五十路男の失敗日記

生涯独身男の青春の挽歌

懐かしき母校

2010年05月01日 | 雑記
初夏の晴れた日。
世間は大型連休真っただ中。
ネクラな話をひとつ。


ふと思い立って、10年ぶりくらいに母校を訪ねてみた。

道路が空いていれば、バイクで40分くらい走れば着く場所なのだけど、
普段は渋滞が激しいために、そして何より、
恩師:「今、何をやっているんですか?」
ときかれるのが嫌で、海の彼方に見える大学のある街並を眺めているだけだった。

いざ行ってみると、さすがに街並も随分と様変わり。
人が多くなり、自動車の通りも激しい。
「鼠の国」からそれほど遠くない場所にあるので、当時から賑わいはある
街ではあったけれど。
(駅前は、「名探偵 保健室のオバさん」というドラマのロケ地でもあった)

学生の頃は、大学に着くとまず、トップ写真の掲示板を見る。
休講の告知とか、学生の呼び出しは全てこの掲示板で行われた。
もっとも、私は二部学生だったので、ここへ来るのはいつも夕方だったけど。

ちらほらと部活に勤しむ学生とすれ違いつつ、中に入ってみる。

  

よくこのホールで、パニック発作の吐き気と戦っていたものだ…。
そのくせ、体調の良い時には喫煙してたりとか。

いろいろな講義の時間割が貼りだしてある。
自分の学科のところに行って、教員の名前を見る。
知っている教授が二人しかいない。。
うち一人は、私の卒業論文の指導教官で、当時は助教授(死語)だった。
年齢からして、すっかり偉くなられたに違いない。
時の流れを痛感させられた。

そして、当時のような「二部」という授業が無くなっていることも知った。
教員も学生も、夜遅くなって負担が大きいせいだろうか。

  

うぅ……。
苦しかった昔のことを思い出したわけではないけれど、身体が拒絶反応を。。
ハァハァ…。吐き気に堪えながら、あの頃も通い続けたっけ。
這い出るようにしてバイクに乗り込み、感慨に浸る余裕も無く、大学を後にしたのだった…。
正直、身体が(神経が)ここまで拒絶反応を起こすとは夢にも思わなかった。

帰りは、途中からひどい渋滞。
仕方がないので、裏道を走ることに。
これまた急に思い立って、裏通りにある船だまりを見て行くことにする。

  

子供の頃に遊んだ船だまりの面影を残す漁港。
生活排水やら、工業排水やらで、水はどろんと濁って、ヘドロが浮いてる。
港の護岸も、青緑色の水も、ヘドロの匂いも、何もかもみな懐かしい…。
私の船だまりが埋め立てられたのは、1990年だった。跡地の公園なんか
要らないから、私の大事な思い出を返してくれ。


話が脱線しましたが…。
そういえば2003年だったか、大学で同期だった男と、大学の近くを走る電車内で
偶然にも再会したことを思い出した。
私はラフな格好をしていたけど、彼はスーツ姿で同僚らしい男性を連れていた。
学生の頃から付き合ってた彼女と結婚して、もう子供もいると言ってた。

その時の私の、何とも言えない「取り残され気分」。
彼は私よりも若いのに。自分はいったい何をやって…。

俺、この病気がよくなったら結婚するんだ…