かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

渡辺松男の一首鑑賞 17

2015年04月04日 | 短歌一首鑑賞

 渡辺松男研究2(13年2月)【地下に還せり】『寒気氾濫』(1997年)12頁
      参加者:崎尾廣子、鈴木良明、渡部慧子、鹿取未放
       レポーター:鈴木 良明
       司会と記録:鹿取 未放


17 十月のまぶしきなかへひとすじのああ気持ちよき犀の放尿

     (レポート)
 たぶん作者が自らの山歩きなどで体験した感覚を詠んだものだろう。野外でひとり、十月のまぶしき光に向かって誰にも気兼ねなく放尿する快感。男ならではのものかもしれないが、体の大きな「犀」の放尿とすることで、その爽快感が高まるばかりでなく、孤独の象徴としての「犀」の独り生くよろこびを、作者自身の実感に重ね合わせて詠んでいる。ちなみにニーチェは脱ヨーロッパの視点から、竜や象など東洋的な動物を比喩として用いているが、孤独の象徴としての犀もそのひとつ。(鈴木)


    (意見)
★ニーチェは東洋的なものに関心を持ち、仏教もかじっているようだ。(鈴木)
★渡辺さんが自分の評論(※後述)の中で、鯨のような大きなものが悩んでいたり孤独だったりすると
 ころが絵になるので、ダニが耐えていたら人は笑 うだろう、というような意味のことを言っていて、
 大笑いしたことがある。だからここも前歌の象に引き続いて大きな犀が登場するのだろう。(鹿取)
★ごまめの歯ぎしりというのもある。(鈴木)
★「独り生くよろこび」という鈴木さんの解釈がすばらしい。私などここに届かない。(崎尾)
★私は渡辺さんのように実感的になかなかうたえない。(鈴木)
★自然ですよね。哲学やってるけど、何か頭でこねくりまわしているのとは全く違って。(鹿取)
★渡辺さんの感覚が哲学的なんでしょうね。(鈴木)
★自分の持っているアクが全くない。(崎尾)
 
※正確には「鯨のようにスケールの大きいものが、言葉なくその存在に耐えながら泳ぐからその淋
 しさもいいのであって、――中略――もっと小さけれ ばどうだろう。そもそも感情移入などしき
 れない。ダニが耐えていたら人は笑うだろう。」(「かりん」1997年2月号「日常宇宙」)
  上記は丁田隆「ざっぷりとプランクトンを食みながら淋しさを言うことばを持たず」について
 の考察。渡辺さん自身「大洋にはてなきこともアンニュイで抹香鯨射精せよ」(『寒気氾濫』)と
 鯨を歌っている。(鹿取後述)