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☆=☆☆☆☆☆
◎=☆☆☆☆
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▽=☆

イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密

2016年03月31日 00時00分00秒 | 洋画2014年

 ◎イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密(2014年 イギリス、アメリカ 114分)

 原題 The Imitation Game

 監督 モルテン・ティルドゥム

 

 ◎時として誰も想像しないような人物が想像できない偉業を成し遂げる

 ベネディクト・カンバーバッチをはじめて映画で観たとき、たぶん『アメイジング・グレイス』だとおもうんだけど、なんだか妙に上品で背のひょろっとした鼻の下の長いのっぺりした顔のふしぎな役者が出てきたな~とおもい、こいつ絶対に変な奴だろな~ともおもったりしたものだ。

 ところが、この妙に気になるやけに自信たっぷりで困っちゃうくらいに堂々とした変な役者はその他の追随を許さない完璧な演技でどんどんと頭角を現し、やがてテレビシリーズの『シャーロック』で、誰もが絶賛してやまないだろうきっと、とおもえるような当たり役を得、ついにこの映画にも主演した。なんでこいつが世界でいちばんセクシーだとかいわれるんだ、おかしいだろそれ、みたいなことをおもったりもしていたんだけど、このどうにも気になるナメクジとウーパールーパーを足して2で割ったような長い顔とひょろりんとした体格のみょうちくりんな役者は今やおしもおされぬ大スターになってしまった。なんでかね、まったく。

 それはともかく、ナチスの作り出したエニグマほど、過去に何度も映像化や小説化された暗号機はないだろう。でも、そのとき、この暗号の解明に挑戦していたアラン・チューリングが描かれていたかといえばどうもそうではなさそうだ。だって、ぼくは、おぼえてないんだもん。まあそれだけエニグマについては多方面からアプローチしても尚、語り尽くせないところがあるんだろうけどね。ただ、この映画が世界的な成功をおさめ、いろんなところで絶賛されるのはやっぱりアラン・チューリングが主役とされているからなんじゃないかしらね。

 映画そのものはなにも恐ろしいほど感動的ってわけでもないし、暗号解読を臍にした映画というだけであればそれほど特出するべき筋立てでもない。ところがアラン・チューリングが当時としては違法とされる同性愛者であり、戦後になってそれが図らずも暴露されてしまったときに去勢やホルモン療法かを選ばなければならなくなり、まあアラン・チューリングは後者を選んだんだけど、そういう別な側面が絡んでくるものだから、筋立てがちょっとばかり込み入ってくるし、そこへさらにアラン・チューリングを愛してしまったジョーン・クラーク(演じたのはキーラ・ナイトレイね)が描かれ、女性蔑視の時代から女性の自立を招いた生き方についても同時に描かれているものだから、同性愛と女性解放というふたつの側面を併せ持った暗号解読ドラマとして成立しているんだな、これが。ま、そんなこともあって、人権派の人々をはじめ色んな人達がこの映画を後押ししてるんじゃないかしらね。

 ところで、音楽がいい。アレクサンドル・デスプラ。ピアノの主旋律が美しいんだよ。

 

(以下、2022年12月29日)

 チューリングマシンのできた背景は何度観ても「ほう、コンピューターの前身ってこんな感じだったのかあ」とかって納得し直すんだけど、同時に「それもエニグマへの挑戦ってのが味噌だよなあ」ともつくづくおもったりする。それにしてもカンバーバッチ、うまいな。気弱ながらも意思の強い同性愛者、見事だわ。みんな、うまいんだけどね。

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オートマタ

2016年03月30日 00時30分15秒 | 洋画2014年

 ◎オートマタ(2014年 スペイン、ブルガリア 109分)

 原題 Automata

 監督・脚本 ガベ・イバニェス

 

 ◎スペイン版ブレード・ランナー

 舞台は絶望的な未来観満載の2044年だし、なんでか知らないけど日本語のアナウンスとか聞こえてくるし、なんといってもアントニオ・バンデラスの娘を出産する奥さんの名前はレイチェルだし、酸性雨は降ってるし、結局、ロボットが自らの意思で行動するようになるし、どうしても『ブレード・ランナー』がおもいだされちゃうのは仕方のないことなんだろう。

