数日前、郷里飛騨の高校級友からレターパックでDVDが贈られた。今春4月に最後にすると同窓会を閉じた翌日、皆で高山市郊外の松倉山にある松倉城址に登った。
同窓会で積み立ててきた慶弔費が7万円余残り、始末を相談した結果市へ寄付し、城址の案内版などが朽ち果てていたので、再建とか登山道の整備に寄付することになった。
その任務を預けた級友が市と交渉したが、頭にくるような市の対応だったようだ。
幹事をやってくれた別の級友に電話して来て、当方等へメール便があった。「羽織の紐を贈られても予算がない。行政とはそんなもの」と、一人は返信してきた。
そんな始末を地元衆が相談して、ローカルテレビ・Hit Net TV が放映した松倉城と絵馬の2編をDVDに作製して貰い、級友に贈呈したとのことだった。
前置きが長くなったが、今から四百数十年前の戦国武将・松倉城主・三木(みつき)秀綱ご夫妻の最期の地を訪ねる好番組で・城主夫妻が追手から逃れ、別ルートを辿り信州松本市、淡田町の縁者を頼って行く途中お二人とも非業な最期を遂げた。
その1編と最近放映したという絵馬の2編で、それぞれ25分番組だった。ネット検索すると、淡田町史から現地を探訪した好ブログがあり、興味深く読みました。
郷里飛騨ではそれほどでもないのに、逃避地で果てた秀綱城主夫妻をこれほど哀惜してくれた信州の人達に敬意を感じたところです。
秀綱夫妻には子があり、別の人に預けていた。その子孫が高山市一之宮町に住んでおられ、現在14代目だと系図で説明された。
絵馬は飛騨地方の縁起物です。陶匠の級友も写っていた。
話は変わるが、当方の生まれ故郷の集落は50数戸中10数軒が同性を名乗り、同族の集団墓地がある。町史には五〇〇年余前、北条早雲の末族某の三人兄弟が、温泉郷の上宝へ入り、程なく移り住み集落の開祖になったという。村の鎮守の守護神は出生地の駿河へ赴き、富士浅間神社の御分霊を奉戴して帰り祀ったという。
この兄弟は、飛騨国司・姉小路尹綱(あねがこうじ ただつな)、に仕え尽忠の心厚く、当方の姓を賜ったとあります。歴史って面白いね。姉小路尹綱 父方の系譜その1 その2