Kinema DENBEY since January 1. 2007

☆=☆☆☆☆☆
◎=☆☆☆☆
◇=☆☆☆
△=☆☆
▽=☆

さくらん

2019年09月15日 17時59分53秒 | 邦画2007年

 ▽さくらん(2007年 日本 111分)

 監督/蜷川実花 音楽/椎名林檎

 出演/土屋アンナ 椎名桔平 成宮寛貴 木村佳乃 菅野美穂 小泉今日子 永瀬正敏

 

 ▽安野モヨ子『さくらん』より

 つまらん。

 スタッフやキャストはサブカルの代表を網羅したような風味で、なんとなく女郎屋をおしゃれな空間に仕立てた感じにしてみたっていう受け止め方しかできない。

 これ、いったいなにがおもしろいとおもって撮ったんだろう?

 原作を知らないから勝手なことをいってるんだけど、でもこの映画については、映像だけは綺麗なんだけどそれ以上でもそれ以下でもなかった。

コメント

自虐の詩

2017年07月27日 23時44分24秒 | 邦画2007年

 ◇自虐の詩(2007年 日本 117分)

 監督 堤幸彦

 出演 阿部寛、中谷美紀、西田敏行、遠藤憲一、カルーセル麻紀、名取裕子、竜雷太

 

 ◇卓袱台返し

 現在のつましくも涙ぐましいヒモと貢ぎ女の生活でナンセンスなくりかえしギャクが続けられる一方、中谷美紀が学生だった頃や阿部寛と出会った頃の感傷的な生活が対比されていくわけだけれども、これといって斬新な物語が展開するわけではないのはまあ仕方ないんだろうし、それを期待して観ているわけでもなかったな~っていう自分に気づいたりする。

 関係ない話だけど、この映画が制作される前、とある映画監督と話をしていて、この原作漫画の話が出た。ぼくはまったく知らなくて、そのとき初めて『自虐の詩』という4コマ漫画があって、卓袱台をひっくりかえすのが趣味のようなヒモと定食屋で働く内縁の妻の話があるのを知った。それで、なんともおもしろいから映画にしたいんだって聞かされた。そのときは単に「ふ~ん」とおもっただけだったんだけど、かれが監督していたらどうだったろうなってときどきおもう。あと、おぼえているのは、そのとき「主役は阿部にしたいんだよ」っていってたことだ。偶然だね。

コメント

オリヲン座からの招待状

2017年07月23日 21時31分53秒 | 邦画2007年

 ◇オリヲン座からの招待状(2007年 日本 116分)

 監督 三枝健起

 出演 宮沢りえ、加瀬亮、原田芳雄、宇崎竜童、樋口可南子、田口トモロヲ、中原ひとみ

 

 ◇『ニュー・シネマ・パラダイス』みたいだ

 それ以上でもそれ以下でもなくて、町の映画館、シネコンに対して一般館とかっていうらしいんだけど、それを守り続けた夫婦の話らしい。あ、ていうか、妻に岡惚れした映写技師の小僧の純愛物語なのかな。でも、そのあたりは実はもう余計なことで、こういうお涙頂戴的な予定調和の演出はどうなんだろね?

 町の映画館がなくなっていくのは時代の必然かもしれないけど、それはそれで寂しいことではある。じっさい、ぼくはそういう映画館で育ってきたし、トイレに入るのはちょっと遠慮したいような映画館ばかりで、そういうごみ臭いようなところの固くて狭苦しい椅子に腰掛けながら映画を観てきた。この頃ではちょっとずつ良くなってはきてるけど、やっぱり設備の点ではシネコンに敵わない。もちろん、トイレを綺麗にして、椅子を新しくして、スクリーンとスピーカーを交換して、壁と天井を張りかえて、床を敷きなおせばいいんだけど、そんなことができるくらいなら新築してるよね。

 個人的には、そういう現実をちゃんと見極める物語が観たいし、ドキュメンタリーでもいいんだけどな~。あ、テレビとかではたまにあるけど、映画にしてほしいじゃないか。

コメント

歓喜の歌

2015年08月29日 21時02分34秒 | 邦画2007年

 △歓喜の歌(2007年 日本 112分)

 監督 松岡錠司

 

 △歓喜の歌であることの意味はあるのか

 そりゃまあ『奇蹟の村の奇蹟の響き』みたいに、ベートーヴェンの第九の初演の物語となれば、たしかに「歓喜の歌」は必要になるんだろうけど、もしも陸自の「ゴジラ」と市民オケの「ガメラ」とがダブルブッキングしちゃったらどうなったんだろうとかって、とんでもなく関係ないことをおもいながら観てしまったぼくは、ほぼまちがいなく、この作品の観客としてふさわしくないんだろうね。

 ただ、観ててもうひとつおもったのは、これ、映画やテレビじゃなくて舞台にした方がよかったんじゃないかな~ってことだ。そうすれば、商店だの家庭だの市役所だのまあいろいろな人間模様をカットバックしなくて済むし、いたずらに余分なシークエンスを作る必要もないし、なにより、最後は舞台がメインなんだから、その舞台と現実の劇場とをダブルイメージにしちゃった方がぐんとひきしまっておもしろかったんじゃないかな~っておもうんだよね。