 でも、おもしろかった。

 題名はここで人工知能が完全な意思を持つようになるオートマタ・ピルグリム7000型から来てるんだけど、もうちょっと文学的な方が良かったような気がしないでもない。ただまあ、どんな時代になってもロボットのダッチ・ワイフていうか娼婦は作られちゃうんだな~って感じだ。それがなんとも綾波レイもどきのスタイルと髪型ってところも、なんていうか、ね。

 とはいえ、その娼婦オートマタ(日本語だと自動閨と書かれそうでなんとも)がバンデラスの命を助けていく内に、ダンスを習っていったりすることもあったりして、徐々に感情が芽生えてくるのがいいところだ。オートマタの人工知能が最初に抱く感情が恋ってが気が利いてる。さらには、その「彼女」がバンデラスが奥さんと生まれたばかりの娘を掻き抱いているのを見たとき、涙は流せないけど、それまで被っていた人間の仮面を取り去る演出も僕の好みだ。ちょっとあざといけどね。

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ナイアガラ

2016年03月29日 02時08分59秒 | 洋画1951~1960年

 ◇ナイアガラ (1953年 アメリカ 92分)

 原題 Niagara

 監督 ヘンリー・ハサウェイ

 

 ◇モンロー初のテクニカラー作品

 その昔、テレビで観たことは観た。ところが今回観るまで知らなかったんだけど、この作品がモンローウォークの始まりなのね。左と右のヒールの高さに差をつけるとお尻がいつもよりも余計にくねくねとするんだそうで、それを実践したんだとか。ふ~んってな話だけど、いやまあ、当時こんなゴージャスな姿態を見せられたんじゃ、その艶めかしさに世界中の男どもはいちころだわね。ていうか、今観ても、モンローは魅惑的だわ。

 で、そのモンロー、悪役なんだよね。夫を殺そうとしてる悪女の役で、もう知的なはずなのにどうしても四肢に瞳が吸い込まれる。まあ本人もそれがわかっているからこそのポーズや仕草なんだろうけど、う~ん、この世は不公平に出来てる。

 とはいえ、ヘンリー・ハサウェイは西部劇とかの職人監督な感じで、物語は途中で破綻するんだ。だって、夫殺しをしようとしたのに返り討ちにあって愛人が殺され、それにショックを受けたモンローが逃げ出そうとするや、夫に追われてスカーフで絞め殺されるっていう、どうしようもなく下世話な犯罪物語になっちゃってるんだもん。まあ、そんな夫殺し未遂の一幕を、ナイヤガラという世界でも稀な舞台でなんとも大掛かりに見せようとしているのはわかるし、モンローの殺される鐘楼の場面なんか嫌いじゃない。ジョセフ・コットンがボートで滝壺へ向かっていくところだって、まあ当時としては頑張ったスペクタルになってるし。

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ランボー3 怒りのアフガン

2016年03月28日 22時13分22秒 | 洋画1981~1990年

 ◇ランボー3 怒りのアフガン(1988年 アメリカ 101分)

 原題 Rambo III

 監督 ピーター・マクドナルド

 

 ◇108人の死者

 煩悩の数と一緒っていうのは単なる偶然なんだろうけど、よくもまあそれだけ戦ったもんだっていうくらい、よく戦ってる。でも、なんでだろう、スタローンが戦ってる場面よりも矢で受けた傷を焼いて治療するところの方が鮮明だ。

 この映画はどうやら前作の3分の1くらいしか興行収入が上がらなかったらしいんだけど、それもありなんって感じだ。だって、そもそもランボーっていう人間は、アメリカ合衆国に認められなかったベトナム帰還兵を代表する立場にいるわけで、ロッキーみたいに星条旗を背負っちゃったらなんだか違うんじゃない?って気もするもんね。

 だからだろうか、この映画が公開された後、今度は「怒りのパナマ運河」とかになるんじゃないかって噂がどっからともなく聞こえてきたり、アジアの国でもまだまだ行かないといけないところがあるだろ、みたいな話もあった。結局のところ、ソ連もこの映画が世に出たあたりに崩壊したし、強烈な仮想敵国がなくなっていったことでランボーもその戦いの場がなくなっていったっていったんだね。

