テレキャス&ストラトの部屋

RolandのGT-001とzoomMS-50GでDAW制作を楽しんでいるよ

ギターを趣味にするという意味

2022年07月18日 | 楽器
ここ最近は色々と考えることが多くなった

年齢を重ねることで環境が変化する

環境が変化することで連動して変わることも多い事を知った

頭では分かっているようでも実際にそれを体験しないと分からないことも多い

抽象的な表現だがそれがここ最近の私の気持ちなのだ

長い人生には色々とあった

それでもダラダラとギターだけは続けてきた

ギターを弾かない時期もあったが止める理由は見つからない

適度な本数のギターは邪魔にはならない


弾かないギターの弦が劣化したところで特に問題はない

放置したギターのコンディションが狂ったならば、気が向いた時に調整すれば良い


買ってしまえば敷居が低い

それがギターなのだ

税金がかかるわけでもなく、特に目立ったランニングコストは生じない

私の知り合いにも押し入れの中で20年近くギターを寝かしている人がいる

結婚して子供が出来て、仕事が忙しくなりギターと疎遠になるケースもある

ギターを弾く時間がないということはある意味で幸せなことだと思う

遣るべき事や追われる生活があるという証でもある

最近の私は非常に多忙なのだ

お金稼ぎというわけでない

雑務に追われる日々なのだ

毎日、優雅にギターを爪弾いていた日々を懐かしく思い出す

暇を持て余してギターを弾き倒す日々が良いのか?

ギターを弾く時間がないほど多忙な生活が良いのか?

正直なところ、良く分からないというのが答えなのだ

当ブログも巣籠もり需要がピークの時期には訪問者数が1日に3,000人超えということも多々あった

まぁ、ほとんどの人が外出を自粛していたのだ

ギターを弾く人も暇を持て余してネット三昧だったのだと思う

当時の私はそれを維持する為に必至に毎日ブログを更新していた

振り返ればアホ臭い・・

それから安定期には入り訪問者数は2,000人超えで安定していたのだ

ここ最近は諸事情から更新が滞ることも多くなった

訪問者数が減少するのは想定内だった

「まぁ、訪問者数が100人くらいになってもいいかなぁ・・」

何となく気が抜けた状態だった

肩の荷が下りたという感じなのだ

がむしゃらに走り続けてきた現役からの引退という気分にも似ていた

読者の皆さんのお陰で良い夢をみさせてもらった気がする

何週間もブログを放置して久しぶりにチェックしてみて驚いた

放置しているにも関わらず、連日訪問者数が1,000人を超えているのだ

過去と比較すれば大幅なダウンだが相対的にみれば優秀だと思う

ブログを始めた頃のことを思い出す

もう10年以上前のことなのだ

「ブログ始めたんですか?」

「1日の訪問者数はどのくらいですか?」

行きつけの楽器店の店員さんとのやり取りを思い出す

「1日に200人くらい来てくれるよ」

店員さんの目が点になっていたのだ

「えっ? 数ヶ月で200人ですか?」

それがブログとしてそこそこ良い数字であることを後に知ったのだ

気合いを入れてギターブログを始めるも訪問者数が伸び悩みブログを止めてしまう人も少なくないという

そもそも、毎日更新は思うほど簡単ではない

特にギターというネタに絞った話になれば尚更なのだ

読者の皆さんは如何だろうか?

毎日にギターに触れていて変わった出来事があるだろうか?

友達や家族などに話したくなるようなトピックがあるだろうか?

それこそがギターブログの難しい部分なのだ

それでも訪問者数が伸びているならば頑張れる

「こんなに頑張って投稿しているのに・・・」

「昨日なんか10人しか来てくれなかったよ」

心が折れてしまうのだ

普通の神経の人では心が折れてしまうのだ

意気消沈してしまうのだ

ギターブログを続けていくことが精神衛生上にとって負荷になる

楽しむ為のブログが自分を苦しめる結果になる

ブログの為に好きだったギターが段々嫌いになっていく

余計なことに首を突っ込んだことによる末路なのだ

これも良くある話なのだ

行きつけの楽器屋さんの店員さんがブログを止めたのもそんな理由らしい

「バンド活動の告知とかしてたんですよ」

「コメントも少ないし無反応だし最悪です」

「なんかやる気が失せてしまったんですよ」

私がブログを始めた頃の話なのだ

面白い偶然なのだ

ブログの苦汁を舐めた人とブログの楽しさを知り始めた人間が同じ空間を共有しているのだ

当ブログも訪問者数が減ったとしても止める気はないのだ

先ににも述べたようにピークは過ぎた気がする

私の中では現役バリバリではないのだ

逆に肩の力が抜けたことでより本音で語れるようになった

特にメンテの予定もないのに無理やりにメンテ記事を投稿したこともあった


”ブログを書く為のメンテ・・”

