Kinema DENBEY since January 1. 2007

☆=☆☆☆☆☆
◎=☆☆☆☆
◇=☆☆☆
△=☆☆
▽=☆

東ベルリンから来た女

2013年11月30日 19時20分26秒 | 洋画2013年

 ☆東ベルリンから来た女(2013年 ドイツ 105分)

 原題 Barbara

 staff 監督/クリスティアン・ペツォルト

     脚本/クリスティアン・ペツォルト  ハルーン・ファロッキ

     撮影/ハンス・フロム  美術/K・D・グルーバー

     衣裳デザイン/アネッテ・グーター 音楽/シュテファン・ビル

 cast ニーナ・ホス ロナルト・ツェアフェルト ヤスナ・フリッツィー・バウアー

 

 ☆1980年、東ドイツ

 そのバルト海に面した小さな村の話だ。

 西ドイツへの移住申請をしたことで目をつけられた女医が、

 東ベルリンからその村に監視をつけられたまま左遷されてる。

 彼女は国外脱出する気だ。

 なぜって、恋人が西側にいるからで、西にいって自由になりたいと熱望してる。

 毎日が緊張の連続で、ときおり家宅捜査もされ、それだけではなく、

 彼女は裸に剥かれて身体検査を受けなければならない。

 その際、余計な物を所持していないか、膣の中まで検査される。

 人権なんてものは存在しないのだと突きつけられるような軟禁状態で、

 ここで出会った医師に惚れられ、緊張が徐々に解けていき、

 やがては強制労働場から脱走してきた少女を匿い、

 自分の代わりに脱出させ、自分は医師と恋をし、東に棲むことを決意する。

 むろん、ベルリンの壁の崩壊は目前に迫ってるわけだけど、、

 好い面の皮なのは、西側の恋人だ。

 必死になって東側まで逢いに来て、ダンヒルの煙草とか差し入れしてるのに、

 彼女は自分の悩みを聞いてくれそうな優しげな同僚の誘いに応えるわけで、

 これについては、ぼくみたいにモテナイ男は「そんなばかな」といいたくなる。

 西側の男は多額の金を用意して、恋人をひたすら待ってるのに、

 その金は労働場を脱走してきた少女のために使われるわけで、

 たしかに人道的にいえば、少女は妊娠してたし、自由になりたいと欲してたし、

 自分はもしかしたらこの先も脱国できるかもしれないし、てなことから、

 自分のために用意してくれた海からの脱出劇に少女を行かせるんだけど、

 西で待ってた恋人は、少女をまのあたりにした瞬間、

「げ」

 というんだろな~とおもうと、なんだか、その男が可哀想で仕方がない。

 つきあってる男が必死に自分を救おうとしてくれてるのに、

 しかも、逢いに来てくれて、

 森の中やらホテルやらで何回もセックスまでしてるのに、

 いくらなんでもそりゃないだろ…と、モテナイぼくはおもってしまう。

 もちろん、映画の主旨からはまるで離れて、感動することすら忘れてる。

 こんなアホはぼくはさておき、

 映像は非常に落ち着いてて、ぴりぴりした緊迫感とリアルさに満ちてる。

 夏なのかどうかもよくわからない寒々しさで、

 もはやいい年になってしまった女医の人生の空しさもひしひしと感じる。

 ポスターはあまりにも若く綺麗に処理されてるけど、

 銀幕の中の彼女は凄絶さすら感じる。

 壊れたピアノの他にはなにもない部屋で暮らし、病院に通う。

 ピアノの調律師が同僚の男の善意で、派遣されてくるけど、

 それもまた監視のためかと感じ、最初は断る。

 けど、男の善意なんてものは、好きだから善意を見せるわけで、

 好きでもない相手に善意なんて見せない。

 その善意を、彼女は「下心ないんだろな」って受け止めたんだろか?

 そのときは下心はなくたって、恋愛感情に発展するってことを、

 彼女のように頭の好い女医でも、わからなかったんだろか?

 ま、

 結局、恋人は棄てられるわけだから、

 遠く離れてしまえば愛は終わるのかしらね。

 まあ、それだけ、彼女は祖国なのに孤独だったってことなんだろう。

 生まれ故郷にいても孤独感に包まれなくちゃいけない国は、

 やはりまちがってたんだろな。

コメント

ザ・プラマー 恐怖の訪問者

2013年11月29日 13時13分10秒 | 洋画1971~1980年

 ▽ザ・プラマー 恐怖の訪問者(1979年 オーストラリア 76分)

 原題 The Plumber

 staff 監督・脚本/ピーター・ウィアー

     撮影/デヴィッド・サンダーソン 編集/ジェラルド・ターニー=スミス

     音楽/ジェリー・トランド ロリー・オドノヒュー 製作/マット・キャロル

 cast ジュディ・モリス アイヴァー・カンツ ロバート・コールビー アンリ・ゼプス

 

 ▽不条理すぎる配管工

 年賦を見てみると、

 この作品はピーター・ウィアーが35歳のときのテレビ映画らしい。

 よくもまあこれだけ起伏のない物語をテレビ放映したな~、

 っていう驚きもさることながら、もっと驚くのは、

 ピーター・ウィアーにとってこの作品は4本目の監督作品で、

 なおかつ、

『ピクニックatハンギング・ロック』を撮った4年後に製作していることだ。

 これは、

 ほんとに同じ人間が撮ったんだろうかっていうほどの衝撃だわ。

 いやまじで。

 ピーター・ウィアーは寡作な人で、70年代から90年代の前半までは、

 ほぼ2年に1本の割合で映画を撮ってきたけど、

 その後は5年に1本しか撮らなくなっている。

 だから、1本1本にかなりちからが入っていて、たしかに凄い。

 ところが、なんでなんだかよくわかんないんだけど、この作品がぽつんとある。

 なんで、この、

 いきなりマンションにやってきた配管工に、

 浴室を占拠されるってだけの作品が撮られたのか、

 ほんとによくわかんない。

 これは、もはや、想像力の勝負だろう。

 たしかに配管工はちょっと不気味で分裂症ぎみで、腹立たしい男なんだが、

 配管工の存在に形而上学的な意味をもたせるのか、

 あるいはホラーとかSFとかいった要素を加味させるのか、

 それともテレビ局とピーター・ウィアーとの確執を想像するのか、

 さらには、ピーター・ウィアーという名前がおんなじ監督がいたのか、

 ともかくも、

 鑑賞者としてのぼくたちが自分なりの判断と想像で、

 この得体の知れない話で語られていないものを考えるよりほかに、

 いっさい、手はない。

 けど、なんにも浮かんでこない。

 ぼくは、どうすればいいのだろう。

コメント

ニライカナイからの手紙

2013年11月28日 18時15分26秒 | 邦画2005年

 ◎ニライカナイからの手紙(2005年 日本 113分)

 staff 監督・脚本/熊澤尚人 原作・プロデューサー補/堀込寛之

     撮影/藤井昌之 美術/花谷秀文 音楽/中西長谷雄

     主題歌/永山尚太『太陽ぬ花』作曲:織田哲郎

 cast 蒼井優 平良進 南果歩 金井勇太 かわい瞳 比嘉愛未 中村愛美 前田吟

 

