Kinema DENBEY since January 1. 2007

☆=☆☆☆☆☆
◎=☆☆☆☆
◇=☆☆☆
△=☆☆
▽=☆

劇場版 魔法少女まどか☆マギカ 後編 永遠の物語

2013年07月31日 00時20分58秒 | 邦画2012年

 ◎劇場版 魔法少女まどか☆マギカ 後編 永遠の物語(2012年 日本 109分)

 英題 Puella Magi Madoka Magica the Movie Part II: The Eternal Story

 staff 総監督/新房昭之 監督/宮本幸裕

     脚本/虚淵玄 キャラクター原案/蒼樹うめ

     キャラクター・デザイン/岸田隆宏 谷口淳一郎

     総作画監督/谷口淳一郎 山村洋貴 撮影監督/江藤慎一郎

     美術監督/内藤健 美術設定/大原盛仁 異空間設計/劇団イヌカレー

     音響監督/鶴岡陽太 色彩設計/日比野仁 滝沢いづみ

     音楽/梶浦由記 主題歌/ClariS Kalafina

 cast 悠木碧 斎藤千和 水橋かおり 喜多村英梨 野中藍 加藤英美里

 

 ◎その魂を代価にして、君は何を願う?

 いったい、

 このアニメーションの対象年齢がいくつに設定されてるのかわからないけど、

 あまりにもアバンギャルドな戦場と背景と展開を、

 どれくらいの観客が愉しんでるんだろうって、ちょっと心配したりもする。

 ま、そんな心配は無用なんだろうけど、

 キュゥべえの設定はいちおう異星人とはなってるんだけど、

 ぼくなんかの感覚的には悪魔に近い。

 もっとも『サイボーグ009・天使篇』では、天使も異星人なんだから、

 そのあたりの境目はどうでもいいのかもしれないね。

 ただ、前半でも魔女の実体が明瞭には見えなかったように、

 最強の魔女“ワルプルギスの夜”はやはり明瞭には見えてこない。

 でも、実体のともなわないような敵に見えるがゆえに、

 魔法少女たちの苦しみに焦点が当てられている、ように感じられる。

 ほむらが時間旅行者となって、

 永遠の輪廻にみずからを閉じ籠もらせているという展開はとっても好きだし、

 ここまでまどかを魔法少女にせずに引っ張ってきた意味もようやく理解できた。

 なんたって、ヒロインの少女が最後の最後まで魔法少女にならないなんてのは、

 おそらく、この作品が最初だろう。

 ただ、まどかの願いによって、魔法少女が魔女化しなくなるのは、

 いちおうの解決策にはなるんだろうけど、

 それでも人間が呪怨を抱える生き物である以上、

 彼女らを呪縛している戦いは失われることはないっていう結論は、残酷だ。

 まあ、それがダーク・ファンタジーの宿命なんだろうけど。

 いや、堪能しました。

コメント

劇場版 魔法少女まどか☆マギカ 前編 始まりの物語

2013年07月30日 00時19分14秒 | 邦画2012年

 ◎劇場版 魔法少女まどか☆マギカ 前編 始まりの物語(2012年 日本 130分)

 英題 Puella Magi Madoka Magica the Movie Part I: The Beginning Story

 staff 総監督/新房昭之 監督/宮本幸裕

     脚本/虚淵玄 キャラクター原案/蒼樹うめ

     キャラクター・デザイン/岸田隆宏 谷口淳一郎

     総作画監督/谷口淳一郎 山村洋貴 撮影監督/江藤慎一郎

     美術監督/内藤健 美術設定/大原盛仁 異空間設計/劇団イヌカレー

     音響監督/鶴岡陽太 色彩設計/日比野仁 滝沢いづみ

     音楽/梶浦由記 主題歌/ClariS Kalafina

 cast 悠木碧 斎藤千和 水橋かおり 喜多村英梨 野中藍 加藤英美里

 

 ◎コラージュの見事さ

 ちょっと、度肝を抜かれた。

 魔女空間の世界設定を考案し、さらに制作した劇団イヌカレー。

 いや、凄かった。

 攻め手が少女であるがゆえに、その幻想的世界での凄惨さは度合いを増す。

 で、ちょっと脱線すると、この魔女たちなんだけど、

 世の中っていうか、象徴的には見滝原ね、ここで起きてる自殺や変死、

 つまり精神的に抑圧された人達を魔女の囁きによって死に至らしめるんでしょ?

 ただ、その場面はほとんどなくて、

 魔女の囁きに乗せられる人物が登場してくることはほとんどない。

 なんでだろ?

 っていう疑問は、そもそも、思い浮かべる必要はないんだよね、実は。

 要するに、魔女は悪という絶対的な概念というかお約束事として存在し、

 いたいけな少女たちはその究極的な悪に対して、お約束事の戦いを挑むんだから。

 けど、このお約束事の戦いが、これまでに観たことのない戦いだった。

 イヌカレーの腕ちからとしか、いいようがない。

 ひとつひとつの場面について分析したいほどだけど、そんな閑もないからやめる。

 で、話は変わる。

 巴マミのことだ。

 ふつう、こういうキャラクターはなんか裏があって、もしくは闇を抱えていて、

 主人公たちを悪の世界へ引き摺りこむか、窮地に陥れようするものだけど、

 全然そうじゃなくって、むしろ、ある意味、とっても純粋で、

 その純粋さゆえに主人公まどかとその親友さやかをすぐに魔法少女にせず、

 そのせいで、みずからは援軍もなく、戦いに敗れ、無残な死を遂げる。

 これは、おもわぬ展開で、この冷酷さがさらにボルテージを上げていく。

 やがて、

 好きな男のバイオリン演奏を復活させるためという、

 個人的な思惑から魔法少女への道をたどるさやかの末路と、

 そのさやかと仲違いする佐倉杏子の魔法少女への切っ掛けとなった父への愛とが、

 リリカルな絵とは真反対の残酷さで描かれるわけだけど、

 この作品の凄さは、主人公の親友が魔女化してしまうことではなく、

 主人公がいったんは憧れ、やがてその対象となっている魔法少女の末路というか、

 次の段階が魔女だという設定にある。

 可憐な少女の成れの果てが魔女だというのは、おそらく初めてじゃない?