本末転倒なのだ



ここ最近の私は弦交換をサボっているのだ

上手く言えないが・・

新品弦に対する欲求が薄れているのだ

「古い弦でも問題ないかもね・・」

ケチっているわけでもないのだ

自分の気持ちに正直に生きているだけなのだ

最近の弦はそう悪くない

相当に放置してもそこそこ使えるのだ

特にベースの弦など酷いものなのだ

年単位で交換をサボっているのだ

前回交換した時期が記憶にない

最低でも1年は交換していない気がする

それでも弾いていて楽しさを感じる

先に投稿したサンプル音源も普通に弾けているのだ

気張りから解放されると気持ちが楽になる

私にとってギターは自転車のような感覚なのだ



特に放置したとて弾けなくなることはない

練習したところで劇的に上手くならない

練習をサボったところで弾けなくもならない

まぁ、ウクレレなどのブラインド(暗譜で弾く)は練習が必要だが・・

なんちゃってなダラダラ弾きならば、ウクレレもアコギでも何でも弾ける

弾かないと忘れちゃうかも?

弾かないと弾けなくなるかも?

面白いことにそれはないのだ

人間は経験を記憶する

一度頑張って弾けた曲は少し練習すれば、また弾けるようになる

私にとってはジミヘンの『リトルウイング』のイントロや
ランディローズの『DEE』なのがそれにあたる

それ以外にもこの十年でかなりの曲をコピーした

音源をとして保存済みなのだ

それで良い気がしてきた

私の最大の自慢はラリーカールトンの『Room 335』の完コピなのだ

完コピに約1ヶ月を要した難曲だった

今はまったく弾けない

「あの頃は頑張っていたよなぁ・・」

頑張っていた時期を懐かしく振り返るのも楽し

達成感は自信に繋がるのだ

”遣った気になって何もしていない・・”

ギター以外の場面でも良くあると思う

有言実行は言うほど簡単ではない

人間は何かと言い訳をして難題を避ける動物なのだ

仕事ならば頑張れる人も趣味のギターを軽んじる

まぁ、気持ちは分かるのだ

「あいつ何で上手くなったんだろ?」

ギターも勉強と同じなのだ

上手くなった人は影で努力をしているのだ

一晩寝て起きたらギターが上手くなっている薬などない

指先を傷めることなく、ギターが上手くなることはない

「あいつって何でギターの音がイイんだろ?」

ギターでもエフェクターでもアンプでもない

ギターの音の大半を決めるのは指先なのだ

フレットを押さえる側の指と弦を弾く側の指のコンビネーション

これに尽きる

そこに理屈や理由はない

趣味のギターなれど、頑張った成果は如実に表れる

何かの縁でギターという趣味と出会ったのだ

ただ、ギターを買っただけで満足してしまうのは少々寂しい

弾いている自分が萌えるくらいのトーンを出したい

私はそんな事をイメージしてギターと向き合っているのだ

「今の響きって最高だったなぁ・・」

100回一回くらいツボにハマることがある

練習を重ねることで偶然が必然に近づいていくのだ

リズムが不安定なカッティングも練習を重ねることで日常になる

無理だと思っていた速弾きも練習することで日常になる

その為にはギターをもっと好きにならなくてはダメなのだ

「高いギター買わないと気持ちが入らないかな?」

これは間違いなのだ

廉価のギターで気持ちが入らない人はギターを買い換えても同じ

気持ちが入らない原因は他にあることも知るべき

それを教えてくれるの自分自身なのだ

大人になると自分を注意してくれる人が減る

自分で何でも決められる自由と同時に責任を負うことになる

”たかがギター・・されどギター・・・”

そんな気がしているのだ

ギターは私の人生の邪魔はしない

むしろ、色々な場面で助けてくれた気がする

ギター個体というよりもギターという存在そのものだった気がする

選択肢が多い時代だが・・

ギターという選択は間違っていないと思う

それを確信と自信に変えるのは自分自身なのだ

ちょっとカッコつけてしまったが・・

本音なのだ😋 




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ギター弾きとベースの関係性

2022年07月18日 | 楽器
読者のみなさんはベースに興味があるだろうか?

