かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

ブログ版 馬場あき子の外国詠338(スイス)

2018年06月22日 | 短歌一首鑑賞
 ブログ版馬場あき子の外国詠46(2011年12月実施)
   【氷河鉄道で行く】『太鼓の空間』(2008年刊)167頁~
    参加者:K・I、N・I、崎尾廣子、曽我亮子、たみ、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:崎尾 廣子
   司会とまとめ:鹿取 未放


338 永世中立の国にもとびきりの産業なしはるかなる憧れとして天にある山

      (当日意見)
★よく分からない。「国にも」の「も」が不思議だ。上の句は傲慢な感じがする。肯えない。
  (藤本)
★作者は平和に強い関心がある。地球のみんなが憧れる平和を体現すべくスイスは永世中立を宣言
 している国である。にもかかわらずそれを支える産業がないことへの驚きがこの歌にはある。ま
 た、中米にも永世中立国は在る。スイスは中立とはいえ武力は持っている。永世中立であること
 も、「天にある山」も世界の人々の憧れである。(たみ)
★藤本さんの発言の「国にも」の「も」の説明は、「たみ」さんの「にもかかわらず」の意見で解
 決する。また、「永世中立の国にもとびきりの産業なし」という上の句は事実を言っているだけ
 なので傲慢だとは思わない。トルコ詠の「苦悩なき顔もて貧しき老爺たち夕べのチャイを道にゐ
 て飲む」とか「宗教が貧しさを苦とせざることトルコの旅に憩ひさびしむ」という歌い方に会員
 から異議が唱えられたこともあったが、この歌はそれらの歌とはまた違うようだ。永世中立とい
 うすばらしい立場を保っている国にして、それを支える経済力を持つための産業がないことを作
 者は惜しんでいるのだろう。「はるかなる憧れとして」人間の思いの届かない「天にある山」だ
 けがあるのだ。だから、この山を観光資源として金を儲け、国を富ませればよい、という次元の
 話ではない。国の富と関係なく、ただただ美しい雪山が眼前に在る。この歌、結局その山への賛
 美にかえってゆくようだ。9・9・6・12・7と大幅な字余りになっているが、結句7音で引
 き締めているので、それほど字余りが気にならない一首だ。(鹿取)


      (まとめ)
 国民を豊かにする産業はないので、スイスは相対的には貧しい。そして雪を被った美しいアルプスだけがあっけらかんと聳えている。豊かな産業は何もないが、永世中立の国として世界から尊敬されている。しかし「天にある山」は人間や国のおもわくを超えて、ただ在る。その「ただ在る」状態にこそ作者は崇高さを感じ、讃美しているのだ。(鹿取)




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