かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

渡辺松男の一首鑑賞  18

2015年04月05日 | 短歌一首鑑賞

 渡辺松男研究2(13年2月)【地下に還せり】『寒気氾濫』(1997年)12頁
      参加者:崎尾廣子、鈴木良明、渡部慧子、鹿取未放
       レポーター:鈴木 良明
      司会と記録:鹿取 未放


18 重力をあざ笑いつつ大股でツァラトゥストラは深山に消えた

     (レポート)
 ツァラトゥストラ(ニーチェのこと)は「重力」に逆らって山頂をめざす。そして最高の山頂に立つ者は、すべての悲劇と悲劇的厳粛を嘲笑するのである。ツァラトゥストラは、山で孤独な生活を送りつつ悟ったことを、山を降りて民衆に説く。4部構成の『ツァラトゥストラ』は、このようにして、山と里とを往復しつつ思想を深めて民衆に説く構成になっている。作者は、子供の頃から山に入り、長じてからも山歩きをしている。ツァラトゥストラに自らの姿を重ね合わせて詠んでいるのだろう。
     (鈴木)


    (意見)
★「ツァラツストラ」の最後の第四部は八十八部だかしか印刷せず、ほんとうに身内だけにしか配 布していない。評判はよくなかったらしい。(鈴木)
★一部の終わりにも二部の終わりにも深山に消える場面があるが、たとえばこんな部分。(鹿取)

   今やわたしはひとりで行く、弟子たちよ!きみたちも去って、ひとり行け!わたしはそれ
   を欲する。/まことに、わたしはきみたちにすすめる。わたしから去って、ツァラツストラ
   にさからえ!さらによりよくは、ツァラツストラを恥じよ!かれはきみたちをあざむいたか
   もしれぬ。『ツァラツストラ』 第一部「与える徳について」

★深山に消えたのは具体でないので、どの部分かはっきりしない。(鈴木)
★空海も最澄も山に入ったが、ニーチェも山に入ったのですね。机上の空論ではなく、身体を使っ
 て山に行ったところに身体性を感じますね。(慧子)
★思索を深めるためには独りにならないといけないから、みんな山に入っていますよね。お釈迦様
 だってそうだし、イエスはまあ荒野だけど独りになっているし。(鹿取)
★夜とかに呑み込まれそうになった時に何かひらめくのかしらねえ。おへやの中だとそういうこと
 は起こらないからね。(慧子)
★でも、山と里を行ったり来たりして分かるんじゃないか。里に出てきて世間とのギャップからま
 た何か考える。(鈴木)
★ギリシャ哲学もそうですけど、ツァラツストラも対話していますよね、山から下りてきてはいろ
 んな人と。そこで考えを修正し、また山に入って思索を深める。(鹿取)
★達磨の面壁とは違うんですね。(慧子)