テレキャス&ストラトの部屋

RolandのGT-001とzoomMS-50GでDAW制作を楽しんでいるよ

ギターはひとりで練習した方が良い事もある

2023年04月15日 | 楽器
本日は少しだけ時間があるので調子に乗っての連貼りなのだ

とにかく、言いたい事や伝えたいことが渋滞しているのだ

溜まっているのだ

私の周囲にはギターの練習が下手な人が多い

何かと理由をつけては練習をサボっている

余計なお世話だがそれでは一生上手くならない

ある段階まではギターに触れた時間と上達は比例&連動している

ギターを眺めていても上手くならない

遠くを見つめながら夢見心地でも上手くならない

何事においても実が伴わない人はダメなのだ

妄想や空想は何も生まない

練習に他人を当てにしてはダメなのだ

「バンドのメンバーが集まらないから練習は中止な」

良くある話なのだ

何故だかひとりではギターが弾けない人が多い

私も数々のバンドに参加し渡り歩いてきたが今はひとりになった

簡易なセッションなどに参加することも良い刺激になっているのだ

音楽は勢いやノリで良いと思う

私は計画を100%遂行させたい性格なのだ

それがバンドの練習ですら計画が狂うことが嫌なのだ

誰かと予定組むことがストレスになることも多い

私もその日にスケジュールを空けて準備しているのだ

「女房の機嫌が悪いからさ・・ 今日は休むわ」

そんな言い訳が通用するのだろうか?

仕事では通用しない

趣味のギターを甘く見ているのだと思う

そんな性格の人間が自宅で一生懸命に練習しているとは思えない

何となくな雰囲気で弾いている姿を見るのもストレスになる

自分よりもストイックで上手い人と弾いてみたくなった時期がある

新たなバンドのメンバーを探すよりも一人という道を選んだのだ

結果は大正解だった気がする

私のお友達はMTRなのだ


これが一台あれば何でも出来る

時間の都合なども気にしなくて済む

他人に気を使わせることも気を使うこともない

ここ最近の私は雑多な作業に追われて多忙な日々を送っているのだ

以前にも増して他人とスケジュールを合わせることが困難なのだ

他人に迷惑をかけられるよりも迷惑をかける方がストレスになる

私は待ち合わせの場所に必ず早く到着する

これは性格であり性分なのだ

良くも悪くも直らない

直す必要もないと思う

後継機種が発売になったが微妙な点が好みに合わない

私にはこれで十分なのだ

もう一台のMTRも大事な存在


この二台があればかなりのイメージが具現化できる

最近はパソコンの音楽ソフトを立ち上げる機会が少なくなった

そこまで本格的に作曲するという意欲も薄れている

とにかく時間が許す限りギターを弾きたいだけなのだ

良い意味でギターを弾くことに飢えているのだ

カッコいい曲などを聴いていると何となく真似したくなってくる

雑用をしながらウズウズモヤモヤしてくるのだ

日によっては就寝前の僅かな時間しか弾く事が出来ないこともある

そんな枯渇した環境がより一層ギター純度をアップさせている気がするのだ

「なんか暇だし・・ギターでも弾くかぁ?」

というダラダラ弾きの真逆の状況なのだ

おそらく人生において公私ともに最も多忙な時期だと思える

それも含めて良い経験になっている気がしているのだ

物理的にギターを弾く時間が少なくなっているのに自分レベルでは上手くなっている気がするのだ

あくまでも私の私感だがギターが歌っているように感じる

自己満足くらい安上がりなものはない

「MTRって実際のところどうなの?」

いまだにそんな声を耳にすることもあるのだ

自分に絶対服従なドラムをバックにバッキングを練習するだけでも意義がある

人間のように不平を言ったり弱音を吐いたりしない

それが機械なのだ

私は自分でも呆れるくらいにギターを弾き続けることがある

とにかく狂ったようにカッティングなど弾き倒すことがある

ギターを弾いている時は無になれる

そんなハードな練習にもMTRはついてくる

機械を擬人化するつもりはないが良い仲間だと思う

色々な事情でぼっちでギターを弾いている人も多いと思う

ぼっちな環境を前向きに捉えることが大事だと思う

ギターを弾く目的を良く考えてみると良いと思う

以前にもお話したが上手くなるには自分の下手さを知ること

下手さを知るには録音するのだ

録音した音を客観的に耳を傾けるのだ

すべての始まりはそこだと思う

自分の演奏を自画自賛できるようになれば確実に上手くなっているはず

ギターの上達を数値化することはできない

非常に曖昧で客観的な世界なのだ

何が正解なのか?

