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☆=☆☆☆☆☆
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△=☆☆
▽=☆

ブリジット・ジョーンズの日記

2013年09月30日 21時07分30秒 | 洋画2001年

 ◎ブリジット・ジョーンズの日記(2001年 イギリス、フランス 97分)

 原題 Bridget Jones's Diary

 staff 原作/ヘレン・フィールディング『ブリジット・ジョーンズの日記』

     監督/シャロン・マグワイア 製作総指揮/ヘレン・フィールディング

     脚本/ヘレン・フィールディング アンドリュー・デイヴィス リチャード・カーティス

     撮影/スチュアート・ドライバーグ 美術/ジェンマ・ジャクソン

     衣裳デザイン/ラファエル・フレミング 音楽/パトリック・ドイル

 cast レニー・ゼルウィガー ヒュー・グラント コリン・ファース

 

 ◎デカパンをはける女優

 プロ根性ってのは、

 あんまり欧米の女優さんに似合わない言葉に聞こえるけど、

 実をいうと、欧米の女優は凄い。

 この作品のレニー・ゼルウィガーなんてまさにそうで、

 ダイエットして映画に出るってのはわかるけど、

 それをまったく反対のぶくぶくになって役作りするだけじゃなく、

 豹柄のパンティで外へ飛び出すくらい屁でもなく、

 恥も外聞もなくデカパンをさらして濡れ場を演じるなんてのは、

 なかなかどうして、できることじゃない。

 でも、それが、ブリジット・ジョーンズなわけだからね。

 ただ、世の中の30代の独身女性がみんなブリジットみたいかといえば、

 もちろん、そうでもない。

 煙草も喫まないし、お酒だって呑めない子はいっぱいいる。

 ま、マスコミのどこかにいて、キャリアウーマンになろうともがき、

 そうする内に、都会的な雰囲気にはどっぷりひたっているものの、

 身体のことなんてまるで考えずに、

 けっこう好き勝手な生活をしてるなんてのは、

 なんていうか、それなりに恵まれた環境にいて、

 それを愉しんでるんじゃないのって、おもわれかねない。

 だから、欧米とか、日本のごくかぎられた都心部では、

 ブリジット・ジョーンズ的な女の子はいっぱいいるかもしれないし、

 だからこそ、

 たとえ、どうしようもないくらいの浮気性の色男でも、

 ハンサムなのにちょっぴりマザコンでかちかちのマジメ人間でも、

 彼女は出遭うことができるし、やっぱり魅力的な女の子なわけだ。

 ぽっちゃりしてても身のこなしは軽いし、下ネタもきっちり受け止めるし、

 恋愛の仕方だって、わかってないようでいて、ちゃんとわかってる。

 つまり、ブリジット・ジョーンズは、

 世の中にいそうでなかなかいない、独身女子の憧れ的な存在なんだよね。

 にしても、

 ヒュー・グラントやコリン・ファースのおもいきり体当たり演技もそうだけど、

 コメディに徹してさらりと演技して、

 決して観客におもねって、笑わしてやろうっていうようなわざとらしさがない。

 これが、欧米の映画の素敵なところなんだよな~。

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サイド・エフェクト

2013年09月29日 19時51分22秒 | 洋画2013年

 ◎サイド・エフェクト(2013年 アメリカ 106分)

 原題 Side Effects

 staff 監督・撮影・編集/スティーヴン・ソダーバーグ

     脚本/スコット・Z・バーンズ

     制作/スコット・Z・バーンズ ロレンツォ・ディ・ボナベンチュラ

         グレゴリー・ジェイコブス

     美術/ハワード・カミングス 視覚効果監修/トーマス・J・スミス

     衣装/スーザン・ライアル 音楽/トーマス・ニューマン

 cast ジュード・ロウ ルーニー・マーラ キャサリン・ゼタ=ジョーンズ チャニング・テイタム

 

 ◎ソダーバーグ、引退作品

 まあ、自分で引退するっていうんだから、

 本気で、今後、劇場用映画を撮る気はないんだろう。

 世の中には引退を宣言できる人間ほど恵まれている人間はない。

 それだけ、その個人的な才能について、世間が認めているからだ。

 幸せな半生っていうべきだよね。

 さて、本作だ。

 題名のSide Effectsの意味は、薬の副作用。

 ってことからもわかるように、話の核心は副作用だ。

 ヒッチコック的なスリラーとかいうのがいちばん楽だし、

 ああ、なるほどね~とかわかってくれる人は多いんだろうけど、

 あんまりヒッチコック的な印象はなかった。

 鬱病に処方された薬が原因で、ほんとに夢遊病になり、夫を殺すのか?

 インサイダー取引で服役した夫のせいで貧乏暮らしが嫌だったんじゃないのか?

