かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

追加版 渡辺松男の一首鑑賞 9

2015年04月15日 | 短歌一首鑑賞
 
 渡辺松男研究2(13年2月)【地下に還せり】『寒気氾濫』(1997年)9頁~
      参加者:崎尾廣子、鈴木良明、渡部慧子、鹿取未放
       レポーター:鈴木 良明
       司会と記録:鹿取 未放

   ◆印部分の後日意見を追加しました。(2015年4月)


9 八月をふつふつと黴毒(ばいどく)のフリードリヒ・ニーチェひげ濃かりけり

     (レポート)
 ニーチェの肖像写真には彼の思想の一端を垣間見ることができる。ニーチェは強度の近視のため、絵画など視覚に訴えるタイプの芸術には関心を欠いていたが、自分自身を被写体にした肖像写真には大層興味を示した。写真がまだ安価とはいえない時代に、髭をはやし始めた大学時代以降、様々なポーズで頻繁に写真を撮っている。髭の濃さは半端ではなく、鬱蒼として暑苦しい攻撃的な口鬚。髪も眉も口髭も生来やわらかく明るい褐色であり、肉体も繊細でしなやかで女性的な容姿なのに、本質を過剰に埋め合わせるような鬚である。八月という季節もその過剰な髭にふさわしい。作者は、ニーチェの相矛盾した過剰な面に共鳴し、自己に重ね合わせて、第一歌集の冒頭歌として配置したのではないか。なお、ニーチェの精神錯乱と進行生の麻痺の原因については、二十世紀前半までは黴毒説が有力だったが、これが原因だとほとんどが三年以内に死亡しており、ニーチェは十一年後に死亡したので、現在は支持されていない。(鈴木)


     (意見)
★第一歌集の冒頭にニーチェを置いているのはそれだけ思い入れが強いからだろう。(ニーチェの
 髭の濃い写真の本を示して)渡辺さんは哲学科だから、ニーチェは身体にしみこんでいるのだろ
 う。私は高校時代にこの本(高橋健二・秋山英夫訳『こうツァラツストラは語った』……以後『ツ
 ァラツストラ』と略記)を読んでいるが、最初は詩として読んで陶酔したり、永劫回帰をリアル
 に怖がって震え上がったりした。それ以後もただ読み流してきただけなので身に付いていない。
 渡辺さんの歌を読んでいると、今に至るまで、ああこれはニーチェだと思われる歌がたくさんあ
 る。(鹿取)
★渡辺さんが小さいときから考えてきたことと、ニーチェの言っていることが符合したのだろう。
 影響を受けたというよりも、自分の考えたことを歌にしていたら、ああニーチェも同じようなこ
 とを言っていると発見したのではないか。だから、ニーチェとは別な視点がある。(鈴木)
★もちろん渡辺さん自身の思索もすごい。またニーチェからだけ影響を受けた訳ではなく様々な思
 想家や作家から影響を受けている。それらみんなひっくるめてオリジナルなものになっている。
   (鹿取)
★鈴木さんの話を聞いていると、渡辺さんはゆとりをもって詠んでいらっしゃると思える。ちゃ
  んとニーチェを咀嚼している。(崎尾)
★「ふつふつと」というところが渡辺さん独特のとらえ方。生々しくとらえている。(鈴木)
★ニーチェが爆発して狂気に至る内面を「ふつふつと」で表現している。ニーチェの圧倒的な力と
 いうものを表している。(鹿取)
★ニーチェをうたったどの歌も渡辺さんはニーチェに呑み込まれていない。乗り越えている感じが
 する。(鈴木)
★そうですね、同感です。渡辺さんはいちいちニーチェを念頭に置いて作っている訳ではなく、歌
 は彼独特の生活とか思考から導き出されている。(鹿取)
★ニーチェにかなり自分を重ねているのだろう。精神を病んだところもニーチェと渡辺さんは共通
 している。(鈴木)
★大井学さんの評論に「ニーチェとの対話―渡辺松男」(「かりん」一九九八年八月号)がありま
 す。鈴木さん同様渡辺さんの歌とニーチェを関連させて読んでいます。また、坂井修一さんの第
 一歌集『ラビュリントスの日々』の冒頭歌は「雪でみがく窓 その部屋のみどりからイエスは離
 (さか)りニーチェは離る」です。第一歌集の冒頭歌に二人ともニーチェを詠っているのですが、
 渡辺さんのニーチェは生々しく自己に迫っていて、坂井さんは意志的にニーチェを遠ざけている
 感じがします。ふたりの生の姿勢かな、違いが分かって面白いと思いました。(鹿取)


