Kinema DENBEY since January 1. 2007

☆=☆☆☆☆☆
◎=☆☆☆☆
◇=☆☆☆
△=☆☆
▽=☆

ルイーサ

2015年10月31日 01時04分34秒 | 洋画2008年

 ☆ルイーサ(2008年 アルゼンチン、スペイン 110分)

 原題 Luisa

 監督 ゴンサロ・カルサーダ

 

 ☆猫の名はティノ

 飼い猫が死んで、務めてた霊園を経営者が愛人を雇ってやりたいがために解雇され、家政婦として働いてた女優の家からも解雇され、遅配されていた給料はもはや期待できず、銀行の貯金はほぼ底を尽き、手持ちの金は500円しかないから猫の埋葬もしてやれずとりあえず冷凍庫に保存し、乗り方もわからない地下鉄で幸福のカードを売ろうとしたが売れず、ちんばの乞食になったり、めくらの乞食にもなってみたりしたけど無理で、あげくの果てに不良のスリどもからは暴行されるという、人生のどん底まで叩き落とされた還暦の老女の話なんて、いったいどこがおもしろいんだってなところなんだけど、実はすごくおもしろかった。

 片足の乞食とアパートの管理人とがなんとか彼女の理解者というか協力者になってくれるから、まあ、孤独だったのが孤独じゃなくなったってことだろうし、最後、猫の火葬を女優のマンションの屋上にあるごみ焼却炉でしてやったときにはちょっとばかり希望の灯が点ったような気もしないではないけど、そういう理不尽な物語を淡々と客観的に描くことで、恥も外聞も見栄もかなぐり捨てて死にもの狂いで生きようとする人間は傍から見てるとなんとまあ滑稽なんだろうってこともひしひしと伝えられてくる。

 いや、実にしっかり作られてる。ルイーサを演じたレオノール・マンソっていう女優さんも上手だったしね。けど、アルゼンチンって国はこういう人々が少なくないんだろうか?ブエノスアイレスってなんとなく行ってみたい感じのするところなんだけど、どうなんだろね。

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フランス、幸せのメソッド

2015年10月30日 01時46分58秒 | 洋画2011年

 ◇フランス、幸せのメソッド(2011年 フランス 109分)

 原題 Ma part du gâteau

 監督・脚本 セドリック・クラピッシュ

 

 ◇ダンケルクからパリへ

 出稼ぎをしなければ生きていけないくらいに工場が不景気となっているダンケルクのシングルマザーと、ロンドン勤務を終えたばかりの独身金融トレーダーの物語と聴けば、なるほどそういう男女が出会うわけねと誰でも考える。しかも、その男ジル・ルルーシュのマンションで、出稼ぎ女カリン・ヴィアールが家政婦として働くんだと聞けばなおさら、つまりは格差社会の中で雇われる側と雇う側とが互いの意見を罵るようにいいながらも恋に落ちる話なのねと推察するんじゃないかしら?

 ところが、そうじゃないんだよな。

 いや、たしかにふたりはデキちゃうんだけど、ことはそんなに単純じゃない。なぜって、カリン・ヴィアールたちの務めていた工場を閉鎖して工員らを解雇させたのは、ほかならぬジル・ルルーシュで、くわえてこのジル・ルルーシュが「家政婦と寝た」とか吹聴しちゃうんだからどうしようもない支配者階級のくそったれってことが暴露されちゃう。つまり、カリン・ヴィアール、そんな工場労働者の敵と寝ちゃったじゃんかわたしってば的な立場になっちゃうわけで、このあたり、なんとも皮肉な顛末になっていくんだけど、いやありそうでなさそうな展開ながら、なんだかリアルな顛末で、ぼくとしては充分におもしろかったわけです。

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トリック劇場版 ラストステージ

2015年10月29日 00時59分38秒 | 邦画2014年

 ◇トリック劇場版 ラストステージ(2014年 日本 114分)

 監督 堤幸彦

 

 ◇ラストなんだろう、たぶん

 まあ別にこの先続編が作られようが作られまいがどっちでもいいし、作られれば観るとおもう。

 で、そのたびごとになんとなく観て、ああ、阿部も年食ったな~とかいう感慨に浸るんだとおもう。

 いや実際のところ、このたびの作品は「トリック史上初の海外ロケなのだ」とかで、やっぱりずいぶんと画面の雰囲気がちがうのね的な感じはあった。そういうことからいえば徹底されたマンネリ世界がちょっとだけ崩れたような気がしないでもないんだけど、テレビシリーズの佳境のようなちょっぴりわくわくする感じはやはり劇場版では感じられない。

