「それってホントに?」
という噂話は数多く存在する
読者の皆さんはそんな噂を信じるタイプだろうか?
どうだろう・・私は話半分という感じなのだ
自分に都合が良い話は信じるという・・
ギター界隈にも色々な都市伝説があるのだ
噂話には特に根拠はないのだ
それこそが噂話なのだ
話が伝達される過程で盛られることも多々ある
”ギターが下手な人は散財する・・・”
という噂は昔から存在する
この話に関しては私は信じている
私にもそんな時代があった
ギターは良く分からないが何か楽しい・・
という微妙な時期なのだ
「万能ギターって無敵じゃない?」
と信じていた時期とも重なる
要するに自分が何を求めているかが分かっていないのだ
ハムにもシングルにも切り替わる・・
便利なようで何となく中途半端な印象も否めない
ハムバッカー一辺倒だった私がシングルの必要に気づいたのは良いこと
それに気づかぬままにギター道に幕を下ろす人も少なくない
「こんな音じゃないんだよね~」
とにかく迷っているのだ
ブリッジは可変が良いのか?
固定タイプが良いのか?
はたまた、フロイドタイプは無敵なのか?
こんなギターが流行っていたとう時代背景もある
レスポールの購入で迷っていた時期にこのギターを買った
何か違うのだ
マルチやアナログ系のエフェクターを鬼のように買い漁っていた時期とも重なる
まさに鬼のような・・
いくら使ったのだろうか?
廉価なれど、積み重なれば相当な金額になると思う
何を買っても満足できなかった
「違うんだよなぁ・・」
「こんな音じゃないよ」
とにかくギターや機材有りきの発想だった
そこに自分の技量は加味されていない
振り返れば不思議なのだ
下手な人は自分を客観視することが出来ない
まさに当時の私の話なのだ
面白いことに自分が上手くなってくると上手い人のプレイが理解できるようになる
YouTubeなどの動画を観ているだけでその人の技量が分かる
先日もBlackstarのアンプを検索していた
「この人って上手いなぁ・・」
そんなコメントも多かった
上手い人が弾けば電池駆動のアンプでも上手に鳴らすのだ
その逆も然りということに尽きる
クラプトンの黄金期を飾ったギターは30万円前後のニコイチギターなのだ
ブラッキーとブラウニーなのだ
6本買ったストラトの良いパーツを組み合わせた改造ギター
最終的にはオークションで1億5000万円で落札された
米国の有名な楽器屋の本社社屋の玄関で見ることが出来るという
このギターに価値があるのではない
このギターを使って名演を生み出したクラプトンに価値があるのだ
伝説に大枚を支払うのはカッコいい!
ジミヘンも知人からプレゼントされたギターが最愛のギターだった
レギュラーラインの白いストラトなのだ
ペイジ師匠のレスポールもレギュラーラインの製品なのだ
ジェフベックのストラトもレギュラーラインをカスタムしたギター
そこに過剰な贅沢は存在しない
根拠のない高額なギターに心躍らされるのは日本人だけなのだ
世界のメーカーはその辺りを良く知っている
ギター以外のブランド品も日本に押し寄せている
良いカモなのだ
繰り返しになるが・・
上手い人は道具を選ばない
達筆なお坊さんも筆を選ばない
いつも古の諺には関心させられる
「先人にも色々と考えていた人がいたんだなぁ・・」
同時に人間は時代を超えてもそう大きくは変わっていないということ
時代を超えて変化しないのはギターと車のワイパーだけ
何故だろうか?
一世紀という時代を経ても何も変化しない
ということなのだ
続いては弦に関する都市伝説
”コーティング弦は長い間、新品状態の弾き心地を維持できる・・”
長い間とはどのくらいの期間だろうか?
これは難しい問題だと思う
好みと言ってしまえばそれまでなのだ
私はノンコーティング派なのだ
弦にお化粧は必要ないと考えているのだ
定番の弦が弾き難い、滑り難いと感じたことがない
お守りとして潤滑スプレーを常備しているがあまり使わない
「弦交換が面倒臭いなぁ・・」
「もう少し使うかなぁ?」
というタイミングでの使用が多い
つまり、演奏中というよりは演奏後での使用が多いのだ
私も過去にコーティング弦を試したことがある
当時に弦には違和感を覚えた
「最近の弦はかなり進化してますよ」
「一度試してみたらどうですか?」
と楽器屋さんに勧められることも多い
正直な話、試す必要が感じられない
現状の定番弦に何の不満もないのだ
人間は不満があるからこそ改善を試みる
不満を感じるから買い換えるのだ
考えてみれば、現状維持は素晴らしいことだと思う
ギター弾きにとって幸せなことだと思える
余計なことで悩み、時間とお金をかけるのはある種の浪費だと思う
その時間と手間を他に費やしたいと考える
時間はお金では買えないのだ
弦の滑りの悪さは弦だけが原因だろうか?