          ◆(後日意見)
 キリスト教的道徳を批判し「神は死んだ」と語ったニーチェは、それまでの価値観を覆したという以上に、スキャンダラスであった。それは哲学に、ニーチェという生身の人間を登場させたことである。これまでの著作は個人的要素を排除し、客観的な表現をすることで、哲学の学問が成立していたが、ニーチェは過剰なまで自分の肉声を響きわたらせた。『ツァラトゥストラ』の主人公はニーチェその人であり、語り口は不気味で、挑発的である。
 歌は、ふつふつというオノマトペによって、黴毒の病原菌(スピロヘータ)が増殖して、体ばかりではなく、精神を蝕んでいく様子を伝えてリアルである。8月というのは、ニーチェが亡くなった月であるが、病原菌や髭が夏草のように繁茂し、増殖してゆくような生々しい季節でもある。(石井)

渡辺松男の一首鑑賞 47

2015年04月14日 | 短歌一首鑑賞

 渡辺松男研究2(13年5月)【橋として】『寒気氾濫』(1997年)22頁
       参加者:崎尾廣子、鈴木良明、渡部慧子、鹿取未放
        レポーター:鈴木 良明
        司会と記録:鹿取 未放


47 組織へとひっそりと沈みはじめしがぬらぬらとやがて見えなくなりぬ

       (レポート)
 組織とは、作者の所属する地方自治体を含む国・社会全体の構造のことだろう。霞ヶ関に出張したあと再び日常の仕事に戻り、それまでの昂ぶりも徐々に鎮まって、国・社会全体の構造のなかにひっそりと呑み込まれてゆく自分の姿を、身体的な感覚と外からの描写とによって生々しく詠う。まるで水没していくかのように、下半身から徐々に沈みはじめ、胴、胸、最後に残った顔が水面から消えてすっかり埋没し、姿が見えなくなったのである。(鈴木)

 
     (意見)
★「ぬらぬらとやがて見えなくなりぬ」、よほど嫌な感じなんでしょうね。(慧子)
★私は権力志向のある人とか出世したい人とかを見て詠んだのだと思います。組織べったりの他人
 のこととして嫌な奴だと見ているんだと。自分がそうだとなるともっと切実だし恐ろしいけど、
 そうすると見えなくなる自分を外側から見ていることになりますが。(鹿取)
★敵から逃げるために自ら泥の中に沈んでいくという映画があったけど、そんなイメージ。上の句
 は体感で、見えなくなるのも自分を外側から見ている。こういう歌い方は渡辺さんによくある。
 これが他人が沈んでいく場面だと考えると唐突な感じがする。(鈴木)
★私も鈴木さんと同じで、こんな風に埋没しなければ組織では生きていけないのかなと思う。
    (崎尾)

渡辺松男の一首鑑賞 46

2015年04月13日 | 短歌一首鑑賞

 渡辺松男研究2(13年5月)【橋として】『寒気氾濫』(1997年)22頁
      参加者:崎尾廣子、鈴木良明、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:鈴木 良明
      司会と記録:鹿取 未放


46 影として霞ヶ関の上空を月のねずみは過ぎてゆきたり

     (レポート)
 霞ヶ関といえば東京千代田区の桜田門から虎ノ門にかけての官庁街。国の行政枢要機関が並ぶ。本歌は、この上空を影として月のねずみが過ぎていった、と詠む。何のことだろう。月は前首を受けてぶよぶよの月だが、そこのねずみとは、作者自身ではないだろうか。作者は、地方自治体の職員として、霞ヶ関の所管官庁を訪れ、担当の仕事について意見交換をしたのではないか。大きな実りがあれば実在としてのねずみを実感できるが、そうでないと影のような存在としてゆき過ぎたことになる。(鈴木)
 