 夢遊病説は彼女とレズビアンの関係にある女医の私説なんじゃないのか?

 鬱病で車ごとぶつかって自殺しようとしたのにシートベルトを締めるのか?

 どうして過去に自殺した患者を持っている精神科医をわざわざ指名したのか?

 てな感じの伏線がいたるところに散りばめられているのは、

 なにもヒッチコックじゃなくてもありそうな展開なんだもん。

 とはいえ、カッティングと構成はさすがだし、絵づくりも好い。

 やっぱり、引退しなくたっていいじゃん、ソダーバーグ。 

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レボリューショナリー・ロード 燃え尽きるまで

2013年09月28日 19時39分09秒 | 洋画2008年

 ◇レボリューショナリー・ロード 燃え尽きるまで(2008年 アメリカ、イギリス 119分)

 原題 Revolutionary Road

 staff 原作/リチャード・イエーツ『家族の終わりに』

     監督/サム・メンデス 脚色/ジャスティン・ヘイス

     撮影/ロジャー・ディーキンス 視覚効果/ランドール・バルスマイヤー

     美術/クリスティ・ズィー 衣装/アルバート・ウォルスキー

     音楽/トーマス・ニューマン 音楽監修/ランドール・ポスター

 cast レオナルド・ディカプリオ ケイト・ウィンスレット キャシー・ベイツ

 

 ◇革命家の住まない道

 革命家であるということは、俗物であることを棄て去るってことだ。

 でも、普通の人生を送ってるかぎり、なかなか革命家にはなれない。

 ちなみに、ここでいう革命ってのは、

 自分の好きなように、自由に生きていく人間のことをいう。

 もっとも、一般的な現代社会において、

 それも、まじめに働いてさえいれば、

 けど、俗物には俗物なりの幸せってもんがある。

 ところが、俗物であることに耐えられず、

 いつも、俗物であることから脱しようともがきつづける人もいる。

 ケイト・ウィンスレットがそうだ。

 とうにレオナルド・ディカプリオは自分の夢を棄てて、

 会社員であるという束縛も受け入れ、

 パリへ羽ばたくという夢を封じ込める要因のひとつになった子供たちを育てようと、

 毎日、満員電車に揺られ、おもしろくもない仕事をこなし、

 ときには、社内で気に入った子と浮気をするという、

 世界中のどこにでも見られる会社員のひとりになっている。

 つまり、ケイト・ウィンスレットが現実を受け入れられれば、悲劇は起こらない。

 でも、起っちゃうんだね。

 おそらく、こういう夫婦も、世間にはときたまあるんだろう。

 むつかしいんだけど、

 人生はなにが幸せなのかわからない。

 自分の夢を追い求めるには、

 それなりの犠牲を払わないといけない人間もたしかにいるわけで、

 そうした不安に耐えられないとおもった人間は、

 ちょっとばかり嫌でも今の仕事をこつこつと続け、

 それなりに幸せだとおもえるような人生をまっとうすればいいし、

 もしかしたら、そういう人生がいちばん幸せなのかもしれないんだけど、

 たぶんディカプリオはそう思おうと歯を食いしばり、

 ケイトはそう思いたくないと歯を食いしばった。

 悲劇に突入するのは目に見えているわけで、

 なかなか正視するのに根性のいる映画だったわ。

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やじきた道中 てれすこ

2013年09月27日 15時58分53秒 | 邦画2007年

 ◇やじきた道中 てれすこ(2007年 日本 108分)

 staff 監督/平山秀幸 脚本/安倍照雄 撮影/柴崎幸三

     美術/中澤克巳 中山慎 視覚効果/橋本満明 特殊造型/原口智生

     操演/岸浦秀一 衣裳/竹林正人 音響効果/小島彩

     音楽/安川午朗 原曲/ジョージ・ガーシュウィン『ラプソディ・イン・ブルー』

 cast 中村勘三郎 柄本明 小泉今日子 吉川晃司 鈴木蘭々 笑福亭松之助 松重豊

 

