テレキャス&ストラトの部屋

RolandのGT-001とzoomMS-50GでDAW制作を楽しんでいるよ

ブログ訪問者数1,345人

2023年09月27日 | 楽器
昨日も多くの読者の方がにご訪問いただいた

訪問者数1,345人(3,170,371人中177位)

何故だか日曜日よりも良い数字だった

過去記事も満遍なく検索されている印象を受ける

「こんな記事も投稿したんだなぁ」

自分でも忘れている記事も多い

今月は何だかんだと投稿する機会を得られている

良い流れだと思う

ギターに関しても良い感じで練習しているのだ

就寝前の僅かな時間がお楽しみの時間になっているのだ


使用頻度が低いギターのコンディションをチェックするだけでも価値がある

ネックの反りやチューニングの狂いなどをチェックして就寝することもある

常にギターを意識するということが大事だと思う

読者の皆さんは如何だろうか?

外出先などでも自宅に置いてあるギターたちのことを思い出すだろうか?

帰宅後にギターを抱えている自分の姿をイメージできる人は素晴らしい

「今日はこんなフレーズを練習したいなぁ」

やるべきことがイメージできるならば尚良いと思う

日常にギターがある生活は本当に楽しい😉 


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ギター的な雑記

2023年09月26日 | 楽器
YouTubeで某一流プロが廉価のエレキを弾いている動画にヒットした

弾いてみた~動画もプロはひと味違う

「やっぱりプロは上手いなぁ」

上手いプロが弾く3万円のギターと下手な人が弾く60万円のギターならば
間違い無く前者の方が良い音を奏でる


今更だがギターを弾いているのは人間なのだ

ギターをコントロールする弾き手がいなければギターはただの飾り物

何となく理解しているようで実は分かっていない人も多い

身の丈を知ることでギターはより一層楽しくなる

ギターにとって必要なことは何か?

お金をかけて高額な改造をすることか?

今よりも値段が高いギターを買うことか?

答えはひとつ

とにかく弾くこと

弾かなければ正解も不正解も分からない

多くの素人ギター弾きは迷っている

ギターに触れる時間が短か過ぎてまったく進歩していない

気がつけばギター数十年経っているにも関わらず進化していない

それに気づいているのは自分自身なのだ

「高いギター買えば何とかなるかな?」

という人はまだマシだと思う

僅かながらも向上心が残っている

重症はギターを買うでも弾くでもない人

部屋に置いてあるギターをチラッと見て安心しているのだ

「今日も俺のギターはカッコイイぜ♪」

何となく気持ちは分かる

そんな日々を何年も何十年も続けているのだ

変わっているのは鏡に映る自分

何十年も前に買ったギターを抱えて鏡の前に立ってみる

ステージに立つ自分をイメージしたこともあると思う

拍手や喝采を浴びる自分の姿を想像したこともあると思う

ギターを始める時に万人が思い描くイメージなのだ

「ギターを弾けば友達ができるかな?」

「ギターが上手くなれば女子にモテるかな?

何かひとつでも実現しただろうか?

私もたまに自問自答することがあるのだ

これといった形にはなっていないがギターが好きという気持ちは持続している

僅かではあるが若い頃と比較して自分レベルで進化している

反射神経の関係から速弾き系は諦めた

練習している過程で疲れてしまう

指が疲れるというよりは気持ちが萎えてくる

「俺って何でこんな練習してるの?」

私の年代では速弾きが上手い人はヒーローだった

自分はそんなヒーローにはなれない事に気づいた

気づきも進歩だと思う

私は常に自分の立ち位置を意識している

自分の技術的なレベルがどの辺りなのか?

自分のギターに関する知識はどのレベルなのか?