       (意見)
★月のねずみって、このレポートのようなことでいいのかなあ。(鈴木)
★月に兎がいるっていいますけど、ここでは月にねずみが住んでいて、そのねずみを乗っけた月が
 鬼や蛇や暗黒のもろもろが蠢いている霞ヶ関の上空を過ぎていった、という意味だと思っていま
 した。もちろん含みはいっぱいあるんだけど、ここはただ通り過ぎていったよと。あんまり言い
 過ぎるとつまらない。霞ヶ関に叱られにゆくという歌もあるので、月のねずみは〈われ〉だとい
 えばいえなくはない。(鹿取)

       ◆(後日意見)
 上記、鹿取発言の「霞ヶ関に叱られにゆく」歌とは次のもの。
   はるばると書類は軽く身は重く霞ヶ関へ叱られに行く『寒気氾濫』

 影については、『ツァラツストラ』で最後まで主人公のお供をする「不毛性」の象徴としての影を思い描いてもいいのかもしれないが、この歌ではもっと単純に実態のないものとしての「影」でよいような気がする。月に棲むねずみが霞ヶ関のビル群に影を落として過ぎた、あるいはただ横切って行った。いずれにしろ、霞ヶ関を揶揄しているように思われる。(鹿取)

渡辺松男の一首鑑賞 45

2015年04月12日 | 短歌一首鑑賞

 渡辺松男研究2(13年5月)【橋として】『寒気氾濫』(1997年)22頁
      参加者:崎尾廣子、鈴木良明、渡部慧子、鹿取未放
       レポーター:鈴木 良明
       司会と記録:鹿取 未放


45 神でさえ弛んでおればぶよぶよのつぶしてみたき満月のぼる

     (レポート)
 バブル経済崩壊後の日本は、依然としてバブルの余韻から立ち直れない時期がしばし続いた。この時期の、いわば爛熟してただれたような日本の社会やその精神状態をぶよぶよの満月に見立てているように思う。すべてを統べることのできる神でさえ気を弛めておればこのありさまであると仮構しているが、神の居ない人間界ならなおさらであるとの思いだろう。その鬼灯のようなぶよぶよの満月をつぶしてみたい、との思いはリアルであり、現状に対する作者の率直な気持ちが顕われている。(鈴木)


    (意見)
★ニーチェは「神は死んだ」って言ったそうですが、そうは言えないので「弛んで」と言ったので
 はないか。(慧子)
★私は「神でさえ」は「つぶしてみたき」に掛かると思っていた。だから「弛んで」いるのは満月
 の方。(鹿取)
★えっ、つぶしてみたいの主語は私ですよね?(慧子)
★神でさえ弛んでいるのだから、満月もぶよぶよになって昇ってきたということ?そんな満月を〈わ
 れ〉がつぶしてみたいと思っている?「神でさえ」というところが分からない。「神は死んだ」 
 は、ニーチェは人間がいろいろ介入して神を殺したんだ、と言っているのよね。だからまだ神が
 死んだことを知らない人間どもがどうのこうのとニーチェは批判している。(鹿取)
★余談だけど、月のおかげで地球の海は蒸発しないですんで、海のおかげで地球の生命は芽生えて
 進化して来たわけだから、われわれは月にはものすごく恩恵を被っているんだけどね。(鹿取)
★バブルとか念頭におくと次の歌にも繋がっていって分かりやすいんじゃないか。(鈴木)


(後日意見)
 鈴木、慧子両氏の考えは「神でさえも弛んでいる」だから「ぶよぶよの満月」がのぼり、〈われ〉はそれをつぶしてみたくなる、という解釈のようだ。鈴木氏は更に「ぶよぶよの満月」をバブル経済崩壊後の日本の精神状態に見たてているという。『寒気氾濫』は1997年刊なので時期的にはバブル崩壊後ととれなくもないが、後から考えるとこの結びつけはやや強引ではないか。
 私は弛んでぶよぶよしている満月がのぼった、そんな満月を見ると神でさえもつぶしてみたくなるのではないかと解釈したが、あまり自信はない。そこで歌の前後を見れば少しヒントが得られるのではないかと「かりん」掲載の90年から97年の号を遡って探してみたが掲載歌は見つけられなかった。〈ポケットベルに拘束されるわれの目に鬱々として巨大春月〉(「かりん」91年7月号)があったが、掲載歌とはかなり感覚が違う。この巨大春月の歌は『寒気氾濫』には掲載されていない。
 『ツァラツストラ』でいえば神が死んだというあたりよりも「けがされない認識について」辺りが関連がありそうだ。この章では膨れて身籠もっているかのような月が昇ってくる。この月は何ものも産み出さない「偽善者」の例えとして使われている。(鹿取)
 