 とはいえ、赤道スンガイ共和国だの、呪術師ボノイズンミだの、ムッシュム・ラー村奥地のヤー村だの、シリーズの冒頭にリンクしているスンガイ=キンだのは、まあなんというか、そのときばかりはくすりとさせられる。させられるのだけれども、笑おうとか楽しもうとかそうした行為や気分に自分を持っていこうと努力している自分を発見してしまったとき、う~ん、やっぱりこのあたりで打ち止めの方がいいのかなあとおもわないでもなかった。

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ツリー・オブ・ライフ

2015年10月28日 11時20分55秒 | 洋画2011年

 ◇ツリー・オブ・ライフ(2011年 アメリカ 138分)

 原題 The Tree of Life

 監督・脚本 テレンス・マリック

 

 ◇息子の心象風景

 テレンス・マリックの映画は常に詩的であるのはいうまでもないことで、いまさら難しいんだよな~とかいって首をかしげたところでどうにもならない。その小難しさをどうやって受け止めるのかという立ち位置しかないんだから。で、この映画もそうで、しかも詩的な表現はさらに磨きが掛かって地球の歴史にまで内的世界がおよんでいくと、もはやその詩歌はテレンス・マリックのごく個人的な口笛みたいなものになっちゃう。

 そう、つまり、ショーン・ペンはテレンス・マリックそのもので、ブラッド・ピットとジェシカ・チャステインとの間に生まれ、育てられ、反発し、しかしながらどうしようもなく父親から受け継いでしまった血(遺伝子)の存在を認めざるを得ないような日々に苛まれているっていう展開なんだよね。

 ただ、これって、なにもテレンス・マリックにかぎったことじゃなくて、どこの国のどんな父親と息子にも訪れる懊悩で、親子であるかぎりどれだけ反発していようが畏怖していようがその信条や人生はなんとなく似てきちゃう。とはいえ、そういうものなんだなと軽く受け止められる場合はいいんだけど、テレンス・マリックのようにちょっと桁違いに映像詩にこだわる人間にとっては、そういう無意識下の意識というか、人類を含めて生きとし生きるものすべてに伝えられる遺伝子の意識にまで飛躍させて思考しないと気が済まなくなっちゃうのかもしれないね。

 けど、見せられる方としてはなかなか根性いるわな~。

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バトルフロント

2015年10月27日 00時00分12秒 | 洋画2013年

 ◇バトルフロント(2013年 アメリカ 100分)

 原題 Homefront

 監督 ゲイリー・フレダー

 

 ◇スタローンの後継ぎ

 もしかしたらそんなふうにスタローンとしてはおもってるのかもしれない。すくなくとも『エクスペンタブルズ』で共演したときに、スタローンはジェイソン・ステイサムのことをかなり気に入ったんじゃないかと。だから、みずからこの作品の製作・脚本を買って出たんじゃないかと。そんなふうにおもえるんだよね。なんか、もともとはスタローンがこの作品の主役をやるつもりだったとかって話も聞いたけど、もしもその噂がほんとうに流れてたんなら宣伝の一環だったような気がするんだよね。だって、この物語の主役はスタローンに向いてないもん。

 まあ、田舎のちんぴらを相手に元麻薬捜査官が喧嘩するっていうだけの話で、そのきっかけになったのが子供の喧嘩だったっていうんだから、なんだかものすごく狭い世界のちっぽけな話で、実をいえばこういう話は日本の田舎にだってある。子供の喧嘩に親が出てきて、しかもそのヤンキーの親がさらに兄弟のちんぴらにまで声をかけて暴力に訴えるっていう構図は反吐が出るくらい日本的だ。暴力的な脅しが通用すると信じてるのも日本的だし、ことに田舎なんかに行ったらまったくそこらに転がってるような話でしかない。