疑問符ばかりだが・・

ギター道は迷いの道でもある

場合によると一生迷うということもあり得る

自分が好きなジャンルを見つけられたことは良かった

ブルース好きは数多いるが何故だか私の周囲には少ない

ブルース畑に一歩も足を踏み入れたことがない人も多い

中学生や高校生でRockに目覚めギターを始めた

そこで思考が停止している中年おじさんも少なくない

見た目はおじさんだが脳内は若者・・

という人がギターを趣味にする人には多い

まぁ、私もそんなひとりであることに違いはない

ギターを弾いていて何となくモヤモヤすることがある

「俺って少し幼稚かなぁ?」

ギターという趣味が少し稚拙に思えることがあるのだ

街ゆく学生さんがギターを背負っている姿を微笑ましく感じる反面で自分を重ねて複雑な気持ちになることがある

ギターを弾けない人やギターがあまり上手くない人の前で演奏する機会がある

その刺すような憧れの眼差しに少し恥ずかしくなることがある

「いいなぁ、そんなに自由にギターが弾けたら楽しいだろうなぁ」

ギターを弾いていて良かったと思う時でもある

今の私にとってギターは日常なのだ

空気を吸っているような感覚に近い

意識して呼吸している人は少ない

「もっと上手く空気吸ってやるぞ!」

という人はいないと思う

漠然と上手くなりたいという気持ちはあるが気張って練習する気はない

”楽しんでギターを弾く・・”

ということが軸になっている

向上心を忘れたわけではない

競争心を脱ぎ捨てたことで気が楽になった

たまにYouTubeなどで上手い人の演奏動画を観ると少し嫉妬する

ギター弾きとしてごく正常な心理だと思う

ギターを趣味だと言いながらそんな気持ちも失せてしまった人は可哀想な人

そんな人に所有されているギターはもっと可哀想だと思える

ダメな親の元に生まれてきた子供に似ている

子は親を選べない

ダメなギター弾きに買われたギターが日の目を見ることはない

表舞台で活躍することもなくその一生を終える

ギターが好き過ぎるとギターを擬人化したくなってくる

ギターにも感情があるように思えてくる

ギターは思いに応えてくれる

廉価なれど、丁寧に弾き続けたギターは応えてくれる


このギターの前身を知らない人は生い立ちに驚くのだ


ポリ塗装なれど弾き過ぎてボディにクラックが入ってしまった

腕で擦れる部分の塗装が剥げてしまった

元々はレリック加工の素材として購入したギターだが結果としてレリックとリアルが良い感じで混在している

外に持ち出す時にはこのギターで十分

太い音がRockからBluesまでカバーする

守備範囲が広いギターに成長したのだ

ピックアップや電装系の改造が良い方向に作用している

正直な話、弾かないギターの改造は無駄

弾かないギターに改造を施したところで結局、弾かないで終わる

良く弾くギター、良く手にするギターこそ改造すべき

お金をかけるべきだと思う

手が伸びるギターは良く鳴るギター

良く鳴るギターを作るには?

結局のところ、弾き倒すしかない

たまごとニワトリの関係に似ている

弾かない人、弾けない人の多くに不足しているもの

それは創意工夫

弾く為の仕掛けを考えてみたことがあるだろうか?

友達がいないならば機械と友達になればよい


機械は自分のわがままや都合に合わせてくれる

練習用のアンプがないならば買えば良い


自宅で弾くならば電池駆動のアンプで十分

むしろ、こんなアンプで良い音が出せるように工夫する

練習ではな工夫なのだ

小型のアンプで腰がある太い音を出すには?