 ただまあ、前作よりも物語そのものが求心力を失くしてきたような観があるし、いたずらにアクションに重点が置かれていったんだな~ってのが垣間見えるのはちょっと辛い。そうなってくるとせっかくの音楽も色褪せて聞こえちゃうんだから、やっぱり筋立てって大切なんだね。

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ランボー 怒りの脱出

2016年03月27日 21時33分46秒 | 洋画1981~1990年

 ☆ランボー 怒りの脱出(1985年 アメリカ 94分)

 原題 Rambo:First Blood Part II

 監督 ジョージ・P・コスマトス

 

 ☆まだ大勢残ってる

 ランボーが最後にいう台詞だけど、なんでか説明できないんだけど僕はこの台詞が無性に好きだ。

 ベトナム戦時行方不明者MIAを奪還するっていうアクション作品はほかにもいくつか観てるけど、この作品よりもおもしろいものはなかったような気がする。でも、評判も悪いんだよね。大学のとき、知り合いの半分以上はこの映画に否定的だった。ていうより、鼻で嗤って、ばかにされてた。なんでかな~とぼくはおもってた。だって、おもしろいじゃんね。ジェリー・ゴールドスミスの音楽も出色の出来栄えだとおもうしさ。

 まあ、いまさらこの物語について書いても仕方ないし、実をいえば書くことはなんにもない。スタローンっていう人は自分でもそういっているからか、脳味噌が筋肉で出来ているってことになってるけど(まじか?)実はとっても勤勉な人で、物語のつぼもちゃんと押さえてるっておもうんだよね。特にこの作品の場合、ジェームズ・キャメロンと共同執筆してるし、うまく作ってあるっておもうんだけどな。

 それに、この時代のスタローンは肉体もいちばん美しく仕上がってるんじゃないかって気がする。どんな具合にあの肉体をつくり上げたのかは知らないし、知ったところでどうなるものでもないし、それを真似しようともおもわないけど、でも、なんとなく憧れちゃったりもしたのだ、少しは。

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陽だまりハウスでマラソンを

2016年03月26日 00時00分00秒 | 洋画2013年

 ☆陽だまりハウスでマラソンを(2013年 ドイツ 105分)

 原題 Sein letztes Rennen

 監督・脚本 キリアン・リートホーフ

 

 ☆78歳にしてベルリンマラソンに挑戦

 それだけの映画なんだけど、これが上手に撮れてるんだ。

 1956年のメルボルン五輪マラソン競技で金メダルを獲得したんだけどもはや伝説というよりも忘れ去れた観のある爺さんの話で、老人ホームに入居させられながらも一念発起してベルリンマラソンに出ると決め、決死のいきおいで練習していくところが物語の核になってる。もちろん、本番のマラソンが佳境なのは当たり前なんだけど、それまでにまあいろいろとある。

 ドイツの喜劇俳優ディーター・ハラーフォルデンがまたいい。人間、年を食えば食うほど味が出るもので、この人も例外じゃない。病気の奥さんに助手をさせても、老人ホームの縛りから脱するべく走るわけだけれども、つまり、他人に束縛されることの辛さは堪えがたいという意識が、かれをして走らせるんだね。こういう気持ちはよくわかるし、老人ホームについてまわる自由なき束縛観の打破、あるいは過去の栄光や名誉などすぐに忘れ去られてしまう辛さ、さらには人間らしく老いて初めて人生の充実があるのだという主題は、ぼくは好きだな。

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プレステージ

2016年03月25日 21時01分16秒 | 洋画2006年

 ◇プレステージ(2006年 アメリカ、イギリス 128分)

 原題 The Prestige

 監督 クリストファー・ノーラン

 

 ◇稲妻博士ニコラ・テスラの逸話

 そう捉えるのが製作する際の発想に近いような気がするんだけど、そんなことないんだろうか?

