初夏の晴れた日。
世間は大型連休真っただ中。
ネクラな話をひとつ。
ふと思い立って、10年ぶりくらいに母校を訪ねてみた。
道路が空いていれば、バイクで40分くらい走れば着く場所なのだけど、
普段は渋滞が激しいために、そして何より、
恩師:「今、何をやっているんですか?」
ときかれるのが嫌で、海の彼方に見える大学のある街並を眺めているだけだった。
いざ行ってみると、さすがに街並も随分と様変わり。
人が多くなり、自動車の通りも激しい。
「鼠の国」からそれほど遠くない場所にあるので、当時から賑わいはある
街ではあったけれど。
(駅前は、「名探偵 保健室のオバさん」というドラマのロケ地でもあった)
学生の頃は、大学に着くとまず、トップ写真の掲示板を見る。
休講の告知とか、学生の呼び出しは全てこの掲示板で行われた。
もっとも、私は二部学生だったので、ここへ来るのはいつも夕方だったけど。
ちらほらと部活に勤しむ学生とすれ違いつつ、中に入ってみる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/31/f783bde2e59510b85548badaa6a88b99.jpg)
よくこのホールで、パニック発作の吐き気と戦っていたものだ…。
そのくせ、体調の良い時には喫煙してたりとか。
いろいろな講義の時間割が貼りだしてある。
自分の学科のところに行って、教員の名前を見る。
知っている教授が二人しかいない。。
うち一人は、私の卒業論文の指導教官で、当時は助教授(死語)だった。
年齢からして、すっかり偉くなられたに違いない。
時の流れを痛感させられた。
そして、当時のような「二部」という授業が無くなっていることも知った。
教員も学生も、夜遅くなって負担が大きいせいだろうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/64/d1/aa7e0d88bdfc7f0d0031c51bc776a29c_s.jpg)
うぅ……。
苦しかった昔のことを思い出したわけではないけれど、身体が拒絶反応を。。
ハァハァ…。吐き気に堪えながら、あの頃も通い続けたっけ。
這い出るようにしてバイクに乗り込み、感慨に浸る余裕も無く、大学を後にしたのだった…。
正直、身体が(神経が)ここまで拒絶反応を起こすとは夢にも思わなかった。
帰りは、途中からひどい渋滞。
仕方がないので、裏道を走ることに。
これまた急に思い立って、裏通りにある船だまりを見て行くことにする。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/fd/bf8d641751f630523dd04d230e199e47.jpg)
子供の頃に遊んだ船だまりの面影を残す漁港。
生活排水やら、工業排水やらで、水はどろんと濁って、ヘドロが浮いてる。
港の護岸も、青緑色の水も、ヘドロの匂いも、何もかもみな懐かしい…。
私の船だまりが埋め立てられたのは、1990年だった。跡地の公園なんか
要らないから、私の大事な思い出を返してくれ。
話が脱線しましたが…。
そういえば2003年だったか、大学で同期だった男と、大学の近くを走る電車内で
偶然にも再会したことを思い出した。
私はラフな格好をしていたけど、彼はスーツ姿で同僚らしい男性を連れていた。
学生の頃から付き合ってた彼女と結婚して、もう子供もいると言ってた。
その時の私の、何とも言えない「取り残され気分」。
彼は私よりも若いのに。自分はいったい何をやって…。
俺、この病気がよくなったら結婚するんだ…
世間は大型連休真っただ中。
ネクラな話をひとつ。
ふと思い立って、10年ぶりくらいに母校を訪ねてみた。
道路が空いていれば、バイクで40分くらい走れば着く場所なのだけど、
普段は渋滞が激しいために、そして何より、
恩師:「今、何をやっているんですか?」
ときかれるのが嫌で、海の彼方に見える大学のある街並を眺めているだけだった。
いざ行ってみると、さすがに街並も随分と様変わり。
人が多くなり、自動車の通りも激しい。
「鼠の国」からそれほど遠くない場所にあるので、当時から賑わいはある
街ではあったけれど。
(駅前は、「名探偵 保健室のオバさん」というドラマのロケ地でもあった)
学生の頃は、大学に着くとまず、トップ写真の掲示板を見る。
休講の告知とか、学生の呼び出しは全てこの掲示板で行われた。
もっとも、私は二部学生だったので、ここへ来るのはいつも夕方だったけど。
ちらほらと部活に勤しむ学生とすれ違いつつ、中に入ってみる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/31/f783bde2e59510b85548badaa6a88b99.jpg)
よくこのホールで、パニック発作の吐き気と戦っていたものだ…。
そのくせ、体調の良い時には喫煙してたりとか。
いろいろな講義の時間割が貼りだしてある。
自分の学科のところに行って、教員の名前を見る。
知っている教授が二人しかいない。。
うち一人は、私の卒業論文の指導教官で、当時は助教授(死語)だった。
年齢からして、すっかり偉くなられたに違いない。
時の流れを痛感させられた。
そして、当時のような「二部」という授業が無くなっていることも知った。
教員も学生も、夜遅くなって負担が大きいせいだろうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/64/d1/aa7e0d88bdfc7f0d0031c51bc776a29c_s.jpg)
うぅ……。
苦しかった昔のことを思い出したわけではないけれど、身体が拒絶反応を。。
ハァハァ…。吐き気に堪えながら、あの頃も通い続けたっけ。
這い出るようにしてバイクに乗り込み、感慨に浸る余裕も無く、大学を後にしたのだった…。
正直、身体が(神経が)ここまで拒絶反応を起こすとは夢にも思わなかった。
帰りは、途中からひどい渋滞。
仕方がないので、裏道を走ることに。
これまた急に思い立って、裏通りにある船だまりを見て行くことにする。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/fd/bf8d641751f630523dd04d230e199e47.jpg)
子供の頃に遊んだ船だまりの面影を残す漁港。
生活排水やら、工業排水やらで、水はどろんと濁って、ヘドロが浮いてる。
港の護岸も、青緑色の水も、ヘドロの匂いも、何もかもみな懐かしい…。
私の船だまりが埋め立てられたのは、1990年だった。跡地の公園なんか
要らないから、私の大事な思い出を返してくれ。
話が脱線しましたが…。
そういえば2003年だったか、大学で同期だった男と、大学の近くを走る電車内で
偶然にも再会したことを思い出した。
私はラフな格好をしていたけど、彼はスーツ姿で同僚らしい男性を連れていた。
学生の頃から付き合ってた彼女と結婚して、もう子供もいると言ってた。
その時の私の、何とも言えない「取り残され気分」。
彼は私よりも若いのに。自分はいったい何をやって…。
俺、この病気がよくなったら結婚するんだ…