 ◇落語と戯作の合体

 落語の『てれすこ』は出だしと終盤に登場するだけで、

 あとは基本的には『やじきた』物が展開してる。

 つまり、終盤のために『てれすこ』が用意されてるわけで、

 謎の魚てれすこが物語にまんなかを泳いでるってわけじゃない。

 ちなみに、てれすこが干物になったのは、すてれんきょうという。

 このあたりは落語の話なんだけど、

 揚げられた魚を「テレスコ」だという男の証言に不審を抱いた奉行が、

 干物にした魚を「ステレンキョウ」だと男がいったことで、

「おなじ魚にも拘わらず別名をいうとは、そもそも嘘の名をいったにちがいない」

 といって牢へぶち込むんだけど、男もさるもので、息子に向かってこういう。

「金輪際、イカを干したものをスルメといっちゃなんねえ」

 これを聞いた奉行ははたと膝を叩いて男を許すんだけど、

 それもなにも、男の妻が火の物(干物)断ちをしていたおかげだっていうオチがつく。

 けどまあ、祈願のために火を通した物を断つってのは昔の話で、

 前の時代だったら立派なオチになるんだけど、今の時代だとそうはいかない。

 で、3代目三遊亭金馬の

「してみりゃあ、当たり目え(アタリメ)の話でございます」

 ってオチができたそうなんだけど、

 ここでいうテレスコもステレンキョウも元々はオランダ語で、

 テレスコープ(望遠鏡)とステレン鏡(望遠鏡)のことらしい。

 それを、シネマスコープにしたってわけだわね。

 てなわけで、中身の話はすっ飛ばした感じになったけど、

 とにもかくにも勘三郎がうまい。

 いや、脱帽するほど、うまい。

 たいした役者さんだわ。

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セルラー

2013年09月26日 12時35分36秒 | 洋画2004年

 ◇セルラー(2004年 アメリカ 95分)

 原題 Cellular

 staff 監督/デイヴィッド・リチャード・エリス

     原案/ラリー・コーエン 脚本/クリス・モーガン 撮影/ゲイリー・カポ

     美術/ドメニク・シルヴェストリ ロバート・グールド ジェームズ・ヒンクル

     衣装デザイン/クリストファー・ローレンス 音楽/ジョン・オットマン

 cast キム・ベイシンガー クリス・エヴァンス ジェイソン・ステイサム ジェシカ・ビール

 

 ◇邦題が原題のままなわけ

 ぼくの教養が足りないせいなんだろうけど、

 最初、セルラーって聞いても、ピンとこなかった。

 だって、なんとなくサスペンス風味な音感だし、

 ミニスカートから足をむき出したキム・ベイシンガーが、

 どこかに捉えられて焦りまくってるポスターだったし、

 こりゃあ、スリラーにちがいないとおもいこみ、

 それをもじってセルラーとかって題名にしたんだろなと。

 ところが、そうじゃなかった。

 なんのことはない、セルラーってのは携帯電話のことだ。

 実際、日本でもセルラーは一般名詞として扱われてるし、

 auの前身は、DDIセルラーグループだった。

 で、誘拐されたベイシンガーが、

 固定電話から誰ともしれない人間のケータイにアクセスして、

 その電池が続くかぎりなんとか繋ぎ続けて、救出を待つって話だった。

 どうやら、アメリカではセルラーは、ぼくらがケータイっていう感覚らしい。

(なるほど、セルラーでいいんだわ~)

 てなことをおもったんだけど、

 もしかしたら、邦題をつけるときに、

 ぼくみたいな発想をする人間を念頭に入れたのかもしれないね。

 ま、そんなことはさておき、

 話の発想はきわめて好きな部類だ。

 映画の中の時間と実際の時間とがほぼ同じっていう形式も好きだ。

 けど、こういう映画は、どちらかといえば自主製作的な匂いがして、

 スターダムの役者が出演することはないんじゃないかって、

 なんとも日本人的な発想をしちゃうんだけど、

 さすがにハリウッドはそんなことはなくて、

 しっかり、役者を揃えてくる。

 こうしたところ、スカッとしてていいよね。

 おもしろい映画には、規模なんて関係ないし、

 おもしろいとおもえば、なんのこだわりもなく出ればいいじゃん、

 ってのが、なんともアメリカ人らしくていいわ~。

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女帝 エンペラー

2013年09月25日 21時35分51秒 | 洋画2006年

 ◎女帝 エンペラー(2006年 中国、香港 131分)

 原題 夜宴

 英題 The Banquet

 staff 原作/ウィリアム・シェイクスピア『ハムレット』

     監督/馮小剛 製作総指揮/王中磊 袁和平 脚本/盛和 邱剛建

     武術指導/袁和平 撮影/張黎 美術・衣裳/葉錦添 音楽/譚盾

 cast 章子怡 葛優 呉彦祖 周迅 馬精武 黄暁明

 