ギター弾きがあえてベースに手を出す必要はないと思うがベースの特性を知っていても損はないと思う

総じて巷のギター弾きはベースを軽く見ている節がある

「ベースって弦が4本だからギターよりも簡単でしょ?」

ギター弾きのあるあるなのだ

読者の皆さんは如何だろうか?


ギターに対して弦の本数が少ないことは事実なのだ

まぁ、6弦ベースなどという特殊なベースもあるが・・・

多弦ベースが増えつつあるなかでも4本弦のベースがいまだに主流なのだ

以前は私も5弦ベースに興味を持っていたが今はその熱も冷めた

弾き心地も含めてベースは4本の弦がしっくりくるのだ

ベース有りきで作曲すれば何の問題もないことに気付いたのだ

私が好む曲調にダウンチューニングは不要なのだ

ギターもベースもレギュラーな状態をデフォルトに考えたい

色々と試した結果として、そこの行き着いたのだ

まぁ、色々と試してみるのも悪くないと思う

机上の空論くらい無駄なものはないと思う

頭で思い描くことは誰でも出来る

実際に実行する、楽器ならば音という形にしてみる

それが大事なのだ

他人の演奏にケチをつける人に限って自分の音を持っていないケースが多い

音楽的に自我が確立できている人は他人のそれが気にならなくなる

向き合うべきは自分自身であることに気付くのだ

根拠のないネットの情報に一喜一憂していてはダメなのだ

話をベースに戻そう・・

上手いギター弾きは常にベースの存在を意識しているのだ

ベースの音(フレーズや音質など)を確認しつつ、自分の音を決めている

長けたプレイヤーにとってはこれは常識であり日常なのだ

特に意識しているという気持ちはないと思う

上手いバンドやカッコいいバンドは互いの音を良く聴いている

アンサンブルはテクニックだけではないのだ

むしろ、コミュニケーションが大事だと思う

仮にバンドのメンバーにモタモタした人がいても苛ついてはダメなのだ

その人の演奏スキルに合わせるくらいの余裕が欲しい

音楽は楽しむべきものなのだ

私を含む素人はテクなどどうでも良い気がするのだ

一流のギタリストの多くはベースも弾けることが多い

ジミヘンもペイジ師匠もベースが得意なのだ

ジミヘンは一部のレコーディングを自分のベース演奏で録った

ペイジ師匠はヤードバーズ時代にベースを担当していた時期がある

所謂、ギター弾きのお遊びベースのルート弾きとは区別したい

ギターもベースも軽い気持ちで入るとすぐに飽きてしまう

「とりあえずベースを買ってみたぜ~」

という感じでギター弾きが思いつきで買ったベースは飽きる

すぐにお蔵入りしてしまうのだ

ルートを8ビートで刻み続けるくらい退屈な物はない

まぁ、知識がなければ、そんなアプローチになるのも仕方がない

どんな楽器でもディープに深掘りし始めると一気に楽しくなってくる

深く知れば、超えるハードルも高くなってくるがそれを超える快感も増す

ギターを止めてベース弾きになるつもりなどないが・・

ベースを止める理由も見つからない

宅録という環境においては一人で何でもしなければならないのだ

地味ながらも非常に遣り甲斐を感じる作業なのだ

今回の音源はギターよりもベースの方が歪んでいるのだ

ロック的なアプローチでは良くあるのだ

”互いの音を良く聴く・・・”