 自分たちが、憧れの魔法少女になることは、単に悪の蛹になることで、

 やがて悪の成虫ともいえる魔女になるという残酷さには、脱帽せざるをえない。

 しかも、

 彼女らの穢れを溜めていくソウルジェムが、実は魂の入れ物だということ、

 さらには、

 魔法少女になる契約を交わした途端、肉体は単なる器と化してしまうこと、

 すべて小出しの謎解きながら、いや~、上手な展開でした。

 音楽もまた、好いわ~。

コメント

トリコロールに燃えて

2013年07月29日 12時59分11秒 | 洋画2004年

 ◎トリコロールに燃えて(2004年 アメリカ、イギリス、スペイン、カナダ 121分)

 原題 Head in the Clouds

 staff 監督・脚本/ジョン・ダイガン

     撮影/ポール・サロシー 美術/ジョナサン・リー

     衣裳デザイン/マリオ・ダビグノン 音楽/テリー・フルーワー

 cast シャーリーズ・セロン ペネロペ・クルス スチュアート・タウンゼント

 

 ◎1944年8月、パリ解放

 シャンゼリゼのパレードの際、丸刈りにされて、

 その上、ドイツ軍を相手にした娼婦だったと札まで下げられ、

 行進させられた女性たちは、しばしば映像化される。

 ところが、シャーリーズ・セロンが演じたのは、

 それすらもさせてもらえずに濡れ衣を着せられたまま殺される役だ。

 けど、実際のところ、

 ドイツ軍の内情をさぐるために娼婦になりすましていた女性はいたろうし、

 人間の人生を左右してしまうのが戦争ってやつなんだろう。

 で、そんな彼女だけど、

 芸術家であるという前提からも想像できるように、

 常に、肉体的な快楽と精神的な至福を追い求めていた。

 ただ、平時だったらそれでよかったろうし、

 ふつうに男も好きだし、レズビアンの対象とする女もいるという両刀使いも、

 それはそれで何の問題もないんだけど、戦時だったことが悲劇になる。

 ペネロペ・クルスの死と共にセロンに芽生えたものは戦争への嫌悪で、

 セロンはおのれの肉体を利用して戦争を滅ぼそうと考え、行動する。

 ちょっと前にも書いたとおり、

 肉体的な快楽はセロンにとっては、ごくふつうの当たり前のことで、

 精神的な至福により重きを置いているため、

 彼女が情報を得るために肉体を惜しげもなくナチスに差し出すのは、

 一般人に置き換えれば、美味しい食事を共にするという程度のものでしかなかった。

 と考えれば、戦争が勃発する前の爛れた日々についても合点がいくけど、

 そうした性質が生来のものか、わざと自分を追い込んだものかはよくわからない。

 けど、奔放な女性という括りでいえば、たしかにそうだったろう。

 ただ、

 こうした女性に観客が共感、あるいは感情移入するかどうかは、よくわからない。

 パリの解放をめざして身体を捧げた女性に訪れる悲劇という点では、

 多少の同情を禁じ得ないという感想はあるかもしれないけど、難しいところだ。

 前半で、セロンは占い師に「34歳から先が見えない」といわれる。

 それがトラウマになって34歳が近づくにつれて自暴自棄になり、

 ドイツ軍を相手に娼婦になりすましたのかどうか。

 となれば、彼女の運命を決めてしまったのは占いということになっちゃう。

 占いが当たったんじゃなく、それに引き摺られちゃったってことにならないかしら?

 なんにしても、セロンの感情がうまく見えてこない分、

 ぼくらは想像するしかないんだよね。

 でも、30年代から40年代にかけてのデカダンスな雰囲気は実に好かった。

 むろん、セロンとペネロペの美貌に負うところは大きいけどね。

コメント

評決

2013年07月28日 17時55分15秒 | 洋画1981~1990年

 ◇評決(1982年 アメリカ 129分)

 原題 The Verdict

 staff 原作/バリー・リード『評決』 監督/シドニー・ルメット

     脚本/デイヴィッド・マメット 撮影/アンジェイ・バートコウィアク

      美術/ジョン・キャサーダ エドワード・ピッソーニ

     衣裳デザイン/アンナ・ヒル・ジョンストン モンティ・ウェストモア ビル・ロジャー

     特殊メイク/ジョー・クランザーノ 音楽/ジョニー・マンデル

 cast ポール・ニューマン シャーロット・ランプリング ジェームズ・メイソン

 

 ◇負け犬の復活

 人間、一度、負け犬であることを自他共に認めてしまっては、

 そこから這い上がることは非常に難しい。

 気力もなければ体力もなく、なにか切っ掛けがあればと期待もするけど、

 切っ掛けを待っていること自体、負け犬であることの証だ。

 アル中の弁護士ポール・ニューマンも、そうした負け犬のひとりだ。

 新聞で死亡欄をたしかめ、葬式に顔を出しては名刺を置いて、仕事を待つ。

 これほど惨めな境遇にまで落ちてしまった弁護士が、

 這い上がるための最後の機会に遭遇する。

 出産で入院した女性が、麻酔処置のミスで植物人間になってしまったという、

 医療過誤訴訟だ。

 争点になっているのは、

「手術の1時間前に食事をとっていたかいなかったか」

 というただ1点のみで、1を9に改竄したかどうかって話になる。

 もしも改竄であれば、過誤ではなく隠蔽ということになるんだろうけど、

 ポール・ニューマンが人生の再出発をする切っ掛けというか熱情というものが、

 徐々に沸き上がってくるが主題になってる。

 なんだか『ハスラー2』をおもいだしちゃうけど、

 ニューマンにとてはいちばん脂の乗り切った時期だったんじゃないかしら?