 ◎五代十国時代

 古代中国で仮面が作られていたのは、

 長江の流域、すなわち蜀から楚へいたる大地だったらしい。

 ただ、それが五代十国時代まで続いていたかどうかは、ぼくは知らない。

 五代十国時代といえば、もう、唐が滅んだあとだから、

 西暦でいえば、950年前後の話だ。

 それにしてはやけに古代の、それも五胡十六国時代よりも前、

 ことによれば三国時代のような印象のある映像なんだけど、

 まあ、そのあたりはよしとしよう。

 そもそもシェイクスピアを中国にもってきてるわけだから、ね。

 けど、ここで登場する仮面劇のくだりは、実に見事だ。

 もしかしたら『ハムレット』をどの映画よりも上手に消化してるんじゃないか、

 とまで感じる内容と映像に仕上げられてるのには、驚いた。

 監督のフォン・シャオガンの美的センスは、凄いわ。

 チャン・ツィイーがどちらかといえば童顔なせいで、

 夫殺しの義弟に対する復讐劇という凄絶な役がらに似つかわしいかどうか、

 てなところはなきにしもあらずなんだけど、

 でも、かなり象徴的な空間に仕上げられてる宮廷内はダークな美しさがあるし、

 竹林とかの活劇場面もまた凝ったセットが作られてるし、

 いやまじ、かなわんな~と。

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エリジウム

2013年09月24日 22時54分33秒 | 洋画2013年

 ◎エリジウム(2013年 アメリカ 109分)

 原題 Elysium

 staff 監督・脚本/ニール・ブロムカンプ

     製作/ビル・ブロック ニール・ブロムカンプ サイモン・キンバーグ

     撮影/トレント・オパロック 美術/フィリップ・アイヴィ

     衣裳デザイン/エイプリル・フェリー スーツデザイン/ジョルジオ・アルマーニ

     音楽/ライアン・エイモン

 cast マット・デイモン ジョディ・フォスター シャールト・コプリー アリシー・ブラガ

 

 ◎2154年、ロサンゼルス

 Elysiumは、ギリシャ神話にある。

 Elysian Fields、エリュシオンてのがそれで、

 祝福された人々が死後に住む楽土とか、理想郷とかいった意味だ。

 で、そこに至上の幸福があるっていうんだけど、

 たしかに貧困も病気も差別もない世界があるなら、それは理想郷にちがいない。

 けど、それは1%のエリートのためのもので、

 99%の人々は貧困と病気と差別の中で、暮らしてる。

 ってのが、この映画に描かれてる世界なんだけど、

 もちろん、現在のアメリカ、あるいは地球を見立てているのはまちがいない。

 監督のニール・ブロムカンプが描いているのは『第9地区』でもそうだったけど、

 人種差別や格差社会だ。

 日本人はどうもそういうことに鈍感で、

 若き天才SF監督の声がどこまで届いているのか、よくわからない。

 ただし、ブロムカンプはなにも革命を引き起こそうといってるわけでもないし、

 世界を包んでいる人種差別や格差社会はこんなふうにしたらよくなるとか、

 そんな理想論をぶちあげようとしてるわけでもない。

 ぼくたちが直面してる世界のありさまを淡々と描くだけじゃ物足りないから、

 そこにSF観っていうか、カリカチュアされた世界を現出することで、

 そこから現代世界に視点を移してみないか?と話しかけているって程度な感じだ。

 でも、それでいいんだろね。

 にしても、乾燥した地球のありさまは実にリアルで、

 なんだか、まだ『第9地区』の続きを観てるような気がしたわ~。

 ただ、スペースコロニーのエリジウムは、

 所詮、テクノロジーの生み出したまやかしの世界で、

 だとしたら、いったいほんとうの理想郷はどこにあるんだろう?って話だよね。

 ブロムカンプはそれについて回答を出してないんだけど、

 それは当たり前の話で、

 ぼくらが考えないといけないんだろな~。

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ナチスの犬

2013年09月23日 23時06分27秒 | 洋画2012年

 ◇ナチスの犬(2012年 オランダ 118分)

 原題 SUSKIND

 staff 監督/ルドルフ・ヴァン・デン・ベルフ

     脚本・原案/クリス・W・ミッチェル ルドルフ・ヴァン・デン・ベルフ

     撮影/ヒュイド・ヴァン・ヘネップ 美術/ユベール・プイユ ジナ・スタンキュ

     視覚効果/ジョリス・マーテンズ ラファエル・ティエリー

 cast ユルン・スピッツエンベルハー カール・マルコヴィクス ニンケ・ ベーカイゼン

 