ギターが歪んでいる場合にはベース側にも歪みを加えることで音が馴染む

下手なバンドは『歪み合戦』になってしまう

最悪は『音量大会』もそこに加わることが多い

「俺が一番だぜ~」

というメンバーが集うバンドは痛いことが多い

これは私の経験談なのだ

経験不足と知識不足は痛々しい

思い出しても苦笑いしてしまう

良い経験だったと思う

自分のギターに一番しっくりくるのは自分が弾いたベースなのだ

同じ技量と感性の人間が弾いているのだから当然なのだ

ここ最近は作曲というよりは音のスケッチなのだ

ギターの練習をするためにベースを弾くこともある

その逆も然りなのだ

今回の音源ではベースを引き立てる為にギターを弾いている

そんな感じで弾いているということなのだ

音源の後半はあえてベース単体で鳴らしてみた

ギターと重なっている音と単体で鳴っている音のコントラストをお楽しみいただきたい

楽器がひとつでは成り立たないことがお分かりいただけると思う

仮にギターを一本で鳴らすならば、もっとローを強調したい

そんなイコライジングが必要になってくる

ベースと合奏するならば、思い切ってベースと重複する帯域をカットしてしまう

良いお手本はレッドツェッペリンのバンドアレンジなのだ

ペイジ師匠のレスポールの音は非常にハイ寄りなトレブリーな音なのだ

そこにベースが加わるとあんな感じの重厚な音になる

時代が変わってもバンドのお手本だと思う

以前にもお話したが自分の音がイマイチだと感じる人はイコライザーについて勉強した方が良いと思う

あえてイコライザーを買い足すくらいならば、マルチを導入した方がお得だと思う


このマルチは本当にお勧めなのだ

一台持っていても絶対に損はない

プロにも愛用者が多いのだ

ベース用のマルチも同様なのだ

プロが選ぶ機材には理由があるということ

素人が勢いやイメージ先行で買い物するのとは区別したい

どんな仕事においてもプロが選ぶ道具には意味があるということ

個人的には楽器を知るほどに機材は身軽になると思っているのだ

腕があるならば、アンプ直でも良いと思う

長けたギタリストはギターのボリュームで歪み量を調整するようだ

ジミヘンもクラプトンもジェフベック・・・

共通している点は意外に少ない機材なのだ

エフェクターに凝った時期もあるようだが結果的に簡素な状態で落ち着くのだ

私が機材を絞っているのもそんな理由があるのだ



良い点はどんどん取り入れたい

「あのギタリストってどんなエフェクター使っているんですか?」

ネットで良く見かけるナンセンスな質問なのだ

何処の誰に何を訊いているのだろうか?

プロ同士でさえ、互いの音をコピーするのは難しいもの

機材を真似るよりもその姿勢や生き様のような物を真似た方が価値がある

私はそんな考え方で楽器と接しているのだ


今回の音源は修理から戻ってきたマルチの試奏なのだ


アウトプットを同メーカーのMTRで録ってみた


余談だがこのMTRも超お勧めなのだ

ボーカルやアコギにも対応する

もちろん内蔵の各種エフェクトでも完結してしまう

ライン録りにモードを設定すれば今回のような外部機器の入力にも対応する

バンドも組んでいない、DAWも導入していないというぼっちなギター弾きにもお勧めできる

楽器は孤独な世界がデフォルトなのだ

孤独という響きはネガティブに聞こえると思うが・・

私はもっと前向きな意味で使っているのだ

一人で音楽世界が創出できるということは楽器弾きの極みなのだ

楽器を始めた初心者の夢でもあると思う

MTRで音楽の流れを学ぶのも良いと思う

とにかく使い方は無限大なのだ

ここに書き連ねることに意味はない気がする

今はいくらくらいで販売されているのだろうか?

使いもしないエフェクターを買うくらいならば、有意義な買い物になると思う

因みにこのマシンも二台目なのだ

私は浮気しない

気に入ったマシンとは添い遂げるのだ

慣れた機材は時間の短縮に繋がる

”時は金なり・・・”

人生は短い

楽器を楽しく弾ける時間はもっと短い

そんな感じで締めくくりたい😉 


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zoomのベース用マルチが修理から戻ってきた

2022年07月17日 | 楽器
常連読者の皆さん、お久しぶりなのだ

不定期な投稿にも関わらず足繁く通ってくださる読者の皆さんに感謝!