 ちょっとおもったのは、やっぱりクリストファー・ノーランは縦の構図が好きなんだな~ってことだ。構図というと語弊があるかもしれないけど、マジックの最後の仕上げつまりプレステージのときに奈落に用意されている水槽に落ちていくことそのものが縦の構図じゃないかって気がするんだよね。それと、19~20世紀にかけて実在したニコラ・テスラの高圧実験の副産物ともいえる物質電送によって複数の自分が存在してしまうのも、これまたひとつの多重世界なわけで、これもやっぱりノーランの好みなんだろな~って感じだ。

 ただなんていうのか、ぼくはそもそも手品にあんまり興味がない。洋画を観てるとマジックを扱った作品は少なくないし、たとえばラスベガスなんかでもマジック・ショーは評判みたいな気がするんだけど、これって国民性なのかしらね。

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風とライオン

2016年03月24日 20時27分17秒 | 洋画1971~1980年

 ◇風とライオン(1975年 アメリカ 119分)

 原題 The Wind and the Lion

 監督・脚本 ジョン・ミリアス

 

 ◇風はルーズベルト、ライオンはライズリ

 1904年に実際に起こった遊牧民族ベルベル人のリフ族の族長による在モロッコの米国人誘拐事件がモデルになってるらしい。で、ベルベル人とアメリカとの間にごたごたがあり、誘拐されたペデカリス氏は生還したとかって話なんだけど、映画ではその紳士が夫人に置き換えられて、キャンディス・バーゲンが演じてる。族長のライズリはもちろんショーン・コネリーだ。

 この映画が封切られた当時、ぼくはまだ高校生で、実をいえばこの映画を初めて観たのはテレビだったんじゃないかな?たぶん、大学のときだったとおもうんだよね。だって封切られたときはぼくの住んでた田舎町まで降りてこなかったし、ということはつまりそれほど大ヒットしたわけじゃないんじゃないかっておもうんだよね。でも、ぼくがこの作品を観るのを楽しみにしていたのは、なんといってもジョン・ミリアスが監督だったからだ。

 あの頃、ぼくは妙にミリアスに親近感があった。黒澤明を信奉しているってところがとっても好きで、コッポラやルーカスの仲間だって印象が強かったから、なおさらだった。そんなこともあって、この『アラビアのロレンス』のモロッコ版みたいな作品にはずいぶんと入れ込んでいたんだけど、やっぱりっていうか、恐れていたとおりっていうか、なんだか雑な仕上がりだな~とおもった。

 でも、それは当時のことで、今あらためて観直すとその荒々しさもわざとだったのかもしれないね、だってベルベル人の人生や誇りみたいなものを表現するには、きわめて野蛮な印象を観ている者に与えるには荒々しい演出と編集と絵づくりが必要なんだって、ミリアスはおもったかもしれないなって気がするからだ。

 いずれにせよ、誘拐される貴婦人という気丈な役どころはキャンディス・バーゲンはよく演じてたし、ショーン・コネリーもまた粗暴ながらもイギリスやフランスの介入を上手に利用してモロッコとその族長を守っていこうとする矜持をちゃんと表現できていたかもしれないなっておもうんだよね。

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狼の挽歌

2016年03月23日 19時50分39秒 | 洋画1961~1970年

 ☆狼の挽歌(1970年 イタリア 100分)

 原題 Città violenta

 英題 Violent City

 米題 The Family

 監督 セルジオ・ソリーマ

 

 ☆う~ん、マンダム

 たぶん、この映画を劇場で観たのは一回だけだとおもう。けど、かなり頻繁に観てきた。もちろん、エンニオ・モリコーネのサントラ盤も買い、厭きるくらい聴いた。でも、あらためておもうんだけど、いったいなにがここまで、この映画はぼくらを惹きつけるんだろう?やっぱり、ブロンソンの魅力なんだろうか?当時、といってもテレビでこの映画を観て大興奮したぼくは、ブロンソンに嫉妬していた。だって、ジル・アイアランドを奥さんにしてんだよ。やきもちくらい焼くさ。

 そんなことはどうでもいいんだけど、簡単に言っちゃえば、やっぱりフォード・マスタングのどえらく強烈なカーチェイスと、ガラス張りエレベーターの狙撃に尽きる。かっこよかったな~。たしかに歳月を経て観直すとそれなりに単調だし、迫力に欠けるところも見られるものの、でも、やっぱりこのときのブロンソンは渋くて、男臭い。それが、かっこいいんだ。