 ◇1942年夏、アムステルダム

 近代史は、ほんと、知らないことがいっぱいだ。

 ナチス占領下のアムステルダムで、

 ユダヤ人評議会があったってことも知らんかったし、

 ドイツ系ユダヤ人のバルター・ズスキントって人のこともまるで知らなかった。

 くわえて、評議員だったものだから、

 家族と一緒に自由な行動が認められ、

 ドイツへも強制送還されなかったなんてことも知らなかった。

 けど、そのかわりに、バルターは、

 拘留されたユダヤ人をドイツに送り出すことを命ぜられてた。

 ただ、バルターは、輸送列車の向かう先が、

 ドイツではなくてポーランドの絶滅収容所だってことはまるで知らず、

 結局、かれによってたくさんのユダヤ人がガス室送りになってた。

 なんて悲惨な立場なんだろうとおもうんだけど、

 バルターの凄いところは、せめて子供たちの命だけでも救おうと決意したことだ。

 親衛隊の高官をたくみにだまくらかし、

 レジスタンスの協力もとりつけ、子供たちを必死にかくまい、

 最終的には1000人からのユダヤ人を救った。

 とはいえ、いつまでも地下活動が見逃されるはずもなく、

 やがて偽装工作が発覚し、

 バルターは絶滅収容所へ送られていく羽目になるんだけど、

 それにしても、歴史はときとして凄い人間を生む。

 日本にも杉浦千畝とか樋口季一郎とか、

 ユダヤ人に協力した人はいたけれど、ね。

 でも、欧米はこういう人を発掘して、ちゃんと映画にしてる。

 たいしたもんだっておもうわ。

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しゃべれども しゃべれども

2013年09月22日 12時57分08秒 | 邦画2007年

 ◇しゃべれども しゃべれども(2007年 日本 109分)

 staff 原作/佐藤多佳子『しゃべれども しゃべれども』

     監督/平山秀幸 脚本/奥寺佐渡子 撮影/藤澤順一

     美術/中山慎 衣裳/松本良二 落語監修・指導/柳家三三・古今亭菊志ん

     音楽/安川午朗 主題歌/ゆず「明日天気になぁれ」

 cast 国分太一 香里奈 松重豊 八千草薫 伊東四朗 占部房子 外波山文明

 

 ◇火焔太鼓、まんじゅうこわい

 人生には、どうしてもぶつかってしまう壁ってのがある。その壁をぶちやぶるか攀じ登って乗り越えるか、まあ、人によっていろいろなんだろうけど、とにもかくにも、その壁をふみこえて行かなくちゃいけないときがある。

 落語の世界でも、おんなじだ。

 真打ちになりたいけれども実力がともなわないから二つ目になるのがやっと、という国分太一演じる主人公も、その壁にぶつかってる。真打っていう大きな壁だ。そんな国分君のところへ、同じように壁にぶつかってしまった人々がやってくる。美人なんだけど不愛想で口下手な香里奈だったり、いかつい顔ながら人前で喋れない小心者で野球解説者の松重豊だったりする。

 ただ、かれらは決して人生に背を向けようとか逃げ出そうとかはおもっていない。かれらに共通しているのは、困難の壁には出くわしてしまったけれども、それをなんとか乗り越えて行きたいとおもっていることだ。そうでなければ、人前で上手に喋れないという自分を変えようとはしないだろう。つまりは、いろいろ悩みは抱えてるけど、かれらはみんな、前向きな人々ってことになる。

 だから、この映画はちからが湧くんだね。

 落語について、ぼくは詳しくない。だから「火焔太鼓」と「まんじゅうこわい」がどれくらいの難しさで、人様に喋って聞かせられるまでに、いったいどれくらいの練習が必要なのか、まったくわからない。ちなみに「火焔太鼓」は古典落語の演目のひとつだ。江戸時代のいつ頃に出来上がったのかはわからないけど、まあ、小噺としてはよく知られてて、明治の末頃に初代三遊亭遊三がちょっとずつ膨らませて形に成ったものらしい。「まんじゅうこわい」も、同じく古典落語なんだけど、上方と関東ではちょっと差があって、関東では若手が噺を鍛えるために演じる前座噺とされる。けど、5代目柳家小さん、3代目桂三木助らはずっと十八番にしてたみたいで、晩年まで演じてる。

 あ、そうそう、原作では「火焔太鼓」じゃなくて「茶の湯」だそうな。国分くんが想いをよせている占部房子が茶道をやっていることに掛けてたのかもしれないけど、ぼくとしては「火焔太鼓」でいいんじゃないかと。というのも、たまたま旧知の落語家がいて、さらにたまたま高座に出かけたところ「火焔太鼓」を聴くことになったことがあるからだ。いや、なかなか調子もいいし、映画で使うには悪くない。とかいって、余裕こいてられるのは自分が観客だからだ。いざ自分が噺すとなったら、こいつぁ、骨が折れるぜ。てなことをおもってるぼくは、どうやら壁にぶちあたったら迂回するタイプなのかもしれない。そりゃ、あかん、とはおもってるんだけどね~。

 ぼくのことはさておき、物語中では「火焔太鼓」にしても「まんこわ」にしても、ちゃんと高座が為される。これは、たいしたもんだ。いくら台詞をおぼえるのが役者とはいえ、立派に喋ることができるようになるってのは、けっこう大変だったんじゃないかしらね。

