Kinema DENBEY since January 1. 2007

☆=☆☆☆☆☆
◎=☆☆☆☆
◇=☆☆☆
△=☆☆
▽=☆

パンズ・ラビリンス

2021年11月30日 00時17分59秒 | 洋画2006年

 ☆パンズ・ラビリンス(2006年 メキシコ、スペイン、アメリカ 119分)

 原題 El laberinto del fauno

 英題 Pan's Labyrinth

 staff 監督・脚本/ギレルモ・デル・トロ

     製作/ギレルモ・デル・トロ ベルサ・ナヴァロ アルフォンソ・キュアロン

          フリーダ・トレスブランコ アルバロ・アウグスティン

     撮影/ギレルモ・ナヴァロ 音楽/ハビエル・ナバレテ

     美術/エウヘニオ・カバイェーロ セットデザイン/ピラール・レヴェルタ

     特殊効果/レイエス・アバデス 視覚効果/エヴェレット・バレル

     衣装デザイン/ララ・ウエテ ロシオ・レドンド

 cast イヴァナ・バケロ ダグ・ジョーンズ セルジ・ロペス アリアドナ・ヒル 

 

 ☆1944年、スペイン

 フランコ政権下のとある山間に、物語は展開する。

 簡単にいうと、ゲリラ組織と方面軍の一部隊との局地戦で、そこに、おもいきり陰鬱な暗黒おとぎ話が挿入される。

 で、そのおとぎ話は、牧神pan(スペインだとfaunoらしい)に導かれて、地底王国の王女に戻れるようになるため、3つの試練に挑む少女の物語なんだけど、3つの試練を通過したところで、なんとも皮肉な話に、王女になるためには現実世界に別れを告げなければならない。

 つまり、死だ。

 地上の世界では、父親はとうに死に、母親は部隊司令官の妻になり、腹に子を宿してる。当然、義父と母の興味はやがて生まれてくる跡継ぎ(男の子と決めつけられてる)に集中し、彼女はうとまれ、邪魔者あつかいされ、頼りになるのはゲリラの弟をもつ家政婦だけだ。と、ここで妙な符号に気づく。主人公の少女にはやがて弟が生まれてくる。副主人公ともいえる家政婦にはゲリラになって戦ってる弟がいる。地底王国の王女は死んでしまっているのだけれど現実の彼女が死ねば蘇ることができる。もしかしたら、地底王国の王女には弟がいたんじゃない?っていう符号だ。

 物語の中途で、これに気づき、こんなふうに考える。

「あれれ、てことは、ゲリラの弟と少女が死ぬと、地底王国の姉弟が蘇るの?」

 地上と地底は、ある種の対称をつくっている。地上の人間どもは容姿こそ美しいものの、心は残酷で、いがみ合い、戦争を続けている。地下の妖精たちは容姿こそ醜いものの、心は優しく、怪物との戦いから身を引いている。地上にせよ、地下にせよ、心を持って生息していくなら、醜さよりも優しさを欲しないだろうか?

 そんなふうに、この残酷なのに妙に美しい異形の宴をおもわせる物語は、いってるんじゃないかな?

 映画は、音楽もまた美しい。冒頭から聞こえてくるハミングは、副主人公の家政婦(ゲリラの姉)の子守唄のようで、いままさに死にゆこうとしている少女にかぶさり、そこから本編が始まるんだけど、佳境になって、また彼女は口ずさむ。つまり、この単調な旋律ながら哀愁のこもった美しいハミングは、鎮魂曲なわけね?

 でも、小難しいことはともかく、王国やクリーチャーのデザインは天下一品だし、CGの凄さには「いや、まあ、すごいでしょ、これっ」てな風に、脱帽するしかない。そこらじゅうで、いろんな賞を獲得してるのも、充分にうなずける。

 ただね~、たしかにスペイン内戦は悲惨だったんだろうけど、どうにもやるせないっていうか、切なくて、辛くて、悲しくて、暗~い気分にはなれましたわ。

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IT/イット THE END “それ”が見えたら、終わり。