コメント

あしたの私のつくり方

2013年11月15日 19時35分18秒 | 邦画2007年

 ◇あしたの私のつくり方(2007年 日本 97分)

 staff 原作/真戸香『あしたの私のつくり方』

     監督/市川準 脚本/細谷まどか 撮影/鈴木一博

     美術/山口修 衣裳/宮本まさ江 ヘアメイク/細倉明日歌

     音楽/佐々木友理 主題歌/シュノーケル『天気予報』

 cast 成海璃子 前田敦子 石原真理子 石原良純 高岡蒼佑 柄本時生 奥貫薫

 

 ◇涼月譜とはなんぞや

 主演の成海璃子の上手さはもはやいうまでもないことだけど、

 この映画で注目すべきは、

 映画デビューの前田敦子のヘアメイクを担当した細倉明日歌ではないか?

 だって、彼女たちが小学校6年生のときの雰囲気、上手に作ってあるんだもん。

 調布の日活撮影所の裏手、多摩川の土手あたりで撮影された場面も、

 小学校のクラスの中でも、図書館の中でも、とくに前田敦子のメイクは上手だった。

 彼女たちが中学生になり、高校生になっていく過程で、

 成海璃子はたしかにこれみよがしなヘアスタイルを作れるんだけど、

 ショートヘアの前田敦子はそうはいかない。

 髪型だけでなく、メイクもさぞかし苦労したんじゃないかって想像するんだよね。

 まあ、いい子でいなくちゃいけない子っていうのは、

 いつの時代のどこの地方でもいるわけで、

 とくに、田舎に行くと、この映画みたいな僻みや嫉妬や陰口は大変なものだ。

 そういうときに、

 無責任とはいわないが大人がふと口をすべらすことで悲劇が生まれる。

 教師も親も、子供をしつけ、かつ教育する立場にありながら、

 ときとして自分勝手なふるまいをしたり、好き勝手な生き方を子供におしつける。

 子供は、そういう親の子であることを運命として受け止めざるを得ず、

 そこで自分なりに生き方を考え、学校生活を送っていかなくちゃいけない。

 そういう片鱗が見え隠れしているのは、昔の日活児童映画にもあった。

 ま、もうすこしわざとらしかったから、市川準のような淡白さはない。

 いじめられていた前田敦子が、まるで夜逃げのように引っ越した後、

 成海璃子が「コトリ」という匿名で、前田敦子にメールを送り、

 どうやったら新しい学校でみんなに嫌われずに打ち解けられるか、

 さらには人気者になり、愉しい恋もできるようになるのか、

 つまり、マニュアルを伝えていきつつ、それを小説化していくんだけど、

 最初はぶしつけでおしつけられたようなメールに対して、

 徐々に依存していく前田敦子も心理もさることながら、

 ほんとの自分は嫌われないようにびくびくしているだけの存在なのに、

 なんでもわかったような感じで前田敦子にメールを送り、

 そうした日々を小説化したことで、

 自分がいじめの対象になりそうになってしまう成海璃子の心情はよくわかる。

 画面を割ったり、メールをアップにしたりする演出を、

 煩瑣と捉えるか斬新と受け止めるかは意見のあるところだろうけれど、

 ぼくはたいしたひっかかりもなく、すっきり入ってきた。

 ま、画面の作りはさておき、

 ふたりの少女の依存し依存され、やがて意識を共有してゆく過程は、

 どちらも友達がいなくて、たがいに依存しなければ辛すぎる立場にあるとはいえ、

 その関係はきわめて危なっかしい。

 成海璃子が匿名の教授でありながら、その秘密を赤裸々に小説にするというのは、

 おそろしいほどに危険な爆弾で、

 これが世間にばれ、やがて前田敦子に知れてしまったとき、

 ふたりの関係は一気に破綻し、前田敦子は以前よりもひどいイジメを受けたと感じ、

 成海璃子は善意で行った筈の行為が軽はずみな行為だったことを痛烈に恥じ、

 どうしようもない心の奈落の底まで落ちて行くことになるのは目に見えている。