 ◎八重山諸島、竹富島

 題名がすべてを物語っているから、メモを取っておくこともないだろな~、

 とかおもって観たんだけど、途中で「ん?」とおもった。

「あれ?ニライカナイって、黄泉の国のことだよね?」

 話は、ごく単純だ。

 東京へ行ってしまったまま帰ってこない母の南果歩から、

 毎年、娘の蒼井優のもとへ誕生日に手紙が届く。

 母親が家を出ていった理由については20歳の誕生日に送る手紙に書くとある。

 そんなことをいわれても6歳の娘にはよくわからないし、

 長ずるに従い、母親のいなくなった理由を知りたくなるのと同時に、

 母親にも腹が立つし、郵便局長の祖父にも腹が立ってくるようになる。

 すでに他界した父親の遺品のカメラをいじっている内にカメラマンを希望し、

 やがて祖父の反対をおしきって上京するんだけど、

 まあそれは母親がいるにちがいない東京へ行けば、

 もしかしたら母親に会えるかもしれないという漠然とした希望もあった。

 けれど、唯一の手掛かりは消印の捺された渋谷の郵便局だけで、

 そんなところへ行ったところで何もわかるはずはないんだけど、

 実はこの郵便局に秘密があり、

 そこの局長の前田吟はどうやら蒼井優を知っているらしい。

 このあたりで、おおくの観客は「なるほど、そういうことね」と気づくんだけど、

 ニライカナイの意味を知っているぼくらは「ようやくか」とおもってしまうんだ。

 ま、結論からいえば、母親は不治の病で、すでに他界しており、

 郵便局長だった祖父の案で、

 蒼井優が二十歳になるまで毎年、誕生日に手紙が届くように書けといわれ、

 病床の母親は気力をふりしぼって愛情のこもった手紙を書き、

 その手紙を渋谷の郵便局長が投函し、祖父が届けるということにしていた。

 だけでなく、どうやら、島のひとびとはみんながその事実を知ってるようで、

 誰もが蒼井優の成長を見守り、母親はとうに死んでしまったにも拘わらず、

 彼女の中だけでは生き続けているようにしてくれていたらしい。

 こうした事実が語られてきたとき、

「あ、そういうことだったのか」

 と、ようやくわかった。

 自分のあほさと単純さと早とちりさが、身に沁みた。

 ニライカナイについて、もう一度、考え直した。

 そもそもニライカナイは、琉球のはるか東にある異界で、

 神の国でもあるとともに、死者の国でもある。

 ニライは根の国を意味し、カナイは彼方を意味する。

 だから、彼方にある根の国、つまり、東の海の中にある黄泉の国なわけだ。

 要するに、あの世だ。

 でも、ここの神は年の初めにやってきて、年の終わりに帰るんだけど、

 そのとき、琉球に豊饒をもたらしてくれる。

 だから、そこから手紙が届けば、当然、母親は死んだんだな~とおもうし、

 あの世からの手紙ってタイトルはそのままじゃんっておもうんだけど、

 実は、そうじゃない。

「あ、そういうことだったのか」

 とおもったのは、ニライカナイの持っている意味の深さだ。

 ぼくたちのよく知っている昔話では、海の底にあるのは龍宮で、

 それはいいかえれば、理想郷とか楽土とかいった意味を含んでいる。

 単なる死後の世界つまりあの世っていうわけじゃない。

 たしかに母親は死の寸前に手紙を書いたから、

 その手紙が以後14年間にわたって届くとき、母親はすでに死んでいる。

 なるほど、あの世から届けられる手紙に間違いはない。

 でも、この手紙が娘のもとまで届くためには、

 渋谷と西富島の郵便局員たちの協力がなければならない。

 また、島のひとびとのあたたかく見守る心がなければならない。

 たったひとり残された蒼井優の心を守るために、みんなが一致団結した。

 そうした心は、美しい。

 この美しい人々のいる国こそが、理想郷であり楽土であるといえるんじゃないか。

 しかも。

 舞台になってる竹富島には、

 旧暦8月8日に、ユーンカイ(世迎え)という神事がある。

 西海岸のニーラン石の所で、

 ニーランの国から船に五穀豊穣を積んでくるニーランの神を迎える。

 つまり、ニライカナイがきわめて色濃く残された島っていうことになるよね。

「やられたな~」

 と、ぼくはおもった。

 この映画が感動的なのは、

 なにも、死の床についた母親が手紙をしたためるということではなく、

 また、その健気なひたむきさに娘が衝撃を受けるということでもない。

 島のひとびとと郵便局の無垢な愛情をしみじみと感じ取れることだ。

 だから、この作品は好い。

コメント

チェイサー(1978)

2013年11月27日 17時51分41秒 | 洋画1971~1980年

 ◇チェイサー(1978年 フランス 124分)

 原題 Mort d'un Pourri

 英題 DEATH OF A CORRUPT MAN / THE TWISTED DETECTIVE

 staff 原作/ラフ・ヴァレ『Mort d'un Pourri』

     監督/ジョルジュ・ロートネル

     脚色/ジョルジュ・ロートネル ミシェル・オーディアール 撮影/アンリ・ドカエ

     音楽/フィリップ・サルド テナーサックス/スタン・ゲッツ

 cast アラン・ドロン モーリス・ロネ オルネラ・ムーティ ミレーユ・ダルク

 

 ◇黒幕はクラウス・キンスキー

 高校の頃、この作品をテレビで観て、

 湖のほとりで鴨打ちに行くアラン・ドロンの恰好がかっこいいとおもった。

 黒のTシャツにアーミージャケットを羽織り、猟銃を構えてた。

 スカーフがちょっと邪魔くさいんじゃないかともおもったけど、

 ともかく、いつか、黒いTシャツにアーミージャケットを着ようとおもった。

 でも、すぐに忘れてしまい、

 大学に入って『タクシー・ドライバー』でまたアーミージャケットに出くわし、

 やがて気がついたら、

 アーミージャケットはぼくの数少ない洋服のメイン・アイテムになってた。

 さらには、いつのまにやら、アーミーコートまで手に入れ、

 いまではそのコートも三代目になってる。

 といっても、実家に置きっぱなしだから、さすがに最近は羽織ってないけどね。

 どうやら、70年代から80年代にかけて、

 この恰好は当時の若造の小汚いファッションの定番だったんだろう。

 で、その鴨打ちの際に登場してくるのが、クラウス・キンスキーだ。

 これほどふてぶてしい顔がほかにあるかってくらいのいかつい顔で、

 いかにも黒幕の政治家や実業家の似合う面構えで、

 当時のぼくはとても好きになれない顔つきだった。

 ま、それはさておき、

 ぼくは音楽がまるでわからず、この映画もジャズがふんだんに掛けられてる。

 好きな人にはたまらないんだろうけど、

 ぼくみたいなど素人には、

「やっぱりフランス映画が音楽も洒落てるな~」

 くらいにしかわからなかった。

 もちろん、いまもよくわからない。

 そのかわり目を奪われたのは、オルネラ・ムーティだ。

 焦点の定まらないようなものすごく薄い青色の瞳が印象的だった。

 ただ、アラン・ドロンと恋仲になるのかとおもえば、そうじゃない。

 彼女は、殺された友達の愛人なんだよね。

 ドロンは、

 この友人の遺した政財界の汚濁が記されたセラノ文書をオルネラに預け、

 友人殺しの真犯人を追いかけていくわけだけど、

 オルネラが凶弾に倒れるまで、友人の愛人という立場を尊重してる。

 このあたりの禁欲的な渋さが、なんかいいんだわ。

コメント

セラフィーヌの庭

2013年11月27日 03時35分49秒 | 洋画2008年

 ☆セラフィーヌの庭(2008年 フランス、ベルギー、ドイツ 126分)