2021年11月27日 00時38分24秒 | 洋画2019年

 ◇IT/イット THE END “それ”が見えたら、終わり。

 
 前編の抒情感は断片的に残ってはいるものの、恐怖から逃げるために記憶の底に封じ込めて忘れ去ってしまっているものを、ひとりひとりがひとつずつおもいだしてゆこうとするのと同時進行でピエロことペニーワイズの復讐が始まり、あらたな恐怖に引きずり込まれてゆくわけだけど、ただこれがちょっと長すぎる。
 
 問題はとりとめのない恐怖が連続することで、だんだん馴れてきてつまんなくなってくる。前編のようなまとまりがないというのか、27年ごとにデリーを包み込んでくる恐怖はいったいどこにいってしまったのが、あらたな恐怖はなく、徹頭徹尾、負け犬倶楽部に復讐を挑むピエロとの戦いだけで、だれる。
 
 少年たちが単なるおっさんになってしまっただけで、なんだかね。ジェシカ・チャスティンとジェイムズ・マカヴォイのおかげでなんとかもってるけど、そもそもかれらが帰郷するのは27年後にペニーワイズが復活して町がふたたび恐怖に包まれる、つまり、子供たちが行方不明になってつぎつぎに殺されはじめていると想像されたときのはずで、そうした謎解きや使命感みたいなものがいっさいなく、単におぞましい幻に悲鳴をあげつづけるのを観るのは辛すぎるな。
 
 ちなみに、ラスト、少年たちの姿で再起してゆくかれらのイメージショットの左側に映画館があるんだが、そこで上映されてるのは『エルム街の悪夢5』なんだよね~。
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ソウル・キッチン

2021年11月19日 15時28分40秒 | 洋画2009年

 ☆ソウル・キッチン(2009年 ドイツ、フランス、イタリア 99分)

 原題 Soul Kitchen

 staff 監督/ファティ・アキン

     脚本/ファティ・アキン アダム・ボウスドウコス 製作/ファティ・アキン クラウス・メック

     音楽スーパーバイザー/クラウス・メック 撮影/ライナー・クラウスマン

 cast アダム・ボウスドウコス モーリッツ・ブライプトロイ ビロル・ユーネル ウド・キア

 

 ☆魂の食堂

 ハンブルクのヴィルヘルムスブルク郊外。

 そこに、この薄汚れた倉庫をちょっとだけ改造した食堂がある。

 ちょっとだけっていうのは、厨房とBARを造り付けただけってことだけど、これが、いい。この、いかにも町はずれにありそうな、いかにもマニアの集まりそうな食堂が、映画の舞台だ。ヨーロッパはこの頃、かつてニューヨークがそういわれたように、人種のるつぼになりつつある。いろんな国から移民がやってきて、なになに系なんとか国人てな感じで、生まれた国と育った国と働いている国とがみんな違っているのもざららしい。

 この映画もそんな雰囲気だ。

 登場人物の国籍や人種だけでなく、設定されている状況もまるで違う。場末の食堂を営んでいる、どこまでもゆるく、けど心やさしい主人公の回りに、仮出所したばかりの兄貴、腕は超一流ながらナイフ投げが得意なシェフ、絵描きを目指しているウェイトレス、ミュージシャン希望の従業員、家賃を払わない居候の船大工などなど、るつぼ状に設定されている。

 そこへもって、兄貴が盗んできたDJセットに掛かる音楽も、統一性ゼロ。もしも、ぼくに音楽の素養があれば、もっと楽しめたんだろうけど、ともかく、ごっちゃ混ぜながら、それでいて単純な筋立てになっている。

 簡単にいってしまえば、お人好しの兄弟の営む食堂に、奇妙な雇い人たちが集まってはくるものの、失恋、追徴課税、保健所指導、ぎっくり腰、盗品使用など、非常事態がつぎからつぎへと襲いかかり、そのたびごとに挫折しかかるんだけど、なんとなく上手に乗り越え、なんとかすこしずつ繁盛し始めたのも束の間、かれらの人の好さを利用して土地を掠め取られちゃうんだけど、

「おれたちの魂(食堂)をとりもどすんだ」

 と奮闘していく物語ってことになるんだけど、これが、なにからなにまで現代のドイツの如くるつぼ化した状態のまま、過激に展開する。くわえて、作られる料理は実にうまそうで、さらに、ノリが好い。これって、簡単に撮れそうで、その実、センスがなかったら撮れない映画だとおもうんだよね。

