かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

馬場あき子の外国詠 181(アフリカ)

2014年04月27日 | 短歌一首鑑賞
    【阿弗利加 1サハラ】『青い夜のことば』(1999年刊)P156
                              参加者:崎尾廣子、T・S、N・T、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
                               レポーター:崎尾廣子
                                司会とまとめ:鹿取 未放
 

14 日本人まこと小さし扶けられ砂漠を歩むその足短かし

      (まとめ)(2007年11月)
 レポートは少しピントが外れているという指摘が会員から多く出された。
日本人が小さいというのは、ここでは優劣の感覚ではないだろう。西洋人などに比べての単純な比較である。日本人が小さいという歌は他の旅行詠でも馬場はよく詠っている。この歌では「その足短かし」などの描写で少し戯画化されているかもしれない。
 沙漠を登るのに駱駝組と徒歩組に別れたそうだが、馬場は歩いたのだろうか。あるいは歩いている人を見て詠んだのかもしれない。ともかく沙漠を歩むのは慣れていないとたいへん難しい。それで現地の人に扶けられながら進むのである。

 【参考】
     ジパングは感傷深き小さき人マドリッドにアカシアの花浴びてをり(スペイン)
『青い夜のことば』
     羊のやうに群れて歩める小さき影カラードにして金持われら(チェコ)
                       『世紀』 
                                                (鹿取)


      (レポート)(2007年11月)
 今では体も大きく足も長い人たちをよく見かけるが、およそ日本人は小さく足が短い。ふだんあまり考えたことのなかった日本人の体型のありようを知ったのである。扶けられながらであっても、沙に取られた足を抜くときの力は弱い。不自由さを覚えたのであろう。「まこと小さし」「その足短かし」の「し」「し」に作者の実感がこもっている。読者も日本人の体型の負の部分を知らされる。愛しさはやがておかしきに変わっていったのであろう。
     (崎尾)



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