 ま、ともあれ、映画としてはたしかに小品ではあるんだけど、さらりと小気味よく仕上がってる。ちょうど「まんじゅうこわい」みたいなもので、それはたぶん平山秀幸の熟練さによるものだろう。ぼくは平山秀幸の『学校の怪談4』を贔屓にしてるんだけど、ほんとにかっちりした演出をする。落語もかなり好みのようで、この作品を撮ってすぐ、やっぱり古典落語の「てれすこ」を題材にした『やじきた道中てれすこ』を撮ってる。

 おやまあ、てなもんだ。

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ラストフライト

2013年09月21日 15時15分29秒 | 洋画1994年

 ◇ラストフライト(1994年 アメリカ 95分)

 原題 Amelia Earhart: The Final Flight

 staff 原作/ドリス・L・リッチ『Amelia Earhart: A Biography』

     監督/イヴ・シモノー 脚本/アンナ・サンダー

     撮影/ラウロ・エスコレル 美術/ビル・メイレイ 音楽/ジョージ・S・クリントン

 cast ダイアン・キートン ルトガー・ハウアー ブルース・ダーン ダイアナ・ベラミー

 

 ◇1937年7月2日、南太平洋

 アメリア・メアリー・イアハートについては、もう今さら書き留めておく必要もない。

 リンドバーグと並んで空の英雄として名を馳せていた彼女が行方不明になったのは1937年7月のことだけれども、最後の交信は、記録によると「私達は今、157° - 337°線上にいます」とされてる。当時の日本の委任統治領だった内南洋のすぐ近くで、そんなことから日本軍が関与したとか彼女のほんとの使命は間諜だったとか取りざたされるけど、おそらく、そんなことはない。アメリカはごく純粋に太平洋赤道上空太平洋横断をめざしたのだろうし、たとえ、ハウランド島にたどり着けず付近のキリバス領のニクマロロ島(当時・ガードナー島)に不時着にしていたとしても、その捜索活動に、日本海軍は献身的に協力してるんだから。

 ま、そうした歴史的な背景はさておき。アメリカ人にとってアメリアは憧れの女性のひとりなのかもしれないね。日本でも昔『雲のじゅうたん』ってドラマがあったけど、女性飛行士を主人公にした物語がもうすこしあってもいいんじゃないだろか。ダイアン・キートンはとっても好感度の高い演技をしてるし、ルトガー・ハウアーも悪くない。ただ、好奇心旺盛でコケティッシュな性格になってるのはこの作品のアメリア像で、現実にどうだったかっていうのは、よくわからない。

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ライフ・イズ・ビューティフル

2013年09月20日 16時49分04秒 | 洋画1998年

 ◇ライフ・イズ・ビューティフル(1998年 イタリア 118分)

 原題 La Vita e bella

 英題 Life Is Beautiful

 staff 監督/ロベルト・ベニーニ

     脚本/ロベルト・ベニーニ ヴィンセンツォ・チェラミ

     撮影/トニーノ・デリ・コリ 美術/ダニロ・ドナティ

     衣裳デザイン/ダニロ・ドナティ 音楽/ニコラ・ピオヴァーニ

 cast ロベルト・ベニーニ ニコレッタ・ブラスキ ジョルジオ・カンタリーニ

 

 ◇イタリアに強制収容所があるという事実

 ほんとに無知な話ながら、ぼくは知らなかった。

 ところが、イタリア国内には当時いくつか収容所があったらしい。資料によって数がちがうし、挙げられてる名前もちがう。丹念に検証すれば、しっかりした資料にも出会えるんだろうけど、もっとも、絶滅収容所や通過収容所など、ユダヤ人を収容したという事実は同じでも目的が異なっているから、そういう微妙な差異が生じるのかもしれないね。

 で、この映画の収容所がどこなのかということなんだけど、いくつかの収容所を合わせた空想のところらしいから、断定しにくい。ただ、ロベルト・ベニーニのお父さんが、当時、強制収容所に入れられていたという話を聞いたとき「なるほど、それであの映画を」と、納得した。おもいきりのいい題名をつけているのも、そういうことからなんだと。とても正視できないような悲劇をコメディアンのベニーニが得意の喜劇に持ち込んだ剛腕ぶりも、自分の才質をもっとも発揮できるところで製作したいという、かなり凄まじい執念と覚悟の産物だったんだと。たしかに喜劇のオブラートに包まれてるから、いろいろなところで大仰な表現になるし、人を人ともおもわないような場面もあるし、事の善悪であるとか、行動の無遠慮さであるとか、ちょっと眉をしかめてしまったり、首を傾げてしまったりする場面も多々あるけど、そこまで自己中心的な、いいかえれば絶対的な家族愛を描こうとしたのも、自分の家族の経てきた歴史に対する愛惜によるものなんかとおもったとき、なるほど、こういうおとぎ話風の物語にするのが、いちばん妥当だったんだと理解した。