渡辺松男の一首鑑賞 44

2015年04月11日 | 短歌一首鑑賞
  
 渡辺松男研究2(13年5月)【橋として】『寒気氾濫』(1997年)22頁
        参加者:崎尾廣子、鈴木良明、渡部慧子、鹿取未放
         レポーター:鈴木 良明
         司会と記録:鹿取 未放


44 戦前ははじまりているという父の夕映えは立ちしままなる駱駝

     (レポート)
 輪廻という見方がある。しかし、そう考えないまでも、日本の戦後がいつ終わったのかわからない。わからないままに、世界は戦争をしており、日本もいつ巻き込まれるかわからない。戦後は戦前のはじまりなのである。戦争経験者である父はそれを指摘しているのだろう。しかし、年老いた父の夕映えに映る姿は、「立ちしままなる駱駝」。駱駝は、砂漠の運搬・乗用として、歩く姿のなかにこそ、そのいのちがある。「立ちしまま」は途方にくれる不本意な姿なのだろう。(鈴木)


     (意見)
★立ちしままがわからなかったが、不本意な姿なのだろうといわれて、よく分かった。(崎尾)
★年老いたお父さんの姿なのでしょうか。働きづめに働いてきて、夕映えの中に立ちつくしている
 ある時のお父さん像を駱駝ってとらえたのかなあと思いました。そのお父さんが経験から察知し
 て戦前は始まっていると言っている。日本の庶民はいつだって戦争に巻き込まれてやってきた。
 子や孫はまたいつかそういう戦争に巻き込まれるかわからないと恐れている。まあ、そんな理屈
 をいうと歌はつまんなくなるけど。(鹿取)

渡辺松男の一首鑑賞 43

2015年04月10日 | 短歌一首鑑賞
 
 渡辺松男研究2(13年5月)【橋として】『寒気氾濫』(1997年)21頁
      参加者:崎尾廣子、鈴木良明、渡部慧子、鹿取未放
       レポーター:鈴木 良明
       司会と記録:鹿取 未放


43 葱浄土広大にして先を行く幻へ骨をもちて追いかく

     (レポート)
 葱の育ち方をおもう。炎のように新しい葉を生みだしては消え、生みだしては消えるその姿は変幻自在。成長後の葱といえど、剝けども剥けども芯がでてこない、いわば実体がないのだ。そして葉と茎の区別は不明瞭で真っ青から真っ白へのグラデーション、葱浄土というにふさわしい。そのような葱畑が広大に広がるなかを、葱と違って少なくとも骨格を持つ人間として、幻のような何かを追いかけている。あこがれようなものだろうか。(鈴木)


    (意見)
★私は葱一本の形状ではなく見渡す限り葱畑が広がっている様子を葱浄土といっていると思う。鈴
 木さんの評からするとこの幻というのはあこがれですか?(鹿取)
★生の力ということで。幻のような生の力を追いかけてゆく。それを具体的にいうと作者の意図か
 ら逸れる気がする。葱浄土といっているから誰か亡くなった方への思いかも知れないが。(鈴木)
★葱の歌も渡辺さんにたくさんあって、群馬だから身近なんですよね。(鹿取)
★葱浄土というのはすごい言葉だと思う。葱のことよく知っていないと歌えない。私も葱を作った
 ことがあるが、葱は変化自在で。(鈴木)

渡辺松男の一首鑑賞 42

2015年04月09日 | 短歌一首鑑賞

 渡辺松男研究2(13年5月)【橋として】『寒気氾濫』(1997年)21頁
          参加者:崎尾廣子、鈴木良明、渡部慧子、鹿取未放
          レポーター:鈴木 良明
          司会と記録:鹿取 未放