 こりゃ大変な筋立てになってないか?とおもいながら観ていると、

 そこはやはり市川準で、なんともあっさりしたものだ。

 小説を掲載した文芸誌はなんの問題もなく発行されてしまうし、

 それを送られた前田敦子もなんの心の揺れもなく、机の上に並べてしまう。

 さらには、

 まあ、これは卒業式の図書館のふたりという伏線があるから自明のことなんだけど、

 前田敦子は、

 メールを送りつけてきたのが成海璃子だってことはすぐに勘付いていたみたいで、

 おしつけられた「ヒナ」という生き方ではなく、自分なりの生き方を模索するようになり、

 成海璃子は、

 メールに書いてきた「ヒナ」という少女の生き方は、

 結局のところ、自分にはできない自分の理想とする生き方だったってことを自覚し、

 前田敦子からとうとう連絡があったとき、

 自分がいかに生きたいように生きていないかという心情を吐露することで、

 なにもかもが丸く収まり、ふたりはようやく親友になれるような予感を得るという、

 なんとも、ある意味ではどんでん返しともいえるハッピーエンドが待ってる。

 こういう穏やかさが、市川準なんだろう。

 ぼくの心配してた爆弾は、ひとつも爆発せずに不発弾のまま埋められた。

 ただまあ、気になるところがないわけでもない。

 やけにリアルな担任の先生がホームルームで説明する「涼月譜」なんだけど、

 恒例のマスゲームっていわれても、これが全体像が見えなくて、

 どんなことをしてるのかわからないんだよ~。

 ラストカットの後の話だからわからなくてもいいんだけど、気になりますわな。

 気になったのは、もうひとつある。

 成海璃子が別れた父親石原良純と兄柄本時生と、

 いつもどおりの焼肉を食べる場面で、時生の席が気になって仕方がない。

 かれは左利きだから、自分の左となりには人間を置きたくないはずで、

 にもかかわらず、そこには父親が腰かけてる。

 当然、父親の右手と兄の左手がぶつかり、焼肉がとりづらくなるはずだ。

 なるほど、こういう配慮のなさが離婚の原因だったのか~ともおもえるんだけど、

 だったら、息子が席を代わってというはずじゃないかな~ともおもったりした。

 演技の上手い下手はあんまりいいたくないけど、

 主役ふたりがよくがんばってるのに比べ、うん、ちょっとまずい子もいたかな。

 ただまあ、こうした起伏があるようでなく、

 主人公に恋の話がまるで絡まないのに恋愛のアドバイスをするという、

 なんだか奇妙な筋立てになってしまっている話が、

 恋愛ばかりに興味のいっている子供たちにどんなふうに受け止められたのか、

 ぼくにはよくわからない。

 だからってわけじゃないけど、

 親が望んでる好い子を演じなければいけない子供の気持ちをわからない親は、

 この映画を観たとき、どんな感想を抱くんだろな~と。

 ていうことからすれば、もしかしたら、この作品は、

 思春期にさしかかった、あるいは思春期にある子供を持った親に向けた、

 参考資料みたいなものかもしれないね。

コメント

腑抜けども、悲しみの愛を見せろ

2013年11月10日 18時39分48秒 | 邦画2007年

 ◎腑抜けども、悲しみの愛を見せろ(2007年 日本 112分)

 staff 原作/本谷有希子『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』

     監督・脚本/吉田大八

     撮影/阿藤正一 尾澤篤史 美術/原田恭明

     ヘアメイク/佐藤光栄 スタイリスト/藤井牧子 大西博之 呪みちる 赤塚明

     音楽/鈴木惣一朗 主題歌/チャットモンチー『世界が終わる夜に』

 cast 佐藤江梨子 佐津川愛美 永作博美 永瀬正敏 山本浩司 土佐信道 上田耕一

 