 原題 Seraphine

 staff 監督/マーティン・プロボスト

     脚本/マーティン・プロボスト マルク・アブデルヌール

     撮影/ロラン・ブルネ 美術/ティエリー・フランソワ

     衣装/マデリーン・フォンテーヌ 音楽/マイケル・ガラッソ

 cast ヨランド・モロー ウルトリッヒ・トゥクール アンヌ・ベネント ニコ・ログナー

 

 ☆1912年、パリ郊外サンリス

 Senlisというのは、パリの北40kmにある古い町だ。

 そこにひとりの女性画家がいて、

 セラフィーヌ・ルイ(1864-1942)っていうんだけど、

 この映画は、彼女が48歳になった頃から晩年までを描いてる。

 なんでそんな中途半端な後半生だけを映像化したのかといえば、

 彼女を見出したひとりの画商とセラフィーヌの物語だからだ。

 画商はドイツ人で、ヴィルヘルム・ウーデという。

 ピカソとも親交があって、肖像画も描いてもらった仲らしい。

 ウーデは画商というより収集家のようなところがあり、

 かれのいうモダン・プリミティブ派すなわち素朴派の絵を愛した。

 アンリ・ルソーを見出したのもウーデだ。

 ウーデはプロシア生まれなのにドイツに対して好印象は持っていなかったようで、

 のちに、第一次世界大戦のときにコレクションを没収されて強制送還されても、

 戦後になるや、すぐにフランスへ戻ってきたような男だった。

 もちろん、パリにはウーデのようなドイツ人は少なくなくて、

 かれらが集っていたのは、カフェ・ドームだったらしい。

 懐かしのカフェ・ドームには、ぼくも若い頃に数回だけど、足を運んだ。

 ちょっとばかしきどった観光客にはありがちな行動だけど、

 なんだか芸術好きな大学生みたいじゃん?

 ま、それはそれとして、

 結婚はしたけど半年くらいして離婚して、

 その妻はロベール・ドローネーの奥さんになった。

 映画の中にも描かれてることだけど、どうやら同性愛者だったらしい。

 セラフィーヌがウーデの奥さんじゃないかと嫉妬めいた感情を向けるのは、妹だ。

 で、やや時は前後するけど、そんなウーデがサンリスに避暑にやってきたとき、

 家政婦として雇ったのがセラフィーヌだった。

 そこで、当時48歳のセラフィーヌの描いたリンゴの絵に衝撃を受けるわけだけど、

 それまでセラフィーヌは絵画の勉強なんてしたこともなく、

 パリへ奉公に出たとき、雇われた女学校でデッサンの授業を覗き見したりして、

 まったく独学で絵を描いてきたらしい。

 故郷のサンリスに戻ってからはサン・ジョゼフ・ドゥ・クリューニ女子修道院に雇われ、

 そこで下働きをしながら、デッサンのまねごとをしていたくらいだ。

 修道院を出てから10年ほど家政婦の仕事をし、そこで独自の絵を描くようになった。

 ただ、この10年というもの、セラフィーヌは極貧の生活をしていて、

 とても画材を買えるような身分じゃなかった。

 だから、動物の血や、教会で盗んだ蝋燭の蝋や、野原の植物を擂り潰したもので、

 自分なりの絵を描くことしかできなかった。

 ただし、白色だけは作ることができなかったから、白絵の具だけは画材屋で買った。

 そんなセラフィーヌだから独特の絵になるのはきわめて当然なことで、

 しかも、修道院にいたとき守護天使から絵を描くように啓示を受けたっていうんだから、

 これはもう他のどんな画家とも共通項のない絵になるのは当たり前だったろう。

 いいかえれば、

 敬虔なセラフィーヌという処女のありのままの絵になるしかなかったろう。

 素朴派好みのウーデが心を奪われるのは、これまた当たり前で、

 ウーデはドイツへ強制送還されるまで、セラフィーヌを励ました。

 戦後、フランスに戻ったウーデは本格的にセラフィーヌのパトロンになり、

 つぎつぎに大作を描かせ、好事家に紹介した。

 このおかげでセラフィーヌの才能は世の人々の知るところとなって、

 一挙に家政婦から画家への道をたどり、生活も豊かなものになった。

 ところが、世界恐慌に見舞われたためにウーデの生活も逼迫し、

 セラフィーヌへの支援も滞ったんだけど、悲劇はここで起こる。

 セラフィーヌは修道院とアトリエと自然しか知らない処女で、

 ウーデが金持ちだと心に刷り込まれてしまっているから、

 貧乏になったといってもまるで信じない。

 世間知らずの無垢な女が、愛人が破産してもそれを信じようとせず、

 いつまでも愛人が金持ちだとおもいこんで、

 金を入れてくれなくなったときに自分は棄てられたのだと狂乱するのに似ている。

 セラフィーヌの心はあまりにも純粋だったけど、同時にあまりにも強情だった。

 というより、精神的にどこかアンバランスなところがあった。

 たぶん、男を知らないセラフィーヌにとって、ウーデはたったひとりの男性で、

 そこには恋愛感情にもにた強烈な感情があったんだろう。

 妹を奥さんかと疑い、

 資金援助を断たれたときに捨てられたと思い込むのは、痛いほどよくわかる。

 結局、セラフィーヌの心は崩壊し、ウェディングドレスをまとって買い物をする。

 心の奥にあったウーデとの結婚がそのまま常軌を逸した行動に走らせたんだろうけど、

 そんなセラフィーヌを待っていたのは、

「系統的迫害妄想、精神感覚性幻覚、根本的感受性障害」

 という冷酷な診断で、クレルモン・ドゥ・ロワーズ精神病院に収容される。

 1932年、68歳のときのことだ。

 以後10年、彼女は絵を描くことなく病院で生活し、やがて死ぬ。

 ウーデが他界したのは1947年のことだけど、その2年前、

 つまり、セラフィーヌが亡くなって3年後のことになるんだけど、

 みずから提唱し、パリのギャラリー・ド・フランスでセラフィーヌの個展を開いた。

 パリが解放されてすぐのことで、セラフィーヌはその成功を理解していたのかどうか。

 ともかく、そんなふたりの経緯を、映画は淡々と描いてる。

 この描き方が実に見事で、

 なにより、セラフィーヌを演じたヨランド・モローの演技は凄まじい。

 セラフィーヌがのりうつったんじゃないかってくらい、天才と狂気を演じ切っている。

 この映画が賞をとらないはずはないよね。

 ただ、セラフィーヌは女性版ゴッホとかいわれるけど、

 たしかにふたりの絵は尋常な絵ではなく、生命力の塊のようなところがあるけど、

 その筆致はまるで異なる。

 ゴッホとおなじような人生を送っているからそう呼ばれるんだろうけど、

 セラフィーヌの絵そのものは、きわめて性的だ。

 枝に繁る葉の一枚一枚を驚くほどの丹念さで描いてるんだけど、

 多分に主観的ながら、ぼくには、その花のような葉すべてが女性器に見える。

 陰毛につつまれた、さまざまな色彩をおびた穢れのない性器で、

 それはそのままセラフィーヌという処女の自画像のように見えてくる。

 こんなふうに書くと「おまえ、おかしいんじゃないか」とかいわれそうだけど、

 だって、そう見えるものは仕方ないし、

 処女でありつづけたセラフィーヌにとって、

 絵を描くこと自体、そのままセックスだったんじゃないかっておもえるんだよね。

 同性愛者だったウーデはそういう不思議なセックスを敏感に感じ取り、

 セラフィーヌのもっている性的な願望や衝動を、

 すべて受け入れ、絶賛したんじゃないかな~と。

 ちなみに、セラフィーヌの作品はたった1点だけ、日本にあるらしい。

 世田谷美術館の収蔵品だそうだから、今度、実物を観に行かなくちゃ、ね。 

コメント

ノーベル殺人事件

2013年11月26日 00時42分33秒 | 洋画2012年

 ◎ノーベル殺人事件(2012年 スウェーデン 90分)