コメント

イングリッシュ・ペイシェント

2013年07月27日 23時36分37秒 | 洋画1997年

 ☆ングリッシュ・ペイシェント(1997年 アメリカ 162分)

 原題 The English Patient

 staff 原作/マイケル・オンダーチェ『イギリス人の患者』

     監督・脚本/アンソニー・ミンゲラ

     撮影/ジョン・シール レミ・アデファラシン

     美術/スチュアート・クレイグ ステファニー・マクミラン ジョン・ブッシュ

     衣裳デザイン/アン・ロス ゲイリー・ジョーンズ 音楽/ガブリエル・ヤーレ 

 cast レイフ・ファインズ クリスティン・スコット・トーマス ジュリエット・ビノシュ

 

 ☆ふたつの壁画

 レイフ・ファインズの演じた、ラズロ・アルマシーっていうハンガリー系の貴族の末裔だけど、どうやら、オーストリアはブルゲンラント州のベルンシュタイン城に生まれたらしい。ベルンシュタイン城は、五角形の城壁をもち、ひとつの塔を備えた簡素な城で、いまは売却されてしまい、ホテルになってるそうだ。ともかく、そこで育ち、飛行士の免許も取得して、オーストリア=ハンガリー帝国の空軍に所属して、欧州大戦に出征したらしい。エジプトに出かけたのはその後で、目的は探検だったようで、パトロンになってたのが英国人のロバート・クレイトン卿だったようだ。クレイトン卿にはドロシーっていう奥さんがいるけど、彼女が探検に参加したのは、クレイトン卿が砂漠で病死してからみたいね。で、ドロシーが飛行機の墜落事故で死んだのはイギリスに戻ってからで、このあたりのことは戦前の話らしい。探検の後、アルマシーは砂漠で飛行機の操縦を教えてたんだけど、ハンガリーがドイツに併合されてしまったことからドイツ空軍に所属したみたいだ。けど、戦争の形勢が悪くなったあたりに、祖国ハンガリーがドイツに抵抗し始めると、アルマシーもイギリス諜報部と連絡をとるようになり、情報を提供してたんだと。で、アルマシーがいつ死んだかといえば、戦後の1951年、ハンガリーに戻ってからで、病死らしい。

 だから、映画の中身と事実とはかなり違ってることがわかるんだけど、かれらが見てた「泳者の洞窟」は、実際にある。エジプトの南西、Wadi Sora ってところで、the cave of swimmersっていう。つまり「泳者の洞窟」だけど、この映画は、壁画がふたつの恋愛劇を結び付けるときの象徴にもなってる。恋人と親友を失ったジュリエット・ビノシュが、あらたな恋の相手になったシーク兵の中尉がロープで吊って、中世の壁画を眺めていく場面は、なんとも美しい。恋は儚く、人間の死と共に終わりを告げてしまうんだけど、絵画はそれが風化して消え去ってしまうまで残り、後の恋人たちを結びつける。そんなことをいってるように感じちゃう。現代だったら、美術館なのかな?

 でもな~、やっぱり、足を延ばして描かれたままの状態で残ってる絵を見ないと、燃え上がる恋にはならないのかもしれないね。日本だと、何処にあるんだろ?

コメント

インポッシブル

2013年07月26日 01時41分29秒 | 洋画2012年

 ☆インポッシブル(2012年 スペイン、アメリカ 114分)

 原題 The Impossible

 staff 原作/マリア・ベロン

     監督/J・A・バヨナ 脚本/セルヒオ・G・サンチェス

     撮影/オスカル・ファウラ 美術/エウヘニオ・カバレロ

     音楽/フェルナンド・ベラスケス

 cast ナオミ・ワッツ ユアン・マクレガー トム・ホランド ジェラルディン・チャップリン

 

