たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

深い悲しみと憤り・川崎殺傷事件

2019年05月30日 | 日記

川崎殺傷事件で日本中が深い悲しみと憤りに沈んだ。
多くの人が事件現場に花束やボトルを供えお参りされている。
路上に直置きさせず、せめて市や町内が机のお供え台を臨時に置けないものか。渋谷での母子交通事故死の時は、後で机が置かれた。

犯人で自殺した中年の引きこもり男の素性がイマイチはっきりしない。高齢の伯父、伯母と同居していたというが、犯人は子供の頃両親が離婚し、伯父伯母に育てられたようだ。産みの親の所在などは不明のようだ。
伯父、伯母との生活も会話はなく手紙のやりとりで、高齢になって介護が必要になって市に14回も相談していたという。
この伯父、伯母はよくここまで面倒をみてこられた。立派だ。その恩を仇で返すとは・・。

「死にたいなら一人で死ぬべき」、この言葉を慎むようネットで公表した識者がいる。この論に様々な反論、賛成コメントが寄せられている。私はこの識者の論に少し違和感がある。

昨日の朝は生ゴミの日で、自宅前の小学生通学白線歩道を何組かの集団登校を見送った。
パジャマ姿だったのに「おはようございます」と挨拶してくれるリーダーの高学年児童もいた。下校時は、遠くから賑やかな話声が聞こえてくるので下校だと分かる。
登校時は粛々と無言なのに、下校時は賑やかだ。

昨日の下校時、吹き通しの車庫越しに、庭先からタバコを吹かして下校風景を眺めていたら、高学年の女の子と目が合った。この子は「ギョ・・」とした表情をした。
こういうところにも事件の傷跡が窺がわれる。