 ◎トラウマからの脱皮

 ありきたりでない題名の爆裂度が、

 果たして内容にそぐわしいものかどうかは観る人が判断することだけど、

 なんとも凶暴に崩壊してゆく家族のおりなす物語が、

 隠々滅々とした結末に落ち込んでゆきかねない以上、

 こうした過剰な題名によって、吹き飛ばされる痛快さが孕んでいる、

 ような、気がする。

 ま、それは、ぼくの単なる印象なんだけどね。

 主題をなんとか受けとめようとおもいつつも、

 原作者の本谷有希子が怨念を籠めて綴っているのかどうかで違うし、

 監督の吉田大八がどんなふうに自分なりの主題を見出したかによっても違うから、

 なんともいいにくいものの、

 トラウマからの脱皮をめざそうとする連中が、

 本来、癒しの空間であるはずの家庭という名の共同体を潰滅させてゆく中で、

 夫は斃れ、妻は残り、妹は旅立ち、姉は変わらないという、

 それぞれの結果に至るんだけど、

 妹のモデルが原作者であるとしたら、

 普遍的な主題である旅立ちを、

 なんとも歪な形で描いたものと受け止めるのがいいのかもしれない。

 だから、本来、語り部となるのは妹で、

 すべては妹の視点から描かれているはずなんだけど、

 姉の暴走ぶりが強烈なため、ついつい、姉の物語のように勘違いしてしまう。

 このあたりは難しいよね。

 でも、こういう世界は決して特異な世界ではなくて、

 この国の田舎に行けば、こういわれちゃうかもしれない。

「そんなもん、大なり小なり、そこらじゅうにあるがや」

 ただ、ここまで大仰な設定と展開はないにせよ、

 カリカチュアされている分を差し引けば、たしかに「あるある」と頷ける。

 田舎の抱えているのは、都会に対する引け目と僻みで、

 そういう自虐的な感情がはらわたの中でとぐろを巻いているもんだから、

 この姉の場合、

 女優になりたいけど、なれるような才能なんか本当はないんだと自覚している分、

 その真実に負けちゃったら自分の居場所がなくなっちゃうという崖っぷちに立ち、

 必死にもがけばもがくほど、それは家族に対する、

 中でもいちばん弱い者であり、

 かつ、ただひとり、自分と血の繋がっている者、

 つまり妹に対する罵倒とイジメに繋がっていく。

 これは誰もが持っている不安感で、もちろん、ぼくにもある。

 だから、観ていて、痛々しくもなる。

 夫の場合、

 都会に対する憧れみたいなものはないかわりに、

 因習に囚われた田舎で生きていかなくちゃいけないっていう、

 どうしようもない束縛感だけは抱えてて、

 そこへもって、たまさか家族という名の共同体に紛れ込んできた、

 スタイル抜群で、なんとも男好きのする顔をした、

 自分のことが大好きで、自分の武器は肉体しかないってことを、

 本能的に承知している勘違い高慢ふとどきアホたれ女の処女を奪ってしまったために、

 田舎の束縛に加えて、義理の妹にして愛人の呪縛によって、

 がんじがらめになってしまってるんだけど、

 これが本来あたりまえの妻とセックスするという行為によって破綻をきたし、

 さらには唯一、自分のことを尊敬してくれている妹に目撃されていたと知った瞬間、

 なにもかもを放り出そうとはせず、なにもかもを抱えて死を選ぶまでに追い込まれる。

 でも、こういう原罪みたいなものは多かれ少なかれ、誰もが抱えている。

 だから、観ていて、身につまされる。

 妻の場合、

 一般的にとある家に嫁いでくれば、自分以外は当然他人しかいないわけで、

 そこで孤独に苛まれて、その孤独をまぎらわすためには、

 さらには、家族の一員となるためには、

 終始笑顔でいなくちゃいけないのは当たり前ながら、彼女はちょっと違ってて、

 新橋のコインロッカーの中から拾われ、孤児院で育ち、缶詰工場に就職し、

 結婚相談所によってようやく人と人とが対話できる家庭という絆を見つけたんだけど、

 でも、そこにいたるまでにあまりにも孤独な箱の中にいたため、

 本人でも気づかない仮面を被るしかない生活に追い込まれ、

 さらに、

 夫という存在は得たものの、いつまでも処女のまま過ごさなければならないっていう、

 なんとも悲惨な境遇に据えられてもなお、

 自分が生きてゆくためには、健気さだけを頼りにしなくちゃいけないものだから、

 当然、その発露になるものが必要になるわけで、

 それが自分のほんとうの顔だってことを気づかず、

 無意識のまま、愛らしい化け物の人形を作ってる。

 こういう彼女の爆発点が夫をなかばレイプするように初体験に至るのは、

 いやまあ、よくわかるとはいえないけど、そうなんだろな~とおもえちゃう。

 妹の場合、

 もともとまともな思考の持ち主だったはずが、

 暴走トラックによって両親が轢殺されてばらばらになるのを目撃したとき、

 こんなおもしろい映像があるんだろうかっていう思考もまた持っていたことを自覚し、

 かつて、

 その片鱗だった姉の同級生への売春行為をおもしろいと漫画化したことは、

 将来、自分の才能を活かせる唯一の道だと悟ったことから、

 姉と兄と義姉の生活を取材し始めてしまうという歪な性格に変わり、

 やがて、自分を徹底的に虐めていた姉と映画監督との文通を、

 郵便局でバイトすることによって阻害して叩き潰すという復讐を演じた上で、

 ようやく巡ってきた機会に縋るようにして、家族を捨てて上京するんだけど、

 誇張された表現を削り落としてしまえば、

 田舎を捨てて上京した者の心の底に共通する何かが感じられる。

 それは、そう、傑作『祭りの準備』を観ているような錯覚すら覚える。

 いや、そもそも、

 タイトルバックの陽炎にゆれる鉄道はまさに『祭りの準備』だった。

 ただ、監督の手紙を妹が代筆して、

 姉の喜ぶさまを観て嘲笑っていたかどうかは、わからない。

 監督の顔がぱっくりと割れて妹の顔が登場するのは、

 化けの皮が剥がれたということの暗示なのかどうか、

 これは吉田大八に訊いてみたいものだけど、考え過ぎだと嗤われちゃうかしら?

 まあ、そんなこんな、いろいろと考えさせられる映画だったことは間違いなくて、

 これが長編の処女作だとはおもえないほど、

 淡白な映像でさらりと物語を展開させていく演出は、

 いや、ほんとにたいしたもんだな~と。

コメント

鉄人28号 白昼の残月

2013年10月02日 00時01分28秒 | 邦画2007年

 ◇鉄人28号 白昼の残月(2007年 日本 95分)

 staff 原作/横山光輝『鉄人28号』

     監督・脚本・絵コンテ/今川泰宏 演出/古川順康

     キャラクターデザイン/なかむらたかし 石川晋吾

     作画監督/石川晋吾 櫻井邦彦 美術監督/松本浩樹

     音楽/伊福部昭

     主題歌/六本木男声合唱団倶楽部『進め!正太郎』『鉄人28号』

 cast くまいもとこ 粟野史浩 牛山茂 石塚理恵 内海賢二 語り/矢島正明

 

 ◇昭和30年、東京

『パシフィック・リム』を観ると、どうしても『鉄人28号』を観たくなるのは、

 ぼくだけだろうか?