 ☆2004年12月26日、スマトラ沖地震

 マグニチュード9.1、死者 22万人。

 史上2番目に巨大な、文字どおりけた外れの地震と、

 それによる津波の被害は、 想像を絶するものになった。

 その巨大な悲劇に、タイのプーケットにいて遭遇してしまった家族の話だ。

 それも、実話。

 原作っていうか、マリア・ベロンというスペイン人の主婦の体験談が元になってる。

 このマリア・ベロンを演じたのがナオミ・ワッツなんだけど、いやもう、凄い。

 迫真の演技っていえば簡単だけれども、まじ、だ。

 津波に飲み込まれる場面だけでも、水槽の中で一か月、演じ続けたらしい。

 ただ、彼女もそうだけど、上手だな~と感心した俳優がいる。

 12歳の長男の役を演じたトム・ホランドだ。撮影当時、16歳。

 自然な演技で、弟たちの幼さが嫌で殻に閉じこもっていた長男が、

 津波に巻き込まれ、生死の境をさまよう母親を観ることで、

 父性を目覚めさせ、やがて父親に再会するまで、被災しながらも奉仕をするという、

 非常に難しい役どころをしっかり演じ切ってた。

 なかなかいないよ、こんなに好い子は。

 ただ、まあ、ホランド君も大変だっただろう。

 弟たちがあまりにも幼いものだから、津波に飲み込まれる場面は撮れないし、

 となると、一緒にいた父親もまた津波がひいてからしか登場できないわけで、

 必然的に、母親と長男の体験に集中せざるをえない中、

 水と泥と灼熱の太陽と、人ごみでごったがえした病院と、よく頑張ってた。

 実際、リアリティを要求したからか、特撮はかぎりなく少なく、

 ロケーションは長期をきわめたらしい。

 なんといっても、CGの津波では水が嘘っぽいからと、本物の水が使われてる。

 これが、凄いんだ。

 たしかにこの映画は、

 スマトラ沖地震を風化させないという効果もあるし、

 語り継がなくてはならない悲劇を疑似体験させることで、後の防災思想にも繋がる。

 でも、映画の主題は、ちょっとちがう。

 家族の絆の再確認なんだよね。

 なんだか、大人も子どもも、生きることが難しくて、表面上は家族なんだけど、

 その実、心の絆はどこかに置いてきちゃったんじゃないかって感じの家族が、

 リゾート地でちょっと癒されるどころか、

 死別離散するかもしれないっていうとんでもない状況に放り込まれることによって、

 家族の大切さをひしひしと実感させられるっていう運びになってる。

 もちろん、現代の被災なんだから、家族がばらばらになってたって、

 生きてるかぎり、記憶喪失とかにならない以上、かならず再会できる。

 だから、

 たとえ数度すれちがったところで、時間の問題じゃんっていう安心感はあるし、

 出会えるかどうかとか、死んじゃわないよねとかっていう心配なんていらんぜ、

 てなふうに観ちゃう観客もいるだろうけど、要はそんなことじゃない。

 家族の大切さを実感するのと同時に、

 母性や父性の再確認はもちろんのこと、

 この体験を通じて少年が大人になるという主題もある。

 その大切な、きらきらと輝くような瞬間を、ホランド君が演じてるのよ。

 上手だったわ~。

 子どもの劇団にありがちな大仰さも妙な発声も媚を売るような態度もなく、

 とにかく、自然だった。

 こういう子がのびていってほしいんだよな~。

コメント

あなたへ

2013年07月25日 01時00分40秒 | 邦画2012年

 ◎あなたへ(2012年 日本 111分)

 staff 監督/降旗康男 脚本/青島武

     企画/市古聖智 林淳一郎 関連小説/森沢明夫『あなたへ』

     撮影/林淳一郎 美術/矢内京子 装飾/鈴村高正 音楽/林祐介

 cast 高倉健 田中裕子 佐藤浩市 草剛 綾瀬はるか ビートたけし 大滝秀治

 

 ◎さようなら

 どんどん、みんなが年をとっていく。

 大滝秀治さんについてはとくにそうで、

 まあ、大滝さんのことはいろんなところで書かれてるだろうからそんなに触れないけど、

 この作品が、遺作だ。

「久しぶりに、きれいな海ば見た」

 っていう最後の台詞は、痰がからんだように声がしわがれ、妙に野太くなってる。

 感動して声がつまったようで、なんともいえない雰囲気だったけど、

 ほかのテイクではどんな台詞回しになってたんだろう。

「出航」

 と、声をかけるとき、大滝さんは気合が入ってた。

 健さんと最初に会うカットでは、腰にちからが入っていないような、

 すでに飲んでいてちょっとばかし酔っ払ってる感じを匂わせているような、

 それだけで、なんだか雰囲気の伝わってくる表情と構えだった。

 人間、一瞬の見た目で、すべてが語られる。

 こうしたところ、大滝さんは最後まで好い仕事をされた。

 まあ、大滝さんについてはともかく、

 プロデューサーとして名前の挙げられている市古聖智さんのことだ。

 市古さんは、日活のご出身だそうだけど、ある時期、勝プロにもおられ、

 その後、フリーのプロデューサーになられて、おもにテレビの企画をされたり、

 高倉健さんの映画も何本か企画された、はずだ。

 ぼくが市古さんという方にお会いしたのは、1982年の夏だった。

 大映映像がフジテレビで『不帰水道』っていう3時間ドラマを製作したときで、

 出演は田中邦衛、平幹二郎、長塚京三、江藤潤、倍賞美津子の皆さんだったかな、

 ともかく、そこで、

 伊藤瑛さんという方とともに、プロデューサーを務めておられたような気がする。

 すらりとした長身で、サングラスが似合ってて、雰囲気のある方だった。

 けど、市古さんは2008年だかに亡くなられてて、

 どうやら、この作品を企画された林淳一郎さんというカメラマンさんが、

 市古さんとずっとお仕事をされていて、この作品の企画を話されていたことから、

 ようやく映画化されたので、その遺志を尊重して名前を挙げられたらしい。

 なるほど、と、おもった。

コメント

ケース39

2013年07月24日 02時24分57秒 | 洋画2009年

 ◇ケース39(2009年 アメリカ 109分)

 原題 Case 39

 staff 監督/クリスティアン・アルヴァルト 脚本/レイ・ライト

     撮影/ハーゲン・ボグダンスキー 美術/ジョン・ウィレット

     衣裳デザイン/モニク・プリュドム 音楽/ミヒル・ブリッチ

 cast レニー・ゼルウィガー ジョデル・フェルランド ブラッドリー・クーパー

 

 ◇39番目の案件

 ソーシャルワーカーって、どんな意味?

 って聞かれて、ちゃんと答えられる日本人はどれだけいるんだろう?