 人間、いろんな挫折があるんだけど、そのたびごとに前向きに、でも、落ち込まずに開き直って愉しめば、仲間はきっと応援してくれるし、いつか成功するときが来るかもしれないよねっていう、そこはかとない優しさと過激さに包まれた、ゆる~い作品。

 おもしろかった。

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初恋のきた道

2021年11月16日 23時37分11秒 | 洋画1999年

 ☆初恋のきた道(1999年 中国 89分)

 原題 我的父親母親

 staff 監督/張芸謀(チャン・イーモウ) 原作・脚本/鮑十(パオ・シー)『我的父親母親』

     撮影/侯咏(ホウ・ヨン) 美術/曹久平(ツァオ・ジュウピン) 音楽/三宝(サンパオ)

 cast 章子怡(チャン・ツィイー) 鄭昊(チョン・ハオ) 孫紅雷(スン・ホンレイ)

 

 ☆チャン・ツィイー、19歳、デビュー

 泣ける。いや、泣いた。けど、なんで泣けるんだろう。

 道、なのだ。

 この邦題はほんとうに見事といっていいんだけど、20世紀の終わり頃、教師をしていた父が死んだと知らされ、帰郷した息子は、そこで、老醜を漂わせる母親が、町から村まで父の遺体を歩いて運ぶと聞かされる。とんでもない話だと息子は怒るが、母親の思い出を聞かされ、その町から村へ至る道は、かつて父親が教師として赴任してきた道だと知る。それは同時に、母親がまだ可憐な少女だった頃、初恋がやってきた道だった。さらに、文革によって連行されることとなる先生の去っていった道でもあり、その先生を、母親がひたすら待ち続けて立ち尽くしていた道でもあり、そんな母親のもとへ父親が帰ってきた道でもあった。息子は、母親の老いてもなお純粋に父親を愛している心を知り、父親に教えられた生徒もまた、いつまでも父親を尊敬していることを知り、父母の思い出の道を、父親の遺体を運んで歩いて行きはじめるや、ひとりまたひとりとかつての生徒が参列し、やがて葬列は膨れ上がって村へ至る。そして、息子は母親のために、父親が赴任する際に建てられた校舎で、最後の授業をするという、なんとも単純にして明解な話なんだけど、このとおり、すべては「道」がたいせつな舞台になっている。

 上手な邦題だわ。

 それと、なんてまあ、美しい映像なんだろう。華北の綿入れを着ないと凍え死んでしまうような厳しい寒村だけど、四季の、ことに秋の美しさはたとえようもないほど美しい。この映画が、チャン・ツィイーのひたむきさに感動するのは、背景となっている寒村の美しさと、単調ながら胸に染み入る音楽のせいだろう。

 ただひとつ、スパイスもある。さっきもちょっとふれた先生の連行されてゆく理由で、プロレタリア文化大革命、いわゆる文革だ。文革があった1966年から1977年って時期、ぼくは、中国で、いったいなにが起きているのか、まるで知らなかった。がきんちょだったから当然といえば当然なんだけど、そういうことでいえば、村の子供たちとほぼ同じ年齢だったことになる。ただ、かれらがぼくみたいな平和ボケ少年とちがうのは、ある日いきなり先生が町へ呼び出され、それで帰ってこなかったことだ。子供心にも、これはなにかとんでもないことになってるんじゃないかとおもい、いうにいわれぬ時代の重苦しい雰囲気を感じ取っていたかもしれない。

 けど、この映画では、そんなことはほとんど語られない。先生がいなくなり、先生を慕う娘がひたすら待ち続けるという、その抒情的な面だけが映し出されている。でも、ほんとはそうじゃない。彼女が寒さに倒れ、高熱を発し、死の瀬戸際まで追い込まれるのは、まさに当時の中国そのものだった。彼女は、中国の具象化されたものといっていい。財産といえばひろびろとした土地しかない貧乏農家に生まれ、文盲が象徴するように知識も教養も文化的な感性も持ち合わせないけれど、素朴で、健気で、愛らしく、希望を失わない少女は、文革前の中国で、文革とともに傷つき、倒れ、死線をさまよう。けれど、文革が終わり、先生は生きて帰ってくる。彼女はふたたび微笑みを取り戻すんだけど、それはつまり、中国の蘇生でもある…はずなんだけど、でも、なんで、現代の場面がモノクロームなんだろう。陰鬱な、陰影の濃い画面から漂ってくるのは、蘇って幸せになった中国なんだろうか?過去の思い出は、愉しい日々も辛い日々も、色鮮やかにきらきらと輝いているからだ、ていうような、とってつけたような理由だけでもないような気がするんだけどな。