修理に出していたベース用のマルチが戻ってきたのだ


結論から先に述べるならば、新品で戻ってきたのだ

今時の修理はハンダ付けするようなことはないという

以前にBOSSの製品を修理に出した時には筐体はそのままに基板を新品に交換してくれた

今回のzoomの対応はその上を行く

有償ではあるが新品に交換という修理対応だった

すべての修理が同じ対応になるかは分からないが・・・

個人的には非常に好印象を持っているのだ

自社の製品を買ったユーザーを次に繋げるということも大事だと思う

「zoomさんありがとう!」


古参なマシンながら、定期的にアップロードしながら進化しているのだ

仮に中古で購入してもネットで最新のモデルにバージョンアップ出来る

中古がお得か?は分からない

耐久性や前のオーナーの使い方などを考慮すれば新品が良いと思う

このくらいの値段ならば、学生さんでも容易に購入できると思う

使うか?否か?は別としても使えるエフェクトが増えるのは嬉しい


実はこの手のマルチを修理に出すようになったのはここ数年なのだ

以前は壊れたマシンを捨てて新品を買っていたのだ

修理の時間が惜しいと思っていたのかもしれない

今は気長に待つことが出来る年齢になったのだ

まぁ、このマルチがなくても他の方法で鳴らす(弾く)ことが出来る

そんな理由もあると思う

愛着が湧く機器は長く使いたい

ギター用も含めて



特にこのシリーズは歴史に残る名器だと思う

ギター用も二台目だと思う

世界的にみてもこの筐体のマルチは存在しない

まさに日本発想のお家芸だといえる

日本の軽自動車も同じような感じなのだ

体格が良い欧米の人が軽自動車に乗る機会は少ないと思うがその技術力は羨む存在だといえる

”小さくて高機能・・”

は凄い技術なのだ

このマルチは基本的にアンプと接続して使う仕様なのだ


ベースアンプの前段に歪みペダルとして繋いでも良い

このままのアウトプットではヘッドフォンが使えない

こんな道具を使えばヘッドフォンが使えるようになる




二本出しのアプトプットも一長一短なのだ

ヘッドフォンは使い難いが二台のアンプなどをステレオアウトするには都合が良い

アンプの距離を離せばかなりのステレオ感が味わえる

これはギター用についても同様なのだ

遊び方や楽しみ方は自分で見つけるのだ

試行錯誤すれば、必ず自分に合った使い方が見つかるのだ

ネットで何でも調べられる時代だけに考える能力が低下しているのだ

何もなかった時代には常に遊び方を模索していた気がする

私はアナログな時代を生きてきたのだ

正直な話、デジタルにはいまだに違和感を覚える

最近は病院などの予約もネットなのだ

便利なようで面倒臭い時代だと思う

私は紙が好きなのだ

お金も紙幣が好きなのだ

仕方なくキャッシュレスも使っているが・・

取説もネットで調べる時代

私は紙にアプトプットする


結局はこれが一番なのだ

「あれ? このエフェクトって何だっけ?」

スマホやパソコンで調べる時間と手間が惜しい



マルチが上手く使えない人が多い

理由の一つが勉強不足なのだ

何となく感覚だけで使い始めてしまうのだ

実機を知らない人も意外に楽しめない

以前にzoomの開発者の話をYouTubeで観たことがある

想像以上にシビアな姿勢で音作りに取り組んでいるのだ

少し感動したのだ

そもそも、開発者が楽器好きなのだ

これは大事なことだと思う

デジタルの知識に長けているだけでは楽器関連の商品は作れない

頭で考える理論と実際の音のニュアンスは異なることも多い

私はネットのレビューや評判はあまり気にしない

信じるのは自分の耳と感性なのだ

長年、楽器に触れてきたのだ

その辺りに関しては絶対の自信があるのだ

良い物と悪い物の見極めくらいは出来る自信がある

値段が高い製品が高性能なのは当たり前

そこそこの値段で良い製品に出会うのも楽器弾きの醍醐味だと思う

これはギターなどの楽器本体にもいえる

値段やスペックでも必ず自分に合った楽器がある

腕もないのにやたらと高い楽器を欲しがる人がいる

宝の持ち腐れということも多々あるように感じる

「ん? 高け~わりに音とかイマイチじゃねぇ!?」

と思うこともあるような気がする

そこが楽器の楽しい部分でもあり難しい部分なのだ

下手な人が弾いた50万円のギターよりも上手い人が弾いた5万円のギターの方が何倍も良い音なのだ

楽器は買っただけでは意味がない

弾きこなすことで活きてくる

楽器に命を吹き込むのは弾き手なのだ

この辺りが理解できるようになると楽器選びを含めて適正な買い物が出来るようになってくるのだ

要するにギター弾きとして成熟してくるのだ

楽器のことが理解できるようになってくると不思議と買い物衝動が収まる

闇雲に無駄な買い物を続けても上手くならないことに気付くのだ

これは私の経験談なのだ

これに気付いた頃にはかなり上手くなっているはずなのだ

自覚する前に他人から指摘を受けることになる

「なんか最近上手くなりません?」

「ギター教室とか通っているんですか?」

これはギター弾きにとっては嬉しい褒め言葉なのだ

基本的に楽器弾きは他人を褒めない

理由は不明なのだ

「他人を褒めたら負けじゃねぇ!?」

という屈折した精神が働いているのだろうか?