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ヒッチハイク

2016年03月22日 00時38分43秒 | 洋画1971~1980年

 ◇ヒッチハイク(1977年 イタリア 104分)

 原題 Autostop rosso sangue

 英題 Hitch-Hike

 監督 パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ

 

 ◇70年代を代表する官能映画

 といっても過言でないくらい、当時の純朴な青少年はこの映画に魅惑された。

 いやもう少し正確にいえば、この映画の宣伝に踊らされた。だって、コリンヌ・クレリーなんだもん。当時、コリンヌ・クレリーといえば、ラウラ・アントネッリと競い合うくらいにニッポンの純真な少年たちをどきどきさせていた。かくいうぼくもそうだ。コリンヌ・クレリーと聞くだけですぐさま『O嬢の物語』をおもいだし、それだけで息を荒くした。なんという情けなさかとおもうけど、事実なんだから仕方がない。

 で、まったく洋画の宣伝部も困ったもので、そういう青少年の心を知った上で、コリンヌ・クレリーがヒッチハイカーにおもいきりレイプされる映画らしい、というだけの宣伝をして釣った。ぼくらは釣られた。映画の中身なんかどうでもよく、脚本も絡んでいる監督のパスクァーレ・フェスタ・カンパニーレが実は高名な脚本家で、ヴィスコンティとも組んでて『山猫』や『若者のすべて』の脚本も書いたすごい人物だってことなんかこれっぽっちも教えてくれず、ひたすらコリンヌ・クレリーの陰毛まるだしの機関銃をかまえた姿や股をおもいきりひろげたスチールやらを宣材にして釣りに釣った。ぼくらは釣られた。

 だから、未だにこの映画を観るときはおもいきり不条理な内容やおもいもよらない展開や色と金に溺れる人間の業どかいった主題はそっちのけで、コリンヌ・クレリーのレイプされる場面だけを期待しているという、あまりにも愚かしい劣情に見舞われるのだ。

 ぼくらは、未だに釣られている。あかんで、そんなの。

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虹蛇と眠る女

2016年03月21日 19時28分02秒 | 洋画2015年

 ☆虹蛇と眠る女(2015年 オーストラリア、アイルランド 111分)

 原題 Strangeland

 監督 キム・ファラント

 

 ☆虹蛇は誰だ?

 多くの場合、邦題はつまらないものになっててほんとにがっかりするんだけど、この作品はそうじゃない。

 よくぞつけたっていうくらい、見事な邦題だとおもうんだよね、少なくとも僕は。

 舞台はオーストラリアの砂漠にあるナガスリという小さな村だ。そこでバツイチのニコール・キッドマンが薬局を経営しているジョセフ・ファインズと新しい生活を始めているところから始まる。キッドマンはどうも夫婦仲がよくなくて、もうどうしようもないほど性衝動が高まってて、要するに性の飢餓にあるんだけど、そこへもって娘のマディソン・ブラウンが母親の淫乱な血だけを受け継いだような行動をとるものだから余計に狂おしくなってくる。そんな中、この娘が息子のニコラス・ハミルトンともども神隠しに遭うんだね。

 で、ナレーションは、そのマディソンの「わたしを見つけて、わたしに触れて」てな感じで、まあこれが印象的なんだけど、これに加えてアボリジニの虹蛇の伝説が絡む。虹蛇ってのは精霊で、アボリジニにとってはいちばん大切なもので、かついちばん恐れるものでもある。かれらは歌うように「最初は白い者、次は黒い者。子供が消える、ここはそういう土地」といい、神隠しにあった子供に会うためには「虹の蛇が二人を飲み込んだ。歌えば帰ってくる」といってくる。謎の言葉だよね、まったく。

 けど、観ている内に、白い者とはなにか、黒い者とはなにか、虹蛇とはなにか、歌うとはどういうことかって疑問が湧く。こういうおもわせぶりな映画の場合、これらの暗喩しているものがなんなのかは明確にはされないんだけど、キッドマンの周辺とその行動を観ていると、なんとなく察せられる。