 ギレルモ・デル・トロは、小さなときから『鉄人28号』のファンだったらしい。

 なるほど、わかる。

 あの鋼鉄の巨体ががちあう圧倒的な重量感は、

 ぼくたちが子供だった頃、鉄人から受けた感覚そのものだ。

 そのデル・トロがこの映画を観たとき、

 はたして、どんな感想を口にするのかはわからないけど、

 今回の作品は、おそらく歴代の鉄人の中では最高の出来栄えだろう。

 作品を比較することは好きじゃないけど、

 これよりも数年前に制作された実写版に比べて、

 充分に留飲の下がるものだった。

 伊福部昭の楽曲を用いたのも、昭和ノスタルジーが感じられて好い。

 とはいえ、

 ぼくにはぼくなりの鉄人の好きな部分がある。

 歩くときに旧テレビ版では、がるらん、ごるらん、という音が立っていた。

 鉄が転がるような、いかにも重々しい音に、幼いときのぼくには聞こえた。

 咆哮は、ばぁんぎゃおぅん、と聞こえた。

 ソノシートにそれが入っていたのかいないのか、

 今では実家の物置をかっさばいても聞き返すことはできないけど、

 ともかく、

 その効果音は『マグマ大使』の笛の音「ぴびゅるぴぴぃ~」と同じく、

 ぼくの中ではどうしても変えてほしくないものの筆頭なのだ。

 当時、

 プラモデルやおもちゃに始まり、

 グリコの景品はもちろんのこと、

 月刊誌「少年」を毎月とってて、

 カッパコミックス版が刊行されるや、やっぱり毎月買ってたぼくは、

 漫画や景品からは絶対に聞くことのできない鉄人の跫音と咆哮に、

 もうめちゃくちゃ胸を躍らされたものだ。

 それが、今回もまた聞くことが叶わなかった。

 悲しい。

コメント

やじきた道中 てれすこ

2013年09月27日 15時58分53秒 | 邦画2007年

 ◇やじきた道中 てれすこ(2007年 日本 108分)

 staff 監督/平山秀幸 脚本/安倍照雄 撮影/柴崎幸三

     美術/中澤克巳 中山慎 視覚効果/橋本満明 特殊造型/原口智生

     操演/岸浦秀一 衣裳/竹林正人 音響効果/小島彩

     音楽/安川午朗 原曲/ジョージ・ガーシュウィン『ラプソディ・イン・ブルー』

 cast 中村勘三郎 柄本明 小泉今日子 吉川晃司 鈴木蘭々 笑福亭松之助 松重豊

 

 ◇落語と戯作の合体

 落語の『てれすこ』は出だしと終盤に登場するだけで、

 あとは基本的には『やじきた』物が展開してる。

 つまり、終盤のために『てれすこ』が用意されてるわけで、

 謎の魚てれすこが物語にまんなかを泳いでるってわけじゃない。

 ちなみに、てれすこが干物になったのは、すてれんきょうという。

 このあたりは落語の話なんだけど、

 揚げられた魚を「テレスコ」だという男の証言に不審を抱いた奉行が、

 干物にした魚を「ステレンキョウ」だと男がいったことで、

「おなじ魚にも拘わらず別名をいうとは、そもそも嘘の名をいったにちがいない」

 といって牢へぶち込むんだけど、男もさるもので、息子に向かってこういう。

「金輪際、イカを干したものをスルメといっちゃなんねえ」

 これを聞いた奉行ははたと膝を叩いて男を許すんだけど、

 それもなにも、男の妻が火の物(干物)断ちをしていたおかげだっていうオチがつく。

 けどまあ、祈願のために火を通した物を断つってのは昔の話で、

 前の時代だったら立派なオチになるんだけど、今の時代だとそうはいかない。

 で、3代目三遊亭金馬の

「してみりゃあ、当たり目え(アタリメ)の話でございます」

 ってオチができたそうなんだけど、

 ここでいうテレスコもステレンキョウも元々はオランダ語で、

 テレスコープ(望遠鏡)とステレン鏡(望遠鏡)のことらしい。

 それを、シネマスコープにしたってわけだわね。

 てなわけで、中身の話はすっ飛ばした感じになったけど、

 とにもかくにも勘三郎がうまい。

 いや、脱帽するほど、うまい。

 たいした役者さんだわ。

コメント

しゃべれども しゃべれども

2013年09月22日 12時57分08秒 | 邦画2007年

 ◇しゃべれども しゃべれども(2007年 日本 109分)

 staff 原作/佐藤多佳子『しゃべれども しゃべれども』

     監督/平山秀幸 脚本/奥寺佐渡子 撮影/藤澤順一

     美術/中山慎 衣裳/松本良二 落語監修・指導/柳家三三・古今亭菊志ん

     音楽/安川午朗 主題歌/ゆず「明日天気になぁれ」

 cast 国分太一 香里奈 松重豊 八千草薫 伊東四朗 占部房子 外波山文明

 