答えは誰にもわからない

幸いにも進むべき道が見えた人は伸びると思う

一生、迷い人で終わる人も少なくない

ギターを買った記憶は残っているがそれで何を弾いたのかを覚えていない

一生に一曲で良いのだ

イントロからエンディングまで弾ける曲が欲しいところ

他人の前で胸を張って演奏できる曲やリックが欲しい

練習しているところを他人に見せて(知られて)はダメなのだ

「練習? 特にしてないけどねぇ・・」

という感じでサラッとカッコいいリックを披露したい

ギターは楽しくカッコ良く気持ちが良い存在でありたい

久しぶりの投稿で好き勝手なことを書いてしまったが・・

それが私の本音なのだ











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ギターを買い換える前にすべきこと

2023年04月15日 | 楽器
唐突だが読者のみなさんはギターメンテが得意だろうか?

ギター弾きとして最低限の知識と技術は身につけておいた方が良いと思う

メンテ専門の書籍なども販売されてるようだが日常のメンテならば不要だと思う

ギターの演奏が上手い人は総じてメンテも上手いという事が多い

そもそも、ダメダメなメンテで良い演奏など無理なのだ

不健康な状態で良い記録に挑戦するようなもの

ネットなどを検索すれば、メンテ情報にヒットする

一般的な数値を参考にするも自分のギターに合わせて微調整する必要がある

実はそのさじ加減が一番難しい部分でもあるのだ

難しい部分でもあるがそれは同時に楽しい部分でもあるのだ

「俺のギターってイマイチなんだよなぁ」

「なんかイマイチ音抜けが悪いし微妙・・」

良く耳にする愚痴なのだ

本当にギターが悪いのだろうか?

そもそも、悪いという場合には何が悪いのだろうか?

エレキのメンテのツボはズバリ二点だけ

ピックアップの調整とネックの調整



ピックアップの高さ調整は本当に重要であり効果は絶大なのだ

詳しくはネットで適正な数値などを検索してみていただきたい

特に磁力が強いシングルの場合にはかなりシビアな調整が求められる

ジミヘンばりのコード崩しを体得したようなレベルの人は日常的にピックアップの高さ調整が出来ている

所謂、鈴鳴りのような音は適正な高さと演奏技術から生まれる

正直な話、ハムバッカーと同じような弾き方しか出来ない人にとってシングル系のギターは宝の持ち腐れなのだ


勿論、ゴリゴリに歪ませたシングルの音も悪くないがそれだけでもない

シングル使いとしてはジョン・フルシアンテなどが良いお手本だと思う

クリーンから強めの歪みまで守備範囲が広い

一流のプロとなんちゃってな素人さんとの大きな違いはそこにある

似たようなギターや機材を揃えても近づくことができない壁がある

ギターセンスがある人は初心者でもそれなりに爪痕を残す

「あれ? 上手くなったね~」

スポンジにようにギターを体得するのだ

一方でギターセンスがない人は何年、何十年とギターを弾いても進歩がない

部屋の壁のオブジェと化し押し入れの肥やしになっているのだ

他人に趣味と問われれば何となく勢いでギターと答えてしまう

ギターが上達しない人からは何も生まれない

ギターを弾かないのだから疑問も生まれない

特に困難も悩みもないのだ

それでも新しいギターを買おうとする人は少しはマシだと思う

ギター業界に貢献しつつ、経済の活性化に少しは貢献しているのだ

物を買うことは美徳なのだ

それが自分にとって必要ならば尚更なのだ

楽器屋さんにとってそのギターがお客さんにとって必要であるか?は関係ない

そのギターが似合うか?も興味がないのだ

オシャレなブティックで似合わない洋服を勧められるようなもの

お客さんがお金を落としてくれるか?