 そんな話がなんとなく受け入れられちゃうのは、やっぱり豪華な脇役たちだろう。ジェイソン・ステイサムとぶつかるのはジェームズ・フランコだし、その相方はウィノナ・ライダーだし、ヤンキーの母親はケイト・ボスワースだし、そういう点では安心して観ていられる。みんなでジェイソン・ステイサムを応援してやろうじゃないかっていうような家庭的な雰囲気で、けっこう暴力的な家庭映画を作ったんじゃないかしらね。

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グスコーブドリの伝記

2015年10月26日 00時13分30秒 | 邦画2012年

 ◇グスコーブドリの伝記(2012年 日本 85分)

 監督・脚本 中村隆太郎

 

 ◇ますむらひろしの猫

 どうしても『銀河鉄道の夜』と比較しちゃうのは、やっぱりキャラクターのせいで、こればかりはどうしようもないんだけど、当然ながらお互いに独立した作品なんだから中身はまるでちがう。どちらがどうとかいうことは抜きにして、ともかく『銀河鉄道の夜』が制作されたときからずいぶんとアニメも進歩し、絵作りにおいてはそのめざましさに驚いた。

 また、異世界をつくりあげるという点においては、いやまじ見事な出来栄えで、ファンタジーとしての濃度は実に濃い。宮沢賢治の世界観とキャラクターは上手にあしらわれているし、物語が流れていく上でそこに漂っている空気感もしっかりと感じられる。

 ただ、問題なのは、火山を噴火させることによってCO2を増やしイーハトーブを温暖化させ、冷害をふせぐというのが宮沢賢治がこれを執筆したときの主題だったようで、それをほとんど踏襲していることだ。たしかに佳境、火山を爆発させるために自己犠牲をともなってゆくという心映えの美しさは感じられるものの、物語よりもその設定には眉をしかめざるをえない。あまりにも安直に作り過ぎたんじゃないかって。ちょっと製作者側の考えが足りなかったんじゃないかと。

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最高の人生のはじめ方

2015年10月25日 02時04分33秒 | 洋画2012年

 ◇最高の人生のはじめ方(2012年 アメリカ 109分)

 原題 The Magic of Belle Isle

 監督 ロブ・ライナー

 

 ◇あまりにも安易な邦題のつけ方

 そういいたくもなるだろう。

 ロブ・ライナーの監督作品でも、こんな3作品がある。

 最高の人生の見つけ方 The Bucket List (2007)

 最高の人生のはじめ方 The Magic of Belle Isle (2012)

 最高の人生のつくり方 And So It Goes (2014)

 モーガン・フリーマンの出演作品だと、こんな作品が並ぶ。

 素敵な人生のはじめ方 10 Items or Less (2006)

 最高の人生の見つけ方 The Bucket List (2007)

 最高の人生のはじめ方 The Magic of Belle Isle (2012)

 ま、もとはといえば、こんなのがあった。

 最後の恋のはじめ方 Hitch (2005)

 ね、ほんと「好い加減にしてくれよ!」といいたくなっちゃうのは無理もないっておもわない?ちょっとどころか、かなり安易っていうか、適当すぎるんじゃないか?ぱっとこの一覧を見せられて、それぞれの作品について違いをいえる?とか訊かれたら、答えられる人間がいったいどれくらいいるんだろう?

 実をいうと、ウィル・スミスの出演した『最後の恋のはじめ方』はちょっと擱いとくけど、その前にならべた6本の映画はよく見ると4本しかない。ぱっと見ただけだとそれに気づかなかったりするのは、それだけ題名が似たり寄ったりだからだ。で、なんでこんなことになったのかといえば、最初はモーガン・フリーマンだった。そのあと、ロブ・ライナーと組んだことで題名が連鎖し、ついにはロブ・ライナー単独の作品まで似たような題名がつけられる始末になったっていうのが事の顛末だ。信じられないような安直さじゃんね。

 ま、それはともかく、作家という職業ももう嫌っていうくらいハリウッドの映画では主役になる。今回もそうで、モーガン・フリーマンは過去に栄光を手に入れた作家だ。で、人生の転機をはかろうとして別荘地にやってきたものの作品は書けず、ていうかもはや過去の人になっちゃってるんだけど、そのとき隣りの別荘にいる母子と出会って癒されてゆくというのが大筋だ。まあ、あまりにも決まり決まった展開だから、どうということはないんだけど、ヴァージニア・マドセン、魅力的な人だったのになんだかふくよかになっちゃって。作家の時の流れよりもそっちの方が気になっちゃったわ。