ピッキングのスキルが求められる

ピッキングのスキルが向上すれば実機のアンプも楽しくなる

特に小型のコンボアンプの扱いが上手くなる

世のアンプはマーシャルだけではないのだ

意外に知られていないが有名なギタリストの多くがレコーディングでは小型アンプを好む

ステージでも映えと実際の音は異なる

偉人たちの実話なども参考に音作り再構築しても楽しいと思う

ジミヘンもクラプトンも蘊蓄や伝説のエピソードが山のようにある

私もそんな話が大好物なのだ

事実を知って改めて音を聴き直すという作業も楽しい

ハムバッカーで弾いていたと思われていた曲が実はストラトだった

そんな逸話も少なくない

創意工夫と技術でシングル系のギターでもハムのような音が出せるということ

クラプトンは身をもってそれを実践してみせた

ジミヘンの音の秘密は左利きとリバースヘッド

もちろん、類い希なる技術もあるが上記の条件をクリアしなければ肉薄した音は出せない

ジミヘンの大ファンだが使い勝手が悪いリバースヘッドのギターを買う勇気がない

中途半端な価格のギターならば不要

ジミヘンを弾く時には騙しだましノーマルヘッドのストラトで弾いている

ジョン・フルシアンテもジョン・メイヤーも普通のストラトでジミヘンをコピーしている

その事実が辛うじて私の気持ちを落ち着かせてくれる

ギターの沼は深い

踏み込んだら抜け出せなくなる

私は散財の沼から這い上がってきた

今は金銭感覚は普通に戻った


ここ最近は消耗品くらいしか買っていない

先日、ギタースタンドを二本買った

まぁ、スライドバーも買った

ちょこちょこと買っているが小物なのだ

ギター本体の購入に欲が湧かないのは何故だろうか?

自分でも良く分からない

良いギターを買っても劇的に向上しない自分を自覚しているのだろうか?

いまさら、若いギターを育てる元気がない自分を自覚しているのか?

話は変わるが・・

憂歌団の『嫌になった』のソロアレンジを煮詰める為にYouTubeを覗いた

完コピ系の人が多いのもYouTubeの特徴のひとつだと思う

「この人上手いなぁ」

という達人もチラホラ・・

良い意味で刺激を受ける

やはりギター弾きとしては音が欲しい

リアルを感じていたいと思う

料理レシピからギター演奏までYouTubeにはお世話になっている

最近はショップでも商品の紹介にYouTubeを用いることが多い

廉価なギターは笑ってしまうくらいに音が薄っぺらい

マイクの性能が上がったのだろうか?

廉価なギターを愛用している私の耳にはどこか懐かしい響き

逆に高価なギターを上手い人が弾いている動画には心惹かれる

単純にマイクを一本立てているだけなのか?

録り音に後処理でエフェクトをかけているのか?

明らかに良い音だと感じられる動画には心惹かれる

YouTubeの投稿動画も千差万別、十人十色だと思う

個性があって楽しいと思う

最近は買ってみた動画が少なくなったような気がする

個人的には嫌いではないが・・

「おいおい結局弾かね~のかよ」

という視聴者も少なくなかったのだろうか?

弾けないのにギターを買う人がいるのも事実

これもギターの不思議なのだ

買ってから練習しようと思っているのだろうか?

まぁ、私も最初の一本を買った時には曖昧な感じだった

コードを二つくらい押さえられる状況で買った

私が良いところはそんなギターを何十年も続けていること

ブランクはあれど何だかんだで40年以上続けている

そんなに弾いているのにギターに飽きない

飽きない理由はなんだろ?

弾き手を飽きさせない魅力はなんだろう?

答えはひとつ

ギターが楽器であることを確信したから

つまりはギターを弾けると実感出来たからなのだ

なんでも良いと思う

とにかく、一曲を最後まで弾き切ってみる努力が必要だと思う

中途半端は何事においても良い結果を生まない

何かの縁でそのギターと出会ったのだ

ギターは楽しく演奏されることを望んでいる

何も形になっていない状態で改造に踏み切る人も多い

初心者に多いパターン

繰り返しになるが形になってから次のステップに移行するのだ

改造が必要なのか?

買い換えが必要なのか?

正直な話、ギターが上手く鳴らせない人にその見極めは難しい

ポテンシャルを引き出す最大の努力を惜しんではダメだと思う

運転が下手な人に限って持て余すような大きな車を好む

何故だろうか?

近所にもそんな人がいるのだ

狭い道での行き違いで困惑することがある

まぁ、ギターの場合にオーバースペックでも誰にも迷惑はかけないが・・

何となく滑稽に映ることも多い

私の知り合いにもそんな人が多い

口を開けば購入時の話ばかりなのだ

耳たこなのだ

私が聞きたいのはそういう話ではないのだ

長くなったのでこの辺で・・・😉 









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当たりギターってどんな?

2023年09月24日 | 楽器
読者の皆さんがお持ちのギターの調子は如何だろうか?