問題はそれだけなのだ

結果的に良いお客さんが育たない

ギター業界くらいお客さんを育ててこなかった業界はないと思う

少なくとも私はそう感じているのだ

「とりあえずギターを買ってみたけどぉ・・・」

という人が多いのも事実

「まっ ギターってカッケ~しなぁ」

「ギターやってるとモテるんじゃね?」

という安易な感じで始める人も多い

実は私もそんな不純な動機でギターを始めたのだ

大昔の懐かしい思い出なのだ

何故だかギターだけは飽きずに続いているのだ

ギターとの相性が良いのだと思う

上手い下手というよりは馬が合うのだ

趣味にとってそれも必須な条件だと思う

ギターが合わない人は早々にケジメをつけた方が無難だと思う

一念発起でギター練習頑張るのも一考だが・・

無理があるような気もする

良いギターの条件にネックのコンディションがある


手に良く馴染む太さと適度な重量感が不可欠なのだ

良いギターはそれらを満たしている

廉価のギターからそこそこの値段のギターに持ち替えた時に感じる部分

逆にそれを感じないという人がいるならばギターを諦めた方が良い

一流の中華を食べても家庭で作る麻婆豆腐との違いがわからない

何となく似ているような気がする

言葉は悪いが・・

馬鹿舌なのだ

ギターを上手く弾くにはそれ以前のお膳立てと心の準備が不可欠なのだ


ギターを理解している人は細胞レベルでギターが染みている

一方でギターがわからない人は煮ても焼いても難しいものがある

好きという気持ちや憧れの気持ちに偽りはないのだろうが向いていない

読者のみなさんは如何だろうか?


人生には色々な楽しみがある

ギター弾きにとっての楽しみは何か?

仲間とワイワイも楽しいが・・・

ストイックに攻める人はさらに一段上を目指す

自分が思い描いた音が出せた瞬間くらい悦に浸れる時間はない


ギターという楽器は一人で楽しむものだと考えているのだ

悦る時に他人は邪魔だと感じることも多い

「ギターって一人が楽しくない?」

と感じられればそれも上達の証だと思える


エレキでもアコギでも時間が許せば延々と遊んでいられる



とにかく時間が許すかぎりギターを弾いていたい衝動に駆られる

ギターに飢えているのだ

ギター弾きとして幸せだと感じる

伸び悩んだ時期もあったがギターに飽きたことはない

ギターを抱え触れる度に何かの新しい発見があるのだ

メンテの話から少し脱線したが・・・

”ギターは楽し・・”

ということなのだ











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久しぶりのブログ投稿なのだ

2023年04月15日 | 楽器
読者のみなさん、お久しぶりなのだ

前回のブログ投稿から一ヶ月以上が経過してしまった

投稿したい気持ちを抱えて悶々としていたのだ

無投稿が続いているにも関わらず飽きることなく通ってくださる読者のみなさんに感謝!!

連日、1,000人を超える読者のみなさんが訪問してくれていたのだ

読者のみなさんの熱意とストイックさに脱帽なのだ

私のエネルギー源になっていることは間違いないと思う

若い頃から努力や苦労は厭わないが無反応が苦手なのだ

誰も読んでくれないブログなど投稿する気にもならないと思う

少なくとも私はそんな感じなのだ

ブログに関係なく相変わらずギターは弾き続けているのだ

ギターに関しては癒やしであり息抜きになっているのだ

自分がイメージした音やフレーズが浮かんだ時の萌え感はハンパない

それに尽きると思う

最近はすっかりエレキ弾きになっているのだ

以前に狂ったように弾いていたアコギ熱も落ち着いた

自分でも不思議なのだ

何のスイッチが入るのだろうか?