 原題 Nobels testamente

 米題 Nobel's Last Will

 staff 原作/リサ・マークルンド『アニカ・ベングッソン』

     監督/ピーター・フリント 製作/ジェニー・ジルベルトソン

     脚本/パーニラ・オリルンド 撮影/エリック・クレス 音楽/アダム・ノルデン

 cast マリン・クレピン レイフ・アンドレ エリック・ヨハンソン ペール・グラフマン

 

 ◎あってはならない犯罪

 ていうか、よくまあ、ノーベル財団がこの映画の製作を許したもんだ。

 日本だったら何に当たるのかわからないけど、

 ともかく、はなから相手にされないか、話を聞いた後で拒否されるのがオチだろう。

 それが、生理学・医学賞の選考委員会で不正があったかもしれないという、

 なんとも厄介な事件をでっちあげる作品を作ることに、

 まるで意義を唱えなかったっていうのは、

 要するに、

 欧米における映像文化の成熟度が日本よりも高いってことなのかもしれないね。

 ノーベル生理学・医学賞の選考委員会は、

 ストックホルムのカロリンスカ研究所に置かれてるんだけど、

 もちろん、この研究所が事件の主要な舞台のひとつになるわけで、

 映画の撮影時、委員会のひとたちはいったいどんな気分だったんだろう。

 ぼくは気が小さいものだから、

 こんな映画はとても作れないけど、この作品のスタッフはたいしたもんだ。

 もしかしたら、選考委員会の人達もノーベル財団も、いたって開放的で、

「そりゃ、おもしろい。殺されるのは、わたし?」

 とかって訊いてくれたかもしれないけど、どうだったんだろうね?

 ノーベル賞を受賞すると、

 ことに生物学や医学の分野では、巨額のお金が動くことが多々ある。

 この事件の場合、ES細胞の研究開発に携わった学者が受賞し、

 舞踏会の最中、かれと、踊っている相手の女性とが標的になり、

 かれは太股を負傷しただけだったんだけど、女性は即死した。

 この女性が選考委員会の委員長で、

 もちろん、この事件の勃発あたりから、

 標的は学者じゃなくて委員長だろな~とかいう想像はついてくる。

 で、

 委員会に圧力をかけた医薬品の企業あたりが黒幕なんじゃないかな~、

 てな予測も立ってくるんだけど、

 事件を目撃した新聞記者マリン・クレピンが実際に追われ始めるのは、

 ずいぶん佳境が近づいてからで、

 その前に息子が通っている保育園でいじめに遭い、怪我をするんだけど、

 ぼくは、

 マリン・クレピンの家のとなりに引っ越してきた隣人まで敵の暗殺一家なんか!?

 だとしたら、こりゃ、相当にでかい組織ってことになるじゃん!

 とかって、一瞬わくわくしたんだけど、あれれ、一般の母親の姿でしかなく、

 この怪我がもとで夫婦に亀裂が走り、不倫の匂いが漂い始めて、

 その相手になりそうな野郎が事件に大きく関与してるみたいで、

「え?もしかしたら、この一連の長い息子話はその巡り合わせのためなの?」

 とかっておもった瞬間、ちょいと肩のちからが抜けた。

 ま、そんなこともあったりして、

 展開の緊迫度はかなり薄れてるし、

 ぼくとしては、

 暗殺者と新聞記者との対決、さらには黒幕への肉薄を期待してるわけで、

 そういう面からいえば、うまく出来てはいるんだけど、

 肩透かしを食らったかなって気分ではある。

 

 

コメント

ザ・リング

2013年11月25日 00時47分10秒 | 洋画2002年

 ◇ザ・リング(2002年 アメリカ 116分)

 原題 The Ring

 staff 監督/ゴア・ヴァービンスキー

     脚本/スコット・フランク アーレン・クルーガー

     撮影監督/ボージャン・バゼリ 撮影/グレイグ・ウッド

     美術/トム・ダフィールド 衣装デザイン/ジェリー・ウェイス

     特殊メイク/リック・ベイカー 音楽/ハンス・ジマー

 cast ナオミ・ワッツ マーティン・ヘンダーソン デイヴィッド・ドーフマン

 

 ◇70億円の低予算映画

 日本とアメリカとじゃ、まるで予算がちがう。

 70億円もあったらどれだけ巨大な映画が作れるのか想像もつかない。

 なのに、アメリカじゃ、低予算のB級ホラーだ。

 市場の差ってやつをまざまざとおもいしらされるよね。

 でも、おもしろさが予算に比例するとは限らない。

 あ、いや、アメリカ国内でのおもしろさは比例するのかもしれないけど、

 ともかく、ハリウッドからすれば信じられないような超低予算の邦画界では、

 もともとの『リング』はかなりよくできた作品だった。

 日本的な恐ろしさが満載されていたから、

 いったいどう調理すればアメリカ的な「リング」が出来上がるんだろうとおもってた。

 で、観た。

 なるほど。

 リングの世界の持っているのは、井戸の中のような陰湿な恐ろしさだ。

 それが、妙な怪物譚になってた。

 派手なアクションはそもそも必要ないのに、

 なんで、ナオミ・ワッツはあんなに挑戦的に行動するんだろう?

 ただ、実はぼくはこの作品が公開されるまで、

 ナオミ・ワッツを知らなかった。

 ナオミという名前がアメリカではよくある名前だと聞かされても、

 どうしても直美っていう漢字とかが頭に浮かんじゃうから、

「へ~、日米の混血なのかな~」

 とか、あほな想像をしてたりした。

 いや、ほんと、無知ってのはホラーよりも恐ろしい。

コメント

KT

2013年11月24日 20時55分00秒 | 邦画2002年

 ◇KT(2002年 日本、韓国 138分)

 staff 原作/中薗英助『拉致 知られざる金大中事件』

     監督/阪本順治 脚色/荒井晴彦 脚本協力/丸内敏治 西田直子

     撮影/笠松則通 美術/原田満生 装飾/大光寺康衣裳/岩崎文男

     音楽/布袋寅泰 主題歌/布袋寅泰『FROZEN MEMORIES』

 cast 佐藤浩市 原田芳雄 筒井道隆 香川照之 柄本明 光石研 麿赤兒 江波杏子

 

