◇世界の中心で、愛をさけぶ(2004年 日本 138分)
英題 Crying Out Love, in the Centre of the World
監督 行定勲
◇女優魂の剃髪
映画版の長澤まさみもテレビ版も綾瀬はるかも共に剃髪してみせたことには、まじ拍手だ。
昨今、とかいうとやけに時代がかった物言いだけど、ある時期からアイドルと呼ばれる人たちは丸坊主になることを拒むようになった。それは男女を問わず、役者であるからには当然のことである役にリアリティを持たせることを拒み、あくまでも自分のいつもの髪型を崩さないでほしいというようになった。ぼくはそういうタレントを認めないけど、この作品の場合、映画版もテレビ版も剃髪してみせた。当たり前のことながら、拍手したい気分になる。
それはそうと、実はぼくはこの作品にはかなり嵌まった口だ。
とはいうものの、原作はやっぱり読んでいない。
だから映画とテレビでしか知らないんだけど、さらに実をいうと、ぼくが嵌まったのはテレビ版なんだよね。いやまじ、夢中で観た。毎週毎週楽しみで、ぼくには珍しくそのロケ地まで行きたいとおもった。それは山田孝之と綾瀬はるかがほんとに好い演技をしていたからで、また仲代達矢と三浦友和がしっかりと締めてたからかもしれない。そういうことからいうと、なんとなくこちらの映画版はあっさりしてた。やだわ~テレビに毒されてるわ~ともおもうけど、こればっかりは仕方ない。
とはいえ、映画もテレビも大きく違うわけではなくて、物語は一緒だし、展開もさほど変わらない。ただ、テレビの方がこの物語は描きやすかったのかもしれないね。ていうより、映画が映画らしくなくて、テレビに近い印象だったような気がしないでもない。もっといえば、ぼくがいちばん苦手な難病物だし、その展開があまりにも通俗的で、ぼくだったらこういう筋立ての物語を作ろうとか考えないだろな~ともおもうんだけど、ほんと、テレビの場合は、ふしぎなことに僕の中でなにかが嵌まった。
それはたぶんノスタルジーなんだとおもうんだよね。海辺の町で生まれて育ったぼくは、こういう自己陶酔しちゃいそうな高校生活を送ってたし、ことにテレビ版はラストのタイトルバックとかがぼくの体験してきた8ミリ自主製作映画の日々とも微妙に重なったりしてたものだから、おもわず入れ込んじゃうことになった。でも、もしかしたら、こういう観ようによっては陳腐な世界がぼくの世界なのかもしれないんだけどさ。
ただまあ、世の中、この題名についてはまるで拒否感がなかったんだね。ハーラン・エリスンの『世界の中心で愛を叫んだけもの』から『新世紀エヴァンゲリオン』の最終話「世界の中心でアイを叫んだけもの」に続いてこの『世界の中心で、愛をさけぶ』とかっていう展開、まじありか?とおもうんだけどな~。