 で、薬剤師のジョセフ・ファインズ、すぐ隣に棲んでる警官のヒューゴ・ウィービングとかの行動を観ていると、これまたちょっとずつわかる。つまり、16歳になったばかりの義理の娘マディソンとファックしているんじゃないか、とか、アボリジニの恋人がいながらやっぱりマディソンとファックしている、とかっていうとんでもない相姦関係が浮かんでくる。これに加えて、野獣のような付近の高校生どももマディソンとファック用コンテナの中でいつもファックしてるとかって話になれば、もう、精液の匂いが充満してきそうなほど陰鬱な気分になってくる。

 ところが、映像が美しいものだから、真夏の暑さもさほど感じられず、砂嵐が魔性を呼びこんだような幻想的な雰囲気まで漂ってくるため、そうした淫靡さがやけに芸術的な高みに変わっていく。いやもう虹蛇の見立てのような涸れた川や道路がくねくねと蛇行し、乾き切った砂漠では蛇の死骸に蠅がたかっている。そう、すでに虹蛇は死んでしまい、魔性に変化してしまってるんだよね。で、その魔性とはなにかってことになる。人に巣食って、その本性を引き摺り出していく存在なんだろうけど、これが実際の人間なのか、それともキッドマンたちの心に棲みついてしまった精霊なのか、それを判断するのは観る者なんだよね。

 いやまあ、この女性監督、凄腕の感性だわ。

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コッポラの胡蝶の夢

2016年03月20日 19時55分16秒 | 洋画2007年

 ☆コッポラの胡蝶の夢(2007年 アメリカ、ドイツ、イタリア、フランス、ルーマニア 124分)

 原題 Youth Without Youth

 監督・脚本 フランシス・フォード・コッポラ

 

 ☆1938年ルーマニア・ブカレスト

 もう少しまともな邦題はつけられなかったんだろうか?胡蝶の夢はたしかに本編中でも語られるんだけど、どうしてもこの作品について人が話そうとするときこの荘子の故事について余分な説明をしなければならなくなり、それは結局のところ、この作品のおもしろさを伝える上で余計なものになりかねない。困っちゃうんだよね、そういうの。

 老け役もいとわず、老人から若者として甦った夢とも現実ともつかぬ第二次世界大戦前夜の日々を送ってゆくことになる学者を演じたディム・ロスと、その巡り合うべき運命を背負わされながら前世の言語と記憶をおぼろげに持つ女性を演じたアレクサンドラ・マリア・ララは、うん、いかにも知的な俳優できわめて好感触だ。

 ただ、永年の夢だった「言語の起源の研究」についてどのような結論をひきだすことになったかというその解答が映画そのものの世界というだけではなかなか理解を得られにくいんじゃないかって気がするんだよね。もちろん、コッポラの美的な才能は遺憾なく発揮されてるし、そういう作品つくりについては撮影も編集もなんの文句もつけようがないんだけどさ。

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恋におちて

2016年03月19日 19時13分46秒 | 洋画1981~1990年

 ◎恋におちて(1984年 アメリカ 106分)

 原題 Falling in Love

 監督 ウール・グロスバード

 

 ◎ダイヤル回して手を止めろ

 世の中、ずっと純粋な不倫映画はヒットしてきた。

 不倫が文化かどうかは知らないけど、世の中の老若男女すべてがなんだかんだいっても不倫に興味がないってことはないんじゃないかっておもうんだ、ほんとのところ。けど、インターネットが普及して、この21世紀の初頭、もうなんか不貞行為をしでかした人間は次から次へと凄まじい勢いで否定され、いったい誰に対してのものかはわからないけど晒し者のような状態で謝罪させられる時代になっちゃった。

 でも、かといってこの先、こういう純粋な不倫をあつかった映画が撮られなくなるかっていえば、たぶん、そうじゃない。世の中の人達のエキセントリックな不倫否定はわからないじゃないんだけど、もしも不倫をちょっとでも肯定するような作品が世に出てきたとき、デモ行進とか起きて、上映反対運動とか始まっちゃうんだろうか?まじに、そんな時代が来てるんだろうか?