 ◇火焔太鼓、まんじゅうこわい

 人生には、どうしてもぶつかってしまう壁ってのがある。その壁をぶちやぶるか攀じ登って乗り越えるか、まあ、人によっていろいろなんだろうけど、とにもかくにも、その壁をふみこえて行かなくちゃいけないときがある。

 落語の世界でも、おんなじだ。

 真打ちになりたいけれども実力がともなわないから二つ目になるのがやっと、という国分太一演じる主人公も、その壁にぶつかってる。真打っていう大きな壁だ。そんな国分君のところへ、同じように壁にぶつかってしまった人々がやってくる。美人なんだけど不愛想で口下手な香里奈だったり、いかつい顔ながら人前で喋れない小心者で野球解説者の松重豊だったりする。

 ただ、かれらは決して人生に背を向けようとか逃げ出そうとかはおもっていない。かれらに共通しているのは、困難の壁には出くわしてしまったけれども、それをなんとか乗り越えて行きたいとおもっていることだ。そうでなければ、人前で上手に喋れないという自分を変えようとはしないだろう。つまりは、いろいろ悩みは抱えてるけど、かれらはみんな、前向きな人々ってことになる。

 だから、この映画はちからが湧くんだね。

 落語について、ぼくは詳しくない。だから「火焔太鼓」と「まんじゅうこわい」がどれくらいの難しさで、人様に喋って聞かせられるまでに、いったいどれくらいの練習が必要なのか、まったくわからない。ちなみに「火焔太鼓」は古典落語の演目のひとつだ。江戸時代のいつ頃に出来上がったのかはわからないけど、まあ、小噺としてはよく知られてて、明治の末頃に初代三遊亭遊三がちょっとずつ膨らませて形に成ったものらしい。「まんじゅうこわい」も、同じく古典落語なんだけど、上方と関東ではちょっと差があって、関東では若手が噺を鍛えるために演じる前座噺とされる。けど、5代目柳家小さん、3代目桂三木助らはずっと十八番にしてたみたいで、晩年まで演じてる。

 あ、そうそう、原作では「火焔太鼓」じゃなくて「茶の湯」だそうな。国分くんが想いをよせている占部房子が茶道をやっていることに掛けてたのかもしれないけど、ぼくとしては「火焔太鼓」でいいんじゃないかと。というのも、たまたま旧知の落語家がいて、さらにたまたま高座に出かけたところ「火焔太鼓」を聴くことになったことがあるからだ。いや、なかなか調子もいいし、映画で使うには悪くない。とかいって、余裕こいてられるのは自分が観客だからだ。いざ自分が噺すとなったら、こいつぁ、骨が折れるぜ。てなことをおもってるぼくは、どうやら壁にぶちあたったら迂回するタイプなのかもしれない。そりゃ、あかん、とはおもってるんだけどね~。

 ぼくのことはさておき、物語中では「火焔太鼓」にしても「まんこわ」にしても、ちゃんと高座が為される。これは、たいしたもんだ。いくら台詞をおぼえるのが役者とはいえ、立派に喋ることができるようになるってのは、けっこう大変だったんじゃないかしらね。

 ま、ともあれ、映画としてはたしかに小品ではあるんだけど、さらりと小気味よく仕上がってる。ちょうど「まんじゅうこわい」みたいなもので、それはたぶん平山秀幸の熟練さによるものだろう。ぼくは平山秀幸の『学校の怪談4』を贔屓にしてるんだけど、ほんとにかっちりした演出をする。落語もかなり好みのようで、この作品を撮ってすぐ、やっぱり古典落語の「てれすこ」を題材にした『やじきた道中てれすこ』を撮ってる。

 おやまあ、てなもんだ。

コメント

めがね

2013年04月25日 21時31分33秒 | 邦画2007年

 ◎めがね(2007年 日本 106分)

 staff 監督・脚本/荻上直子

     撮影/谷峰登 美術/富田麻友美 音楽/金子隆博

 cast 小林聡美 市川実日子 加瀬亮 光石研 もたいまさこ 橘ユキコ 薬師丸ひろ子

 

 ◎旅と人生と死の関係

 旅の終わり、人生の始まり、

 人生の終わり、旅の始まり。

 どちらでもいいんだけど、この映画について、

 映画を観終わってすぐに、こんな話を聞いた。

「あれって、死後の世界の話じゃない?」

 だって、南の島に旅に出るってのはわかるけど、

 時の流れがまるでないし、生きているせせこましさもないし、

 ただたそがれるだけというのに、現実感がまるでないし…。

 授業をしなくてもいい、メルシー体操だけすればいい、かき氷も無料、

 ハマダの食材はいつのまにか揃ってるし、

 かき氷の元になる氷も、小豆も、食器を洗う水も、機械を動かす電気も、

 どこから持ってきているのかわからないけど、まるで足りなくならないし、

 いや、だいいち、宿賃すら払ったかどうかよくわからないし、

 そもそも民宿ハマダに辿り着くまでもいろいろな道をさまよってるでしょ?