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小さいおうち

2015年10月24日 17時58分58秒 | 邦画2014年

 ◇小さいおうち(2014年 日本 137分)

 監督 山田洋次

 

 ◇こういう昭和もあったということで

 いつの時代も男と女がいて、そうである以上、不倫は決してなくならない。

 それは祖国が戦争をしていようがいまいが関係なく、なにかひとつきっかけがあれば男女は出会い、なにかひとつ引き鉄が引かれれば男女は抜き差しならない間柄になる。この物語の舞台は昭和10年に建てられた赤い屋根の小さな家だけれども、当時としてはかなりハイカラなものだったはずだ。当然、そこに棲んでいる家族はお金持ちで、だから住み込みの女中さんも雇える。息子が小児麻痺だったという理由はあるものの、でも、ブルジョワというくくりには入れられるだろう。当時、ここまでの家がいったいどれだけあったのかはわからないけど、それなりに裕福だったにちがいない。もちろん、人は裕福だから不倫をするわけではないし、どのような境遇にあっても機会が訪れてしまえばそうなる。だから、財産や地位はあんまり関係ないんだけど、たぶん、こういう設定の方が不倫に溺れてゆく人妻の姿は官能的になるんだろうね。

 ま、そんなことはいいんだけど、なんでかな、この頃の山田洋次の映画は一般的に見て裕福な家が描かれているような気がする。その理由についていろいろと考えてみたんだけど、結局、なんでなのかはわからない。でも、今の人達が映画を観るとき、かつて、そう昭和時代に撮られていた山田洋次作品の主人公たちの境遇はあまりにかけ離れているのかもしれないね。

 黒木華という女優さんはたしかに昭和的な顔をしていて、演技も淡々とした中での感情を上手に表現できる人だから、こういう役どころは似合ってるんだろね。なんていうか、バタ臭い顔をした主役級が多い中では異彩を放つといわれるのはよくわかる気もするわ~。

 

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ヒマラヤ 運命の山

2015年10月23日 00時40分02秒 | 洋画2009年

 ◇ヒマラヤ 運命の山(2009年 ドイツ 104分)

 原題 Nanga Parbat

 監督 ヨゼフ・フィルスマイヤー

 

 ◇1970年、標高8,125mナンガ・パルバート初登攀

 山を見るのも山を歩くのも好きだけど、困難な登攀をしてまで山を征服しようとはまるでおもわない。

 もちろん興味がないわけでもないんだけど、自分でやるとなるとどうしても尻込みしちゃう。そんな情けないぼくだから、当然、この映画のもとになった実話の存在は知らなかった。それも、ラインホルトとギュンターというメスナーなる家の兄弟がふたりして山に志を抱き、共にナンガ・パルバートにあるルパール壁に挑み、初登攀を達成しながらも、帰路、弟を失い、さらにそれが兄のせいであったと報道されるという、なんともいいがたい話だったなんてことはまるで知らなかった。ほんと、ぼくはものを知らない。こういうとき、つくづくおもうんだけど、どうにも仕方がない。

 で、この作品なんだけど、ヨゼフ・フィルスマイヤーという監督はフィクスのかっちりした絵を撮る人だな~って気がする。ずいぶん前の『秋のミルク』や『スターリングラード』なんかもそうだったけど、絵はとても綺麗だ。やっぱりこの作品もそうで、ヒマラヤの絵はたいしたもんだ。でもその分、淡々としてるんだよね。帰路、兄弟がはぐれ、離れ離れになっていくとんでもない運命のいたずらについてもやっぱり淡々としてる。冒頭、ドイツの故郷でのひとときも文藝調のきわめて美しい絵になってるしね。墓の下にある壁をふたりで競うように攀じ登っていくのはこれから先の象徴になってるんだけど、いい感じだった。こういうのをおそらく客観的な姿勢っていうんだろうけど、たぶん、とっても大人なんだとおもうわ、ヨゼフ・フィルスマイヤー。

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ものすごくうるさくて、ありえないほど近い

2015年10月22日 13時06分02秒 | 洋画2011年

 ◎ものすごくうるさくて、ありえないほど近い(2011年 アメリカ 129分)

 原題 Extremely Loud & Incredibly Close

 監督 スティーブン・ダルドリー

 

