たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

舒明天皇の遺跡?発見

2015年01月16日 | その他

今日の新聞テレビは明日香村で、舒明天皇の仮の墓(初葬墓)の可能性がある遺跡が発見されたと報道しています。
舒明天皇の陵は明日香村と隣接する桜井市にある”押坂内陵(おさかのうちのみささぎ)に治定されている。古墳名は段ノ塚古墳という。”(Wiki)
舒明天皇は敏達天皇を父に、子息二人は中大兄皇子(後の天智天皇)大海人皇子(後の天武天皇)です。中大兄皇子は藤原鎌足等と謀り蘇我入鹿を滅ぼしたが、今度発見された遺跡は甘樫丘の外れで明日香村養護学校の敷地内、甘樫丘は親子の蘇我蝦夷、入鹿の邸宅があった丘です。蘇我入鹿の墓では?また、単なる用水路では?などの見方もあると中日新聞は2ページで報道していました。

乙巳の変で入鹿を滅ぼしたクーデターでは、中大兄皇子や藤原鎌足等と行動した同じ蘇我系の蘇我倉山田石川麻呂が知られています。

岐阜県各務原市の私の住む指呼の間に蘇我倉山田石川麻呂の塚、という口伝の遺跡があるのです。宮塚といいます。
今朝は寒肥の肥料を買いにホームセンターへ行くついでに、宮塚付近を通って写真に収めました。遠景に私の住む大型団地が見えます。反対側が岐阜市で大きな琴塚古墳が、そのすぐ近く団地を降りる道路端に琴塚古墳より古い柄山古墳もあります。



遠い古代の3世紀とか明日香の7世紀遺跡などのことをイメージさせる今日は快晴です。

近くの町名は飛鳥町で、古代に大和と関係があった命名と市史にあります。


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