「なるほど」

 と、おもった。

 だから、小林聡美は帰ろうにも帰れないのか?

 加瀬亮は後追い自殺でもしでかしたのか?

 市川実日子も授業ノイローゼになって人生をはかなんだのか、と。

 で、こんなことをおもいだした。

 昔の知り合いに、とあるお寺の和尚さんがいた。

 その和っさんがいうには、極楽と地獄の差は、人のおもいやりだけだそうな。

 極楽も地獄も俗世とほとんどおんなじなんだけど、ひとつだけ異なっているものがある。

 箸の長さなんだと。

 それも、1メートルくらいありそうな箸なんだって。

 箸が長いと食べるのにものすごく苦労するっていうか、ほとんど食べられない。

 だから、極楽ではおたがいに食べさせてあげるからお腹いっぱい食べられるけど、

 地獄は自分のことは自分でしないといけないので、他人に食べさせるのはあかんと。

 で、

 薬師丸ひろ子のマリン・パレスで野良仕事に従事させられるのは、

 自分のことはすべて自分でするっていう決まりだから、地獄ってことになる。

 してみると、小林聡美を迎えに来て、

 極楽へ連れ帰ってくれるもたいまさこは地蔵菩薩なんだろか?

 あのかき氷屋は地蔵堂なのか?

 もたいまさこがときおりいなくなるのは地獄と俗世をめぐっているからか?

 てなことをおもった。

 お地蔵さんは実をいうと閻魔大王の変わり身で、

 地獄に落ちた亡者を救いに来てくれるんだと。

 蜘蛛の糸を垂らしてくれるのはお釈迦さんだから、

 もしかしたらお釈迦さんなのかなとおもうけど、風貌からだとお地蔵さんだよね。

 こんなふうに考えていくと、

 つまり、あの美しい海は、三途の川なのね?

 とか、

 沖縄みたいなところだから、ニライカナイってことかしら?

 とかいった想像が働いちゃう。

 これは、もう一回、観てみる必要あるわ。

 とはおもったものの、このゆるさは嫌いじゃない。

 時間に余裕があったら浸っていたいところなんだけどね。

 ただ『かもめ食堂』でもそうなんだけど、

 ひとつの完成された世界があって、そこに異邦人がやってくるという設定は、

 どうやら、この映画でも踏襲されているらしい。

 異邦人がその世界をかき回すかどうかは別にして、

 とある、まとまりのある世界を認識することによって、

 ようやくその世界の住人になれる、つまり、自己と他者を肯定できる、

 っていうことなんだろうけど、

 この映画ではその世界が、天国かどうかって話だ。

 さて、どうなんだろう。

 たしかに南の島は、天国にいちばん近い島かもしれないけど。

 あ、でも。

 こんな解釈は、製作した人達にしてみれば、

 めいわくな事、この上ないよね。

コメント

マリと子犬の物語

2013年03月27日 02時05分46秒 | 邦画2007年

 △マリと子犬の物語(2007年 日本 124分)

 英題 A tale of Mari and three puppies

 staff 桑原眞二、大野一興『山古志村のマリと三匹の子犬』

     監督/猪股隆一 特撮監督/清水俊文 脚本/山田耕大、清本由紀、高橋亜子

     撮影/北信康 美術/部谷京子 音楽/久石譲

 cast 船越英一郎 宇津井健 小野武彦 高嶋政伸 松本明子 小林麻央 梨本謙次郎

 