「絶好調だぜ~!」

という方は良いと思う

私も手持ち楽器の状態には満足しているのだ

ネックも安定しているしエレキ達の電装系も調子が良い

私も気まぐれでギターを検索することがある

ギターにも興味があるがなにより購入者のレビューに関心があるのだ

巷のギター好きな人の気持ちが知りたいのだ

「今回購入したギターは当たりでした!」

「メチャクチャ鳴るし最高ですよ!!」

という感じのレビューを見かけることがある

販売店もレビューを確認して喜んでいると思う

何でもネットで売り買いする時代になったが管理しているのは人間なのだ

人の気持ちがネット環境を支え育てていくような気がする

私も何本かネットでギターを購入したことがある

行きつけの楽器店の守備範囲を超えるギターを買う場合にネットを利用する

リアルショップでは諸事情で取り扱いが出来ないギターもある

売れ筋から大きく逸れている価格帯のギターも扱わないことが多い

あまりに安いギターはリアルショップで扱うメリットが少ない

販売後のトラブルなども面倒臭いのだと思う

一方で高級過ぎる価格帯のギターも嫌われる

「あまり値段が高いギターを置いても動かないですよ」

何となく分かる気がする

そういう価格帯のギターを求める人はそんなギターが集まるショップを訪れる

取り扱いギターを広げることにメリットは少ない

持ち場を見極めることが大事だと思う

正直な話、今の私にとって行きつけの楽器店が扱うギターには興味が湧かない

いまさら中途半端な価格帯のギターを欲しいとは思わない

超高級なギターが欲しいという物欲も湧き上がらない

そもそも、最近は公私ともに忙しくなって足が遠のいているのだ

時間を見つけて遊びに行きたいと思っているのだ

私はネットで買った1万円ちょいの安いアコギを愛用しているのだ


ボディは小さいがミニギターではない

所謂、12フレットジョイントという仕様の古典的なタイプなのだ

先人の黒人ブルースマン達が愛用していたギターのスペックに近い


ほどよい弦のテンションが心地よい


白髪染めで染色した指板も色落ちすることなく良い感じなのだ

当初は真っ黒だったが今はこんな感じなのだ

指板の端は激しい演奏の賜だと思う

疑似レリック加工ではこんな感じにはならない

あえて補修することなく自然な感じを楽しんでいるのだ

このギターはコテコテの合板仕様なのだ

価格帯から考えても当然の仕様なのだ

”合板のアコギは鳴らない・・”

はアコギ弾きにとっては常識なのだ

合板は丈夫だが響かないのだ

ギターの扱いに無知な初心者が使うことを想定していることが多い

鳴りを犠牲にしてもボディ材を分厚くする加工も一般的

鳴らないという苦情は少ないがボディが割れたという苦情は数多

苦情が少ないギターを製造するのもメーカー側の課題になっている

誰が弾くのか?