 ◎少年の視界と大人の世界との差

 幼い頃、まわりにはふしぎなことが溢れてて、それはほとんど魔法かSFの領域に近く、普段の生活とはまるで異なったきらきら輝く世界だったような気がする。つまりは少年の心がそうさせた想像の世界で、しかし、その想像の世界は現実の生活と密接にリンクしているものだから、どこまでが想像の領域だか現実の世界だかよくわからなくなったりもする。そのずいぶんと大仰なのが、この映画でアスペルガー症候群を患っているかもしれない電話恐怖症の少年トーマス・ホーンなのだろう。つまり、かれはどこのどの世界にもいる少年のちょっとばかりエキセントリックな少年だったとおもってもほぼまちがいない。

 ぼくもそうだったけど、少年の見る世界はあまり広くなく、それは大人からすればきわめて小さく狭い現実世界でしかない。だから初めてのおつかいで、少年はずいぶんな冒険に出るのだけれども、実をいえば大人たちはちゃんとわかってて、少年がどのような冒険をするのかを見守っている。この映画もそれと似たようなもので、ただ、見守るのはその時点では死んじゃってる父親トム・ハンクスだったり、少年の目からすればまるで子供に興味がなく自分もまた父親ほどには求めていない母親サンドラ・ブロックだったり、もしかしたらおじいちゃんかもしれないんだけど過去のトラウマによっていっさい言葉をしゃべれなくなってるマックス・フォン・シドーだったり、おばあちゃんのゾーイ・コールドウェルだったりする。その中でもスウェーデンの笠智衆マックス・フォン・シドーの演技と存在感はすばらしい。

 ただまあ、花瓶の中に入っていた鍵をめぐって、それが父親の遺したメッセージかもしれないと祖父とともに駆け回る少年とそれを陰から支えている母親という話はたしかに美しいんだけど、なにもかも美しく作られ過ぎてて、ニューヨークの人々はこんなに理解があって慈悲深いんだろうかって、ちょっとばかり首をひねりたくなったりする。

 あ、そうそう、セントラル・パークのトンネルだけど、いろんな映画で使われてるような気がするのは錯覚なんだろうか。たとえば、おんなじような年頃の少年をあつかったニコール・キッドマンの『記憶の棘』とかもそうじゃなかったっけ?

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パーフェクト・センス

2015年10月21日 00時20分26秒 | 洋画2011年

 ◇パーフェクト・センス(2011年 イギリス 92分)

 原題 Perfect Sense

 監督 デヴィッド・マッケンジー

 

 ◇ただ無くなっていくのみ

 たとえようもない悲しみに襲われてそこから解放されると同時に嗅覚が失われ、どうしようもない食欲が込み上げてそこから解放されると同時に味覚が失われ、こらえきれない怒りが暴発してそこから解放されると同時に聴覚が失われ、なにものにも代えがたい幸福感に包まれるのと同時に視覚が失われる。ただ、それだけの映画だ。

 もちろん、あらがう。あらがおうとするのは医者であるエヴァ・グリーンで、謎の感染症を受け入れながら懸命に対処していこうとするのは料理長のユアン・マクレガーだ。ふたりの置かれている設定はちょうどいいところなんだけど、結局のところ、なんにもできずにいるんだよね。

 こういうパニック物っていうのはどこかに希望の灯がないとただ追い込まれていくだけになっちゃう。やがて暗闇が訪れたときは幸せかもしれないけど、そこから解放されたときに、もはや逃げきれない悲しみと食欲と怒りがいっぺんにやってくるのはもはや自明のことで、映画の佳境でグリーンは「マンモスは徐々に滅亡したのではなくて一挙に氷河期が来たために滅亡したのだ」と独白する。胃袋に未消化の草があったことからそれは想像できるというのだけれども、人類もまた同じなのだという暗喩であるのはここに書くまでもない。

 でもな~どうにも未消化な物語なんだよな~。

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ハンガー・ゲーム FINAL: レジスタンス

2015年10月20日 02時01分21秒 | 洋画2014年

 ◎ハンガー・ゲーム FINAL: レジスタンス(2014年 アメリカ 123分)

 原題 The Hunger Games: Mockingjay Part 1

 監督 フランシス・ローレンス

 