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クラウド アトラス

2021年11月14日 14時24分34秒 | 洋画2012年

 ☆クラウド アトラス

 原題 Cloud Atlas(2012年 アメリカ 172分)

 staff 原作/デイヴィッド・ミッチェル『クラウド・アトラス』

     監督・脚本/ラナ・ウォシャウスキー トム・ティクヴァ アンディ・ウォシャウスキー

     撮影/ジョン・トール フランク・グリーベ 美術/ウリ・ハニッシュ ヒュー・ベイトアップ

     音楽/トム・ティクヴァ ジョニー・クリメック ラインホルト・ハイル

 cast トム・ハンクス ハル・ベリー スーザン・サランドン ヒュー・グラント ペ・ドゥナ

 

 ☆小さな正義が、次の時代の鍵になる話

 なんとも懐かしい感性っていうか、方向性っていうか。

 30年ほど前、こういうスタイルはものすごく好きだった。なんていうか、80年代の自主映画のノリっていうんですか。簡単にいってしまえば、別々な世界を描きつつも個々の世界はしっかり繋がり、かつ影響しあい、やがてひとつの話にまとまっていくという、異なった時代のモザイクがパズルのように重なるか、あるいはパラレルワールドが並列したまま語られてゆく構成のことだ。

 そこに輪廻転生が語られていれば、なおさら、ぞくぞくする。

 そう、ちょうど『豊饒の海』や『火の鳥』や『アポロの歌』のように。

 で、映画の中身なんだけど、

 第1楽章「アダム・ユーイングの太平洋航海記」

 1849年 南太平洋諸島 数奇な航海物語

 第2楽章「セデルゲムからの手紙」

 1936年 イギリス 幻の名曲の誕生秘話

 第3楽章「半減記 ルイサ・レイ最初の事件」

 1973年 カリフォルニア 原子力発電所の恐るべき陰謀

 第4楽章「ティモシー・キャヴェンデッシュのおぞましい試練」

 2012年 イギリス 平凡な編集者の類希な冒険

 第5楽章「ソンミ451のオリゾン」

 2144年 ネオソウル クローン少女の革命

 第6楽章「ノルーシャの渡しとその後のすべて」

 2321年 ハワイ 崩壊後の地球の行方

 てな構成になってて、これが解体され、複雑に絡み合う展開になってるんだけど、各楽章は時の流れに逆らわずに描かれているから、話としては理解しやすい。かつ、時代と時代とのつなぎは、同一の行動や台詞を用いているから、より鮮明だ。役者がひとり6役になったりしているのは、もちろん、輪廻転生の証だし、彗星の刺青もそうだけど、小道具がそれぞれの時代を繋ぐ役割にもなってる。

 こういうのは、とっても嬉しい。

 けど、ラストは別な惑星に移住しちゃってるんだね、やっぱり。

 地球の超古代になってれば、よかったのにな~。

 それじゃまったく『火の鳥』になっちゃうか。

 ただ、6つの話がるつぼ状態になっている分、6本の映画を観たのと同じことになるのは、なんとなく得した気分だ。ほんとだったら、1時間くらいの映画を6本観ると合計で6時間になるけど、この映画はぎりぎり3時間におさまってる。これは、別な話が交互に展開するため、場面と場面を繋いでいる部分が削ぎ落とされ、ぎゅっと凝縮されてるせいだろう。

 その分、緊張の連続になるんだけど、濃密なストーリー展開になるから、ぼくとしてはとってもお好みなのです。

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イコライザー

2021年11月14日 02時53分48秒 | 洋画2014年

 ◇イコライザー

 