が明確なギターにはブレがない

このギターの立ち位置は微妙なのだ

単なる初心者向けの廉価ギターではないオーラが感じられる

すでにフルサイズの良いギターを持っている人がもう一本として購入することを視野に入れて開発されている気がする

廉価なれど要所の仕様がそれっぽく渋いのだ

私はそれなりにギターに精通している

単なる初心者向けの廉価アコギならば飽きてしまう


楽器として十分に成立している点が素晴らしい

他にもフルサイズのアコギを持っているが自然に手が伸びるのはこのギター

無意識にバランスを考えているのだと思う

他の二本は無条件に良い音なのだ

すでに良い音が完成しているのだ

特に単板のアコギは染みる音に成長した

貰い物のオベーションは合板ながらも時間の経過が音に反映されている

これも非常に良い音を奏でてくれる

問題はこの合板アコギなのだ

購入直後は本当に鳴らないギターだった

しかしながら、弾き易いので不思議と手が伸びる

そんなギターだった

ギターは弾き込むことで育つ

合板アコギは鳴らないという常識を覆した


何度も弦を交換した

その都度に音の変化を感じた

間違いなく音の変化のベクトルが良い方向に向かっているのだ

本当にわずかな成長なのだ

最近では激鳴りするようになった

ギターに感情があるならば・・

『俺って単板じゃない?』

とギター自体も勘違いするほどに良く鳴るのだ

音量が大きいという感じではない

心地よい音域が強調されるような感じなのだ

容量が小さいボディながらも低音が良く響く


カポを装着すると一気に響かなくなる
がそれも悪くない

楽曲によってはそんな音の傾向が似合う場合がある

アコギとウクレレの中間というような響きに感じられる


生楽器は本当に深いと思う

廉価なギターながら、最も愛着が湧いてくるギターになった

指板の染色など唯一無二の改造も愛着を倍増させている

そんなこんなでこのギターは『当たりギター』なのだ

隠れた名器だと私は信じて疑わない

ボディが小さいのでエレキからの持ち替えでも違和感が少ないと思う

エレキからアコギに持ち替える時には音よりも演奏性を重視すべき

弾き難いギターはすぐに嫌になってしまう

過去に私がレスポールを手放した理由の一つでもある

私がプレイヤーでなければ、今でも部屋に飾っていたと思う

私はギターに質実と合理性を求めてしまう

ギターは飾り物ではない

ギターは楽器なのだ

ギターが楽器であるという事実を何割くらいのギター弾きが実感しているだろうか?

持っているだけで満足、買っただけで満足という人も少なくない気がする

演奏するという次のステップに踏み込めない人も多い

何十年経っても次のステップに踏み込めない人も少なくない

むしろ時間の経過がギターを遠ざける場合もある

ギターは深い・・😌 







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ギターに最適な季節がやって来た

2023年09月24日 | 楽器
ギターを弾くのに最適な季節がやって来た

今年の夏は本当に厳しかった

少なくとも集中してギターと向き合うという感じではなかった

少しエアコンを弱めると汗が滝のように流れてくる

ギターにとっても過酷なコンディションだったような気がする

自分が在宅している時にはギターにもエアコンが当たっているが私が外出する時には部屋は猛烈な室温になる

幸いにもネックなどが動くこともなくその他のトラブルも皆無だった

酷暑の時期には弦交換とそれに伴う簡単な清掃で済んでしまった





ギターそれぞれで微妙にセッティングが異なるが弦高などに関して共通している部分も多い

特にフェンダー系ということで共通項も多い

やはり、個人的に一番気になる部分はネックの状態

ネックの状態が決まらなければその他の部分も決められない

ギター調整には『順番』があるということを知っておくべき

順番を間違えると二度手間、三度手間になってしまうのだ

万人にとって時間は貴重なものだと思う

料理なども手順を間違えるとかなりのタイムロスになる

そもそも手順を間違えるような人が作った料理は美味しくない

ある意味でギターも同じような気がする

ギターのメンテが苦手な人が上手く弾けるとは思えない

ギターのメンテはギターの第一歩であり基本だと思う

面白いことにメンテの技術と知識はギター歴に比例しない

ギター歴が長いからとメンテに長けているとは限らない

間違った知識を四半世紀以上も引きずっているベテランも少なくない

ベテランにつける薬はない

聞く耳を持たない

「俺はこれでいいだよ!」

もはや誰にも止められない

特に弦高に関して勘違いしている人は意外に多い

結論から先に述べるならば低すぎる弦高はNGということ

「低い弦高の方が速弾きがし易いんだよ」

「押弦もし易くなるしね 低いの最高!」

というタイプの人は意外に少なくない

低い弦高を好む人の多くはストレートなネックが正しいと勘違いしていることが多い

間違った調整では良いギターや高価なギターが泣いてしまう

ギターの本来持っているポテンシャルを半分を発揮することなくその生涯を終えることになる

ギターは弦楽器なのだ

最も優先させるべきは『弦の振動』

プレイヤーの弾き易さなど二の次で良いと思う

極端な例だがスティーヴィー・レイヴォーンの話が有名なのだ

詳しくはネットなどで検索してみていただきたい

私も弦高の重要性に気づいたのはここ十年くらいなのだ

それまでの私は所謂、ペタペタの低弦高を好んでいた

弦も細い弦を好んで張っていた

音はエフェクターで作ると勘違いしていた

無知に限って値段が高いギターに憧れ固執する

私もそんな一人だった

「高いギター買えば上手くなれるかな?」

練習を怠り、夢みて妄想する日々だった

弦高を強く意識したのはブルースとの出会い

上記のレイヴォーンもそんな流れで知ったのだ

レイヴォーンもジミヘンのフォローなのだ

結局、すべてのギター弾きの原点はジミヘンに辿り着く

この事実は非常に重要なことなのだ

読者の皆さんが好きなギタリストも少なからずジミヘンに影響を受けている

ジミヘンは先人のブルースマンに多大な影響を受けた

ブルースマン達がどのようなギターを使い、どんなセッティングをしていたか?