 Social Workerを直訳すれば、

「社会事業あるいは社会福祉に専従する労働者」

 ってことになるんだろうけど、

 社会福祉士、児童福祉士、介護福祉士、精神保健福祉士、認定社会福祉士とか、

 福祉士のつく専門職はいっぱいあって、それの総称ってことになる。

 だったら、ソーシャルワーカーとかカタカナ語なんか使わないで、

 単純に福祉士っていえばいいじゃんね。

 ぼくはカタカナ語が嫌いだ。

 外来語っていうのか和製英語っていうのかよくわかんないけど、

 日本語をどんどん曖昧なものにして、

 それを使う人間も、わかったようでいて実はなんにもわかってない現象に陥る。

 日本語を喋ってるはずなのに、ほんとの意味をわからないまま過ごしてる。

 こんなアホなことはなく、これじゃあ、日本人はどんどんバカになっちゃう。

 ま、それはおいといて、この映画だ。

 レニー・ゼルウィガーの職業が、そのソーシャルワーカーなんだけど、

 ネグレクトやドメスティックバイオレンスのソーシャルワーカーって話だから、

 たぶん、育児放棄や児童虐待を取り扱う児童福祉士なんだろう。

 ほらね、曖昧でしょ?

 けれど、あらすじは単純だ。

 女の子ジョデル・フェルランドが、実の親に焼き殺されそうになるという事件が発生。

 この39番目の案件を担当したのが、児童福祉士レニー・ゼルウィガー。

 ゼルウィガーは、両親が精神病院に入れられたジョデルの境遇を憐れみ、

 里親が決まるまで自分のもとにひきとり、暮らすことにした。

 ところが、ジョデルはどうやら悪魔の申し子で、兄弟姉妹を死に追いやっていた。

 ジョデルの能力は相手が最も恐怖と感じるものを幻覚にして見せられるというもので、

 恐怖の現象に怯えたものが自殺あるいは過失などによって死にいたるわけだ。

 この恐ろしい能力を知った両親がジョデルを殺そうとしたんだけど、殺しきれず、

 ゼルウィガーがとんだ貧乏籤を引いてしまい、さまざまな恐怖を経験させられ、

 彼女を封じ込めるために、ついに車ごと海へ飛び込んでゆくって話だ。

 ただ、映画ではこの子を悪魔と定義してるんだけど、

 これは悪魔っていうより、

「悪魔的な心を持ってしまった超能力を持った少女」

 って定義した方がいいんじゃないかしら?

 まあ、ジョデル・フェルランドは『サイレントヒル』もそうだけど、

 こういう神秘的っていうか、悪魔的っていうか、不思議な役が似合う。

 とっても整った顔立ちで上品なんだけど、

 生気に乏しく、心から笑ってないような演技ができちゃうからなんだろね。

 けど、こういう、親や公人が子どもを死においやる内容ってのは難しく、

 だから、封切が延びに延びたんだろうし、

 日本では劇場で公開されなかったんだろうね。

 コンパクトながら上手に作ってあったとおもうんだけどな。

コメント

マイノリティ・リポート

2013年07月23日 00時31分30秒 | 洋画2002年

 ◎マイノリティ・リポート(2002年 アメリカ 145分)

 原題 Mignority Report

 staff 原作/フィリップ・K・ディック『小数報告』

     監督/スティーヴン・スピルバーグ 脚本/スコット・フランク

     撮影/ヤヌス・カミンスキー 空中撮影/ラリー・ブランフォード

     特殊メイク/K.N.B.EFX Group Inc. ジェイク・ガーバー グレゴリー・ニコテロ

     特殊効果/ウィリアム・ショート 特殊効果監修/マイケル・ランティエリ

     視覚効果/Industrial Light & Magic

             アサイラムVFX ドナルド・エリオット

     プロダクション・デザイン/アレックス・マクドウェル

     美術/レスリー・マクドナルド セス・リード 美術監修/クリス・ゴラック

     衣裳/デボラ・リン・スコット 音楽/ジョン・ウィリアムズ

 cast トム・クルーズ コリン・ファレル マックス・フォン・シドー キャサリン・モリス

 

 ◎2054年、ワシントンDC

 ディックの世界はどうしても陰鬱なものになってしまうので、

 これもそうだろうな~とおもっていたら、やっぱり、ダークな未来像だった。

 けど、さすがにディックらしいっていうか、

 犯罪を犯してしまう人間を探し出すという、

 一見すればものすげー科学的な設備なんだけど、

 なんのことはない、予知夢なのだ。

 いってみれば、

 邪馬台国の時代に卑弥呼が宣託を口にするようなもので、

 要するに予知能力という超能力に頼っているわけだ。

 それがたとえ遺伝子の突然変異によって生まれたにせよ、

 あくまでも夢であり、それによって、

 人類が支配されるとまではいかないにせよ、なんらかの束縛を受けている。

 そんな世界での話で、いや~なんともディックらしいじゃないか。

 さらにいうと、

 こういうディック世界に引き摺られたのか、

 スピルバーグもかなり陰鬱な印象を伝えようとしてか、

 トム・クルーズが離婚して息子にも会えず、しかも麻薬の常習者という、

 なんともスピルバーグ作品の主人公らしからぬ設定になってる。

 これを好しとするかどうかは観る者次第なんだろうけど、

 空間上のノータッチパネルっていう凄いモニターを駆使しながら、

 転がり出てくるのは木造りの焼き鏝をあてられたような球っていうアンバランスさは、

 外の世界でも同じように演出されてて、

 空中を移動する警察関係の車輛や背負いのジェットとかのほかには、

 現代とほとんど変わることのない未来像になってる。

 リアリティは、ある。

 主題は「自分が自分を信じないで誰が自分を信じてくれるんだ」ってのと、

 人間は未来永劫、権力欲や支配欲を切り離せない生き物で、

 自己の存在を肯定するためには、最後まで闘わなくちゃいけないんだ、

 って感じなんだろうけど、

 予知夢が不完全なかけらで、

 それを人間が色眼鏡で纏める未来予測ってのが、なんともおもしろかったわ~。 

コメント

永遠のマリア・カラス

2013年07月22日 00時37分08秒 | 洋画2002年

 ◎永遠のマリア・カラス(2002年 イタリア フランス イギリス ルーマニア スペイン 108分)