私の周囲にもそんな人が多いのだ

良い意味ではギター弾きの意地なのだ

妙な意地張りは損をする

他人に頭を下げられない人は結果的に損をする

私は他人の良い部分をすぐに認めてしまう

どんな人にも良い部分がある

プレイはイマイチでも工作が得意というギター弾きもいる

自在にピックアップを交換したり、配線を弄ったりしているのだ

自分でギターを作ってしまう人もいる

塗装だけでも大変なのだ

ボディから切り出すエネルギーには脱帽なのだ

私は自分が出来ない能力を持っている人に興味がある

素直にリスペクトするのだ

少し脱線したが・・・

楽器は生音で弾いても楽しいがエレキ系は機材でより活きてくる



このベースとも長い付き合いになる

結局、手持ちの楽器の中で一番長く使っているのだ

塗装が瀕死の状態に陥ったこともある

ゴミ箱行きからよくぞ復活したと思う

塗ったり剥がしたり、削ったりを繰り返した結果として不思議な魅力が増した

実際に使い込んでいるという事実にレリック加工が融合したという感じ

誰に見せても褒められるのだ

実際に知り合いからレリック加工を依頼されたことがある

もちろん、私は断ったのだ

そもそも面倒臭い、失敗のリスクも大きい

レリック加工は壊しの美学なのだ

業者もレリック加工を請け負う時にはかなり綿密に話し合いをするという

「俺が言ったのと違うんじゃねぇ!?」

「なんだよ~ こんなのゴミじゃねぇ!?」

基本的に楽器弾きは面倒臭い人が多い

ましてやギター好きはさらに面倒臭いのだ

まぁ、私も含めてだが・・・

面倒臭い性格だからこそギターを弾くのだ

素直な人は音楽を聴くだけで満足するのだ

読者の皆さんは如何だろうか?

最後に私のメイン機材を紹介したい

結局、これに落ち着くのだ



スタジオ遊びや簡易セッションもこれでOKなのだ

私はどの現場に行っても準備と片付けが早い

当たり前なのだ

いつも最小の機材機材だけなのだ

移動も運搬も楽なのだ

以前にはフロアタイプのマルチを持ち運んでいた時期がある

正直な話、言うほど使わないのだ

むしろ、宅録のような環境の方が凝った音を求める

極端な話、現場では歪みとクランチとクリーンだけで良い

単体のアンプでステレオコーラスもディレイも不要なのだ

現場で一番必要なエフェクターは何だろうか?

私はイコライザーだと思っているのだ

現場のアンプに足りない部分を補うだけで十分なのだ

「音が抜けないんだよね~」

という感じで『爆音大会』になっているバンドを見かける

結局、全員が耳栓をしながら演奏しているのだ

上手いバンドはこんなことはない

上手いバンドは交通渋滞が起きない

音の隙間を探すことができるのだ

下手なギター弾きはやたらと歪みと低音を好む

歪ませ過ぎは抜けの悪さに繋がる

低音はベースと相談なのだ

ベースはドラムと相談なのだ

私はバンド演奏をする際に手本にしているバンドがある

伝説のバンド『ピンククラウド』なのだ

ここで私が説明する必要はないと思う

ギターもベースも好きな私にとってはツボなのだ

国内外を問わず、バンドは三人編成が好きなのだ

またまた脱線してしまったが・・・😉 


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ギター弾きと耳のトラブル

2022年07月14日 | 楽器
実はここ最近、耳の調子が悪かったのだ

調子が悪い時には左耳がまったく聞こえなくなっていた

家族も職場の同僚も心配してくれた

「難聴じゃないですか?」

「早く診てもらった方が良いですよ」

基本的に病院嫌いの私も尋常ではない状況に不安になったのだ

以前にも同じような症状になったことがある

その時には翌日に普通に戻ったのだ

今回はこんな感じの症状が数日にわたり行ったり来たりなのだ

ギター弾きにとって耳がいかに大切であるか?を知った

”片耳が聞こえるからいいかなぁ・・”

では済まされない

そもそも、左右のバランスを崩すことがいかに気持ち悪いかを知った

音楽以外の日常からもやる気が失せるのだ

これは目にもいえると思う

「なんか右目が見え難いんだよなぁ・・」

年齢を重ねるほどに色々と故障してくるようだ

とにかく、ギター弾きにとって耳は最重要なパーツである事をしった

そもそもヘッドフォンが使えない


モニターが不可では何もできない

良いフレーズが浮かんでもそれを記録できない

耳が悪い状態で録った音などゴミなのだ

耳には絶対の自信があっただけに今回のトラブルはショックだった

ゴチャゴチャと語っているが・・・

結局な難聴ではなかったのだ

外耳炎という耳の炎症だったのだ

耳かきの不具合でなることも多いようだ

興味ある方は検索してみていただきたい

ストレスで炎症が生じることもあるようだ

人間の体は本当に複雑で緻密だと思う

どんなにデジタル技術が進んでも芸術の世界では人間が勝る

仮に自動演奏できるギターロボットが開発されても価値はないと思う

ロボットに人間のように繊細に弦を扱えるだろうか?