その辺りを意識することで見えてくる何かがある

ギターの本質に気づかぬままに幕引きをするギター弾きも少なくない

おそらく大半のギター弾きはそんな感じだと思う

「え?趣味? 趣味はギターかな?」

「ここ最近はあんまり弾いてないけど」

もはや、自分自身も良くわからない

一年もギターに触れていないのにギターを趣味と言っても良いのか?

まぁ、ギターを趣味だと言い張る人を深掘りする奇特な人など皆無なのだ

他人の趣味の話などに興味はないというのが正直なところ

私の知り合いに検索が得意な人がいる

とにかく、ギターに関することを良く知っているのだ

時にそれはギターの材であり、値段や相場などにも詳しい

良く勉強(検索)しているように感じられる

しかしながら、その人がギターを弾いている姿を見たことがない

何だかんだで付き合いは10年になるのだ

一度も音を聴いたことがない

結局、目の前に置いてあるギターに手を伸ばすのは私になる

「また、新しい曲が増えたんだね」

「良くギターを弾く時間があるね」

私を暇人扱いするのだ

まぁ、どうでも良い

ギターを弾かない人、弾けない人との共通点はギターが好きということ

最近は同じカテゴリに属しているとは認識していない

実際にギターを弾いている人には力と熱量が感じられる

上手い下手に拘る人も多いが個人的にはその辺りはどうでも良いと思う

実際に弦を弾き、弦を押さえている人の言葉には信憑性と力が感じられる

どんな分野にもいえると思う

私の知り合いには変わり者が多い

車の運転をしないのにやたら車に詳しい人がいる

特に車の売り買いに関する情報に長けているのだ

「車? 買わないよ 金がかかるし」

買う予定がない車の何を調べているのだろうか?

調べて知りすぎてしまったことで車が買えなくなっているのだろうか?

人間は本当に面白い生き物だと思う

いくら観察しても興味は尽きない

特にギター弾きの観察は面白い

かくいう私もそんな変わり者の一人なのだ

他人の目には少し変わっているように映ると思う

まぁ、私にとっては他人の視線などどうでも良い

自分は自分なのだ

ギターが好きだという事実がそこにあるだけなのだ

ギターを趣味とする人にとってギターが好きだという事実に偽りはないと思う

もう一歩踏み込んで自問自答してみるとよりよいと思う

「俺ってギターを弾きたいのか?」

「それともギターを集めたいの?」

私の知り合いにはどちらかというとコレクターが多い

結構な本数のギターを押し入れに隠し持っているのだ

しかしながら、そのギターを外に持ち出すことはない

持ち出すことがないのでその音を聴くことはできない

この日本にもそんな埋もれたギターが数え切れないほど存在するような気がする

もはや、ギターの弦が劣化している事実すらも知らないような人も多いような気がする

上手い喩えが見つからないが・・・

結婚して何十年も経過した古女房という感じだろうか?

目の前に存在がありながらもその存在が眼中に入らない

目の前のギターには見向きもしないで今日も検索に励むのだ

「良さげなギターってあるかな?」

「あれ? このギター安くなってる?」

今日もギターを弾くことなく一日が終わってしまうのだ

”ギター上達の近道・・”

と検索をかけてみる

何となくモヤモヤした気持ちで時間が過ぎていく

読者の皆さんは如何だろうか?