 そういう考えが感想になるのかどうかわからないんだけど、ぼくには、そんなふうにしか、この映画の感想はいえない。

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パシフィック・リム

2013年09月19日 15時54分21秒 | 洋画2013年

 ◎パシフィック・リム(2013年 アメリカ 132分)

 原題 Pacific Rim

 staff 監督/ギレルモ・デル・トロ

     脚本/トラヴィス・ビーチャム ギレルモ・デル・トロ 原案/トラヴィス・ビーチャム

     撮影/ギレルモ・ナバロ 美術/アンドルー・ネスコロムニー キャロル・スピア

     衣裳デザイン/ケイト・ホーリー 音楽/ラミン・ジャヴァディ

 cast 菊池凜子 芦田愛菜 チャーリー・ハナム イドリス・エルバ ロン・パールマン

 

 ◎音楽だけ、伊福部昭にしたい

 原題になっている「Pacific Rim」というのは、環太平洋地域のことだ。

 特に、太平洋をとりまいている諸岸の中でも、

 先進的な産業地域をいう。

 そこに、2013年8月11日午前7時、kaijuが出現するのだ。

 これだけで、日本のかつての特撮を愛するぼくらは、十分、報われた。

 だから、いまさら一連の円谷プロの作品のここに似てるとか、

 他社の特撮のあそこが元とか、アニメのこれはそのままだとか、

 もう、そんなことはどうでもいい。

 ぼくたちは、ひたすら、この『南海の大決戦』を観ればいい。

 かつて、

 怪獣は日本に襲いかかる巨大な自然災害であるとともに、

 原子爆弾という未曾有の恐怖兵器の象徴でもあった。

 だから、ゴジラは放射能を吐き、日本をめちゃくちゃにした。

 この作品では、kaijuは血液は猛毒だけれども、

 その細胞から抽出されるエキスは薬になる一方、

 ロボットには原子炉が搭載されている。

 で、原子力ロボットに長年乗り組んでいたため被爆したという設定にもなってる。

 なんとも、ギレルモ・デル・トロらしい皮肉だ。

 デル・トロは、現実と幻想、地上と地下とかいった二律背反の構造を好む。

 この作品もそうで、

 上下に異次元が存在していて、とあるトンネルによって繋がっている。

 この隧道があるとき、つまり、2013年8月11日午前7時に開通し、

 以来、kaijuは人類を脅かすというただそれだけのために出現し、

 破壊と殺戮をひたすら繰り返し、人類はその対抗策として、

 怪獣と戦うロボットのドラマからヒントをうけイェーガーを製造することになる。

 イェーガーの志は人類を守るためにひたすらkaijuをやっつけるというものだ。

 なんという単純明快さとおもうんだけど、ところが、ここにもデル・トロの趣味がある。

 上下の異次元という二重構造。

 イェーガーを作動させるためには心がふたつ必要という二重性。

 くわえて、隧道を塞ぐためには、

 TNT火薬120万ガロン(だっけ?)という途方もない爆弾が必要になり、

 それは当然の帰結として、イェーガーに搭載されている原子炉となる。

 人類に危機をもたらす恐れが十二分にある原子力が、

 人類を守るという旧態依然とした理屈がどうしても必要になるという皮肉。

 そんなあたりが渾然一体となって、

 戦い続けるべく運命づけられた人間の戦いの一瞬にだけ焦点をあててる。

 いや~、デル・トロ、すげえ。

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SP THE MOTION PICTURE 革命篇

2013年09月18日 12時49分17秒 | 邦画2011年

 ◎SP THE MOTION PICTURE 革命篇(2011年 日本 128分)

 staff 監督/波多野貴文 原案・脚本/金城一紀

     撮影/相馬大輔 美術/青木陽次 竹中健  アクション監督/大内貴仁

     サウンドデザイン/トム・マイヤー 選曲/藤村義孝 音楽/菅野祐悟

 cast 岡田准一 真木よう子 香川照之 堤真一 山本圭 螢雪次朗 松尾諭 神尾佑

 

 ◎これがあんたのいう大義ってやつか?