42 背を丸め茂吉いずこを行くならん乳房雲(にゅうぼううん)はくろぐろとくる

       (レポート)
乳房雲とは、雲底からこぶ状の雲がいくつも垂れさがっている様子から名付けられている。雲底で下降気流や渦流が発生しているときに生まれ、その高度によって乳房雲の形も印象も異なるが、この歌では、「くろぐろとくる」とあるから、雨や雷、雹の前触れのようなおどろおどろしい雲だろう。その下を背を丸めて行く茂吉の姿は、たぶん戦後の晩年の姿だろう。圧倒的な生の力の前に、背を丸めてあてどなく歩く茂吉。そのうち折から雨が降り出して、〈沈黙のわれに見よとぞ百房の黒き葡萄に雨ふりそそぐ〉と、思わず詠んでしまったわけである。(鈴木)


      (意見)
★戦後大石田に引きこもった晩年の茂吉が、体調も悪くて精神もうつうつとして背を丸めていくほ
 かになかった姿が良く出ている。(慧子)
★渡辺さんはお母様を早く亡くされているけど、乳房雲はお母さん助けてっていうイメージかと思
 っていたら、違うんですね。乳房雲をネットで調べたら面白いことに世界共通の呼び名が「マン
 マ」、おっぱいが垂れ下がった形をしているからです。それでアメリカなどではこのマンマが出
 たら竜巻の前兆だから即、地下のシェルターへ逃げ込めっていうんだそうです。そういう恐ろし
 い雲なんですね。鈴木さんが書かれているように戦争責任とか問われないように戦後の茂吉は自
 ら蟄居していたんだけど、黒き葡萄に降り注ぐ雨同様、乳房雲も茂吉を脅迫するものとして渡辺
 さんは描いているんでしょうね。「いずこへ」ではなく「いずこを」であるところに含蓄がある。
    (鹿取)
★乳房雲って渡辺さんのどこから出てくる言葉なんでしょうね。すごいなあ。これが雷雲だったら
 全然歌にならない。(鈴木)
★乳房雲だから茂吉の人間的な弱さが生きる。渡辺さん、雲が好きだからこういう名前もみんな自
 然に頭に入っているんでしょうね。何かでこの名前見つけたから歌に使おうじゃなくて。木や花
 や鳥の名前もそうだけど。(鹿取)
★出版記念会ではこの歌あんまり話題にならなかったよね。(鈴木)
★そう、さりげない歌だから。それに『寒気氾濫』には名歌がいっぱいあるから。馬場先生は『寒
 気氾濫』一冊全部名歌って言っていらした。(鹿取)

渡辺松男の一首鑑賞 41

2015年04月08日 | 短歌一首鑑賞

 渡辺松男研究2(13年5月)【橋として】『寒気氾濫』(1997年)21頁
          参加者:崎尾廣子、鈴木良明、渡部慧子、鹿取未放
          レポーター:鈴木 良明
           司会と記録:鹿取 未放


41 橋として身をなげだしているものへ秋分の日の雲の影過ぐ

       (レポート)
「橋として身をなげだしているもの」とは、作者の身体を投影して実感したものであり、そして、そのあり方は、重力にあらがい、反作用として拮抗している生の力である。空を行く雲も生の力として生成し変化して流れ続け、その結果としての影が過ぎてゆくのである。(鈴木)


      (意見)
★「かりん」の特集号で『寒気氾濫』の自選5首にこの歌は入っていた。《後述》私自身はこれは
 ニーチェだと思った。『ツァラツストラ』で人間は超人になる途上にあって橋のような存在だと
 いうようなことを言っている。そういう精神的な高みに登る通過点のような存在。《後述》でも、
 この歌は何重にも読める。弧の空間を支える緊張感とか精神の危うい状態とか。また、「橋とし
 て身をなげだしているもの」を性愛の場面で身を反らしている女体と捉えると、下の句もとても
 リアルに読めてしまう。そういう解釈だってありと思う。(鹿取)
★「いるものへ」のところが解釈を広げるんでしょうね。(崎尾)
★世界との架け橋、関わりということで考えてもいいのかなあ。何かと何かを結びつける。(鈴木)
★渡辺さんはよく橋を歌っていますよね。地獄への力と天国への力とが釣り合う橋を渡るとか。
    (鹿取)

      【自歌自注】「かりん」2010年11月号
 「橋として身をなげだしているもの」には『ツァラツストラ』が頭にありました。「秋分の日」という言葉で時間的均衡を考えました。「秋分の日」がふさわしいと思いました。佐太郎の歌「秋分の日の電車にて床(ゆか)にさす光もともに運ばれて行く」も頭にありました。「雲の影過ぐ」で具体性・具象性を持たせました。

