かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

渡辺松男の一首鑑賞 44

2015年04月11日 | 短歌一首鑑賞
  
 渡辺松男研究2(13年5月)【橋として】『寒気氾濫』(1997年)22頁
        参加者:崎尾廣子、鈴木良明、渡部慧子、鹿取未放
         レポーター:鈴木 良明
         司会と記録:鹿取 未放


44 戦前ははじまりているという父の夕映えは立ちしままなる駱駝

     (レポート)
 輪廻という見方がある。しかし、そう考えないまでも、日本の戦後がいつ終わったのかわからない。わからないままに、世界は戦争をしており、日本もいつ巻き込まれるかわからない。戦後は戦前のはじまりなのである。戦争経験者である父はそれを指摘しているのだろう。しかし、年老いた父の夕映えに映る姿は、「立ちしままなる駱駝」。駱駝は、砂漠の運搬・乗用として、歩く姿のなかにこそ、そのいのちがある。「立ちしまま」は途方にくれる不本意な姿なのだろう。(鈴木)


     (意見)
★立ちしままがわからなかったが、不本意な姿なのだろうといわれて、よく分かった。(崎尾)
★年老いたお父さんの姿なのでしょうか。働きづめに働いてきて、夕映えの中に立ちつくしている
 ある時のお父さん像を駱駝ってとらえたのかなあと思いました。そのお父さんが経験から察知し
 て戦前は始まっていると言っている。日本の庶民はいつだって戦争に巻き込まれてやってきた。
 子や孫はまたいつかそういう戦争に巻き込まれるかわからないと恐れている。まあ、そんな理屈
 をいうと歌はつまんなくなるけど。(鹿取)