指先が硬くなれば、自然に指が滑るようになってくる
そこまでが長いのだ
指先が石のように硬くなる人は0.1%にも満たないと思う
どうだろうか?
読者の皆さんのお知り合いにそんなギター弾きがいるだろうか?
少なくとも私は知らない
ジミヘンやクラプトンの指が硬かったか?は知らないが・・
巧みで特殊な指先を持っていたことは間違いない事実だと思う
考えてみれば、当時にはコーティング弦など存在しない
先人たちはそんな状況に文句を言っただろうか?
人間は進化する、環境に適応する
動物としてそんな本能を兼ね備えているのだ
上手いギター弾きは感性で音の配置を考える、そして本能で演奏として起こすのだ
時には理論的な発想で指板を捉えることも大事だがいつまでもそれを続けていても意味がない
そこの成長はあり得ない
優れたお坊さんが筆を選ばないように上手いギター弾きは弦も選ばない
世界基準には意味と価値がある
弦が滑るようになって上手く弾けるのだろうか?
私はむしろ、滑らないようにピックを当てる技術を編み出した
もちろん、速弾きなどのプレイには向かない
ガリッとしたエッジが効いた音はブルースなどに向いている
繰り返しになるが私は滑らない状態を欲することがあるということ
ギターはキレイに弾くだけが美徳ではない
時にノイズや音痴を味方につけることも大事なのだ
ミスを色気に結びつけるのも技量だと思う
ジミヘンが存命していた時代は一発録りも多かった
多少のミスはそのまま録音してしまったようだ
マニア層ともなるとご丁寧にミスまで忠実にコピーしてしまう
ヘタウマと称されるペイジ師匠のギターソロには色気がある
あのタイム感は再現できない
私も死ぬほどコピーに明け暮れた日々がある
今は良い意味で諦めたのだ
違った意味でギターの魅力を再発見した
脱線したが・・・
続いては中古ギターの都市伝説・・
中古ギターは音が良いか?
音の良さは感じ方だと思う
個人的には新品が好きなのだ
中古ギターの多くは前のオーナーの癖が染みついている
これが厄介なのだ
場合によると得体の知れない臭いが染みていることも多い
私も勉強の為に何本か中古ギターを買ったことがある
ヴィンテージと中古ギターの境界線も難しいところ
明確な線引きは誰もできない
一つ言えることは時代が古いギターは痛んでいるということ
新品ギターのようにアクセル全開は無理
ギターの扱いに慣れているということが大前提になってくる
弱っていることを理解して購入するのがお約束なのだ
車やバイクにも言えるが・・
時間を買っているという感覚が必要なのだと思う
自分が使っていたギターならなお良いと思う
「他人の思い出を買ってもねぇ・・」
は私の本音なのだ
私も40年くらい前に日本製のエレキを多数持っていた
親戚に楽器屋さんの卸に勤めていた者がいた
「傷物だから安く買えたよ」
今では消えてしまった謎のメーカーが多々あったのだ
「勿体無いですね~ 弾いてみたかったですね」
楽器屋さんからも惜しまれる
私も同感なのだ
タイムマシーンがあれば、ギターが消失した時間に戻りたい
過去に戻れないからこそ時間が大事なのだ
過去の分岐点の間違った選択を修正できれば人生も変わっていたと思う
人間は色々な物を失って生きているのだ
後悔があるから人生は楽しいのだと思う
私は色々な事やものを諦めてきた
そんななかでギターだけは数十年も続けているのだ
続けているのか?
続けられているのか?
どちらの表現が正しいのかは分からない
いずれにしても今現在もギターを弾いていることが事実なのだ
私は新品のギターを買って弾き続けることが良いと思う
漠然とそんな結論に達したのだ
ある一流のプロが言っていた
「ヴィンテージは好きな音だけど・・」
「レコーディングには使えないよね」
「今は自宅のソファで弾いているよ」
時価総額6000万円相当のギターなのだ
「良いのがあったから現地で買ったんだよ」
「考えてると売れちゃうからね そうだろ?」
一流のプロの言葉は本当にカッコいい!