たまにアコギを抱えれば楽しいのだ

エレキもアコギも満遍なく弾かなくちゃダメだね・・

という時期は大昔に過ぎてしまった

私くらいの年齢になると『偏食』でも良いと感じる

弾きたい楽器に向き合えば良いと思う

上達という成果も求めていない

下手になることは嫌だが上手くなる必要もない気がしている

速弾きなどで運動神経が良い若い世代のギター弾きにライバル心を燃やす必要はないと思う

経験という引き出しで勝負したいと思う

ペンタ一本で40年以上ギターを弾いているのだ

不思議なことに飽きることがない

少ないフレーズを創意工夫で連結などして楽しんでいるのだ

ここ最近はジョン・フルシアンテに夢中になっているのだ

今更だが初期のアルバムを中心にヘビーローテで聴いているのだ

徹底的に聴くことで脳が音に反応するのだ

特に意識はしていなくても何らかの影響を受けるものなのだ

ギターの経験値が少ない時期は徹底して完コピに励むべきだと思う

特に意味など考える必要はないのだ

とにかく真似ることに意義がある

少しギターが弾けるようになったなら音の意味を考えると良いと思う

何故そのフレーズなのか?

作曲などを目指す人はコード進行に耳を傾けてみるのも良いと思う

それこそがギター上達の秘訣だと思う

「何でアドリブが弾けるの?」

良くある疑問なのだ

考えてギターを弾くことを経験した人は自然発生的にアドリブが弾ける

掘り下げれば音楽理論などもあるのだが・・

Rock系の場合には難しい理屈は抜きで良いと思う

カッコいいか?

それだけなのだ

自分で弾くにせよ、他人のギターを聴くにせよ

そんなものだと思う

ギターの選択もエフェクターや弦などの周辺機材も目的到達のツールに過ぎない

ギターを選んだだけで果ててしまってはダメなのだ

買ったギターで何をするのか?

何の為にギターを買ったのか?

自問自答してみると良いと思う

ギター熱が盛り上がり、自覚できるほどに上達しているならばギターをグレードアップさせるのも一考

良いギターや値段が高いギターは弾きやすい

音が良いと勘違いしている人も多いようだが・・

むしろ、弾き心地に差が出ると思った方が良い

実際に弾き比べてみると差は感じられるが値段ほどの差は無い

3万円のギターと30万円のギターの差は言うほど感じられない

しかしながら弾き心地は雲泥の差ということも多い

何が違うのか?

個人的にはネック周辺に秘密があるような気がする

ネックはエレキの心臓部なのだ

フレットや指板など弾き心地を左右する重要なパーツが目白押し

良いネックを持つギターは良く響く

良いギターを生音で弾いてみると良く分かる

良く響くエレキはアンプレスでも楽しいもの

私は床に横になったまま暗闇でエレキを爪弾くことが多い

就寝前の儀式?になっているのだ

起床前の僅かな時間に同じような感じで爪弾くことも多い

指弾きでブルースという流れになってしまうが・・

これが最高に楽しいのだ

ギターの成長が一番感じられる瞬間なのだ

ギターの材の違いなども如実に感じられる

アッシュ材のドラゴンテレ



アルダー材のストラト


どちらも私の好みの音と弾き心地を持つが別物

この二本を弾いた音で廉価の黒テレを弾くと違和感を覚える

ギターとして劣るような感覚なのだ

廉価の黒テレも単体で弾いている時には楽しいのだ

まったくもってギターは不思議な存在だと思う



ギター弾きにとって何が重要なのか?

それはギターを弾くことなのだ

非常に当たり前の事を言っているがこれが実行出来ていない人が多いようだ

私の知り合いにも多いのだ

忙しいということを言い訳にギターを弾く事をサボっているのだ

眺めているだけではギターは上手くならない

弾いた時間と上達が比例するか?