 岡田くん考案による三角締め亜流版は、かなり痛いらしい。

 堤真一が、

「殺陣をつけてもらうというより芝居をつけてもらうという感じ」

 なこともいってたような気もするし、

 そんなことから考えると、もはや、誰の映画でもなく、

 SPは岡田くん抜きでは考えられない。

 10倍スローモーションの議事堂突撃場面でのスタントマンへの一撃は、

「ありゃあ、まじ、痛かったでしょ?」

 と聞きたくなっちゃうくらいのものがあったし、

 カリとジークンドーを2年みっちりやったっていうこだわりも、

「なるほど」

 と、うなずける。

 いや、たしかに、なんだかんだいったところで面白かった。

 それは、そのとおりだ。

 ただまあ、

『野望篇』よりも少なくなったとはいえ、真実の背後はお愛想程度で、

 依然として活劇場面は「まだやるですか」っていうくらい多く、

 その分、たとえば『皇帝のいない八月』のような強烈な思想性は発揮されず、

「革命という名に酔ってしまいがちな、

 戦うことを忘れた国民と連中を煽動することよる陰謀」

 に主眼が置かれてしまっているようにも感じられ、

 現代に対する濃厚な怒りによるものではなく、

 斜に構えた閉塞感をおもしろおかしく冗談のように打破したという茶化した世界が、

 いびつな形で表現されているという、いわば、ゲームにもにた騒動、

 でしかないように、観客が受け取ってしまいがちな映画っていう印象は、

 どうにも拭い切れないものがあるような気がするんだけど、

 どうなんだろね?

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SP THE MOTION PICTURE 野望篇

2013年09月17日 18時44分06秒 | 邦画2010年

 ◇SP THE MOTION PICTURE 野望篇(2010年 日本 98分)

 staff 監督/波多野貴文 原案・脚本/金城一紀

     撮影/相馬大輔 美術/青木陽次 竹中健  アクション監督/大内貴仁

     サウンドデザイン/トム・マイヤー 選曲/藤村義孝 音楽/菅野祐悟

 cast 岡田准一 真木よう子 香川照之 堤真一 山本圭 螢雪次朗 松尾諭 神尾佑

 

 ◇大義のためだ

 テレビの『SP 警視庁警備部警護課第四係』は、

 いやまじ、ほんとに愉しんで観てた。

 だから当然、映画になるのを期待してたんだけど、

 テレビシリーズが映画になったとき、たいがい、

 その期待はかなりけっこう過度なものだということをおもいしらされるものだ。

 この作品が、

 そうした一連のテレビドラマ映画化作品の例に漏れないかどうかは別にして、

 すくなくともまちがいなくいえることは、

「な~んだ、すんごい長い予告編なのね~」

 ってことだった。

 ぼくは、そう、受け取った。

 国会議事堂を占拠して革命の大儀のために行動するっていう話なんだから、

 その前後のことがあれこれと伏線があったり後付けだったりするだけで、

 テレビシリーズの最終回から次の革命篇への繋ぎとおもえばいいし、

 なによりの見どころは、岡田くんのアクションなんで、

 これを観て「たしたもんだわ~」と惚れ直せばいいのだ。

 にしても、なんで悲劇の源になる回想場面ってのは、

 たいかい、土砂降りなんだろね?

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バトル・オブ・ロサンゼルス

2013年09月13日 01時30分19秒 | 洋画2011年

 △バトル・オブ・ロサンゼルス(2011年 アメリカ 92分)

 原題 Battle of Los Angeles

 staff 監督・脚本・撮影・編集/マーク・アトキンス

     美術/アーロン・J・マーティン 衣装/サラ・シュルツ

     特撮/ジョセフ・J・ローソン 音楽/ケイズ・アル=アトラッキ ブライアン・ラルストン

 cast ニア・ピープルズ ケル・ミッチェル ディラン・ヴォックス テレサ・ジューン・タオ

 

 △日本刀が登場する理由

 それは、Battle of Los Angelesという言葉にある。

 そもそもBattle of Los Angelesってのは、

 1942年2月25日、カルフォルニア州ロサンゼルスで行われた、

 陸軍による本土防衛作戦のことだ。

 しかも、

 信じられないことに日本軍が攻めてきたという集団幻想によるもので、

 陸軍第35沿岸砲兵旅団を中核にした陸軍は、

 対空砲火を中心に迎撃作戦を展開したが、

 幻の日本軍に被害を与えることはできず、

 1430発の弾薬を使用して米国市民の民家を破壊し、民間人の犠牲者まで出した。

 みっともない話もあったものだが、

 実は、2月24日未明に伊号第17潜水艦によって、

 カリフォルニア州サンタバーバラのエルウッド石油製油所へ砲撃作戦が敢行されてて、

 これに恐怖したアメリカ軍と市民が日本軍の幻想に怯えたことが原因とおもわれる。

 けどまあ、空いっぱいに未確認飛行物体が上下飛行を繰り返していたみたいだし、

 もしかしたら、宇宙人の襲来があったかもしれないってのが、

 戦後ずっといわれてた。

 だもんで、この作品が作られて、

 途中、1942年当時の戦闘機が帰還してくるってわけだ。

 まあ、そんなことから、アジア人のおねーちゃんが日本刀を担いで登場し、

 UFOをまっぷたつに斬撃しちゃうっていう事態が勃発したんだろう。

 なんにしても「世界侵略:ロサンゼルス決戦」がなかったら、

 もしかしたら制作されなかったんじゃないかしら?

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