 原題 Callas Forever

 staff 原案・監督/フランコ・ゼフィレッリ

     脚本/フランコ・ゼフィレッリ マーティン・シャーマン

     撮影/エンニオ・グァルニエリ

     美術/カルロ・チェントラヴィーニャ ブルーノ・チェザーリ

     衣裳/カール・ラガーフェルド 特撮/クラウディオ・ナポリ

     音楽/アレッシオ・ヴラド 音楽監修/ユージーン・コーン

 cast ファニー・アルダン ジェレミー・アイアンズ ジョーン・プローライト

 

 ◎1977年9月16日、マリア・カラス没

 マリア・カラスは53歳で他界したらしい。

 そんなに若かったんだ、てのが偽らざる感想だけど、

 ここまで世界的な名声を博しちゃうと、

 ものすごく前の時代の人のように感じちゃう。

 年齢ってのは、ほんと、わからないもんだし、

 実際のところ、彼女の絶頂期は10年ちょっとだったらしい。

 ちなみに、マリア・カラスの最後の公演は日本で、

 1973年と1974年にあって、スター千一夜にまで出演してる。

 これも「へ~」って感じだ。

 ま、そのあたりのことは映画でも触れられてるけど、

 この映画は、

「カラスと旧知の仲だったフランコ・ゼフィレッリの私小説ならず私映画じゃない?」

 てなふうにもおもえちゃう。

 カラスに対して、最後に映画に出てくれないか、と説得したことがあって、

 その思い出を、まるきり実話とは関係ないような、虚構の話に仕立て上げたんじゃ?

 それは、ゼフィレッリしか知らないことなんで、憶測はやめとこう。

 けど、

 往年のスターを最後にもう一度だけ輝かせたいと願うのはフアンの心理だし、

 そのスターを男女をこえた関係で愛している人間の話にしてる。

 このあたり、ゼフィレッリはよく考えてるよね。

 ジェレミー・アイアンズって人は、なんだか危険な匂いがして、

 やけに色気があって、

 性的に崩れてゆく役を演じさせたら右に出る者はいないんだけど、

 それがファニー・アルダン演じるカラスに徹頭徹尾つくすんだから、

 ホモっていう設定にしないと、観客は余計なことを考えちゃう。

 いや、ゼフィレッリ、たいしたもんだわ。

 でもまあ、

 なにより、ファニー・アルダンが好演してる。

 マリア・カラスと似てるようで似てないんだけど、

 どっから観ても「マリア・カラスってこんな人だったよね」って感じになってる。

 この役は決まるまでにかなり難航してたみたいだけど、

 もともとゼフィレッリの頭の中にはファニー・アルダンがあったんじゃないかしら。

 にしても、80歳で、こんな色気のある映画を撮っちゃうなんて、

 ゼフィレッリ、やっぱり凄いわ。

コメント

サイレントヒル:リベレーション3D

2013年07月21日 00時29分13秒 | 洋画2012年

 △サイレントヒル:リベレーション3D(2012年 フランス、アメリカ、カナダ 95分)

 原題 SILENT HILL: REVELATION 3D

 staff 監督・脚本/マイケル・J・バセット

     撮影/マキシム・アレクサンドル 美術/アリシア・キーマン パトリック・タトポロス

     衣裳デザイン/ウェンディ・パートリッジ 音楽/ジェフ・ダナ 山岡晃

 cast アデレイド・クレメンス ショーン・ビーン キット・ハリングトン ラダ・ミッチェル

 

 △7年後の続編

 つまり、前作で助け出された養女が18歳になってるっていう設定になるんだけど、

 ここまで完全な続編にするんだったら、

 アデレイド・クレメンスを起用するんじゃなくて、

 ジョデル・フェルランドで通した方が良かったんじゃないかっておもうわ。

 両親はおんなじなんだから。

 ま、それはいろんな事情もあってのことだろうから仕方ないんだけど、

 灰の降る異次元の町っていう設定はここでも活かされていて、

 その薄気味悪い静けさはこのシリーズの持ってる好いところだ。

 ただ、え~そうなんだ~とおもったのは、

 ピラミッドをかぶってる筋肉おじさんは、養女の守護神だったのねってこと。

 クリーチャーたちの存在理由がよくわからなかったんだけど、

 このピラミッド野郎だけは妙に好いもん扱いになってきたんだね。

 ゲームをまったくしないぼくには、ついていくだけで精一杯。

 でも、7年も経つ内に、やけに教団はどでかくなってて、

 どういう仕組みでかれらが存在できてるのかわからないんだけど、

 ともかくアデレイド・クレメンスが教団のアキレス健ってことだけは、

 なんとなくわかった。

 でもさ、なんでアデレイド・クレメンスにパワーが宿らないんだろう?

 主人公が恐怖に顔をゆがませて、最後まで闘わないってのは珍しくない?