これに関しては微妙なのだ

ギターを弾くことを苦痛に感じているならば潔く止めてしまえば良いと思う

壁に飾っている(スタンドに立てかけている)可哀想なギターを眺める度に辛くなってくる

ギターは家電ではないのだ

買っただけで何とかなるほど甘くない

賢明なる読者のみなさんは重々承知していると思う

弾かないギターくらい切なく悲しい存在はない

ギターには好循環と悪循環の境がある

ギターが上手くなればさらに弾きたくなってくる

弾けばさらに上手くなってくるのだ

手持ちのギターが少し物足りなくなってくる

ギターの買い替えや買い増しの良い機会なのだ

「ギター買い換えれば上手くなるんじゃね?」

は勘違いなのだ

これは高価なエフェクターなどの購入にも言えること

納得いかない音の原因は自分自身にあるということも多々ある

結局のところ、ギターは技術がすべてなのだ

遅ればせながらも私はそれに気付いたのだ

これに気付けば無駄な散財が終わるのだ

勿論、すべての買い物を否定しているのではないのだ

必要な物はケチることなく積極的に購入すべきだと思う

以前はギター弦も定期的に交換していた

車のオイル交換のような感覚で弦を交換していた

弾かなくても時間経過で弦をマメに交換していた

最近は良い意味でサボっているのだ



極端な話、切れるまで使うことも多くなった

先日はストラトがチューニング中に切れた

ヘッドのペグポストの付近が切れたのだ

良い機会なのですべての弦を交換したのだ

新品弦は良い響きだが劇的というほどの感動もない

劣化した弦は音の伸びが悪いという

それも半分は事実だが半分は不正解

エレキの場合、サスティンは指先(ビブラート)でコントロールする

上手い人はグリグリと弦をフレットに擦り延々と音を伸ばす

当然ながらフレットは摩耗する

粗悪なフレットはすぐにザラザラになってしまう

摩耗も早い

良いギターに使われているフレットは良い感じで摩耗する

言葉では伝わり難いと思うが・・・

摩耗を嫌いステンレスに交換する人もいる

私は苦手なのだ

フレットが摩耗するのも音のうちだと思っている

フレットが擦り減っているギターはギター弾きの勲章

すべてのフレットが均等に磨り減っているギターは褒められる

ギターを良く理解している人にはわかってもらえるはず

優秀なリペアマンや楽器店の店員さんはそういう部分を見ているのだ

修理で持ち込まれたギターでお客さんの経験と技量がわかるという

ギターは語るのだ

フレットが磨り減っていないギターのヘビーなレリック加工は痛い

良い塩梅を見極めるのもギター弾きのセンスだと思う

話は変わるが・・

読者のみなさんはどんな環境でギターを弾いているだろうか?

お勧めは簡易なMTRなのだ

古参ながらも現役選手


このマシンで二台目なのだ

買い替えまでに何度か修理しているのだ

簡易な作曲から日々の練習まで守備範囲は広い

使い方はアイディアしだいなのだ

使い方をレビューしている動画を見かけることがあるが少し物足りない

個人的にはもっと音が聴きたい

ということで今回は本機を使ったサンプル音源をサクサクッと作ってみた

イメージ的にはジョン・フルシアンテなのだ

氏の曲を聴いているうちに氏が好むコードワークが見えてきた

ソロフレーズの中にはそれっぽい雰囲気が加味されるようになってきた

あくまでも個人的な見解だが・・

感じ方は千差万別ということなのだ

ジョン・フルシアンテやレッチリを神格化している人も多い

そういう人の前で言葉を選ぶのだ

「レッチリ風に弾いてみたけどぉ・・」

は通用しないのだ

完コピ意外は認めないという空気感が張り詰めている

私は少々息苦しさを感じてしまう

どんなギタリストも最初は誰の真似事からスタートしたのだ

コピーをしている段階で自分というフィルターを通してオリジナリティを見出すのだ

世には生涯コピーで終える人も多い

それはそれで否定はしないが・・

それは私が目指すゴールではない気がしているのだ


今回の楽曲はメインのリード部分にテレキャスを使用

左右のバッキング部分にストラトを使用した

ベースは以前に紹介したレリック加工のジャズベを使用した

本物のベースを使用することでサンプル音源もグッと本物感が増す

実は最初の段階では『疑似ベース』の音で録音したのだ

「一ヶ月も待ってもらったし・・」

「本物のベースで弾いてみるかな?」

という感じで頑張ったのだ

ギターも楽しいがベースも楽し

ギター然り、ベースの弦もかなり劣化している

前回の交換時期を覚えていない

ベースの弦は切れないのだ

交換時期が難しい

プロには10年くらい同じ弦を使用していた人もいるほど

指弾きならばそれも良い味になる

劣化した弦でのスラップ奏法も悪くない

アコギを一本片付けてベースを並べたところなのだ

時間をみつけて何か一曲作ってみたい

連休あたりで遊べたら良いなぁ・・


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