    
      【『こうツァラツストラは語った』】第一部 ツァラツストラの序言 4より
 人間は、動物と超人との間に張りわたされた綱である。深淵の上にわたされた綱である。渡っていくのも危険、途中にあるのも危険、身ぶるいして立ちどまるのも危険。人間が偉大なのは、人間が橋であって、目的でない点にある。人間が愛されうるのは、人間が一つの過渡であり、没落である点にある。(後略)(高橋健二・秋山英夫訳)
 

 ※地獄へのちから天国へのちから釣りあう橋を牛とあゆめり『寒気氾濫』

渡辺松男の一首鑑賞 40

2015年04月07日 | 短歌一首鑑賞

 渡辺松男研究2(13年5月)【橋として】『寒気氾濫』(1997年)20頁
      参加者:崎尾廣子、鈴木良明、渡部慧子、鹿取未放
       レポーター:鈴木 良明
       司会と記録:鹿取 未放


40 秋の雲うっすらと浮き〈沈黙〉の縁(へり)に牡牛(おうし)は立ちつづけたり

     (レポート)
 秋の雲がうっすらと浮き、何と長閑な草原の風景か、と思って読むと、とんでもない。沈黙が生の力となって充満し、同じく生の力である牡牛をその縁に追いやり、立ちっぱなしにさせていたのである。たぶん、牛は時々啼くこともあり、草を食み反芻することもあり、その辺をうろつくこともあり、沈黙との関係でいえば、沈黙を出入りする存在であるから、当然、その「縁」に位置づけることになるだろう。(鈴木)


     (意見)
★これはニーチェですね。生あるものは自らの力を発揮しようとする、そういう世界観をニーチェ
 は持っている。月や太陽は引力とか遠心力によって均衡している。それに仏教的な考えを抱き合
 わせてイメージしていくと分かりやすい。(鈴木)
★すごく魅力的な歌なんだけど、私は解釈しづらかった。この強調された〈沈黙〉というのはどこ
 にあるんですか。(鹿取)
★作者が眼前の風景を目にしたときに何の音もしなかった。〈沈黙〉が支配している。そこにたま
 たま牛がいて作者が見たときにはたたずんでいるだけ。そういう場面に接したとき、風景の力と
 いうものを感じたのではないか。(鈴木)
★縁、っていうのは面白いですね。この間鑑賞したところではお父さんの背中が沈黙だったんだけ
 ど。ここでは風景そのものが沈黙していて、その縁に牛がいる。〈沈黙〉の縁というとらえ方が
 とても美しくて哲学的。私は秋の雲がうっすらと浮く風景の中で〈われ〉が沈黙していて、はる
 か向こうに立っている牡牛がずっと〈われ〉の視野に在り続けているって解釈していたんだけど、
 風景そのものが沈黙しているってとらえ方の方が大きくて魅力的ですね。(鹿取)
★沈黙に力があるっていうのがすごい解釈だなあ。沈黙の支配力というのは確かに感じることがあ
 る。(崎尾)
★耳の痛くなるような沈黙がありますね。それは空の思想に通じる。(鈴木)

渡辺松男の一首鑑賞 39

2015年04月06日 | 短歌一首鑑賞

 渡辺松男研究2(13年5月)【橋として】『寒気氾濫』(1997年)20頁
          参加者:崎尾廣子、鈴木良明、渡部慧子、鹿取未放
          レポーター:鈴木 良明
          司会と記録:鹿取 未放


39 生きて尾を塗中(とちゅう)に曳きてゆくものへちちよちちよと地雨ふるなり

     (レポート)
 この歌を含む三首は、作者の身体を自然界のものに投影し、そこでの実感を詠んでいる。従来の自然詠が自然に対峙し外から詠んでいるのに対し、作者は身体感覚の拡張により自然界に入り込んで、その内側からの実感を詠んでいるのだ。また、ニーチェの〈力への意志〉は生物に限らず、あらゆる事物の発展、生起、衰退など広範囲に及ぶものだから、その観点から、この世界に充満している「生の力」を表現したものともいえる。
 この歌の「生きて尾を塗中に曳きてゆくもの」とは、具体的には蛇や鰻、泥鰌などを思わせるが、はっきり言わずにこのように抽象的に言うことで、それらのものの名指しがたい生の力が感知される。また、「ちちよちちよ」は、みのむしの鳴き声として、古来から「父よ」や「乳よ」にかかる言葉として使われてきたが、ここでは、「塗中に曳きてゆくものへ」の慈雨としての意味合いから、地雨(決まった強さで降り続く雨)のオノマトペとして用いており、効果的である。(鈴木)