 ◇1973年8月8日、金大中事件

 そのとき、ぼくは中学生だった。

 なにがなんだかまるでわけがわからない事件で、

 愛知県の田舎に住んでいたから、

 ホテルグランドパレスっていうホテルがどこにあるのかもわからなかったし、

 KCIAこと韓国中央情報部なる組織があるなんてことは全然知らなかった。

 ただ、とんでもない事件が起きたってことだけはなんとなくわかった。

 でも、その後、ぷっつりと情報は途切れ、

 金大中という名前だけが、やけに印象深いまま、記憶に残った。

 その後、なんだかんだと見たり聞いたりしてる内に、

 おおまかに事件の概要はわかったけど、それが映画になるとはおもわなかった。

 もっとも、

 映画の中では、

 事件に関与した少なくない日本人をすべて出すわけにもいかなかったろうし、

 全体的にあいまいさも残したままエンドマークになってる。

 興味深く観たのは、筒井道隆だ。

 帰化して、母国の言葉も喋れずに過ごしてきた彼にとって、

 韓国の情勢は、知っていなくちゃいけないだろうけどよく知らない世界で、

 そんな若者が事件に巻き込まれるわけだから、

 できれば、この若者を中心に描いてほしかった気がしないでもない。

 そうすれば、

 事件をまるで知らない観客の目線と合致するわけで、

 おおまかなことは知っていても事件の核心や全貌が完全にはわかっていないという、

 駒のひとつにすぎない自衛官たちや新聞記者らの目線で描かれるよりも、

 ぼくみたいな素人にはわかりやすかったかもしれない。

 そうじゃないと、

 三島由紀夫のことが大好きで、その思想に傾倒していた自衛官が、

 なんでKCIAに協力するのかいまひとつ納得できないんだもん。

 ま、それはそれとして、

 布袋寅泰の主題曲『FROZEN MEMORIES』はよかった。

 短い主旋律が繰り返し奏でられるのは、

 その昔『渚の白い家』でかまやつひろしが音楽を担当したときみたいに、

 なんだか妙な酩酊状態になり、サスペンスの盛り上がりに共鳴できる。

 この音楽がないと、かなりきつかったかもしれないわ。

コメント

黄色い星の子供たち

2013年11月23日 20時44分09秒 | 洋画2010年

 ◎黄色い星の子供たち(2010年 フランス、ドイツ、ハンガリー 125分)

 仏題 La Rafle

 英題 The Round Up

 staff 監督・脚本/ローズ・ボッシュ 撮影/ダヴィッド・ウンガロ

     美術/オリヴィエ・ロー 衣装デザイン/ピエール=ジャン・ラロック

     挿入歌/エディット・ピアフ『Paris』

 cast メラニー・ロラン ジャン・レノ ガド・エルマレ ラファエル・アゴゲ アンヌ・ブロシェ

 

 ◎1942年7月16日、ヴェル・ディヴ事件

 正式には、ヴェロドローム・ディヴェール大量検挙事件っていうんだけど、

 どうやら、近頃のフランスでは、この事件を知らない若者が増えているらしい。

 嘆かわしい話だけど、ちょっと驚いたのは、

 フランス政府がナチスへの加担を1995年まで正式に認めてなかったことかも。

 ナチスに占領されていた時代のできごとは関係ないという姿勢だったらしく、

 まあ、そういいたくなるのはわからないではないけど、

 実際にヴェル・ディヴ事件は起こってるわけだからね~。

 で、どんな事件かっていえば、

 ユダヤ人の大量検挙を目的とした「春の風作戦」により、

 パリ市内および郊外在住のユダヤ人1万3152人を一斉に検挙して、

 市内にある冬季競輪場ヴェロドローム・ディヴェールに強制収容し、

 そのあらかたを絶滅収容所へ送りつけたのが、それだ。

 黄色い星の子供たちは、ここに4115人、いた。

 メラニー・ロランはそこで赤十字から派遣された看護婦をつとめ、

 ジャン・レノはユダヤ人ながらも医師だったために収容所への移送が送らされていた。

 このふたりの目撃するという形になっているのがこの映画で、

 主役となるのは、ユダヤ人のガド・エルマレ一家だ。

 実はこの一家は実在している。

 たったひとり、長男のジョゼフ・ヴァイスマンだけが逃げ、生き延びた。

 この役をやったのはユーゴ・ルヴェルテという11歳の少年で、

 知的な目をして、必死になって役になりきり、物事をしっかり見つめようとしている。

 いや、ほんと、いい表情だった。

 ジョゼフ・ヴァイスマンは、このたびの撮影にも参加したらしい。

 孫の手をひいてヴェル・ディヴに収容された役を演じ、

 メラニー・ロランと対話した。

 メラニーは、経由先であるロワレ県ボーヌの収容所までかれらに付き合うんだけど、

 食事もかれらとおなじものを食べたことで痩せ細り、倒れる。

 実際、彼女はそのときのストレスと栄養失調が元で帯状疱疹になり、倒れたとか。

 なんだか、デ・ニーロ・アプローチみたいだけど、

 この6人しか派遣されなかった内のひとりで実在する看護婦の名前は、アネット・モノ。

 人権について生涯訴えた人らしい。

 その看護婦の魂がのりうつったように、メラニー・ロランはがんばってる。

 帯状疱疹の薬によるものか、

 それとも、

 役に入れ込みすぎて子供たちを列車から引き摺り下ろさんばかりに怒り、

 それが頂点に達したためか、

 ともかく、ぎらぎらと光る瞳のまま痙攣を起こして倒れ込んだらしい。

 凄い話だ。

 正義感があって、同時にとってもやさしい女性なんだろう。

 そうした心の美しさが、そのまま容姿に満ちてるみたいで、

 だから、メラニー・ロランが好きなんだよな~。

コメント

ブーリン家の姉妹

2013年11月23日 15時15分47秒 | 洋画2008年

 ◎ブーリン家の姉妹(2008年 イギリス、アメリカ 114分)

 原題 The Other Boleyn Girl

 staff 原作/フィリッパ・グレゴリー『The Other Boleyn Girl』

     監督/ジャスティン・チャドウィック 脚本/ピーター・モーガン

     撮影/キーラン・マクギガン 美術/ジョン=ポール・ケリー

     衣裳デザイン/サンディ・パウエル 音楽/ポール・カンテロン

 cast ナタリー・ポートマン スカーレット・ヨハンソン クリスティン・スコット・トーマス

 