 そんなことで、よくわからないところもかなりあったんだけど、

 CGは大したものだわ~ってことはよくわかった。

 おしまい。

コメント

サイレントヒル

2013年07月20日 00時22分37秒 | 洋画2006年

 ◇サイレントヒル(2006年 カナダ、フランス 126分)

 原題 Silent Hill

 staff 原作/「コナミ」『サイレントヒル』

     監督/クリストフ・ガンズ 脚本/ロジャー・エイヴァリー

     ストーリー原案/クリストフ・ガンズ ニコラ・ブークリエフ

     製作総指揮/ヴィクター・ハディダ 山岡晃 アンドリュー・メイソン

     撮影/ダン・ローステン 美術:エリノア・ローズ・ガルブレイス

     プロダクション・デザイン/キャロル・スピア

     衣裳/ウェンディ・パートリッジ 音楽/ジェフ・ダナ

     クリーチャーデザイン/パトリック・タトポロス パトリック・タトポロス

     特殊メイク監修/ポール・ジョーンズ

     特殊メイク/パトリック・タトプロス パトリック・バクスター ニール・モリル

     視覚効果製作/ホリー・ラドクリフ

 cast ラダ・ミッチェル ショーン・ビーン ローリー・ホールデン ジョデル・フェルランド

 

 ◇灰の降る町

 ぼくは、ゲームをしない。

 ていうより、したいんだけど、してる余裕がない。

 だから『バイオハザード』も映画を観るだけだし、この作品もそうだ。

 両作品の違いは、ヒロインが攻撃的かどうかってことで、

 この映画は明らかに巻き込まれ型で、ラダ・ミッチェルはひたすら逃げてる。

 もうすこし能動的になってもいいような気もするんだけどね。

 まあ、それはそれとして、

 灰がしきりに降り続いている町っていう発想は、良い。

 地下の鉱山が火事になってそれがいっこうに鎮火してないっていう、

 実際にアメリカにある町がモチーフになってるから余計に好奇心をくすぐられる。

 でも、

 教会に集ってる教団の人達は、いったいどうやって生きてるんだろう?

 町が閉鎖されてるんだから、食糧が供給されてくるわけでもないだろうし、

 こんな人間の棲めないような町に棲み続けてるってのがそもそも不思議だ。

 また、クリーチャーたちもなんでこの町に発生してるのかってのも、謎だ。

 悪魔の子を宿すにはそれなりの理由があるはずで、

 そういうのをすべてすっ飛ばして、

 ひたすら、次元のちがう世界に養女を探しに行く夫婦に徹してる。

 映像は悪くないんだけど、

 最後まで納得しにくい設定はちょっと無理があるような気もしないではない。

 ただ、この映画については、

 以前、まだ浅草に名画座があったとき、何度かポスターを見かけた。

 普通、通りすがりの映画館のポスターなんて忘れちゃうんだけど、

 やけに印象に残ってて、いつか観たいな~とおもってた。

 そういう映画もあるんだよね。

コメント

クィーン

2013年07月19日 12時02分39秒 | 洋画2006年

 ◎クィーン(2006年 イギリス、フランス、イタリア 104分)

 原題 The Queen

 staff 監督/スティーブン・フリアーズ 脚本/ピーター・モーガン

     撮影/アフォンソ・ビート 美術/アラン・マクドナルド

     衣裳デザイン/コンソラータ・ボイル 音楽/アレクサンドル・デスプラ

 cast ヘレン・ミレン マイケル・シーン アレックス・ジェニングス ジェームズ・クロムウェル

 

 ◎1997年8月31日、ダイアナ事故死

 この事故の報道と、その後のいろんな憶測や報道については、

 いまだにけっこう鮮やかに覚えてるのは、

 それだけ、過剰っていってもいいくらいに報道されたからだろう。

 いちばん記憶に残ってるのは、

 たしかダイアナの葬儀のとき、エリザベス女王が葬儀に出席してる間、

 半旗が掲げられたことだ。

 バッキンガム宮殿に半旗が掲げられる習慣はないはずで、

 これはおそらく大英帝国の歴史の中でもなかったんじゃないかしら。

 ぼくは、この一連の報道にちょっと辟易してるところがあって、

 極東の英国とはなんの関係もない一介の凡夫にしてそうなんだから、

 英国王室としても好い加減にしてくれってな感じだったろう。

 そのときの日々を映画化したものだ。

 いやまあ、よくも映画にしたよねって話ではあるけれど、

 国民の信頼を得、

 絆を深めてゆくことを第一義としなければならない立場の女性ってのは、

 世界中さがしてもなかなかいるもんじゃなく、

 中でもイギリスの王というのは、英連邦すべての王であるわけで、

 現在でも、

 エリザベス女王に直接的ないし間接的に統治されてる国は、

 地球上いたるところにあって、

 そのために、

 いろんなストレスを犠牲にしなくちゃいけないって展開になってる。

 この映画が英国王室や英国議会のプロパガンダかどうかって話もあるけど、

 まあ、それについてはともかくとして、

 ヘレン・ミレンはものすごく嵌まってた。

 好演してるし、なにより女王よりちょっと痩せてるだけで、まじ、そっくりだった。

 実際のエリザベス女王もこういう人なんだろな~、

 と、おもえた。

 それに、製作者側もよく調べてて、

 女王がひとりでクルマをかっ飛ばしていく件りは、

 戦時中、英国女子国防軍に入隊して、

 弾薬の補給や管理から軍用トラックの運転までこなしたのがよくわかり、

 いやあ、かっこよかった。

 ま、いろいろな意見はあるにせよ、

 人間、いろんな立場があって、その立場が公なものであればあるほど、

 自分の意見や好悪は押し隠していかなくちゃいけないけれど、

 どんな人間だって、午後の紅茶は愉しむし、笑顔で語り合えるし、

 家庭にあってはその立場の者として、

 子どもや孫やときには嫁に対しても愛情を注ぐんだよってな話でした。

コメント

インドシナ

2013年07月12日 14時58分40秒 | 洋画1992年

 ◎インドシナ(1992年 フランス 159分)