特に用事も欲しい物もないのに何となくギターに関する検索をしている時は停滞期

実はギターに関する熱量が最も低くなっている証だといえる

ギターを弾きたくて堪らない時には検索する時間などない

時間があれば、ギターばかり弾いているのだ

ギターを弾くこと、ギターに触れている時間が楽しくて仕方がない

そんなことを言っている私はというと・・・

ギターを弾くことは楽しいがギターを録音する気力がない

「たまに録音でもしてみようかなぁ?」

と思い浮かぶのだが実行が伴わない

雑用の合間にギターを弾いて一日が終わるという感じなのだ

まぁ、それはそれで楽しく意味があるように感じる

先日もお伝えしたように憂歌団の曲をとにかく弾き込んでいるのだ

自分が納得するまで弾き込むのが私のスタイルなのだ

とにかく、私はギターに関しては自分に厳しい

なんとなくそれっぽいコードを押さえてテキトーに鳴らすのでは納得しない

盛って削ってを何回も繰り返す

それが私のソロギターの組み立て方

軸になるコード進行を参考にブラッシュアップしていく

そんな作業だけでもあっという間に時間が過ぎていく

充実した楽しい時間なのだ

”もしもギターがなかったら?”

考えただけでゾッとしてしまう

私も理由もなく一日中スマホを弄っている『スマホゾンビ』になっていたかも

やりたいこと、やるべきことがあることは幸せなことだと思う

お金があっても行く場所、買う物がない人は不幸だと思う

如何だろうか?

余談だが私もYouTubeを良く利用する

おすすめの動画は時計と車が多い

ギター好きなのにギターの動画がヒットしない

つまり、ギターに関してググっていないということになる

落ち着いて考えてみてもギターの何を検索したら良いのか?

何を知りたいのか?

頭に浮かばない

ギターに関して分からないことや知りたいことがないのだ

故障や不具合など困ったことが発生した場合にはリアルショップに相談する

それが正しい流れだと思う

「なんかツマミを弄るとガリ音が出るんですけど」

ネットに相談して解決できるのだろうか?

ギターにノイズや雑音は不可欠なのだ

大事なことはそのノイズが正しいノイズなのか?

だと思う

アナログなギターには多少の不具合はつきもの

その辺りの見極めやさじ加減が大事なのだ

それが経験なのだ

脱線したが・・

本日は少し時間に余裕があるのでタップリとギターを味わってみたい

先日、弦を買ったので場合によると弦交換するかもしれない

ギター楽し😉 

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ブログ訪問者数1,311人

2023年09月20日 | 楽器
昨日も多くの読者の方々にご訪問いただいた

訪問者数1,311人(3,169,918人中164位)

日曜日よりも数字が伸びたのだ

投稿しても数字が伸びない日もあるし昨日のような事もある

ブログは奥深いと思う

活字離れが進む中でブログが指示されることを嬉しく思う

文字でなければ伝わらない雰囲気やニュアンスもあると思う

という前置きはこの辺で・・・

憂歌団の看板曲『嫌になった』のアレンジを煮詰めているのだ

私の良いところは飽きないという点

とにかく同じ曲を何十回、何百回と繰り返し弾く

練習というよりはアイディアを煮詰めていくという感じなのだ

アレンジという作業は無限大の可能性を秘めている

同じコード進行でも十人十色のアプリローチが存在する

歌無しのソロギターなので歌の部分とリード部分を明確にする必要がある

リード部分のコード進行を独自に組み替えて差別化を図ってみた

これもアレンジの楽しみなのだ

そんなこんなでアコギばかり弾いているのでアコギの弦の劣化が早い

追加で3セット購入したのだ


キラキラの弦など過去に色々と試したが
結局、この弦に落ち着く

私が弦に求めるのは安心感とプレーンな感じ

味付けが濃い弦は苦手なのだ

コーディング弦も試したことがあるが苦手なのだ

指先が硬くなれば弦の上でツルツルと滑る

人間の体もギターの一部という感覚が大事だと思う


最近はフルアコに興味が出てきた

憂歌団の木村氏のライブ映像に影響を受けたのだ

「フルアコの音もいい感じだなぁ・・」

実はフルアコは弾いたことがないのだ

正直な話、ボディの生鳴りもシールドを通した音も分からない

少し調べてみようと思う

フルアコというとジャズのイメージが強いがブルースにも合いそう

ブルースのプロにも愛用者が多いようだ

未知の世界に足を踏み込むのはとても楽しい作業だと思う

ワクワクしてくるのだ😉 


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