 ◎1536年5月19日、アン・ブーリン斬首刑

 罪状は反逆、姦通、近親相姦、魔術ってことになってて、

 しかも姦通した男は5人で、

 その内の1人は弟ジョージで、これが近親相姦の罪とされた。

 ほんとかどうかは、専門外のぼくが知ってるはずもない。

 でも、当時の大英帝国の歴史はかなり込み入ってるみたいで、

 姦通や近親相姦が皆無だったとはちょっとおもえない。

 だって、やがてエリザベス1世を産み落とすアンの夫ヘンリー8世も、

 少なくとも8人の王妃を抱えていて、その内の4人がアンと血縁関係にある。

 アン、アンの妹メアリ、アンの母エリザベス・ハワード、母方の従妹キャサリン・ハワード。

 つまり、

 ハワード家の女たちがヘンリー8世の嗜好に合ってたってことになるのかもしれない。

 でもまあ、書き出してみても凄い話で、

 これがほんとうだったら、親子どんぶりとかいった次元じゃない。

 ちなみに、上記キャサリンも後に姦通罪で処刑されてるわけだから、

 やっぱり、皆無じゃないんだろう。

 でも、姦通はまだしも、

 近親相姦とかってなると、おぞましさも手伝って罪に値するんだろうけど、

 ヘンリー8世のように一族の血をわけた女性を愛人するのは罪にはならない。

 最初の王妃キャサリン・オブ・アラゴンも、ヘンリーの兄アーサーの妻だったし、

 そのあたりの詳細な家系図を作れば、

 やはり庶民とは比べるのも愚かなほど入り組んだものになるんだろう。

 で、アンだ。

 アンがどんな性格だったのかはわからないけど、

 もともと侍女として仕えてたキャサリンを追い出して王妃になったわけだし、

 このいざこざのせいで、

 大英帝国がカトリックと袂を分かつてイギリス国教会をつくる元にもなるしで、

 大英帝国の歴史には欠かすことのできない女性ってことになる。

 あ、忘れない内に書いとくと、

 このときの宗教改革でひと役買ったのが、トーマス・クロムウェルだ。

 クロムウェルは、

 政敵で献身的にカトリック擁護の立場にあったトーマス・モアを処刑に追い込んだ。

 まあ、クロムウェルについては後で触れるけど、

 アンのしでかしたのは、宗教改革の要因だけじゃなくて、

 なんでも前王妃キャサリンの生んだメアリ1世のことは、

 以前に愛人だったヘンリー・パーシー伯爵に「殺す」といっていたっていうし、

 実際、メアリを娘エリザベスの侍女にしてるし、

 キャサリンが幽閉先で他界したときなんて、ヘンリー8世と祝宴まで開いた。

 まあ、実際、又従姉妹のジェーン・シーモアを侍女にしてたんだけど、

 このジェーンにヘンリー8世の心が移っていくんだから、

 人間の運命なんてものは、ほんと、先が知れない。

 ちなみに、ジェーンが平均的な容姿だったのに比べ、アンは美人だったらしい。

 とはいえ、黒髪で、色黒で、小柄で、痩せてたらしいから、

 妹のメアリが金髪で、肌白で、豊満だったのに比べてかなり見劣りする。

 その分、性格が烈しかったんだろうけどね。

 このアンを演じたのがナタリー・ポートマンで、

 妹のメアリはスカーレット・ヨハンソンが、

 母のエリザベス・ハワードはクリスティン・スコット・トーマスが演じてる。

 キャスティングは好い感じだった。

 ナタリー・ポートマンの高慢さと自惚れと虚栄心とがごっちゃになった演技は、

 最終的にその自尊心のために自滅してしまうラストによく繋がってる。

 そんな気がした。

 で、ここでまたクロムウェルの登場ってことになるんだけど、

 アンの処刑についても、王とジェーン・シーモアとの婚姻についても、

 全面的に支持してる。

 そんなこともあって、クロムウェルの息子グレゴリーの妻は、

 ジェーン・シーモアの妹エリザベスってことになったんだろうけど、

 これほど王室に食い込んだクロムウェルもまもなく失脚してる。

 ジェーンが産褥死したためにヘンリー8世の4人目の妻を探さなくちゃいけなくなり、

 後のドイツのユーリヒ=クレーフェ=ベルク公ヨハン3世の娘アンナ・フォン・クレーフェこと、

 アン・オブ・クレーヴズを推薦したものの、この結婚は半年で破綻した。

 このせいでクロムウェルは反逆罪で告発され、処刑された。

 首は、トーマス・モアの首が吊るされたロンドン橋に吊るされた。

 このクロムウェルの姉キャサリンの玄孫が、

 イギリス史ではただ一度だけ共和制に移行したときの立役者オリバー・クロムウェル。

 オリバーの遺骸はロンドン塔に吊るされたから、なんだか運命的な話だけどね。

 さらにちなみに、

 アン・オブ・クレーヴズの後、ヘンリー8世の5人目の妻になったのが、

 アン・ブーリンの従妹のキャサリン・ハワードなんだけど、

 こちらのキャサリンも不義密通を疑われて逮捕、処刑された。

 ヘンリー8世の6人目にして最後の妻になったのは、キャサリン・パー。

 ヘンリー8世の3人目の妻ジェーンの兄トーマス・シーモアの恋人だったんだけど、

 別れさせられて王妃になった。

 まあ、ヘンリー8世が死んでから、このふたりは復縁する。

 とはいえ、トーマス・シーモアもまた困ったもので、

 ふたりは、アン・ブーリンの遺児エリザベスをひきとってたんだけど、

 この寝室に入り込んで、不義密通を疑われた。

 で、エリザベスはシーモア家から出され、紆余曲折の後に、

 エリザベス1世として王位を継承してる。

 それ以後のことは映画『エリザベス』の話だから、ここには書かないけど、

 なんにしても、もうなにがなんだかわからないくらい、ごちゃごちゃしてる。

 いいかえれば、大英帝国の王室史は、物語の宝庫だね。

 つぎつぎに映画が作られるのは、よくわかるわ~。

 あ、最後に、原題はThe Other Boleyn Girlだから、

 実際の主役はスカーレット・ヨハンソンってことになるんだろう。

 まあ、純粋なために不幸に見舞われてしまう女性が主役になるのは、

 物語の王道なのかもしれないしね。

コメント

グランド・イリュージョン

2013年11月22日 18時31分41秒 | 洋画2013年

 ◇グランド・イリュージョン(2013年 アメリカ 116分)

 原題 Now You See Me

 staff 監督/ルイ・レテリエ

     脚本/エド・ソロモン ボアズ・イェーキン エドワード・リコート

     原案/ボアズ・イェーキン エドワード・リコート

     撮影/ラリー・フォン ミッチェル・アムンゼン 美術/ピーター・ウェナム

     衣装デザイン/ジェニー・イーガン 音楽/ブライアン・タイラー

 cast ジェシー・アイゼンバーグ メラニー・ロラン モーガン・フリーマン マイケル・ケイン

 

 ◇Four Horsemen of the Apocalypse

『ヨハネの黙示録の4騎士』をもじった『the Four Horsemen』なわけだけど、

 秘密結社のthe eyeもなにやらフリーメーソン的な印象がぷんぷんしてる。

 まあ、この先、続編が作られたら、

 そのあたりのことも触れてくるかもしれないけど、

 今作は、そういう小難しいことはいっさいなくて、

 ひたすら4人のマジシャンと、かれらを利用した復讐劇に徹してる。

 マジックのネタ発見人モーガン・フリーマンと事業家マイケル・ケインは、

 5人目のホースメン、マーク・ラファロとの因縁話に関係してるだけだから、

 次回作があれば、この大物ふたりは出演しないのはわかる。

 狂言回しになってるメラニー・ロランにはなんとかして残ってもらいたいんだけど、

 たぶん、ほかのゲストがキャスティングされるんだろう。

 まあ、そんなことはともかく、

 全編にわたってマジックショーを見てるような疾走感があるのは好いんだけど、

 その分、主役のはずの4人の過去や経歴がまるで語られてないものだから、

 どうしても感情移入がしにくくなる。

 それと、モーガン・フリーマンが次々に種明かしをしていくのは痛快なんだけど、

 そのスピーディさに誤魔化されたような気分にならないでもない。

 実際、銀行破りにしても、現金強奪にしても、

 少人数で可能なものとはとてもおもえないし、

 マジックショーの演出にしてもおなじことだ。

 照明ひとつとってみても、

 おおがかりな人数を配置しなければ、できることじゃない。

 そんなふうに観始めちゃうと、どうしても途中で興醒めになってくる。

 エンドロールになって、おもしろかった、とはおもうものの、

 時間が経つに従って、

 観てる途中の疑問がむっくりと起き上がってきちゃうんだよね。

 タネのあるマジック、という前提があるものだから、

 余計に、そんなことをおもっちゃうのかもしれないね。

コメント

冒険者たち(1967)

2013年11月21日 01時54分07秒 | 洋画1961~1970年

 ◇冒険者たち(1967年 フランス 112分)

 原題 Les Aventuriers

 staff 原作/ジョゼ・ジョヴァンニ『冒険者たち』

     監督/ロベール・アンリコ

     脚色/ロベール・アンリコ ピエール・ペルグリ ジョゼ・ジョヴァンニ

     撮影/ジャン・ボフティ 美術/ジャック・ドイディオ 音楽/フランソワ・ド・ルーベ

     主題歌/アントニオ・カルロス・ジョビン『愛しのレティッシア』

 cast アラン・ドロン リノ・ヴァンチュラ ジョアンナ・シムカス セルジュ・レジアニ

 

 ◇口笛を吹きたくなるぜ

 凱旋門は、飛行機で潜ることができるのか?