 ◎三本指の敬礼

 まさしく、近未来革命物の王道を突き進んでる。

 予想を超えた展開はほとんどなく、こう持っていくしかほかにないだろうと予測されるのを1ミリも違えることなく突き進んでゆく単純さは観ていて清々しいほどだ。余分な伏線もなければ、衒いもなく、ただひたすらジャンヌ・ダルク物語のように展開していく。市井の少女が運命のなせるがままに小さな戦場へ連れ出され、そこでおもわぬ勝利を得てしまったことで英雄とされ、以前より盛り上がりつつありながらも神輿を欠いていた革命軍に白羽の矢を立てられたことから、独裁者から狙われ、それを跳ね返して救国の女神となっていくという、正に絵に描いたような定番の物語だけれど、これを潔く作り上げているところにこの作品の好さにあるんだろう。

 これまでの一連の叛乱物と違うのは、ヒロインが中継されていることだ。1と2ではゲームが舞台だったからもちろんそれを愉しむ国民に向けて中継されるのはあたりまえだったが、今度はプロパガンダの象徴としてセミ・ドキュメンタリ物のヒロインとされ、それが世界へ配信されていくことでさらに彼女は革命派のアイドルとなる。ところがもちろんヒロインにとって重要なことはこの演出に乗せられるのを拒み、自分の言葉を叫び、それが配信されるんだ。当然の展開だけれども、こうした配信という形はなかなか斬新だ。

 もちろん、忘れてはならないのはこれまで共に戦ってきた彼氏未満のジョシュ・ハッチャーソンが拉致監禁された上で独裁者側のプロパガンダとして捏造されたインタビューに出、それが配信されることだ。ハッチャーソンと入れ替わるように頭角を現してくるのがリアム・ヘムズワースで、この元カレは彼女の頼りとされるようになり、共闘の戦士となる。そう、紅一点ともいうべきジェニファー・ローレンスは、右のふたりに加えてサム・クラフリンやウディ・ハレルソンに助言され、かつ励まされて成長していく。これほど世の女の子にとって理想的な環境はない。

 ただ、あたりまえのことながら、今回の作品はpart1である以上、part2への繋ぎ以外の何物でもない。だからここで痛快さや感動を期待したところで仕方がない。序盤であり、前奏曲でしかないのだ。ただ、ちょっとだけ、気持ちの入っていくところがある。やがて爆破炎上される病院の場面だ。にわかに訪問してきたジェニファー・ローレンスに対して未来を託すかのように三本指の敬礼をするところだ。

 この三本指の敬礼は映画の中だけのみならず、実際に世界中で為されているらしい。抑圧され、自由を求める人達が、あたかも映画の中の登場人物のように三本指の敬礼をするのだそうな。そしてこれが映像となって配信されるや、すぐさま火消しにかかるのがその国の政府だというんだから、凄い。

 物語が社会に対して影響力を持っているのだということを見せつけた点において、この映画はまさしく価値を得た。

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幸せのレシピ

2015年10月19日 00時00分09秒 | 洋画2007年

 ◇幸せのレシピ(2007年 アメリカ 104分)

 原題 No Reservations

 監督 スコット・ヒックス

 

 ◇『マーサの幸せレシピ』のリメイク

 21世紀になってからハリウッドはなんだかリメイクが多くなったような気がするんだけど、そんなことないのかな?

 舞台がハンブルクからマンハッタンに移っただけで、これといって代わり映えのしない作品にはなっちゃったんだけど、もともとぼくはこのオリジナルが好きだから、どうしても見ちゃう。ま、それに手堅く作ってる印象だ。マルティナ・ゲデックの役はキャサリン・ゼタ=ジョーンズになった分、なんとなく華やかになった。とはいえ、その分、うそっぽい印象も受けたりする。男役は、セルジオ・カステリットからアーロン・エッカートと完全に若返り、小生意気な若造にベテランの女シェフが腕前ではなく男女の恋がらみとしてたじたじするという雰囲気に変わったため、これはこれでよかったんじゃないかって気もする。

 ま、おだやかな映画に仕上がってるな~って感じかしら。

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天井桟敷の人々

2015年10月18日 00時00分34秒 | 洋画1941~1950年

 ◇天井桟敷の人々(1945年 フランス 190分)