ギターの醍醐味は弦のタッチを指で感じることに尽きる

上手い表現が見つからないが・・

私にとってギターの演奏は非常にエロい行為なのだ

音が上がり切らない微妙なチョーキングやビブラートなどエロの極みなのだ

この表現の一端が理解出来る人は脱中級者だと思う

ギターにとって大事なことはテクではない気がする

もっと違う部分にあるような気がしているのだ

ギターを良く知らない人はギターの上辺だけを捉えることが多い

「このギター高かったんだぜ~い」

「材とか最高だぜ~い わ~い」

分かってないのだ

ギターを心で感じる人は3万円の廉価エレキでも萌える事ができる

逆の言い方をするならば、それこそがギターの神髄であり醍醐味なのだ


こんな安いギターにも必ず鳴らしのツボがある

それを探すことこそが楽しいのだ

エロい表現になってしまうが・・・

ギターの性感帯を探すという感じなのだ

「安いギターなんかダメじゃね?」

という人には無理なのだ

読者の皆さんは如何だろうか?

ギターに楽しさを感じているだろうか?

興奮しているだろうか?

長年使い込んだギターにも変化がある

ギター側の変化ではない

弾き手側の変化なのだ

ある段階で劇的にギターが楽しく感じられることがある



残念ながら、この感覚はすべてのギター弾きには訪れない

それに気付いたギター弾きは至福なのだ

まさに至福の時間を堪能できるのだ

ギターが楽しくなってくると生音が楽しく感じられる


本当に良く鳴るテレキャスなのだ

そもそも、テレキャスは構造上生鳴りが良い

スケールやブリッジなどの構造も関係していると思う

静かな場所で弾いているとアコギを弾いているような錯覚に陥る

それこそが鳴るエレキなのだ

生鳴りが悪い(楽しくない)ギターはアンプを通しても知れている


生鳴りが良い(楽しい)ギターはどんな環境で楽しい





良い状態のギターはこんなミニアンプでも楽しいのだ

天才ジミヘンも自宅では小型アンプをこよなく愛したという

ペイジ師匠もクラプトン御大もピグノーズを愛用していた

ポールギルバートもミニアンプ好きで有名なのだ

要するに達者な人は道具を選ばないのだ

どんな道具でも技術と知恵で楽しさを引き出してしまう

ギターが上手い人はどんなギターでもどんな機材でもそこそこ鳴らしてしまう

その逆も然りだといえる



私が上手いと言っているのではないので勘違いしないでいただきたい

私は楽器遊びの天才なのだ


私の知る限り、楽器をここまで徹底的に遊び倒している人は知らない

私は一人でも遊べるのだ

ギター、アコギ、ベース、ウクレレ・・

何でも楽し!