 映画の中では、アラン・ドロンが科学的にはそれが可能だとして、

 果敢に挑戦するも、土壇場で中止に追い込まれるんだけど、

 1919年にそれをやってのけたとかいう話を聞いた。

 で、

 ジャン・ナヴァルっていう飛行士がいる。

 フランスの撃墜王だ。

 第一次世界大戦時の頃、まだ武装されていなかった飛行機に、

 ライフルやロケットを持ち込んで敵の操縦士を殺し、撃墜した。

 このナヴァルが死んだのが、凱旋門だ。

 でも、潜り抜けたんじゃなくて、

 戦勝のお祝いに門のまわりを旋回してるときに不慮の事故に見舞われた。

 てことは、たぶん、このナヴァルと『冒険者たち』が一緒くたになって、

「実際に、凱旋門を飛行機で潜り抜けた男がいる」

 っていう伝説ができていったんじゃないだろか?

 ま、そんな伝説を生むくらい、この映画は衝撃的なものだった。

 ぼくよりもひと世代上の人達はかなり影響を受けたらしく、

 初めて見たのがテレビの吹替え版だったぼくは、それほどでもなかった。

 で、何回か観てる内に「これ、おもしろいじゃん」っておもうようになった。

 なんといっても、冒頭、

 ジョアンナ・シムカスの冒頭と、車の解体工場のカットバックになるんだけど、

 そのとき、カットと主題曲の転調とが見事に合ってる。

 もちろん『愛しのレティッシア』の方が先にできてて、

 それに合わせて編集されたんだろうけど、すごく好い。

 ちなみに、この主題歌はレコード化もされた。

 ベルナール・ジェラール・オーケストラの演奏で、アラン・ドロンが歌ってる。

 まあ、歌ってるのか囁いてるのかよくわからないような歌なんだけど、

 アラン・ドロンはほかの歌もそうで、みんな、甘い囁きだ。

 けど、なんだか、いいんだよね。

 やっぱり、甘い囁きはフランス語じゃないとあかんわ~。

 ま、主題歌はさておき、この映画の見どころは後半にやってくる。

 ガスコーニュ湾(ビスケー湾)に浮かぶ島を舞台にした銃撃戦で、

 この島が、好いんだ。

 ラ・ロシェルっていう港町の沖合に浮かんでるんだけど、

 楕円形をした島全体が要塞になってる。

 ボイヤール要塞っていって、1801年に築城が始められたらしい。

 フランスを守るためにナポレオンが築城を命じたもので、

 びっくりすることに楕円柱の総3階建てのとてつもない要塞だ。

 実際の戦闘はなかったんじゃないかな~ておもえるくらい外見は綺麗なんだけど、

 中は、まるきりの廃墟になってる。

 ここで、クライマックスの銃撃戦がある。

 なんでここに行ったのかっていえば、

 財宝を探しに行ったとき、ジョアンナ・シムカスが故郷の沖の島の話をして、

 お金持ちになったらそこを買いたいといっていたからで、

 まあ、そこでアラン・ドロンは最期を迎えるわけだけど、

 もしも、この島で実際の戦闘がなかったとしたら、

 アラン・ドロンとリノ・バンチェラが最初の銃撃戦を展開したことになるし、

 歴史上唯一の死亡者がアラン・ドロンってことになる。

 ちなみに、この島を実際に買い取ったのは、フランスのテレビ局らしい。

 上陸できるようにして改修してくれないかな~。

コメント

しあわせのパン

2013年11月20日 01時32分54秒 | 邦画2011年

 ◇しあわせのパン(2011年 日本 114分)

 staff 監督・脚本/三島有紀子 撮影/瀬川龍

     美術/井上静香 衣裳デザイン/宮本まさ江 音楽/安川午朗

     フードスタイリスト/石森いづみ 吉川雅子 パン指導/高田真衣

     主題歌/矢野顕子 with 忌野清志郎『ひとつだけ』作詞作曲・矢野顕子

 cast 原田知世 大泉洋 余貴美子 平岡祐太 光石研 中村嘉葎雄 渡辺美佐子

 

 ◇かんぱいの数だけ、人は幸せになれる?