 △平成16年(2004)10月23日17時56分、新潟県中越地震

 山古志村、震度6強。

 その翌年、中学を卒業して初めての同窓会があった。

 ぼくの通っていた小中学校はマンモス校で、小学校で6組、中学校で8組あった。

 中学を出るときの卒業生の数は320名だったから、

 幼稚園からずうっと一緒に通った同級生の中にも、知らない子はたくさんいる。

 で、その中に、小学校4年生のときだけ同じクラスになった女の子がいるんだけど、

 中学を出てからのことはまるで知らずにいた。

 ところが、同窓会の幹事会が立ち上がったとき、おもいもよらないことを聞いた。

「山古志村に嫁いで地震に遭って、いま、仮設住宅にいるらしい」

 いきなり、災害が身近になった。

 それからはまあいろいろあった。

 お見舞いを集めたり、故郷の同窓会に子供さんと来てもらったりしたんだけど、

 なんだか慌ただしい再会になってしまって、

 結局、ほとんど話すこともできなかった。

 いまはおそらく村へ戻って頑張っているんだろうけど、

 ときどき、昔馴染みを集めて山古志村まで行きたいものだとおもうことがある。

 でも、たぶん迷惑をかけるだけなんだろうなと勝手な想像をし、

 いつも二の足を踏んでしまうんだ。

 山古志村で闘牛が再開されたのは、前にドキュメンタリーで知ったけど、

 その復興について、その後はよく知らない。

 地震や津波でもって甚大な災禍をこうむった土地が全国にあり、

 被害を受けた日になると、報道その他で「ああ、もう何年に…」と気づかされる。

 距離感というのは、時間にせよ、地理にせよ、残酷なものだ。

 被災地の人達は毎日が復旧と復興の日々で、

 日本のいたるところで、それは今も確実に続けられているのに、

 ぼくらは日々の忙しさに翻弄され、ふとしたときにおもいだすことしかできない。

 そういう意味において、被災地が舞台となった映画はそれなりの意義を持つ。

 この映画も、そうだろう。

 にしても、よくわからないけれど、どうして犬の映画ばかりなんだろう?

 そりゃあ、犬は、日本人にとって最も身近な動物かもしれないし、

 愛らしい眼をうるませて、健気に生きているのをまのあたりにすれば、

 おもわず涙ぐんでしまい、劇場にすすり泣きが聞こえるかもしれないけれど、

 たとえば、山古志村だったら、牛を助けに行って山越えした話、なかったっけ?

 いろんな角度からのアプローチがあっていいし、動物を扱った物でなくてもいい。

 てなことを考えつつも、

 置き去りにされてしまったマリが3匹の子犬を連れてくる予定調和な展開に、

 ほうほうとおもって観続けてる僕がいるんだけどね。

コメント

トランスフォーマー

2010年12月09日 00時14分25秒 | 邦画2007年
 ◎トランスフォーマー


 南極で氷結メガトロンを発見した曾爺の話は良いとして、自動車とかの発明と原理の元になるくらい研究されたんなら、弱点とかも探ってたんじゃないかっておもったりもするんだけど、ま、そんな小さな疑問はふっとばして観ないとあかんね。だって、宇宙から新たに来た奴がカマロに変身しちゃうんだから、どのトランスフォーマーもどうしてもともと地球にある車種になってんだよとかいう疑問をもつこと自体、もはや、映画を拒んでるみたいなもんだもんね。

 でも、編集と絵作りは凄かった。マイケル・ベイはたいしたもんだな。

 ただまあ、ジョン・タトゥーロは救いだけど、どうも主人公のふたりに品がないな~。シャイア・ラブーフとミーガン・フォックスはたしかに現代的な感じはするんだけど、ぼくは古臭い人間だから、ジョシュ・デュアメルの演技を見てると安心したりするんだ。
コメント

西遊記

2010年05月24日 01時05分50秒 | 邦画2007年

 △西遊記

 

 香取慎吾が「なまか」と仲間をいうのがとてもわざとらしく、たえかねる。

 全般的にまじでわざとらしく、やけに物分かりのいい内村光良の沙吾淨や伊藤淳史の猪八戒もつまんないし、深津絵里を起用してるのはその昔、堺正章の『西遊記』で夏目雅子が三蔵法師を演じたのの二番煎じでしかないのもなんだか嫌みで、画面の派手なTVという印象でしかない。

 役者を揃えて中国ロケまでしたのに、まあ、期待する方がむだなことはわかってたんだけど、ね。

コメント

HERO

2010年02月15日 23時55分22秒 | 邦画2007年

 ◇HERO(2007年 日本 130分)

 監督/鈴木雅之 音楽/服部隆之

 出演/木村拓哉 松たか子 阿部寛 綾瀬はるか 香川照之 中井貴一 児玉清 松本幸四郎

 

 ◇大掛かりなテレビドラマ

 イビョンホンの登場と絡み方は、往年の邦画のゲスト出演のやり方そっくりだった。受け継いでほしくない伝統だけどね。

 ただまあ、主役男女の幼稚園ごっこは食傷気味かな。ヒーロー讃歌のための筋立てにおもえちゃってね。もうすこし映画らしさってなにかなと考えてほしいとかっておもったりいったりするから時代遅れって烙印をおされちゃうのかもしれないけどさ。

 でも、あいかわらず服部隆之の音楽は上手だなっておもうわ。

コメント

ベクシル 2077日本鎖国

2010年02月05日 17時29分01秒 | 邦画2007年

 ◇ベクシル 2077日本鎖国(2007年 日本 109分)

 監督・脚本/曽利文彦 音楽/ポール・オークンフォールド

 出演/黒木メイサ 谷原章介 松雪泰子 大塚明夫

 

 ◇なんか寄せ集めな印象

 『DUNE 砂の惑星』の砂蟲と『ブレードランナー』の屋台村とアンドロイドと『スターウォーズ』の狭い空間で追い駆けと…。

 CGにすると人間は妙に緩慢に動く。一連のアジア的な熱気だけが残るという日本の暗い未来観が延々と展開されてる感じだったわ。

コメント