馬場あき子の外国詠1首鑑賞 14
【牛】『ゆふがほの家』(2006年刊)P96
165 聖なるもの戦火にあはず生きうるや街に反芻(にれが)むヒンドゥーの牛
(レポート)(2009年9月)
一旦、その国に戦端が開かれれば、いかに聖なるものといえども戦火をまぬがれることは不可能でしょう。無心に草を食む聖牛の平和でのどかな様子を見るにつけ、戦争無き世を願われる馬場先生の熱いお心が私達を感動させます。(曽我亮子)
★どんな戦争があるのか。リアルでない。(慧子)
★「街に反芻むヒンドゥーの牛」には作者自身も投影しているのではないか。(藤本)
(まとめ)(2009年9月)
2003年当時、ネパールは長い内戦途上にあった。すなわち1996年から2006年まで11年間続いた政府軍とネパール共産党毛沢東主義派(マオイスト)との戦いである。マオイストは王制打破、ネパール人民共和国の樹立を目指して戦ったが、06年包括的和平合意で内戦は終結、国際連合ネパール支援団が停戦監視をしていた。
一方、王制については、01年の王族殺害事件、その後のギャネンドラ国王の親政、05年には絶対君主制導入と極端に暴走したが、08年5月、ネパール制憲議会が連邦民主共和制を宣言、240年間続いた王制に終止符が打たれた。その後も紆余曲折をたどって、現在暫定憲法・暫定政府のもと、22政党連立のマダグ・クマール・ネパールが首相の座に就いているようだ。(Wikipedia等を参照)
以上、ネパールの近年の政情をかいつまんで記したが、常に政情は不安定で、訪問した2003年も観光旅行は禁止される危惧もある状況であった。また、チベットの難民も多く流入していて、難民村などが造営されてもいた。(その一つをわれわれは訪ねたのだが。)だから「ヒンドゥーの牛」にとって戦火は絵空事ではなく常に身近に迫っていたのである。もちろん民衆にとっても同様で、この歌、牛を言いながら一般民衆のことにも思いを馳せているのであろう。そこに祈るような思いがひそむ。藤本さんの意見には反対で、牛に旅行者である作者は投影されていないだろう。それだと「聖なる」という形容が浮いてしまう。(鹿取未放)