      (意見)
★「生きて尾を塗中に曳きてゆく」は中国の諺だった気がする。鹿取さんがいつか歌っていらした。
     (慧子)
★「荘子」の「秋水編」にあります。『寒気氾濫』の出版記念会で辰巳泰子さんが「荘子」を
 引用して褒めていらしたのを覚えています。解釈だけ、ちょっと読んでみます。《後述》この話
 から故事成語ができました。まあ、そういう泥の中に尾を曳いているものの上に地雨が降ってい
 る。鈴木さんの解釈の慈雨というのはいいなと思います。裏側に「慈雨」の意味を持つ掛詞的な
 解釈ですね。「ちちよちちよ」は鈴木さんのレポートにあるように蓑虫の鳴き声ですけれど、「枕
 草子」なんかを参考にすると分かりやすいかなと思います。《後述》ちょっと蓑虫の子が哀れで 
 すけど。泥の中に尾を曳いて生を送っているものに、ちちよちちよと雨が降りそそいでいるって
 優しいですね。「ちちよちちよ」の部分は「枕草子」では蓑虫の親に向かっての求めですけど、
 ここでは天から父だよ、あるいは乳だよって寂しい子を応援している感じ。(鹿取)
★余談ですけど、慧子さんが言ってくれた私の「尾を塗中に曳く」歌は偉そうだと歌会で批判され
 ました。泥の中でもがいている生き難い生というところにしか私の意識がいってなくて、「秋水
 編」前段の宰相になってほしいという王様の求めを蹴った部分は全然考えずに作りました。今 
 思うと偉そうという批判は当然だと思います。(鹿取)
★「荘子」の亀っていうのは結局どういうものなんでしょうね。(鈴木)
★政治のトップとかに居座ったりしないで在野で思索しながら自由に生きているんだけど、経済的
 には豊かじゃない存在ということでしょうか。(鹿取)
★実際、群馬県ではこういう場面を目撃することがあるんでしょうね。それを踏まえて詠んでいる
 から、言葉がとてもリアル。田舎の泥の中がありありと浮かんでくる。そういう実景の背景に荘
 子だとかニーチェの「力への意志」だとかがある。(鈴木)

              (参考)
【「枕草子」41】
虫は、鈴虫。 蜩。 蝶。 松虫。蟋蟀。はたおり。われから。ひを虫。螢。
鬼の生みたりければ、親に似て、これも恐ろしき心あらむとて、親のあやしき衣(きぬ)ひき着せて、「いま秋風吹かむ折ぞ来むとする。待てよ」と言ひおきて、逃げていにけるも知らず、風の音を聞き知りて、八月ばかりになれば、「ちちよ、ちちよ」とはかなげに鳴く。いみじうあはれなり。

             
 【「荘子」秋水】 (福永光司/講談社学術文庫) より
 荘子が濮水のほとりで釣りをしていた。そこへ楚の威王が二人の家老を先行させ、命を伝えさせた(招聘させた)。「どうか国内のことすべてを、あなたにおまかせしたい(宰相になっていただきたい)」と。荘子は釣竿を手にしたまま、ふりむきもせずにたずねた。「話に聞けば、楚の国には神霊のやどった亀がいて、死んでからもう三千年にもなるという。王はそれを袱紗(ふくさ)に包み箱に収めて、霊廟(みたまや)の御殿の上に大切に保管されているとか。しかし、この亀の身になって考えれば、かれは殺されて甲羅を留めて大切にされることを望むであろうか、それとも生きながらえて泥の中で尾をひきずって自由に遊びまわることを望むであろうか」と。二人の家老が「それは、やはり生きながらえて泥の中で尾をひきずって自由に遊びまわることを望むでしょう」と答えると、荘子はいった。「帰られるがよい。わたしも尾を泥の中にひきずりながら生きていたいのだ」