 デンゼル・ワシントンはどうしてもインテリから抜けられないから、ヘミングウェイを読みながら10数秒で数人をぶち殺す元CIAだの元DIAだの元海兵の特殊工作員だのていう設定になっちゃうのは無理もない。

 ま、そんなやつがホームセンターで働いてたら、そりゃここで店員仲間を巻き込んで活劇に突入するのは自明なんだけど、それはそれでいいし、よく似合う。
 
 しかしこれだけストイックになると感情あふれるロボットにならざるを得なくなっちゃうだろうに。苦労するよね。
 
 苦労するといえば、クロエ・グレース・モレッツもそうでやけに肉厚になって色気が出てきちゃったもんだからちんちくりんの娼婦が似合ってきちゃってる。あらまあって感じだった。
 
 それはともかく、アントワン・フークアの演出はやけにスタイリッシュで、なんだかトニー・スコットをおもいだしちゃったけど、メリッサ・レオとビル・プルマンが事情をよく知る昔の同僚って設定になって登場してる以上、続編がないっていうはずはないわね。
 
 ていうか、これ、もともとテレビの『シークレット・ハンター』とかっていう人気シリーズだったのね。知らなかったわ~。
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青いパパイヤの香り

2021年11月13日 18時44分09秒 | 洋画1993年

 ☆青いパパイヤの香り(1993年 ベトナム、フランス 104分)

 安南語題 Mui du du xanh

 仏語題 L'odeur de la papaye verte

 英語題 The Scent of Green Papaya

 staff 監督・脚本/トラン・アン・ユン 撮影/ブノワ・ドゥローム

     美術/アラン・ネーグル 音楽/トン=ツァ・ティエ 衣装/ダニエル・ラファーグ

 cast トラン・ヌー・イェン・ケー リュ・マン・サン ヴォン・ホア・ホイ グエン・アン・ホア

 

 ☆パパイヤの香りって、どんな?

 おもってみれば、熟したパパイヤはデザートで食べることがあるけど、青いパパイヤは食べたことがない。なんてまずしい食生活なんだーってな話は、おいといて。パパイヤはベトナムあたりでは野菜として扱われてるらしい。煮ても焼いてもいいようで、映画の中で印象的なのは千切り。これに、ほかの野菜をちょちょいと足して、鷹の爪を刻んで入れた甘酢をかけて食べる。う~ん、おいしそうじゃん。

 で、このパパイヤなんだけど、なんともエロチックな食材だ。

 ていうより、絡みの場面が一度もなく、女性の肌もほとんど露わにならないのに、なんてまあエロチックな映画なんだろう。何度観ても、同じ感想が浮かんでくる。木魚の添えられた仏壇を見上げるトラン・ヌー・イェン・ケーの有名なカットは勿論、リュ・マン・サンの弩アップになる唇に塗られてゆく口紅の赤、おなじく、洗われてゆく髪の艶やかな黒、また、ほつれた鬢、どれをとってもエロチックだ。

 けど、なによりもエロチックなのは、パパイヤなんだよね。パパイヤは、青い頃は男根の象徴で、熟したものを割ると女性器の象徴になる。木になっている青パパイヤをもぎとると、そこから白い濃厚な樹液が滴り出る。それをふたつに裂くと、真っ白な種が無数に現れる。夜這われたリュ・マン・サンが翌朝、青パパイヤを切り、そのぬめぬめとした糸をひくような真っ白な種をひと粒つまんで、水盤に漂う木の葉の中にそっと置くところなんざ、映画の中でいちばんのエロスだろう。熟パパイヤは、表面の青さは時の彼方に去って、黄色くなる。これをぱっくりとふたつに割ると、紅潮した肌色の中で、種は真っ黒に変わっている。この女陰そっくりの形状のせいで、パパイヤは女性器の象徴になるんだけど、映画ではさすがにそれを映すことはしないで、かわりに衣装で表現してる。横恋慕している作曲家の婚約者の口紅を黙って借り、自分の唇に塗るんだけど、そのとき、和毛がうっすらと輝き、くちびるが赤く塗られていく。割れたパパイヤが赤く色づくようにだ。

