五十路男の失敗日記

生涯独身男の青春の挽歌

たのしい切手集め(笑)とか

2013年11月25日 | その他・趣味
今日は、割とゆっくり過ごすことが出来ました。
昨日、兄を交えて家族会議した結果、抗癌剤やらない方向で決めました。
私が、両親と兄に説得された形…なのかなぁ?
父上もすっきりしたようです。

兄は、ちゃんとワシの持病のことも汲み取って、広い視野で話をしてくれました。
(○○(本名)、いつの間にこんな大人に…)と思ったカモネ!
ワシが現在でもいっぱいいっぱいだと、ちゃんと見抜いていたわ、兄者。

20代の頃だったか、ワシは兄にコンプレックスを持っていた時期がありました。
兄のように就職、結婚して幸せになれない自分には生きている価値が無いと思ってた。

でも、昨日はっきりと悟りました。
ワシは別に、兄のようにならなくてもいいんだ(ていうか、なれない)。
要は、役割分担です。
ワシは親と同居しているから、そばにいて面倒をみる。
兄は、不本意ながらもそばにいてやれないから資金援助をする。
それぞれが、やれることをやれば良いのです。それが家族。
卑下することはないんだ。

ネット友人のどなたかが仰っていたけど、就職、結婚が幸福とは限らない。
独身だったら不幸なのか?といえば、そんなことはなく。
いろいろな「幸せの形」があるのですよね。
もうなにがあってもくじけない。

いろいろあるけど、自分なりの良い人生を送れればそれで良いと確信した

くすぶっていた切手収集熱が再燃している感じ。
「もの好き」「ネクラ」「おっさん」等が、フィラテリーへの一般的イメージかと思います。
ワシが収集を始めた1980年頃には、まだ「趣味の王様」だったのにねぇ(ジジィ

トップのデジカメ写真は、米軍占領下の1971(昭和46)年8月発行予定だった「西表政府立公園」切手。
1972年5月の沖縄本土復帰まで、沖縄では「琉球郵便」と表示した独自の郵便切手を発行していました。
現在は、すべて使用禁止。
沖縄切手ブームなんてのも、70年頃にはあったそうです。

「西表政府立公園」切手は結局発行されず、ドルから円に切り替わるときに証紙として使われました。

  

こういう個人の住所氏名、金融機関名が書かれた書類に貼付されて「1972 復帰 琉球政府」の印が
押されています。
10年ほど前に購入した記憶が。少年時代には手が出ない切手(証紙)でした。

  
  政府立公園シリーズ全3種と

沖縄切手は、1988年頃、熱心に収集していました。
ドキドキしながら電車に乗って、新宿の切手屋さんに買いに行ったり。懐かしいなあ。
新元号は「平成」というニュースも、そんな時期に聞きました(買物のオバサンが話してた)。

  
「切手はアルバムリーフに収めるべし」という収集論がありましたが、最近は
ストックブックコレクターでも非難されることは無いようです。
昔の収集入門的な本を読むと、堅苦しくてちょっとどうかと…
とにかく収集人口が減りすぎている方が問題なのかもしれません。

この不況ですし、我が家も財政難ですからなかなか思うようにはいきませんが、
天文とともに一生続けたい趣味です。

……なんだこの真面目な記事は……(ボソッ