とにかく、遊びのアイディアが湯水のように沸いてくるのだ

正直な話、イメージを具現化するにはそこそこの技術が必要だと思う

そこそこで良いのだ

色々な弾き方やコードをより多く知っていれば楽しさも倍増する

ギターに飽きてしまう人は引き出しが少ないのだ

引き出しが少ない人は何をやっても無駄なのだ

より良いギターに買い換えても楽しさと興奮は長くは続かない

これは私の長年の経験なのだ

耳のトラブルから相当に脱線したが・・・

治療の甲斐もあり耳は治ったのだ

左右が同じ音で聞こえる幸せを堪能しているのだ

無音に近い状態で弾く生音に酔っているのだ

私は起床の1時間前くらいから仰向けになってギターを爪弾く

目を閉じて音に没頭するのだ

こんな環境で生まれたフレーズも多い

ビビりなどの不具合に気付くこともある

とにかく生は良いのだ

繰り返しになるが生音が悪いギターにはつける薬がない

生音の楽しさが理解できないギター弾きにも薬はない

大音量で鼓膜を振動させるような弾き方は流行らない

私は数十年前に卒業した

たま~にスタジオなどで爆音を楽しむが疲れてしまう

耳というよりはそんな環境に身を投じている自分に疲れるのだ

最近はプロでも小型のアンプで収まりが良い音でレコーディングする

鼓膜がブルブルは流行らないのだ

エレキの中の繊細な音に気付いた人はギターにハマる

もっともっとディープな沼にハマるのだ

ギターの楽しさを知ったならば大枚叩いて高価なギターを買っても良いと思う

きっと後悔しないと思う

耳が肥え、技術に長けている人はそのギターの良い部分を引き出せる

そもそも、ハズレなギターを買わないと思う

ブランド買い、値段買いには迷いが感じられる

「高いギター買っておけば間違いないんじゃね?」

間違いだらけなのだ

そもそもその発想が間違っているのだ

聞こえる耳を持ちながら惜しいのだ

”聞こえているのに聞こえていない・・”

”見えているのに見えていない・・・”


話は変わるが・・

修理に出しているベース用のマルチの修理が完了したのだ

急がしくて引き取りにいけないのだ

まぁ、急ぐ旅ではないのだ

MTRなどで鳴らして楽しんでいるのだ

楽器の楽しみ方の決まりはないと思う

読者の皆さんも大いにギターを楽しんでいただきたい😉 


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ギターと私は良き相棒

2022年07月10日 | 楽器
最近は信じられないような出来事が次々に起こっている

私の想像を超えてくることに背筋が寒くなってくる

時代が変わっても変わらないもの・・・

それはギターなのだ



マテリアルも技術も大きく向上していないような気がする

個人的にはギターのそんな部分が好きなのだ


最近はエレキを生音で弾く事が多いのだ

電気的に鳴らすことが面倒臭いというわけではない

生で弾いている感じがとても心地良いのだ



結局のところ、良いギターは生でも電気でも音が良い

それに気付いたのだ

材が良いギターは生の響きも心地良い

調整が悪いギターは弦がビビったり粗が目立つ

歪ませてアンプに通せば何となく良い音に聞こえる・・

エレキギターの良い部分でもあり雑な部分なのだ

何となくテキトーに調整しても何とかなってしまう

エレキは懐が深いのだ

生音が主体のアコギを自分で調整してみる良いと思う


調整の不具合が即、音や弾き心地に表れる

エレキ弾きがアコギを敬遠する理由の一つなのだ

エレキを生で鳴らすことはアコギに通じる部分も多い

生音は弾いていて心に沁みる

「はぁ? オッサン何言ってんの?」

という方も多いと思う

感じ方は人それぞれなのだ

私は他人の考えや感じ方を肯定も否定もしない

というかあまり気にならない

ギターに関してはある意味で達観しているのだ

自分の世界観が構築されているような気がしているのだ


ストラトと同様にドラゴンテレも生で鳴らすことが多い



普通にギターとして良い音に感じる

良く響く


目を閉じていてもストラトとの違いが分かるほど

ギターの構成パーツの大半は木なのだ

材の違いが如実に音に反映されるところが興味深い

今更という感じではあるが少しギターを理解出来た気がする

「安いギターと高いギターって何が違うの?」


初心者が抱く王道の疑問なのだ

かつての私もそんな疑問を抱いていた

こんな考えでは廉価のギターから抜け出せない

難しい部分ではあるが・・・

それの違いを理解するには自分で買ってみるしかない

店頭のギターを試奏しても分かり難い部分だと思う

ギターは熟成が大事なのだ

エレキならば、弾き込んで一年という感じだろうか?

一年くらい弾いていると確実に音に変化が現れる

この変化を感じるのは新品ギター購入の醍醐味なのだ

中古ギターでは味わえない

特にギターの経験値が低い人はピンと来ない

「俺のギターは値段が高いんだぜ~い」

自分に言い聞かせる虚しさがある

私がストラトを買った時の体験でもある

レギュラーモデルながらも3万円程度の廉価ギターを愛用していた私にとって30万円のギターは高級品なのだ

今でも30万円という価格はボーダーラインだと思っているのだ

ギターに思い入れと理解がない人には出せる金額ではないと思う

ギターに興味がない人から見ればアホな値段なのだ

その値段が高いか安いかは購入者の満足度に尽きる

それを買った自分が満足できるならばそれで良い気がする

ギターは究極の自己満足なのだ

弾いて良し、眺めて良し、触って良し・・

ギターを抱えた時にある種のエロさが感じられれば本物だと思う

読者の皆さんは如何だろうか?😉 








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