 そのときのリュ・マン・サンの衣装は、初潮を経験しておとなになった証の赤。さらに、家政婦のときには教わらなかった字を覚え、昔から憧れていた作曲家と結婚し、お腹にいる子供に朗読してやるときの衣装は黄。そのラストカットで「あ、動いた」という表情をして、お腹をさすり、カメラはティルドアップするんだけど、そこには道教の神像が祝福するように立ってるんだよね。神様はおまえのことをずっと見つめてきたんだよって。なんてまあ、心憎い演出だこと。

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やさしい嘘と贈り物

2021年11月10日 16時03分20秒 | 洋画2008年

 ☆やさしい嘘と贈り物(2008年 アメリカ 92分)

 原題 Lovely, Still

 staff 監督・脚本/ニコラス・ファクラー 撮影/ショーン・カービー

     美術/スティーヴン・アルトマン 音楽/マイク・モーギス、ネイト・ウォルコット

 cast マーティン・ランドー エレン・バースティン アダム・スコット エリザベス・バンクス

 

 ☆約束しましょ、絶対に絶対にあきらめないって

 っていうのは、恋をした老人ふたりがレストランでスプーンで乾杯するときの台詞。

 恋は、若返りの魔法にちがいない、たぶん。

 ぼくは、やはりいつものように、なんの前知識もなく、観た。実は予告編ですべてばらしてしまってるんで、予告編を見ないでよかったわ~とはいえ、まあ、途中からだいたいの目安はついてしまうんだけど、でも、やさしい嘘をつけるようになるまで、町をひっくるめたすべての人々はどれだけの葛藤をしたんだろうと、そんなふうに想像するだけで、胸が熱くなる。

 たしかに、やさしさを前面に出すために、リアルな葛藤はすべて排除されてるんだけど、その分、映画全体をファンタジー色に包み込んでいられる。クリスマスイヴの夜、自分のためにとあるプレゼントを用意し、つまり、明日はこの苦しみから逃れようと自殺を決め、就寝したはずが、翌朝めざめたとき、この孤独な老人は、いつものように身だしなみをちゃんと整え、自宅の扉すら締め忘れてしまうほどの進んでいる哀れさのまま出勤する。

 その扉から、ひとりの老女が入ってくることから、ファンタジーが始まる。

 出だしから、いい調子だ。24歳のデビュー作とはおもえないほど、きめこまやかな演出。ただ、若者だからこそ、痴呆や別居にいたるディティールはおもいきりよく排除できてるんだろう。

 それにしても、これから先、どんどん老人性痴呆症は数を増していくんだろうね。日本だけじゃなくて、アメリカでも深刻な問題になってるんだろう。だから、こういう映画が作られるんだろうけど、ハリウッドの好いところは、老人にみずみずしい恋をさせてしまうことだ。じーさんやばーさんになったって、異性を好きになる。それがたまらない抒情感になってるところが、なんともいいんだわ。

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スター・トレック イントゥー・ダークネス

2021年11月05日 19時16分39秒 | 洋画2013年

 ◎スター・トレック イントゥー・ダークネス

 
 やはりクリス・パイン版は圧倒的に進化してて、脚本が映画的になってる以上に画作りがまるで違う。あまり前のことだからどうしようもないんだけど、かつてのテレビから派生してした当時はハリウッドのあらすじの定番がまだ確立してなかったとしかおもえない。
 
 それはそれとして、特撮マニア監督のJ・J・エイブラムスはもはやスペースオペラ専門家みたいな印象だけど、なんか手馴れたもんだな~っていう感想しか浮かんでこない。
 
 唯一かっこいいな~とおもえたのは、ベネディクト・カンバーバッチが『わが名は、カーン』というアップで、いやこれはカンバーバッチの上手さだわね。
 
 それにしてもエイブラムス、女の子大好きだな。ところどころでインサートされる乗組員の女性たちの無駄なアップが、えれぇ可愛い。
 
 ま、カンバーバッチを単純な悪役にはできないし、良いもんにしちゃったらザカリー・クイント演じるスポックとかぶっちゃうしね。難しいところだ。さぞかし難儀だったろう。
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ルート・アイリッシュ

2021年11月02日 13時00分29秒 | 洋画2010年

 ☆ルート・アイリッシュ(2010年 イギリス、フランス、ベルギー、イタリア、スペイン 109分)

