かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

渡辺松男の一首鑑賞 39

2015年04月06日 | 短歌一首鑑賞

 渡辺松男研究2(13年5月)【橋として】『寒気氾濫』(1997年)20頁
          参加者:崎尾廣子、鈴木良明、渡部慧子、鹿取未放
          レポーター:鈴木 良明
          司会と記録:鹿取 未放


39 生きて尾を塗中(とちゅう)に曳きてゆくものへちちよちちよと地雨ふるなり

     (レポート)
 この歌を含む三首は、作者の身体を自然界のものに投影し、そこでの実感を詠んでいる。従来の自然詠が自然に対峙し外から詠んでいるのに対し、作者は身体感覚の拡張により自然界に入り込んで、その内側からの実感を詠んでいるのだ。また、ニーチェの〈力への意志〉は生物に限らず、あらゆる事物の発展、生起、衰退など広範囲に及ぶものだから、その観点から、この世界に充満している「生の力」を表現したものともいえる。
 この歌の「生きて尾を塗中に曳きてゆくもの」とは、具体的には蛇や鰻、泥鰌などを思わせるが、はっきり言わずにこのように抽象的に言うことで、それらのものの名指しがたい生の力が感知される。また、「ちちよちちよ」は、みのむしの鳴き声として、古来から「父よ」や「乳よ」にかかる言葉として使われてきたが、ここでは、「塗中に曳きてゆくものへ」の慈雨としての意味合いから、地雨(決まった強さで降り続く雨)のオノマトペとして用いており、効果的である。(鈴木)


      (意見)
★「生きて尾を塗中に曳きてゆく」は中国の諺だった気がする。鹿取さんがいつか歌っていらした。
     (慧子)
★「荘子」の「秋水編」にあります。『寒気氾濫』の出版記念会で辰巳泰子さんが「荘子」を
 引用して褒めていらしたのを覚えています。解釈だけ、ちょっと読んでみます。《後述》この話
 から故事成語ができました。まあ、そういう泥の中に尾を曳いているものの上に地雨が降ってい
 る。鈴木さんの解釈の慈雨というのはいいなと思います。裏側に「慈雨」の意味を持つ掛詞的な
 解釈ですね。「ちちよちちよ」は鈴木さんのレポートにあるように蓑虫の鳴き声ですけれど、「枕
 草子」なんかを参考にすると分かりやすいかなと思います。《後述》ちょっと蓑虫の子が哀れで 
 すけど。泥の中に尾を曳いて生を送っているものに、ちちよちちよと雨が降りそそいでいるって
 優しいですね。「ちちよちちよ」の部分は「枕草子」では蓑虫の親に向かっての求めですけど、
 ここでは天から父だよ、あるいは乳だよって寂しい子を応援している感じ。(鹿取)
★余談ですけど、慧子さんが言ってくれた私の「尾を塗中に曳く」歌は偉そうだと歌会で批判され
 ました。泥の中でもがいている生き難い生というところにしか私の意識がいってなくて、「秋水
 編」前段の宰相になってほしいという王様の求めを蹴った部分は全然考えずに作りました。今 
 思うと偉そうという批判は当然だと思います。(鹿取)
★「荘子」の亀っていうのは結局どういうものなんでしょうね。(鈴木)
★政治のトップとかに居座ったりしないで在野で思索しながら自由に生きているんだけど、経済的
 には豊かじゃない存在ということでしょうか。(鹿取)
★実際、群馬県ではこういう場面を目撃することがあるんでしょうね。それを踏まえて詠んでいる
 から、言葉がとてもリアル。田舎の泥の中がありありと浮かんでくる。そういう実景の背景に荘
 子だとかニーチェの「力への意志」だとかがある。(鈴木)

              (参考)
【「枕草子」41】
虫は、鈴虫。 蜩。 蝶。 松虫。蟋蟀。はたおり。われから。ひを虫。螢。
鬼の生みたりければ、親に似て、これも恐ろしき心あらむとて、親のあやしき衣(きぬ)ひき着せて、「いま秋風吹かむ折ぞ来むとする。待てよ」と言ひおきて、逃げていにけるも知らず、風の音を聞き知りて、八月ばかりになれば、「ちちよ、ちちよ」とはかなげに鳴く。いみじうあはれなり。

             
 【「荘子」秋水】 (福永光司/講談社学術文庫) より
 荘子が濮水のほとりで釣りをしていた。そこへ楚の威王が二人の家老を先行させ、命を伝えさせた(招聘させた)。「どうか国内のことすべてを、あなたにおまかせしたい(宰相になっていただきたい)」と。荘子は釣竿を手にしたまま、ふりむきもせずにたずねた。「話に聞けば、楚の国には神霊のやどった亀がいて、死んでからもう三千年にもなるという。王はそれを袱紗(ふくさ)に包み箱に収めて、霊廟(みたまや)の御殿の上に大切に保管されているとか。しかし、この亀の身になって考えれば、かれは殺されて甲羅を留めて大切にされることを望むであろうか、それとも生きながらえて泥の中で尾をひきずって自由に遊びまわることを望むであろうか」と。二人の家老が「それは、やはり生きながらえて泥の中で尾をひきずって自由に遊びまわることを望むでしょう」と答えると、荘子はいった。「帰られるがよい。わたしも尾を泥の中にひきずりながら生きていたいのだ」