 そうじゃない場合もあるかもしれないけど、たぶん、そうなんだろう。

 ぼくは、へそまがりにできている。

 だから、素直にものを見られないし、素直にいいものはいいっていえない。

 幸せそうな笑顔にはうさんくさいものをかんぐりたくなるし、

 好い人の心の中のいろんなわだかまりやいやらしいところを覗きたくなる。

 まったく、どうしようもない性格だ。

 で、大泉洋が原田知世に、つくり笑顔をする必要はないといったとき、

「だよな~」

 とおもってしまう自分がいる。

 つまり、原田知世は心を病んでて、大泉洋が介抱してるわけだよね。

 いたわるというのは、なにもおためごかしをいうのではなく、

 共に暮らし、好きなことを好きなときに一緒にしていくことで、

 愉しい時間を共有していくことで、それが癒しにつながっていくという信念を、

 大泉洋はひたすら献身的に実践してる。

 ふたりの過去はまるで語られないけれど、

 どうやら、数回会っただけで、大泉洋はプロポーズしたらしい。

 都会で暮らしてた原田知世の身のまわりになにが起こったのか、

 くわしいことはよくわからない。

 でも、人間を信じられなくなるくらい手ひどい目に遭わされたであろうことは、

 なんとなくわかる。

 犯罪に巻き込まれたか、極度のイジメとかDVとかに見舞われたか、

 残酷で悲惨なものをまのあたりにしてしまったとか、よくわからないんだけど、

 ともかく、恋人に裏切られ、さらには親が亡くなったことで、

 心から笑うことができなくなってしまったようで、

 大泉洋はそんな原田知世のことを陰からずっと見つめてて、

 なにかのきっかけで話すようになって数回目で、プロポーズしたんだろう。

 ていうか、仕事場から強引に連れ出したんだけど、それはともかく、

 自分しかこの人を幸せにしてあげられないという決意と覚悟は相当で、

 ふたりは月浦に移住してからも、ほんとの夫婦じゃない。

 つまり、大好きになった人と共同生活をしているにもかかわらず、

 もしかしたら寝室は別々で、セックスどころかキスもせずに、

 原田知世の心が再生されていくのをじっくりと待ちながら暮らしてるんだろう。

 そんなことはなかなかできることではなくて、

 抱きしめたいとかいう衝動をおさえながら、

 美味いパンを作り、給食のパンとかも作って家計をささえなくちゃいけない大泉洋の、

 悶え苦しみ続けるさまや、葛藤や煩悶で夜も眠れないさまとか、

 もう、考えれば考えるほど、暗くて惨めで爆発したいような自我を抑える大泉洋は、

 なんだか天使のようにおもえてくるんだけど、

 実際、この天使は、パン屋にやってくる客たちにも憐憫をなげかけるんだから、

 その心の許容量はとても人間とはおもえないほどに大きいんだろう。

 なんだか、杜氏が酒を醸造していくさまに似ているとおもった。

 ぷくぷくと幸せという名の発酵が始まるのをただ黙って見てる、みたいな。

 一方、原田知世にしてみれば、

 大泉洋は最後の頼みの綱かもしれない人間なわけで、

 もしも大泉洋が倒れたり、気が変わったり、あきらめたりしちゃったら、

 その場で原田知世の心は崩壊して、死んでしまうだろう。

 だから、月浦へ移住するという決意を固めるまでは、

 もう自分で自分をおさえきれないほどの不安に苛まれたにちがいない。

 けれど、自己崩壊寸前の自分にとって、最後に勇気をふりしぼるのは、

 大泉洋にすべてを預けることだって自分をいいきかせ、都会を後にしたんだろう。

 で、つぎつぎに訪れる客たちに巡り合うわけだ。

 癒されたいのに癒されなかった人々に、

 癒しのかけらになると信じるパンをさしだすことで、

 もしかしたら癒されたかもしれないと客たちがおもうのをまのあたりにし、

 もう癒されないかもしれないと絶望する自分を癒すには、

 目の前の人を癒すことがなによりの方法なんだと本能的に自覚したとき、

 ようやく、大泉洋に心からの笑顔を向けて、乾杯ができるようになるんだよね。

 そういうふうにおもっていくと、

 どうやらこの作品は、大泉洋というひとりの男の壮絶な戦いの記録ってことになる。

 もちろん、そういう物語をリアルに描こうとおもえば、できるにちがいない。

 ていうか、その方がよほど楽だったかもしれない。

 けれど、リアリズムに徹すれば徹するほど、

 どこにでもあるような陳腐な作品になってしまいかねないという懸念はある。

 そうした懸念を、三島有紀子は承知していたんだろう、たぶん。

 だから、絵本にしたんじゃないかしら?

 パンも料理も、いや、羊も家もまわりの風物や風光もすべて、

 どこぞのレシピ本か絵葉書みたいな平坦で明るいパステル調の映像に仕上げ、

 どの場面もすべてを絵本のように作り込むことで、

 ものすごくどろどろした世界を浄化させ、童話めいた世界に作り変えるという、

 ある意味においては挑戦的な仕事に挑戦したんじゃないかしら?

 まあ、いつまでも少年のようなほんわかした表情の大泉洋と、

 いつまでも歳をとらずに少女のような笑顔ができる恐ろしい女優原田知世とが、

 うまくはまったっていうか、キャスティングの勝利のような映画だった。

 そんなふうに、ぼくは観た。

コメント

アメイジング・グレイス

2013年11月19日 11時41分04秒 | 洋画2006年

 ◎アメイジング・グレイス(2006年 イギリス 118分)

 原題 Amazing Grace

 staff 監督/マイケル・アプテッド 脚本/スティーヴン・ナイト

     撮影/レミー・アデファラシン 衣装デザイン/ジェニー・ビーヴァン

     ヘアメイク/ジェニー・シャーコア 音楽/デイヴィッド・アーノルド

 cast ヨアン・グリフィズ ロモーラ・ガライ ベネディクト・カンバーバッチ アルバート・フィニー

 

 ◎1787年5月、ウィルバーフォース活動開始。

 先に讃美歌Amazing Graceについてふれておくと、

 曲はアイルランドかスコットランドあたりの民謡を掛け合わせたものらしい。

 詞はジョン・ニュートンという牧師が書いた。

 1772年のことだ。

 ニュートンは1725年に生まれた。

 父親が船乗りだったもので彼もまた船乗りになり、奴隷貿易に従事した。

 でも1748年に嵐にあって神に祈ったことから心根が変わり、

 1755年についに船を下りて牧師になった。

 それで、Amazing Graceが作られたわけだけど、

 曲の中身は、

「神の恵みが自分を恐怖と苦悶と誘惑と愚昧から救ってくれた」

 っていうものだけど、もちろん、それは奴隷貿易の愚かさをいってる。

 さて、そこでこの作品だ。

 主人公はイギリスの政治家のウィリアム・ウィルバーフォースだ。

 ウィルバーフォースは奴隷廃止論者だが、かれに助言したのがジョン・ニュートン。

 このふたりの関係は映画にも出てくる。

 映画では、

 ウィルバーフォースが、親友にして首相のウィリアム・ピットに励まされ、

 その親友の死の一年後つまり1807年に、

 奴隷貿易廃止法案を可決させるところが中心になってるんだけど、

 いやまあ、実際のところは実に大変だったらしい。

 だって、奴隷そのものを廃止しなければ、

 貿易だけを廃止にしてもどうにもならないわけで、

 ウィルバーフォースの奴隷廃止運動は、

 1787年から1833年7月26日まで続けられた。

 その日は奴隷制廃止法案がようやく庶民院を通過した日だったんだけど、

 かれの死は、それからわずか3日後だ。

 映画は、もちろん、その過程をすべて描いているわけじゃない。

 年表みたいな物語を作ることほど愚かしいものはないからだ。

 そういう点、欧米の伝記物は映画の語り口と見せ場をよく心得てる。

 この映画も例外じゃなくて、

 ウィルバーフォースの熱血ぶりはよく描かれてるし、

 そこに友情と恋愛をほどよく絡めているのも上手だ。

 なんていうんだろ、

 伝記物の教科書みたいな映画だったな~。

コメント

Dr.パルナサスの鏡

2013年11月18日 19時42分27秒 | 洋画2007年

 ◇Dr.パルナサスの鏡(2007年 イギリス、カナダ 124分)

 原題 The Imaginarium of Doctor Parnassus

 staff 監督・美術/テリー・ギリアム

     脚本/テリー・ギリアム チャールズ・マッケオン

     製作/ウィリアム・ヴィンス エイミー・ギリアム

         サミュエル・ハディダ テリー・ギリアム

     撮影/ニコラ・ペコリーニ オリジナル・デザイン/ディヴ・ウォーレン

     衣裳デザイン/モニク・プリュドム 音楽/マイケル・ダナ ジェフ・ダナ

 cast ヒース・レジャー クリストファー・プラマー アンドリュー・ガーフィールド

 

 ◇2007年、ロンドン

 ヒース・レジャーの遺作になってしまったわけだけど、

 ちょっと驚いてしまうのは、テリー・ギリアムの撮り方が功を奏したのか、

 最初から仕組まれていたように、

 ヒースの絶対に必要とされる場面だけが撮り終えられていたことだ。

 もちろん、ヒース自身は、

 欲望を具現化する鏡イマジナリウムの中の自分も、

 すべて演じるつもりだったんだろうけど、おもわぬ効果を生んでる。

 たしかに、

 客の願望を形にしたヒースをジョニー・デップが、

 ヒース自身の願望を形にしたヒースをジュード・ロウが、

 博士クリストファー・プラマーの娘、

 リリー・コールの願望を形にしたヒースをコリン・ファレルが演じるというのは、

 こんなに豪華な配役になっちゃうんだとびっくりすることになるんだから、

 なんだか皮肉な話ではあるけどね。

 ただ、ヒースの友人のこの3人が、

 ギャラはすべてヒースの2歳の娘に捧げたってのは好い話だ。

 ただ、

 この物語の主役は誰になるんだろうっていう素朴な疑問なんだけど、

 そもそもの設定はクリストファー・プラマーだったんだよね?

 博士が悪魔と契約を取り交わしたことから悲劇が生じるわけで、

 さまざまな世界を巡ることとかをおもえば、

 なんだか、文学の世界に足を踏み入れたような感じもなくはない。

 そう『ファウスト』や『新曲』だ。

 このふたつはよくモチーフとして用いられるけど、

 おもってみれば、

 そのまま原作にした映画って見たことないな~。

コメント