 だとしたら、たとえば、デヴィッド・リーンの『逢びき』とか、ステファヌ・ブリゼの『シャンボンの背中』とかが名画座で上映されたりしても、卵とかぶつけられちゃうことになるんだろうか?そんな時代にぼくは生きてるんだろか?う~ん。どうしたもんだろね?

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グリーンマイル

2016年03月18日 18時57分09秒 | 洋画1999年

 ☆グリーンマイル(1999年 アメリカ 188分)

 原題 The Green Mile

 監督・脚本 フランク・ダラボン

 

 ☆1935年ノースカロライナ州コールドマウンテン

 スピルバーグが予告編を見ただけで4回も泣いてしまったという作品だが、たしかにスティーブン・キングの原作の中では際立って感動的なものではないかっておもえる。いやぼくは活字を読みこむ能力があまり芳しくないので、実をいうと原作はあまり感動しなかったんだけど、映画は実に上手に作られてるとおもった。

 特筆すべきは冤罪の死刑囚ジョン・コーフィを演じたマイケル・クラーク・ダンカンで、この193センチの黒人俳優がいなかったら、もしかしたらこれだけ感動的な映画にはならなかったんじゃないかって感じもある。もちろん、ダンカンより8センチも上背のあるジェームズ・クロムウェルも出演してるからほんとは巨人って感じじゃないんだけど、そのあたりは上手に撮ってる。フランク・ダラボンの演出の勝利だね。

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パトリオット・ゲーム

2016年03月17日 00時32分08秒 | 洋画1992年

 ◇パトリオット・ゲーム(1992年 アメリカ 117分)

 原題 Patriot Games

 監督 フィリップ・ノイス

 

 ◇愛国者のゲーム

 ハリソン・フォードのジャック・ライアンは2作しかなかったんだ~といまさらながら気がついた。たしかにこの作品と『今そこにある危機』しかおもいうかばないんだからそうなんだけど、シリーズが何作も映画化されているのにこれといった適役がいなかったんだろうか?

 ま、そんなことはさておき、この作品は世界観としてはとてつもなく大きなものという感じじゃないんだよね。たとえば『レッド・オクトーバーを追え』みたいな大掛かりなものじゃないってことだけど、それでもアイルランド共和軍暫定派(IRA)による英国王室のホームズ卿を暗殺しようっていう計画の打破ってのが舞台設定になってる。ただ、この作品の場合、英王室からナイトの称号を賜ってホームズ卿を守るというのはあくまでも表向きな動きで、映画の中で語られるのは、暗殺を阻止したことで家族を狙われる羽目になってしまったジャック・ライアンが妻と娘の災難を乗り越えて復讐にやってきた暗殺者どもを返り討ちにするという、なんとも小さな戦いに凝縮されてる。

 いかにもハリソン・フォード的なジャック・ライアンなんだよね。

 それはともかくジェームズ・ホーナーの音楽がちょっと不気味さがあっていい感じだ。ただ、暗殺現場にたまさか居合わせたハリソン・フォードが飛び込み、シーン・ビーンの弟を射殺するという導入なんだけど、サーの称号が与えられるのはよほどの光栄なんだね。感覚として、日本だったら卿とかいわれるんだろうか。レディは夫人なんだろうけど、貴族を無くされた国の人間がなにか考えても仕方ないか。

 ただ、何度観なおしても話は小さい。17歳だった弟の復讐に高速道路で妻子を襲い、娘の脾臓を摘出させるほどの危険運転に追い込む狂気の逆怨みっていうだけの話だ。IRAを誹謗することなく物語を進めていかなくちゃいけないからそのぶん苦労したんだろうけど。とはいえ、IRAの大物リチャード・ハリスに喧嘩うっちゃうんだから、ま、そのあたりは感情の突っ走りだ。

 話は飛ぶけど、衛星って凄いな。砂漠の中のおっぱいまで鮮明に写しちゃうんかよ。もう、最後になると思想とかじゃないんだね。父親を警察に殺されたこともあって、怨みの矛先がジャックライアンに集中しちゃうんだね。まあ、物語ってのは、これでいいんだろうけど。

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