 原題 Les enfants du Paradis

 第1幕 犯罪大通り(Le Boulevard du Crime)

 第2幕 白い男(L'Homme Blanc)

 監督 マルセル・カルネ

 

 ◇「愛し合う者同士にはパリも狭い」

 高校生の頃、映画にめざめた。

 で、田舎の少年の定番なんだけど、キネマ旬報を毎月購読するようになった。とはいえ、けっこう難しくて、すべてを読みこなせたわけでもなく、それでもまあ惰性で読み続けた。で、大学に入ったとき、戦後復刊800号記念で外国映画史上ベストテンってやつがあって、そこでこの作品は堂々第1位を獲得した。へえ~とおもった。おもって、いつかこの映画はちゃんと観なくちゃいけないな~ともおもった。

 それから、何度か観る機会があったような気もするんだけど、よく憶えてない。

 で、このたび観て、こりゃ忘れるよ、とおもった。

 考えてみればそりゃそうだろう。当時、キネ旬のベストテンに投票した人達は青春時代にこの作品を観てるわけで、当然、青春時代の甘酸っぱい記憶と共に投票されれば第1位にもなろうってもんだ。といいきっちゃうのは、おそらく、ぼくが映画については結局のところど素人で、鑑賞眼なんてものは欠片すら持っていないからだろう。

 けどさ、落ち目の女芸人アルレッティを臍に、パントマイム芸人と女たらしの役者と富豪の伯爵が恋仇となって、そこへ強盗殺人犯と明きめくらの古物商とが絡んで、ひたすら恋物語に時間が費やされるこの物語が、たとえフランスあたりでリメイクされたとしても、たぶん、つまらない恋愛映画にしかならないだろうってことくらいはわかる。つまりは、それくらいのあらすじなんじゃないのかなと。たしかに大作だってことはよくわかるし、当時よく制作できたものだっていう驚きもあるし、マルセル・カルネもさぞかし大変なおもいをして撮影したんだろうなって気もするけどね。

 ただ、おもうんだけど、アルレッティについてどうして自叙伝の「女優アルレッティ・天井桟敷のミューズ」が映画化されないんだろう?この作品がそれほどの名画なら、とっくに映画化されても不思議じゃないんだけどな~。ドイツ将校の愛人だったために対独協力者として嫌疑をかけられ、公爵夫人の愛人だったことも暴露され、それでも人気は衰えず、さらには銀幕に復帰して『史上最大の作戦』にまで出演(役名バロー夫人)するなんて、誰も考えつかないような最高の物語じゃんね。

 でもまあ、こういう話は、歴史街道とかで掲載されたりするのが一番なんだろうけどね、たぶん。

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ジュリエットからの手紙

2015年10月17日 02時42分15秒 | 洋画2010年

 ☆ジュリエットからの手紙(2010年 アメリカ 105分)

 原題 Letters to Juliet

 監督 ゲイリー・ウィニック

 

 ☆原題は、ジュリエットへの手紙

 どっちがいいっていうよりも、オリジナルを尊重するなら明らかに「ジュリエットへの手紙」だ。

 だって、ここでいうジュリエットは誰かってことになるんだけど、まず、アマンダ・セイフライドが壁の中から見つけたのは50年も前にヴァネッサ・レッドグレイヴの書いた「ジュリエットからの手紙」だ。でも、これにはこの映画の主人公であるアマンダ・セイフライドは単に発見者であって関係してはいない。あくまでも当時のジュリエットであるヴァネッサ・レッドグレイヴの個人的な手紙だ。

 アマンダ・セイフライドが関係するのは、これから先で、ジュリエットの秘書たちに頼んで「ジュリエットへの手紙」を書いてもらうことだ。で、その手紙は届き、当時のジュリエットは素敵な老婆になってやってくる。で、ヴァネッサ・レッドグレイヴは、アマンダ・セイフライドの助けを借りてフランコ・ネロを探し求めることになるんだけれども、こうして見てくると、この映画は、ジュリエットから届いた手紙に端を発し、ジュリエットへ送られた手紙によって展開していくことがわかる。

 しかし、アマンダ・セイフライドの関係している、というか、彼女がいなければ綴られなかったのはジュリエットへの手紙なのだ。

 つまり、作り手側の意思を尊重するのであれば「ジュリエットへの手紙」が正しいってことになるんだろうね。

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