 原題 Route Irish

 staff 監督/ケン・ローチ 脚本/ポール・ラヴァティ

     撮影/クリス・メンゲス 美術/ファーガス・クレッグ 音楽/ジョージ・フェントン

 cast マーク・ウォーマック アンドレア・ロウ ジョン・ビショップ ジョフ・ベル

 

 ☆2007年9月16日、ブラックウォーター事件

 いつの頃からか、民間軍事会社ってのがあることを知った。ボスニアあたりに平和維持軍が派遣されたあたりだったかもしれない。そのときは、そうなんだ~とだけ、単純に受け止めてた。調べてみたら、1989年に南アフリカでできたのが世界初らしい。そのあとは紆余曲折あって、2008年に国際的な規制ができて、事業種別として、民間軍事会社PMSCs(Private Military and Security Companies)てのが成立したんだけど、そのあたりのことについては、置いとこう。ともかく、そうした軍事会社はさまざまな国の人間を雇い入れて戦場に送り、戦闘行為や平和維持活動とかに従事させている。

 戦争や戦場といった血なまぐさいものとやや距離を置いている日本では、なかなか想像しにくい会社だ。けど、ぼくらはブラックゴースト団を知っているから、なんとなく想像はつく。で、この映画が扱っているのは、その軍事企業の民間兵コントラクターだ。リバプールで生まれ育った親友同士がコントラクターになってイラクに駐留し、ひとりは帰還し、ひとりは居残り、その後者がルート・アイリッシュで謎を死を遂げた。

 その死の謎を解いてゆくのが映画のあらすじだけど、ぼくはほんとに知識がなく、ルート・アイリッシュという言葉は造語だとおもってた。映画用に、イギリス人のケン・ローチが考え出したものなんだと。ところが、そうじゃなかった。

「バグダッド空港と米軍管轄区域グリーンゾーンを結ぶ12キロの道路のこと」

 だそうで、ほんとにあった。そこで銃撃されて死んだ友人の謎を、主人公が解いていくわけだ。結局、なんの罪もないイラク人たちが殺されるのを目撃、かつ非難したために、会社の上役によってルートアイリッシュの往復業務に就かされ、合法的に口封じされたという事実を知るにおよび、親友の弔い合戦に出るんだね。

 こんなふうに書くと単純な話ながら、主題はかなり重い。民間兵がイラク人を殺害しても絶対に罰されないという、指令17条Coalition Provisional Authority Order 17のことだ。アメリカが中心になった連合国暫定当局CPAが強引にイラク議会を通して発行したもので、民間軍事会社はイラクの法律に従わなくてもよく、基本的になにをやっても許される、常識では考えられないような治外法権の権化のような法律だ。

「こんなばかげた話があるか」

 ってのが、ケン・ローチの主張だろう。

 モデルになった事件がある。2007年9月16日、バグダッド西部にあるニソール広場で、ブラックウォーターUSA社の民間兵がいきなり民間の車輛に発砲した。すると、仲間の兵も銃を乱射し、結果、17人が殺され、24人が負傷するという、信じられないような大惨事が引き起こされた。ブラックウォーター事件っていうんだけど、この事件はさすがにぼくも憶えてる。

 映画では別な事件が引き起こされ、それを親友が目撃したことになってるんだけど、これを主人公が調べていく内に、ひとつの慣用句が聴取相手から漏れてくる。英語についてまったく無知なぼくは、こんな慣用句があるなんてまるで知らなかった。

「he was in the wrong place at the wrong time」

 かれはまずいときにまずいところにいた、不運な事故としかいいようがない。てな感じの訳になるらしいんだけど、この映画の場合、もうすこし踏み込んでる。つまり、まずいというのは、軍事会社にとって、ひいてはアメリカにとって、ということだろう。

 結局、さっきの事件をはじめ、いくつかの不祥事が続いたことから、2009年1月1日、イラク政府は指令17条を無効を宣言した上で、軍事会社から免責特権を奪い取ったそうだけど、だからといって、民間兵の不祥事が無くなったかといえば、どうもそうじゃないらしい。

 映画のラストが主人公の入水っていう暗澹としたもののように、戦争の闇の部分はどこまでも続いていくんだろうな。

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