私の知り合いにもプロがいる
二足のわらじなのだ
ギターや音楽だけで生計が立てられる人は尊敬してしまう
「ギター一本で食べてる人ってほんとに凄いよね」
私はギターが趣味で良かったと思っている
このブログも趣味で良かったと思っているのだ
プロの世界は厳しい
人気や需要がなければ降板を命じられてしまう
辛いのは自分ではない家族なのだ
「パパ頑張ってね・・」
続いては作曲に関する都市伝説・・
「作曲したいんですけどギターを習った方がいいですか?」
「ギター弾いてるんですけど、作曲ってどうするんですか?」
ネットなどの質問コーナーでチラホラ見かける
これまた難しい問題だと思う
天才ベートーヴェンは盲目になった後で楽器無しで『第九』を書き上げた
頭に浮かんだ音符をどんどんと楽譜に書き込んでいく
まさに天才なのだ
音楽の世界と時として神がかっていることも多い
そういう神話も少なくない
天才ポールマッカートニーも名曲イエスタデイを高校二年の時に自宅のベッドで作ったのだ
ごろんと寝転んで弾いた曲があの曲なのだ
「歌詞も同時に閃いたんだよね」
まさに天才なのだ
ジミヘンのリトルウイングも自宅での部屋弾きで生まれた曲なのだ
亡き母親を思い浮かべた曲だと言われている
コードワークが天才なのだ
コピーしてみると分かるのだ
コピーも難儀だが・・
あれを作曲した人が数十年前に存在した事実が驚異なのだ
当時は自然発生的に生まれた曲も多かったという
特にロック系の人の作曲に決まりはないようだ
私の周囲にもギターはチョロチョロと弾けるが作曲を謳う人は皆無
「そもそも作曲ってどうやるの?」
「まぁ 作曲もしたくないけどね」
凡人の発想は常にネガティブなのだ
ギターには何も賭けていないのだ
賭けるものが他にあるのだと思う
耳に馴染んだコード進行を並べただけのフレーズは作曲ではない
まぁ、私もそんな感じになってしまうことが多い
幸いにも近年の私は引き出しが膨大に増えているのだ
毎日ギターに触れている賜物であり贈り物だと思う
「この響きっていいなぁ・・」
とにかく縦横無尽にコードを並べてそれっぽく弾けるようになってきた
「それって誰の曲?」
知り合いに尋ねられるのだ
誰かの曲に似ているだろうか?
似ているのだと思う
好きなギタリストに似ていると言われることは光栄なこと
目指すべきベクトルが合致した瞬間なのだ
彷徨えるギター弾きはいまだに着地点が見いだせない
「俺ってどこに向かってるんだろ?」
「俺の好きな音ってどんなかなぁ?」
読者の皆さんの中にも発展途上の方がいると思う
何でも屋になるのは止めた方が良いと思う
「俺はカッティング職人になるぞ!」
という感じで目標を明確にした方が良いと思う
むしろ、それが上達の近道になることも多い
心を無にしてアホのようにカッティングに興じることがある
とにかく同じコードで延々とカッティングを続けるのだ
もはや荒行にも近い
「ミュートってこんな感じなんだ」
「短音カッティングってこんな感じね」
という感じで気づくことも多い
独り言も多い
ギターの練習は暗く地味で長い旅のような物なのだ
「あの人って何で上手いの?」
読者の知り合いも見えないところで努力しているのだ
ギターが上手い人は辛い練習を楽しく行う術を知っているのだ
勉強が得意な人と同じ発想なのだ
動物の中でも人間くらい怠けな動物はいない
気が付けば楽な方へと流れてしまう
仕事や学業ならば少しは辛抱も生まれるがそれが趣味ならはあり得ない
趣味のギターに努力はあり得ない
努力を回避して成果だけを願う
それも人間なのだ
ある意味でギターは平等なのだ
ギターと真剣に向き合った成果が結果としてフィードバックされる
「俺 結構、金もかけて頑張ってるけど・・」
「まったく成果が見えてこないんだけど何で?」
方法が間違っているのだ
空回りも人生なのだ
ギター道に空回りは付きものなのだ
むしろ、失敗しないギター弾きは成長しない
「俺さ 無駄遣いとか一切しないから」
「だって金が勿体無いだろ? だよね?」
浪費癖がある人もダメだが極度の倹約家もこれまたダメなのだ
ギターの音に色気がないのだ
ギターは勉強ではないのだ
ギターは音楽を奏でる
音楽はアートなのだ
私も散財の果ての今日があるのだ
とにかくギターに関する経験は結構積んできた
ライブやレコーディングなど失敗の連続だった
それもすべて自分引き出しになっているのだ
まぁ、ギターの関する都市伝説はいろいろと飛び交っている
話半分で信じてみるのも楽しいと思う😉