのありか?っていう人もいるだろうけどね。でも、あったんだよ、たぶん。

 ぼくはこういう皮肉たっぷりの小品は好きだし、いや登場人物の立場に立ってみるとって考えられることができるだけでも充分なリアリズムだとおもうんだけど、そうじゃないのかしらね。そりゃあ、ドイツが統一された当時、ことにベルリンの貧富の差は凄まじいものがあったようで、そうしたことを背景にして重箱の隅を楊枝でほじくるように突いていけば、もっとちゃんとしたリアリティーを感じられるのかもしれないんだけど、そんなことは必要ない。だってリアリティーばかりを追及してたんでは、レーニン像の撤去の際に像が散歩するように移動していくさまなんてのはちょっと巡り合いにくかったかもしれないしね。

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単騎、千里を走る。

2016年04月10日 20時08分06秒 | 邦画2005年

 ◎単騎、千里を走る。(2005年 中国、日本 108分)

 中国語題 千里走単騎

 英題 Riding Alone for Thousands of Miles

 監督 張芸謀、降旗康男

 

 ◎チャン・イーモウのオファー

 高倉健は東映を辞めてから矢継ぎ早に代表的な作品に出演していったけど、そんな健さんの晩年の代表作なんじゃないかっておもうんだよね。ただ、晩年、健さんの映画はどうしても降旗さんの色が濃くって、その匂いが強かったような気がするんだけど、もちろん、それが好いとか悪いとかって話じゃなくて、この作品の場合、たしかに日本の部分の監督は降旗さんだけれども、本編の中国部分はまぎれもなくチャン・イーモウだ。それがなんとも新鮮なんだよね。

 なんていうか、ドキュメンタリーを観てるような錯覚すら受けた。健さんが作中の人物を超えて健さん本人になっちゃったような感じがあって、それって健さんの身の入れ具合が強かったからなのかもしれないんだけど、途中からどうにもだぶった。健さんは決して上手な人とはおもえないところがあるんだけど、ただ健さんの場合、上手下手を超越したところがあるから、こういうドキュメンタリータッチな撮り方だとなんだか不思議な感覚すらおぼえる。

 内容はいたって単純で、雲南の民俗学を研究していた息子中井貴一がいたんだけど、疎遠になってるうちに死んじゃって、その息子を成仏させてあげるのが父親のとしての役目だってことで、健さんは単身、雲南へいって、関羽千里を行くの京劇を撮影してやろうとするものの、肝心の役者が収監されてるっていうとんでもない障碍にぶちあたり、でもやがて刑務所の所長たちまで息子をおもう健さんの心情にほだされ、刑務所の中で披露しかつ撮影するのを認めるっていう人情話だ。でもさ、単純なように見えて、ちゃんとできてるし、このあたり、さすがチャン・イーモウだなっておもったわ。

 ただ、この映画、日本国内で最初に噂されたとき、健さんが関羽になるんだってよ!みたいな感じで広まった。まじか!とおもった。信じられないことに劉備の夫人が小百合さんだってよ!みたいな話まで耳に入ってきた。ほんとか?とさすがにおもったし、正直なところ、やめといたらどうよっておもってた。そんな映画作ったところで誰も観ないぜと。でもそれはまったくのデマで、関羽千里行をやるんじゃなくて、関羽千里行の京劇を追っていく現代劇だってことがまるでわかってなかった。誰がわかってなかったのかは、いまでもよくわからない。

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炎のランナー

2016年04月09日 19時28分35秒 | 洋画1981~1990年

 ◎炎のランナー(1981年 イギリス 124分)

 原題 Chariots of Fire

 監督 ヒュー・ハドソン

 

 ◎1924年、パリ

 5月4日~7月27日にかけて、パリ五輪が行われた。その陸上競技100メートルと400メートルの物語だ。

 もちろん、この映画でいちばん有名になったのはイギリスの陸上選手たちが波打ち際を走っていくところだけど、なんといっても、ぼくらがおぼえていて、何度観直しても鳥肌が立っちゃうのは、そこで掛けられてたヴァンゲリスの「タイトルズ」だ。

 この映画が封切られた頃、ぼくは大学に入ったばかりで、世の中はヴァンゲリスに満ち溢れていた。ほんと、ところかまわず鳴り響いてた。この作品だけじゃなく『ブレード・ランナー』やら『南極物語』やら、もうつぎつぎに音楽が書かれ、演奏されてた。だから、まったくこの映画の場合、音楽が独り歩きし、先行してた。むろん、ぼくも音楽から入った口だ。

 映画そのものは地味だ。映像は美しいんだけど、やっぱり地味だ。それと、ぼくら日本人には少しばかり理解しにくいかもしれない宗教に対する敬虔さが大切な要素になってくるもんだから、ちょっとばかり入り込みにくい。とはいえ、そんなものは脇に置いといても十分に見応えはあるだけどね。

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