 原題 Indochine

 staff 監督/レジス・ヴァルニエ

     脚本/ルイ・ガルデル エリック・オルセンナ カトリーヌ・コーエン レジス・ヴァルニエ

     撮影/フランソワ・カトンネ 美術/ジャック・ビュフノワール

     衣裳デザイン/ガブリエラ・ペスクッチ ピエール=イヴ・ゲロー

     音楽/パトリック・ドイル

 cast カトリーヌ・ドヌーヴ ヴァンサン・ペレーズ リン・ダン・ファン アンリ・マルトー

 

 ◎1930年代、仏領インドシナ

 仏印といえば、ベトナム、ラオス、カンボジアで、舞台となっているのは、そこで植民地支配の中心だったベトナムだ。カトリーヌ・ドヌーヴはサイゴンで生まれ、育ち、ゴム園を受け継いだ。ベトナム華僑の養女をとり、フエの王室とも繋がるなど、そりゃもう、徹底した支配者階級で、代々にわたって搾取してきたのかどうかはわからないけど、世の中が近代に突入している中、そうじゃいけないっていう先進的な考えもまた抱き始めてる女性だ。欧米の植民地をあつかった女性映画では、ちょっとばかしステレオタイプなんだけど、でも、そんなことはいい。

 ドヌーヴが、どうしようもなく美しい。

 若い人から見たら、ちょっと高圧的で気どったおばさんに見えるのかもしれないけど、やがてベトナムから追い出されてゆく運命をなんとなく感じとっていることで、そこはかとなく哀愁と翳りに満ちて、退廃的ながらも傲然と生きる美しい女性を演じられるのは、おそらく、ドヌーヴ以外には考えられない。

 毎回、そんなことをおもいながら観ちゃうんだけど、自分の乳繰り合った愛人が養女と駆け落ちするってのはどうよ?てなことをおもいながら逃避行のくだりに入っていくと、ちょっと退屈する。

「え、この映画って、やっぱり反資本主義映画なわけ?」

 ほんのちょっとだけだけど、そんな雰囲気が漂うんだ。でも、宗主国フランスの上流階級にとって、植民地がどうのこうのってよりも、娘や孫がどうしたこうした方が大切で、さらにいえば、いかに自分が毅然として生きたかを晩年にいたったときに考え、満足するかどうかってことを優先するのかな~?ゴム園を棄てざるを得なかったドヌーヴはどうだったんだろう?ラスト、シルエットの中でどうおもったんだろね。

コメント

リリィ、はちみつ色の秘密

2013年07月11日 17時48分06秒 | 洋画2008年

 ☆リリィ、はちみつ色の秘密(2008年 アメリカ 110分)

 原題 The Secret Life of Bees

 staff 原作/スー・モンク・キッド『リリィ、はちみつ色の夏』

     監督・脚本/ジーナ・プリンス=バイスウッド  撮影/ロジェ・ストファーズ

     美術/ウォーレン・アラン・ヤング  衣裳デザイン/サンドラ・ヘルナンデス

     音楽/マーク・アイシャム 音楽監修/リンダ・コーエン 

 cast ダコタ・ファニング クイーン・ラティファ ジェニファー・ハドソン アリシア・キーズ

 

 ☆1964年、サウスカロライナ州シルヴァン

 その桃農園から始まる少女ロードムービーなんだけど、

 ダコタ・ファニングを観てると、

 なぜか、安達裕美をおもいだしてしまうのは、ぼくだけなんだろか?

 子役から始まり、ずっとちっちゃいままな印象があって、

 声もなんとなく似てる。

 ハリウッドはどうも女の子の子役を可愛がる癖があるのか、

 彼女のほかにもスカーレット・ヨハンソンとかジョディ・フォスターとか、

 なんだかんだいっても大人になるのを見守ってくれてる感じがするんだよね。

 この映画はまさしくそうで、

 ダコタ・ファニングをみんなが見守ってくれてる。

 ただ、やや前の時代で、カントリー調ながら黒人の姉妹をあつかうことで、

 ちょっとだけだけど、社会性も取り入れられてたりする。

 ジェニファー・ハドソンの扱いがまさしくそうで、

『ドリームガールズ』と微妙にリンクしてたりするのはお遊びなんだろか?

 まあ、彼女についてはともかく、

 姉妹の長女クイーン・ラティファと次女アリシア・キーズが好い。

 長女は誇り高く、なにものにも理解あり、慈悲ぶかく、

 次女はその美貌さゆえか高慢で冷静で鼻持ちならないけれど、純粋という役割を、

 ふたりは上手に演じてた。

 ところで、ダコタ・ファニング演じるリリィなんだけど、

 どうしてこうも死の影がまとわりついてるんだろう?

 自分がいなければ、

 4歳のときに、過失とはいえ母親を撃ち殺すことはなかったし、

 家政婦のジェニファー・ハドソンも暴力をふるわれ、あとでもない旅に出ることもなかったし、

 さらにいえば、三姉妹の末っ子もリリィとの三角関係が引き金で自殺することもなかった、

 とおもっていたかもしれないし、そうしたおもいが膨らんで、破裂もする。

 運命にもてあそばれてるわけではないけれど、

 自分の母親が頼りにした家政婦にして子守の黒人と巡り合え、

 しかも、そこで過ごしてゆくことになるのは、

 運命について、なんらかの強いものがなければこうはならない。

 なんとなく予定調和というか、箱庭的な展開ではあるけれど、

 まあ、こんな感じは嫌いじゃないし、

 ダコタ・ファニングも良い作品に巡り合えたな~って気がするよ。 

コメント